雨さえやさしく

あまみや慈雨

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「椿さん」
 いつのまにか晴臣は椿の手首をひとまとめにして、胸に押し付けるように封じていた。
 心細い子供のような様子で胸の内を吐き出していた唇が、今度は明確に大人の意思を持って耳たぶを甘噛みする。
「あ……ッ!」
 素肌を雨粒が叩いたかのように、敏感に感じてしまう。未知の感覚に、いやだ、ともがいても、いつのまにか膝を割って分け入った足でがっちり下肢も固定されていて、逃げることは出来ない。
 信じがたいことに、晴臣の舌は耳の中まで入ってきた。
「あ、やだ、やめ……ッ!」
熱くぬらぬらとしたものに穴を犯されると、下半身までじわっと熱を持つ。もがいた拍子に、押さえつけている足が内腿に触れる。糊のきいたシーツはしゅっと衣擦れの音をさせるばかりで、晴臣を跳ねのけるために踏ん張ることはかなわなかった。
 むしろもがけばもがくほど浴衣の裾は割れ、
そこに晴臣の手が入り込んで来る。
「――、」
 気を取られていると、今度は首筋に唇を押し当てられた。
「椿さん、」
 獣のような気配を必死で押し隠すような、かすれた声が囁く。上体を起こしていたはずの体は、施される快楽から逃れるうちに仰向けにされていた。
 晴臣の視線が、ぎらりといっそう熱を増した気がする。男らしい喉仏が蠢く。
 はだけた胸元を見つめているのだと気がついて身をよじっても、もう遅い。微かに覗いていたささやかな突起を、両手の親指の腹でこねるように撫でられた。
「んん……ッ!」
 下肢に乗るようにして、がっちり押さえつけられているというのに、はねのけんばかりに背が反る。――強すぎる快感で。
「ここ、弱いんですね、椿さん。凄く可愛い」
「ば……か……」
「ばかでもいいです。――だから〈今〉〈俺〉を見て。椿さん」
 抗いがたい快感のせいなのか、恐怖なのか、悔しさなのか、ごちゃ混ぜになった感情が、目じりに涙を浮かばせていた。晴臣はいやらしく乳首をこねたのと同じ指で、そっとそれを拭う。
さっきまであんなに強引だったのに、と訝しむと、ふっと影が濃くなった。
「椿さん……」
 どこか泣きだしそうにも思える、強い希求の音色。こんなふうに苦し気に、切なげに、そして大事そうに名前を呼ばれたことが、かつてあっただろうか。
 青い影が濃さを増す。
 このまま身を任せたら、また新しい扉が開くんだろうか。
 どんよりと頭の上に垂れ込める、重い雲が晴らされるような風が、また吹き込んでくれるんだろうか――
 身を任せようとしたとき、倒れる前に聞いた声を思い出した。

『――愛してるよ』 

「……!」
 冬の、凍った湖面が砕けるような衝撃が、内側から心臓を突き上げる。
 壁にうっすら映る青い影が重なる直前、椿は晴臣の胸を押し返していた。
「椿さん?」
 呆気にとられたような表情で自分の上に乗っている男を、思い切り突き飛ばす。不意を突かれたのだろう。晴臣は思いの他軽く転がり落ちた。
 危なかった。うっかりほだされるところだった。都会から来た男なんかに。
「……なにが〈今〉を見てだ。恋人を置いて逃げてきたくせに。今、この瞬間ヤレたら、いっとき楽しめたらそれでいいってことか!」
「え、ちょ、待って、椿さん」
「待たない!」
 仁王立ちになって、部屋のふすまを開け放つ。すぱん、という音が高らかに響いた。
「――二度と俺に関わらないでください」
 心を波立たせないでくれ。
 これ以上揉めれば人目が集まるという判断か、晴臣は一瞬ひるんだようだった。
その隙をつき、素早く浴衣を直して走り出る。
 中庭の池に映る夜空は相変わらずよく晴れて、星は水底に沈んでいるようにさえ見える。
 心はひどい土砂降りだった。
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