29 / 49
29
しおりを挟む
「月森さん」
背後から声をかけられて振り返る。王と李だ。二人とも、紋付きに白い羽織を身につけていた。
「どうか?」
「いえ……お国の衣装でいらっしゃるかと」
たしか、あちらの国での婚礼衣装は赤だったと記憶している。まさか和装で来るとは思わなかったから少し驚いた。そう告げると、ふたりは「急いで作ってもらいました」とはにかむ。
「彼が、受け容れてもらった感謝の気持ちも表したいって早坂さんに相談して、作ってくれる梓の若い職人さんを探して。ギリギリ、昨日できたばかりです」
「そうなんですか……」
細やかな心遣いに、こみあげるものがあった。こちらは嘘をついてまで追い返そうとしていたのに、だ。
「赤い花の上ではこのほうが映えると思ったんです。別に、決められてるわけではないですし」
確かにそうだ。厳密に法律で決められているわけでもない。
伝統が終わるわけじゃない。少しずつ形を変えていくだけのことだ。
また、風が吹いた気がする。曇り空を払う風。
だがそれは気持ちの内面に限った話だった。
朝から晴れていた空は、ここへきてにわかに雲がかかり始めていた。
「こんな日くらい、もう少しすかっと晴れてくれれば良かったんですが」
自分の思惑が通じるわけもないが、申し訳ない気持ちになって告げる。
「薄曇りくらいのほうが写真は綺麗に映るそうですよ」
不意に割り込んで来た声に、ふたりの顔もぱあっと晴れた。
晴臣だ。
「そうなんですか」
「そうなんですって。ちょっと前にカメラマンさんに聞いたんですけど。晴天だと陰影がはっきりしすぎちゃうでしょ。ほら」
促されてこうべをめぐらせれば、堀に椿が浮かぶなどというシャッターチャンスを逃すまいと思うのか、市民カメラマンが自慢のカメラを構えずらりと沿道に陣取っていた。その顔はどれも嬉々として輝いてるような気がする。
早速訳して伝えると、ふたりは顔をほころばせた。
「曇ってるほうがいいってこともあるんですね」
「――そうみたい、ですね」
「王、李、写真撮るぞ~」
友人らしき人物から声がかかり、二人は移動する。袴姿なのに子供のように足下を弾ませるふたりの背を微笑ましく見送っていると「椿さん」とあらためて声をかけられた。
「有難うございます。……本番前にちゃんとお礼言わなきゃと思って」
「俺は、別に」
龍介ふうに言うなら自分はただ「切れ散らかした」だけだ。
あれからばたばたと準備に入ったから、晴臣と対面で話をするのも久しぶりだった。
婚礼舟の進行関係で連絡を取ることは勿論あったが、プレイベートで接する時間はなかった。もちろんお互いあの夜のことには触れないままだ。
奇妙な緊張感がある。素の自分と、職員としての自分、どう接したらいいかわからなくて、結局後者の言葉遣いになった。
「その……早坂さんこそ、居心地悪くなったりとか、しませんでしたか」
同じ観光協会内で直接上司と接することになるのは晴臣だ。あのときはついかっとなってしまったが、晴臣的にはそれで良かったのか、どうか。
「ご心配有り難うございます」
晴臣もまた、仕事仲間の口調でしおらしく応じる。
「まあ、それなりにはありましたけど、最初が順調すぎたんで、プラマイゼロって感じですかね」
「そうですか」
実際のところ、祭りの準備が始まってしまえばやることは山積みで、揉めたりしていては仕事が滞ってしまう。なにしろ城祭りはこの梓唯一のビッグイベントなのだ。その辺りはみんなわきまえていたらしい。
一応の安堵を覚えていると、不意に、晴臣が名前を呼んだ。
「椿、」
――はい?
