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みなしごと百貨の王6
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海老までは良かった。
そしてそのあとのクロケットとかいうものも、いったいどういう仕掛けなのか、とろりとした白いソースをうまいことまるめて揚げた物で、するりと胃に収まった。
問題はあの女給がまたしても「こちらも試作品で」と持ってきたクロケットの仲間だ。どういう仕掛けなのかとしおんが訝った通り、ソースを揚げるのは手間がかかるらしい。それをもっと簡単に工夫した代替品で、じゃがいもを使ってあった。炒めたたまねぎと挽肉を混ぜ込んで揚げるのだという。
それがまた格別に旨かったのがいけない。龍郷に対する憤りも忘れてもりもりと頬張ってしまった。結果、動けない。
――くそ。
龍郷がそんな様子をずっとにやにやしながら眺めていたことを思うと、それも計算のうちだったのかも知れない。気づいたときにはもう遅く、そもそも長いこと満腹になったことなどなかった腹が走って逃げることを全力で拒否するのは当然で、結局しおんはまた龍郷に促されるまま車に乗り込むしかなかった。
再び車から降ろされたのは、洋風の木造建築の前だ。
これが寮とかいうやつなのだろう。外壁は明るい薄緑、玄関や桟、軒下は白く塗り分けられている。
玄関へ入るなり、どどっと地響きのような音がして、建物が揺れた。
――やめろ、響く。
いっぱいまでじゃがいもの詰まった腹を抱えていらついていると、揃いのシャツに揃いの半ズボンを身につけた少年たちが姿を現した。
「いらっしゃいませ、社長!」
「あなた方、なんですかどたばたと。舞台に立つ者は日頃から所作を気をつけるのが大事だと教えているでしょう」
指導者らしき大人にそう言われても、少年たちは悪びれることもなくお互いにそっと小突き会合ったり目配せしたりなどしている。そうしてちらちらと龍郷の顔をうかがう。どうやらここにいる子供たちは、龍郷に気に入られたい気持ちでいっぱいのようだった。
若くして有名百貨店の経営者になる男。喰うにも困る人間がいる当節に、少年期から海外で過ごし、数ヶ国語を操る。いずれ自分も同じような暮らしをと望む者たちにとっては、尊敬すべき男なのだろう。
自分にとってはただの変態野郎だ。
思い出すと、重りでもくくりつけられたかのような下肢のだるさがよみがえる。意地で平然と振る舞ってはいたものの、邸を出てからもずっと乗り慣れない車に乗せられてきたから、体が癒やされることはなかった。
くそ、こいつが好き勝手したからだ。
腹の中で毒づく。
それでも、交渉の条件としてその場で差し出せるものが、自分には他になかった。
あとはせいぜい気の済むまで殴らせることくらいだろうか。十二階下をねぐらにしていると、まれにごろつきに絡まれることもある。そんなとき、話の通じない連中相手にはそれが一番有効だった。
暴力か、性的な奉仕か。あの小狡い座長にいくら払ったのか知らないが、その分の鬱憤をどちらかで晴らしたら、きっと放免されると思った。そうならなかったのは、当てが外れたとしか言いようがない。
この髪も瞳も、美しいと龍郷は言った。
美しいと言いながら、何度も熱い楔を打ち付けた――
「…………」
念入りに擦られた秘密の箇所が不意に疼いたような気がして身じろぐ。
一瞬のことだったが、顔に出てしまってはいないか気がかりでちらっと周りをうかがうと、少年のひとりと目が合った。
目が合うとは思っていなかったのだろう。少年は一瞬怯んだように目をそらし、それから再び、今度ははっきりと意思を持って睨みつけてくる。
――またか。
しおんはひっそりため息をついた。
この髪と瞳を見た人間は、だいたい黙って目をそらす。それからいやらしくちらちらと様子をうかがってくる。
一度目をそらしてから遠慮のなくなるまでの間に「値踏み」をされるのを、しおんは何度も味わってきた。人はそうして「気色は悪いが無害」「きつく当たっても構わない程度の相手」と自分の中で見慣れない生き物の居場所を決める。
大人の中には「無害」のあとに「見なかったことにする」を選ぶ者も多いが、子供はだいたい後者を選ぶ。自分たちと違うものは攻撃していい、と無邪気に思っているのだ。
「今日から仲間になるしおんだ。部屋の準備は出来ているよな?」
「はい」
応じる声は野々宮のものだった。先に来て部屋を整えていたのだろう。淡々と話を進める大人たちをよそに、少年たちの間にはざわめきが広がっていった。
ひときわ正しい立ち姿を保ったまま手を上げたのは、さっきしおんを睨みつけてきた少年だ。
「音楽隊に入るということですか?」
「そうだ。そしてしおんは歌を歌う」
少年たちがざわめく一方で、しおんは「歌う」ってなんだ、と憤っていた。仮に支払ってしまった金の代償だとしても、そこは「歌ってもらう」とかじゃないのか。この男、どこまでも自分の考えだけで物事を進めたがる。
歌わねえ、と言いさしたとき、割って入ったのもさっきの少年だった。
「僕たちの演奏だけでは、物足りないということでしょうか」
「そうだ」
少年の顔つきがさらに険しさを増したのが、端で見ていてもわかる。
こいつも龍郷に憧れている口で、音楽隊の隊員であることを誇りに思っているのだろう。さっきから賢しげな態度であることを考えればおおかたこいつは隊員の中でも中心的な存在で、そこへ自分のような(文字通り)毛色の変わった奴を連れてこられて面白い訳がない。勝手に敵対視されるのは鬱陶しいが、客観的に見れば龍郷の返答はあんまりな気もした。
だってこいつら、おまえを満足させるために練習してたんだろ?
