雨さえやさしく

あまみや慈雨

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「――ッ」

 熱めのそれに思わず息を呑む。いや、体が冷えているから熱く感じたのかも知れない。しばらく痛みのような感覚に堪えながら打たれる。

「指、感覚戻ってきた」

 狭いブースの中、無言でいるのも気詰まりでそう漏らすと、ふう、とため息が肩口に触れた。

「……椿さん無茶しすぎ。びっくりするでしょ、もー」

「お、おまえだって」

「俺は椿さんより筋肉あるからいいんです」

 寿命縮んだ、と呟いて、肩に額を押し当ててくる。急速に縮められた距離に戸惑いながら、押し返そうとは不思議と思わなかった。

「……だって好きな人と最高の思い出作ろうってしてる人たちのこと、なんとかしてやりたいって思ったんだ。……俺はだめだったから」

 自分でも掌を返しすぎだ、とは思う。街コンにのこのこ出てくるような連中なんて皆滅びよ! と思っていたのに。

 だけど、実際会った彼らはみんな一生懸命だった。一生懸命で、そして、梓にまたわざわざ来てくれたりするのだ。 

 それにあれは、晴臣のからんだ企画だから。せっかく押し通したのに、トラブルがあれ

ばまた「やっぱりやるんじゃなかった」と言

われてしまう。わずかな瑕瑾が、むこう十年

も二十年もずっと語られ続けるような田舎な

のだ、ここは。

 それが嫌でここを出て行ったのに、いつの間にか自分もそちら側になっていた。

 どうせ失敗するなら、踏み出さないほうがましだと。

 だけど晴臣がやってきて、風が吹いた。

 始めはただ胡散臭いだけだと思っていたその笑顔が、曇るところを見たくなかった。

――そこまでの本心は口に出来ずにいるうちに、晴臣は額を肩口にぐりぐり押し当てて来る。

「ちょ、痛、」

 子供のような仕草を振り返って諫めようとしたとき、顎に晴臣の指が触れた。いいんですと言っていたくせに、まだ冷たさが残っている。

ひやっとするそれに気を取られているうちに、ぐい、と抱き寄せられた。

「――、」

 指よりももっと冷たい唇が、唇に触れる。

 反射で逃げる体を晴臣はタイルの壁に押しつけて、執拗に唇を吸った。

温泉で耳の中をいいように蹂躙した舌は、口腔ではより奔放に振る舞う。椿のそれがこわばっているのをいいことに絡め取ると、唾液を分け与えるようにねぶった。



 濃密に濡れた水音が、体の中で響く。



 まるで椿の体温を奪って燃え上がったかのように、晴臣の唇が、そして指先が熱を持った。

「ん……ふ……っ」

 同じように凍えたはずなのに、ずいぶん器用な舌先で上顎をくすぐられると、喉の奥からくぐもった声が漏れてしまう。

 それに興奮を煽られたのか、晴臣がぐっと腰を押し当ててくる。

 あまりの熱さに、我に返った。

「――!」

 なんとか身を捩って、晴臣の口づけから逃れる。

「椿さん?」

「やだ」

「――すみません、でも」

 椿はかぶりを振った。濡れ髪から水滴が滴る。

 嫌なのは、晴臣がじゃない。

「怖いんだ。――また、誰かを信じて裏切られるのが」

 でも、あのまま立ち止まっているのも嫌だった。いつの間にか自分の中に吹き込んだ風が――こいつが――雲の向こうに晴れ間があると、見せつけてくるから。

 相反する気持ちが足を竦ませる。晴臣はなにやら複雑な顔をして「信じて、かあ……もっとちゃんとした言葉くれてもいいと思いますけど」などと呟いている。

 それから不思議そうに訊ねた。

「そもそもなんで裏切る前提なんですか」

「だ、だって、東京に、恋人が」

「は? 誰の?」

「おまえの」

「いないですよそんなの。え、待って。俺ちゃんとあなたに言いましたよね? 好きですって」

「だ、だって」

「だって?」

「あ、――愛してるって、電話」

 あんなに、親しげに。喧嘩をしても許される距離感で。

 晴臣は虚を突かれたように固まり――そして、生まれて初めて濃茶を飲まされた小学生みたいに渋い顔をした。

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