「綺麗ですね」
一瞬どきりとしたが、晴臣の視線は堀に向かっていた。
「――」
親族の来ない王と李のために婚礼舟に付き添うから、今日、椿と晴臣はモーニングを着用している。胸ポケットにはチーフ代わりに椿を差した。
椿はまさに借り物のそれが落ち着かず、ちょっとした七五三気分だというのに、晴臣のすらりとひきしまった体躯にそれはまるで誂えたようによく似合っていた。昼日中、式場の中ならともかく、観光舟の舟着き場でそんな出で立ちをしていても、浮かないのが凄い。
「――椿さん」
不意に水面から戻された視線がこちらを向いて、椿は狼狽えた。ばっちり目が合う。
「お、俺は見てない」
だからつい、しなくてもいい弁解をしてしまった。
しまった。
晴臣はひとつしばたいて、それから、人の悪い笑みを浮かべてからかってくる――かと思いきや、さらにじっと見据えてくる。あまりにまっすぐすぎて、逃げられない強さで。
「俺は見てました。椿さん、そういう格好似合うなって」
「お、俺は、――」
また、そういうことをさらっと。
こちらも「早坂さんこそ」と軽くかわせば良かったのだと気づいたときにはもう遅く、うまい言葉が見つからない。
「それでは皆さん、舟のほうへ」
桟橋の端から声がかかる。龍介だ。
「お願いします」
仕事の顔で頭を下げると、龍介もまた、仕事の顔で頷いた。
助かった、と足を早め、同時に気を引き締める。今はとにかく、気まずいなどと甘ったれたことを言っている場合じゃない。
このふたりの幸せな思い出のお手伝いを、全力でやるんだ。
背後から声をかけられて振り返る。王と李だ。二人とも、紋付きに白い羽織を身につけていた。
「どうか?」
「いえ……お国の衣装でいらっしゃるかと」
たしか、あちらの国での婚礼衣装は赤だったと記憶している。まさか和装で来るとは思わなかったから少し驚いた。そう告げると、ふたりは「急いで作ってもらいました」とはにかむ。
「彼が、受け容れてもらった感謝の気持ちも表したいって早坂さんに相談して、作ってくれる梓の若い職人さんを探して。ギリギリ、昨日できたばかりです」
「そうなんですか……」
細やかな心遣いに、こみあげるものがあった。こちらは嘘をついてまで追い返そうとしていたのに、だ。
「赤い花の上ではこのほうが映えると思ったんです。別に、決められてるわけではないですし」
確かにそうだ。厳密に法律で決められているわけでもない。
伝統が終わるわけじゃない。少しずつ形を変えていくだけのことだ。
また、風が吹いた気がする。曇り空を払う風。
だがそれは気持ちの内面に限った話だった。
朝から晴れていた空は、ここへきてにわかに雲がかかり始めていた。
「こんな日くらい、もう少しすかっと晴れてくれれば良かったんですが」
自分の思惑が通じるわけもないが、申し訳ない気持ちになって告げる。
「薄曇りくらいのほうが写真は綺麗に映るそうですよ」
不意に割り込んで来た声に、ふたりの顔もぱあっと晴れた。
晴臣だ。
「そうなんですか」
「そうなんですって。ちょっと前にカメラマンさんに聞いたんですけど。晴天だと陰影がはっきりしすぎちゃうでしょ。ほら」
促されてこうべをめぐらせれば、堀に椿が浮かぶなどというシャッターチャンスを逃すまいと思うのか、市民カメラマンが自慢のカメラを構えずらりと沿道に陣取っていた。その顔はどれも嬉々として輝いてるような気がする。
早速訳して伝えると、ふたりは顔をほころばせた。
「曇ってるほうがいいってこともあるんですね」
「――そうみたい、ですね」
「王、李、写真撮るぞ~」
友人らしき人物から声がかかり、二人は移動する。袴姿なのに子供のように足下を弾ませるふたりの背を微笑ましく見送っていると「椿さん」とあらためて声をかけられた。
「有難うございます。……本番前にちゃんとお礼言わなきゃと思って」
「俺は、別に」
龍介ふうに言うなら自分はただ「切れ散らかした」だけだ。
あれからばたばたと準備に入ったから、晴臣と対面で話をするのも久しぶりだった。
婚礼舟の進行関係で連絡を取ることは勿論あったが、プレイベートで接する時間はなかった。もちろんお互いあの夜のことには触れないままだ。
奇妙な緊張感がある。素の自分と、職員としての自分、どう接したらいいかわからなくて、結局後者の言葉遣いになった。
「その……早坂さんこそ、居心地悪くなったりとか、しませんでしたか」
同じ観光協会内で直接上司と接することになるのは晴臣だ。あのときはついかっとなってしまったが、晴臣的にはそれで良かったのか、どうか。
「ご心配有り難うございます」
晴臣もまた、仕事仲間の口調でしおらしく応じる。
「まあ、それなりにはありましたけど、最初が順調すぎたんで、プラマイゼロって感じですかね」
「そうですか」
実際のところ、祭りの準備が始まってしまえばやることは山積みで、揉めたりしていては仕事が滞ってしまう。なにしろ城祭りはこの梓唯一のビッグイベントなのだ。その辺りはみんなわきまえていたらしい。
一応の安堵を覚えていると、不意に、晴臣が名前を呼んだ。
「椿、」
――はい?