しおんでさえそう思うのに、当の龍郷は意に介する様子もない。
「音楽隊は他の百貨店にもいる。他店にないものでてこ入れをしなければとずっと思っていた」
ああ、その言い方じゃ――
「それは! 演奏の質を高めることで可能です。ずっと練習に練習を重ねてきた僕たちより、そいつひとりのほうが重要ってことですか」
「そうだ」
龍郷はきっぱりといい放つ。自分の能力を認められた、などという殊勝な感慨をしおんは抱かない。むしろ「なにやってんだおまえ」だ。
案の定、少年は怒りで青ざめた唇をわななかせる。
「……なんでも目立てばいいなんて、そんなやり方、今までしなかったのに」
「今までと同じやり方で、違う結果が出せるのか?」
龍郷の言うことにも一理ある。が、正しいことを言われれば人はみな黙るかと言えばそうではない。案の定、少年は気色ばみ叫んだ。
「僕は嫌です! そんな化け物みたいななりの奴と並ぶのは」
さっきまでは育ちの良さと龍郷の手前まだ自制が効いていたのだろう。多少なりとも同情してやって損をした。
「――心配しなくても俺は餓鬼の遊びにつき合う気はねえよ」
「が、餓鬼の遊び!?」
「そうだろ。おまえのほんとの目的は、こいつに気に入られることで」
車が着くなり、真っ先に駆けてきた。さっきから龍郷に向ける眼差しの熱量と来たら、見ているこっちが恥ずかしくなるほどだ。
「だったらまずこいつの言い分を全部聞いてから出方を考えるのが賢いやりかただろ。見境なく本人に喰ってかかっちゃ台無しだ。だいたい、どうして好かれたい相手が都合良く自分に調子のいいことを言ってくれると思ってるんだ?」
こいつの中では「憧れの社長様」かなにかしらないが、龍郷は基本的に自分の独断で動く男だ。ほんのわずかしか一緒に過ごしていない自分でもそう思うのに、この盲目っぷり。
「どうせおまえら、こいつの社長って肩書きに目がくらんでるだけなんだろ。餓鬼以外のなん―」
最後まで言葉を紡ぐことはできなかった。少年が掴みかかってきたからだ。
床屋など行けるわけもなく、伸び放題になっていた髪を引っ張られる。気持ち悪いと言っていたくせに掴むのは平気なのか――と思いながら蹴りをくり出すと、思いのほか綺麗に腹に入ってしまい、少年の体は床の上に叩きつけられた。
路上でやり合う奴らなら、受け身の取り方も知っている。だから無様に転んだ姿を見て、やり過ぎたかなと思った。
悪ィ、と言いかけたところで奴は気丈に起き上がる。
「この――」
「いって、ひっぱんな、しつこ……」
「なんだこの髪、こんな物珍しさで龍郷さんに取り入って」
「取り入ってなんかねえ! あいつが勝手に」
見つけ出して拾い上げて挙げ句の果てにあんなことやこんなことをされただけだ。それをここで暴露してやってもいいが、ぎりぎりで思いとどまった。もちろん龍郷のためではなく自分のために。
「あいつだなんて言うな!!」
喧嘩慣れしていない、下手くそな蹴りが思い切り飛んできた。
そしてそのあとのクロケットとかいうものも、いったいどういう仕掛けなのか、とろりとした白いソースをうまいことまるめて揚げた物で、するりと胃に収まった。
問題はあの女給がまたしても「こちらも試作品で」と持ってきたクロケットの仲間だ。どういう仕掛けなのかとしおんが訝った通り、ソースを揚げるのは手間がかかるらしい。それをもっと簡単に工夫した代替品で、じゃがいもを使ってあった。炒めたたまねぎと挽肉を混ぜ込んで揚げるのだという。
それがまた格別に旨かったのがいけない。龍郷に対する憤りも忘れてもりもりと頬張ってしまった。結果、動けない。
――くそ。
龍郷がそんな様子をずっとにやにやしながら眺めていたことを思うと、それも計算のうちだったのかも知れない。気づいたときにはもう遅く、そもそも長いこと満腹になったことなどなかった腹が走って逃げることを全力で拒否するのは当然で、結局しおんはまた龍郷に促されるまま車に乗り込むしかなかった。
再び車から降ろされたのは、洋風の木造建築の前だ。
これが寮とかいうやつなのだろう。外壁は明るい薄緑、玄関や桟、軒下は白く塗り分けられている。
玄関へ入るなり、どどっと地響きのような音がして、建物が揺れた。
