雨さえやさしく

あまみや慈雨

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「月森さん」

 背後から声をかけられて振り返る。王と李だ。二人とも、紋付きに白い羽織を身につけていた。

「どうか?」

「いえ……お国の衣装でいらっしゃるかと」

 たしか、あちらの国での婚礼衣装は赤だったと記憶している。まさか和装で来るとは思わなかったから少し驚いた。そう告げると、ふたりは「急いで作ってもらいました」とはにかむ。

「彼が、受け容れてもらった感謝の気持ちも表したいって早坂さんに相談して、作ってくれる梓の若い職人さんを探して。ギリギリ、昨日できたばかりです」

「そうなんですか……」

 細やかな心遣いに、こみあげるものがあった。こちらは嘘をついてまで追い返そうとしていたのに、だ。

「赤い花の上ではこのほうが映えると思ったんです。別に、決められてるわけではないですし」

 確かにそうだ。厳密に法律で決められているわけでもない。

 伝統が終わるわけじゃない。少しずつ形を変えていくだけのことだ。

 また、風が吹いた気がする。曇り空を払う風。

 だがそれは気持ちの内面に限った話だった。

朝から晴れていた空は、ここへきてにわかに雲がかかり始めていた。

「こんな日くらい、もう少しすかっと晴れてくれれば良かったんですが」

 自分の思惑が通じるわけもないが、申し訳ない気持ちになって告げる。

「薄曇りくらいのほうが写真は綺麗に映るそうですよ」

 不意に割り込んで来た声に、ふたりの顔もぱあっと晴れた。

 晴臣だ。

「そうなんですか」

「そうなんですって。ちょっと前にカメラマンさんに聞いたんですけど。晴天だと陰影がはっきりしすぎちゃうでしょ。ほら」

 促されてこうべをめぐらせれば、堀に椿が浮かぶなどというシャッターチャンスを逃すまいと思うのか、市民カメラマンが自慢のカメラを構えずらりと沿道に陣取っていた。その顔はどれも嬉々として輝いてるような気がする。

早速訳して伝えると、ふたりは顔をほころばせた。

「曇ってるほうがいいってこともあるんですね」

「――そうみたい、ですね」

「王、李、写真撮るぞ~」

友人らしき人物から声がかかり、二人は移動する。袴姿なのに子供のように足下を弾ませるふたりの背を微笑ましく見送っていると「椿さん」とあらためて声をかけられた。

「有難うございます。……本番前にちゃんとお礼言わなきゃと思って」

「俺は、別に」

 龍介ふうに言うなら自分はただ「切れ散らかした」だけだ。

 あれからばたばたと準備に入ったから、晴臣と対面で話をするのも久しぶりだった。

 婚礼舟の進行関係で連絡を取ることは勿論あったが、プレイベートで接する時間はなかった。もちろんお互いあの夜のことには触れないままだ。

奇妙な緊張感がある。素の自分と、職員としての自分、どう接したらいいかわからなくて、結局後者の言葉遣いになった。

「その……早坂さんこそ、居心地悪くなったりとか、しませんでしたか」

 同じ観光協会内で直接上司と接することになるのは晴臣だ。あのときはついかっとなってしまったが、晴臣的にはそれで良かったのか、どうか。

「ご心配有り難うございます」

 晴臣もまた、仕事仲間の口調でしおらしく応じる。

「まあ、それなりにはありましたけど、最初が順調すぎたんで、プラマイゼロって感じですかね」

「そうですか」

 実際のところ、祭りの準備が始まってしまえばやることは山積みで、揉めたりしていては仕事が滞ってしまう。なにしろ城祭りはこの梓唯一のビッグイベントなのだ。その辺りはみんなわきまえていたらしい。

 一応の安堵を覚えていると、不意に、晴臣が名前を呼んだ。

「椿、」

 ――はい?

「綺麗ですね」

 一瞬どきりとしたが、晴臣の視線は堀に向かっていた。

「――」

 親族の来ない王と李のために婚礼舟に付き添うから、今日、椿と晴臣はモーニングを着用している。胸ポケットにはチーフ代わりに椿を差した。

椿はまさに借り物のそれが落ち着かず、ちょっとした七五三気分だというのに、晴臣のすらりとひきしまった体躯にそれはまるで誂えたようによく似合っていた。昼日中、式場の中ならともかく、観光舟の舟着き場でそんな出で立ちをしていても、浮かないのが凄い。

「――椿さん」

 不意に水面から戻された視線がこちらを向いて、椿は狼狽えた。ばっちり目が合う。

「お、俺は見てない」

 だからつい、しなくてもいい弁解をしてしまった。

 しまった。

 晴臣はひとつしばたいて、それから、人の悪い笑みを浮かべてからかってくる――かと思いきや、さらにじっと見据えてくる。あまりにまっすぐすぎて、逃げられない強さで。

「俺は見てました。椿さん、そういう格好似合うなって」

「お、俺は、――」

 また、そういうことをさらっと。

 こちらも「早坂さんこそ」と軽くかわせば良かったのだと気づいたときにはもう遅く、うまい言葉が見つからない。

「それでは皆さん、舟のほうへ」

 桟橋の端から声がかかる。龍介だ。

「お願いします」

 仕事の顔で頭を下げると、龍介もまた、仕事の顔で頷いた。

 助かった、と足を早め、同時に気を引き締める。今はとにかく、気まずいなどと甘ったれたことを言っている場合じゃない。

 このふたりの幸せな思い出のお手伝いを、全力でやるんだ。
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