「綺麗ですね」
一瞬どきりとしたが、晴臣の視線は堀に向かっていた。
「――」
親族の来ない王と李のために婚礼舟に付き添うから、今日、椿と晴臣はモーニングを着用している。胸ポケットにはチーフ代わりに椿を差した。
椿はまさに借り物のそれが落ち着かず、ちょっとした七五三気分だというのに、晴臣のすらりとひきしまった体躯にそれはまるで誂えたようによく似合っていた。昼日中、式場の中ならともかく、観光舟の舟着き場でそんな出で立ちをしていても、浮かないのが凄い。
「――椿さん」
不意に水面から戻された視線がこちらを向いて、椿は狼狽えた。ばっちり目が合う。
「お、俺は見てない」
だからつい、しなくてもいい弁解をしてしまった。
しまった。
晴臣はひとつしばたいて、それから、人の悪い笑みを浮かべてからかってくる――かと思いきや、さらにじっと見据えてくる。あまりにまっすぐすぎて、逃げられない強さで。
「俺は見てました。椿さん、そういう格好似合うなって」
「お、俺は、――」
また、そういうことをさらっと。
こちらも「早坂さんこそ」と軽くかわせば良かったのだと気づいたときにはもう遅く、うまい言葉が見つからない。
「それでは皆さん、舟のほうへ」
桟橋の端から声がかかる。龍介だ。
「お願いします」
仕事の顔で頭を下げると、龍介もまた、仕事の顔で頷いた。
助かった、と足を早め、同時に気を引き締める。今はとにかく、気まずいなどと甘ったれたことを言っている場合じゃない。
このふたりの幸せな思い出のお手伝いを、全力でやるんだ。
0
お気に入りに追加
183
あなたにおすすめの小説
桜吹雪と泡沫の君
叶けい
BL
4月から新社会人として働き始めた名木透人は、高校時代から付き合っている年上の高校教師、宮城慶一と同棲して5年目。すっかりお互いが空気の様な存在で、恋人同士としてのときめきはなくなっていた。
慣れない会社勤めでてんてこ舞いになっている透人に、会社の先輩・渡辺裕斗が合コン参加を持ちかける。断り切れず合コンに出席した透人。そこで知り合った、桜色の髪の青年・桃瀬朔也と運命的な恋に落ちる。
だが朔也は、心臓に重い病気を抱えていた。
【完結】くつろぎ君はコーヒーがキライじゃない!
はいじ@11/28 書籍発売!
BL
「失敗する大人が見て~~」というノリで、潰れかけた喫茶店にバイトに来たインテリチャラ男大学生(ゲイ)と、何かあるとすぐに「ぶわっ!」と泣いてしまう喫茶店のマスターの、喫茶店立て直しの半年間の話。
斜に構えたツンデレ大学生(21)が、要領の悪い泣き虫な喫茶店のマスター(27)に、ドップリ落っこちるまで。
≪注意!≫
※【本編】に肉体的接触は、ぼぼありません。
※恋愛関係では一切絡んでこないももの、女の子が一人めちゃくちゃ絡んできます。私は、女の子キャラが……好きです!