――やめろ、響く。
いっぱいまでじゃがいもの詰まった腹を抱えていらついていると、揃いのシャツに揃いの半ズボンを身につけた少年たちが姿を現した。
「いらっしゃいませ、社長!」
「あなた方、なんですかどたばたと。舞台に立つ者は日頃から所作を気をつけるのが大事だと教えているでしょう」
指導者らしき大人にそう言われても、少年たちは悪びれることもなくお互いにそっと小突き会合ったり目配せしたりなどしている。そうしてちらちらと龍郷の顔をうかがう。どうやらここにいる子供たちは、龍郷に気に入られたい気持ちでいっぱいのようだった。
若くして有名百貨店の経営者になる男。喰うにも困る人間がいる当節に、少年期から海外で過ごし、数ヶ国語を操る。いずれ自分も同じような暮らしをと望む者たちにとっては、尊敬すべき男なのだろう。
自分にとってはただの変態野郎だ。
思い出すと、重りでもくくりつけられたかのような下肢のだるさがよみがえる。意地で平然と振る舞ってはいたものの、邸を出てからもずっと乗り慣れない車に乗せられてきたから、体が癒やされることはなかった。
くそ、こいつが好き勝手したからだ。
腹の中で毒づく。
それでも、交渉の条件としてその場で差し出せるものが、自分には他になかった。
あとはせいぜい気の済むまで殴らせることくらいだろうか。十二階下をねぐらにしていると、まれにごろつきに絡まれることもある。そんなとき、話の通じない連中相手にはそれが一番有効だった。
暴力か、性的な奉仕か。あの小狡い座長にいくら払ったのか知らないが、その分の鬱憤をどちらかで晴らしたら、きっと放免されると思った。そうならなかったのは、当てが外れたとしか言いようがない。
この髪も瞳も、美しいと龍郷は言った。
美しいと言いながら、何度も熱い楔を打ち付けた――
「…………」
念入りに擦られた秘密の箇所が不意に疼いたような気がして身じろぐ。
一瞬のことだったが、顔に出てしまってはいないか気がかりでちらっと周りをうかがうと、少年のひとりと目が合った。
目が合うとは思っていなかったのだろう。少年は一瞬怯んだように目をそらし、それから再び、今度ははっきりと意思を持って睨みつけてくる。
――またか。
しおんはひっそりため息をついた。
この髪と瞳を見た人間は、だいたい黙って目をそらす。それからいやらしくちらちらと様子をうかがってくる。
一度目をそらしてから遠慮のなくなるまでの間に「値踏み」をされるのを、しおんは何度も味わってきた。人はそうして「気色は悪いが無害」「きつく当たっても構わない程度の相手」と自分の中で見慣れない生き物の居場所を決める。
大人の中には「無害」のあとに「見なかったことにする」を選ぶ者も多いが、子供はだいたい後者を選ぶ。自分たちと違うものは攻撃していい、と無邪気に思っているのだ。
「今日から仲間になるしおんだ。部屋の準備は出来ているよな?」
「はい」
応じる声は野々宮のものだった。先に来て部屋を整えていたのだろう。淡々と話を進める大人たちをよそに、少年たちの間にはざわめきが広がっていった。
ひときわ正しい立ち姿を保ったまま手を上げたのは、さっきしおんを睨みつけてきた少年だ。
「音楽隊に入るということですか?」
「そうだ。そしてしおんは歌を歌う」
少年たちがざわめく一方で、しおんは「歌う」ってなんだ、と憤っていた。仮に支払ってしまった金の代償だとしても、そこは「歌ってもらう」とかじゃないのか。この男、どこまでも自分の考えだけで物事を進めたがる。
歌わねえ、と言いさしたとき、割って入ったのもさっきの少年だった。
「僕たちの演奏だけでは、物足りないということでしょうか」
「そうだ」
少年の顔つきがさらに険しさを増したのが、端で見ていてもわかる。
こいつも龍郷に憧れている口で、音楽隊の隊員であることを誇りに思っているのだろう。さっきから賢しげな態度であることを考えればおおかたこいつは隊員の中でも中心的な存在で、そこへ自分のような(文字通り)毛色の変わった奴を連れてこられて面白い訳がない。勝手に敵対視されるのは鬱陶しいが、客観的に見れば龍郷の返答はあんまりな気もした。
だってこいつら、おまえを満足させるために練習してたんだろ?
しおんでさえそう思うのに、当の龍郷は意に介する様子もない。
「音楽隊は他の百貨店にもいる。他店にないものでてこ入れをしなければとずっと思っていた」
ああ、その言い方じゃ――
「それは! 演奏の質を高めることで可能です。ずっと練習に練習を重ねてきた僕たちより、そいつひとりのほうが重要ってことですか」
「そうだ」
龍郷はきっぱりといい放つ。自分の能力を認められた、などという殊勝な感慨をしおんは抱かない。むしろ「なにやってんだおまえ」だ。
案の定、少年は怒りで青ざめた唇をわななかせる。
「……なんでも目立てばいいなんて、そんなやり方、今までしなかったのに」
「今までと同じやり方で、違う結果が出せるのか?」
龍郷の言うことにも一理ある。が、正しいことを言われれば人はみな黙るかと言えばそうではない。案の定、少年は気色ばみ叫んだ。
「僕は嫌です! そんな化け物みたいななりの奴と並ぶのは」
さっきまでは育ちの良さと龍郷の手前まだ自制が効いていたのだろう。多少なりとも同情してやって損をした。
「――心配しなくても俺は餓鬼の遊びにつき合う気はねえよ」
「が、餓鬼の遊び!?」
「そうだろ。おまえのほんとの目的は、こいつに気に入られることで」
車が着くなり、真っ先に駆けてきた。さっきから龍郷に向ける眼差しの熱量と来たら、見ているこっちが恥ずかしくなるほどだ。
「だったらまずこいつの言い分を全部聞いてから出方を考えるのが賢いやりかただろ。見境なく本人に喰ってかかっちゃ台無しだ。だいたい、どうして好かれたい相手が都合良く自分に調子のいいことを言ってくれると思ってるんだ?」
こいつの中では「憧れの社長様」かなにかしらないが、龍郷は基本的に自分の独断で動く男だ。ほんのわずかしか一緒に過ごしていない自分でもそう思うのに、この盲目っぷり。
「どうせおまえら、こいつの社長って肩書きに目がくらんでるだけなんだろ。餓鬼以外のなん―」
最後まで言葉を紡ぐことはできなかった。少年が掴みかかってきたからだ。
床屋など行けるわけもなく、伸び放題になっていた髪を引っ張られる。気持ち悪いと言っていたくせに掴むのは平気なのか――と思いながら蹴りをくり出すと、思いのほか綺麗に腹に入ってしまい、少年の体は床の上に叩きつけられた。
路上でやり合う奴らなら、受け身の取り方も知っている。だから無様に転んだ姿を見て、やり過ぎたかなと思った。
悪ィ、と言いかけたところで奴は気丈に起き上がる。
「この――」
「いって、ひっぱんな、しつこ……」
「なんだこの髪、こんな物珍しさで龍郷さんに取り入って」
「取り入ってなんかねえ! あいつが勝手に」
見つけ出して拾い上げて挙げ句の果てにあんなことやこんなことをされただけだ。それをここで暴露してやってもいいが、ぎりぎりで思いとどまった。もちろん龍郷のためではなく自分のために。
「あいつだなんて言うな!!」
喧嘩慣れしていない、下手くそな蹴りが思い切り飛んできた。
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