【完結】遍く、歪んだ花たちに。
古都まとい
BL
職場の部下 和泉周(いずみしゅう)は、はっきり言って根暗でオタクっぽい。目にかかる長い前髪に、覇気のない視線を隠す黒縁眼鏡。仕事ぶりは可もなく不可もなく。そう、凡人の中の凡人である。
和泉の直属の上司である村谷(むらや)はある日、ひょんなことから繁華街のホストクラブへと連れて行かれてしまう。そこで出会ったNo.1ホスト天音(あまね)には、どこか和泉の面影があって――。
「先輩、僕のこと何も知っちゃいないくせに」
No.1ホスト部下×堅物上司の現代BL。
しのぶ想いは夏夜にさざめく
叶けい
BL
看護師の片倉瑠維は、心臓外科医の世良貴之に片想い中。
玉砕覚悟で告白し、見事に振られてから一ヶ月。約束したつもりだった花火大会をすっぽかされ内心へこんでいた瑠維の元に、驚きの噂が聞こえてきた。
世良先生が、アメリカ研修に行ってしまう?
その後、ショックを受ける瑠維にまで異動の辞令が。
『……一回しか言わないから、よく聞けよ』
世良先生の哀しい過去と、瑠維への本当の想い。
敏感リーマンは大型ワンコをうちの子にしたい
おもちDX
BL
社畜のサラリーマン柊(ひいらぎ)はある日、ヘッドマッサージの勧誘にあう。怪しいマッサージかと疑いながらもついて行くと、待っていたのは――極上の癒し体験だった。柊は担当であるイケメンセラピスト夕里(ゆり)の技術に惚れ込むが、彼はもう店を辞めるという。柊はなんとか夕里を引き止めたいが、通ううちに自分の痴態を知ってしまった。ただのマッサージなのに敏感体質で喘ぐ柊に、夕里の様子がおかしくなってきて……?
敏感すぎるリーマンが、大型犬属性のセラピストを癒し、癒され、懐かれ、蕩かされるお話。
心に傷を抱えたセラピスト(27)×疲れてボロボロのサラリーマン(30)
現代物。年下攻め。ノンケ受け。
※表紙のイラスト(攻め)はPicrewの「人間(男)メーカー(仮)」で作成しました。
【BL】男なのにNo.1ホストにほだされて付き合うことになりました
猫足
BL
「浮気したら殺すから!」
「できるわけがないだろ……」
相川優也(25)
主人公。平凡なサラリーマンだったはずが、女友達に連れていかれた【デビルジャム】というホストクラブでスバルと出会ったのが運の尽き。
碧スバル(21)
指名ナンバーワンの美形ホスト。博愛主義者。優也に懐いてつきまとう。その結果、恋人に昇格。
「僕、そのへんの女には負ける気がしないから。こんな可愛い子、ほかにいるわけないしな!」
「スバル、お前なにいってんの…?」
美形病みホスと平凡サラリーマンの、付き合いたてカップルの日常。
※【男なのになぜかNo. 1ホストに懐かれて困ってます】の続編です。
明け方に愛される月
行原荒野
BL
幼い頃に唯一の家族である母を亡くし、叔父の家に引き取られた佳人は、養子としての負い目と、実子である義弟、誠への引け目から孤独な子供時代を過ごした。
高校卒業と同時に家を出た佳人は、板前の修業をしながら孤独な日々を送っていたが、ある日、精神的ストレスから過換気の発作を起こしたところを芳崎と名乗る男に助けられる。
芳崎にお礼の料理を振舞ったことで二人は親しくなり、次第に恋仲のようになる。芳崎の優しさに包まれ、初めての安らぎと幸せを感じていた佳人だったが、ある日、芳崎と誠が密かに会っているという噂を聞いてしまう。
「兄さん、俺、男の人を好きになった」
誰からも愛される義弟からそう告げられたとき、佳人は言葉を失うほどの衝撃を受け――。
※ムーンライトノベルズに掲載していた作品に微修正を加えたものです。
【本編8話(シリアス)+番外編4話(ほのぼの)】お楽しみ頂けますように🌙
※お気に入り登録やいいね、エール、ご感想などの応援をいただきありがとうございます。励みになります!((_ _))*
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる