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乱暴に髪と体を拭って、浴衣を羽織る。廊下に出ても、まだ心臓はどっ、どっと内側から乱暴に叩かれるように乱れていた。
嫌だ。
龍介にそういう目で見られていたことがじゃない。
どうしたらいいかもわからず動揺している自分が嫌だ。
もう二度とこんなふうに心を波立たせたくなかったのに。もう二度と――
我に返ると、自分の居場所がわからなくなっていた。比喩ではなく、初見の旅館の中で文字通り迷ってしまったのだ。
幾つかの部屋が池の上に点在するような造りの為、廊下が入り組んでいる。そのせいで方向感覚も完全に狂っていた。スマホは部屋に置いてきたし、こんなときに限って仲居さんも通らない。
途方に暮れてしまったとき、微かに人の声が聞こえた。藁にもすがるような気持ちで声のするほうへと複雑な廊下を回り込む。
そこに、晴臣が立っていた。
「――、」
やっと鼓動の収まった胸が、今度は外側からぎゅっと押さえつけられたような苦しさを感じながら、椿はとっさに身を隠した。それこそ忍者のように壁にぺったりと張り付く自分の姿を想像して、死にたい気分になる。
待て俺、隠れる必要あったか?
ない。むしろ部屋がどこか訊ねるチャンスだろう。
龍介がおかしなこと言うから――
あらためて出ていこうと思うと、なかなかタイミングが難しかった。仕方なくそっと様子をうかがうと、晴臣も先に風呂に入るつもりなのか、すでに浴衣に着替えている。
話し声がしたのは、晴臣が誰かと電話をしているからだ。スマホを耳に当てる袖口から、普段はシャツで隠されている、腱の浮いた前腕がのぞいていた。
「ん? うん、今日はそれで打ち上げ。遊んでばっかじゃないって。人聞き悪いな、もー」
晴臣が自分に接するときは、いつも敬語だ。観光課、観光協会合わせた中でも自分と晴
臣が一番の若手だから、砕けた口調はむしろ
初めて耳にするものだった。友だちだろうか。
奴のことだから沢山いるだろうし、きっと
こっちに来てから知り合った相手だってもう
相当数いるのでは、と思う。
新鮮な違和感。ぺしゃっと外側から押しつぶされたあと、ようやく落ち着いていた胸の辺りが、水たまりを叩く雨粒のように小さく跳ねる。
晴臣個人のアカウントに自分のことを呟かれそうになったとき感じたざわざわと、似ている。あのときは晴臣の日常に自分が刻まれてしまうのが嫌だった。今日は晴臣の日常を盗み見てしまっている。
それは自分の好む距離感ではないのに、どうしてか今ここから立ち去ることが出来ない。
「……うん。うん。そう、まあひと段落はしたけど、そればっかりやってればいいわけじゃないからね。お城祭りだって当然手伝いますよ。俺の案、ひとつ採用してもらえたし。ん? まだ秘密」
ひみつ、という言葉に乗った、もったいぶるような響きがなぜか癇に障った。いったい誰と話してんだ。そんな甘えるような声で。
いや、そんなふうに聞こえるのは俺の気のせいなのか。
「だめだって、色々本決まりになるまで教えられません。……うん、大丈夫。もう怒ってなんかないよ。ほんとだって」
今度は一転、確実に労わるような声音だった。
怒る? こいつが? いつでもへらへらっと世慣れた感じでかわしてしまいそうなのに、自分の知らないところではそんな顔を見せることもあるんだろうかと考えると、胸のざわめきは強くなる。
「うん、うん。いいよ、もう謝らないで。ちゃんと話さないで逃げちゃった俺も悪いと思ってる。……ちゃんと、話し合うべきだった」
逃げた?
穏やかでない言葉だ。
どこから? 東京から?
逃げる、という言葉を使うもめ事ってなんだろう。それでいてこんなにやさしい声音で許すって――
東京に残してきた、恋人?
嫌だ。
龍介にそういう目で見られていたことがじゃない。
どうしたらいいかもわからず動揺している自分が嫌だ。
もう二度とこんなふうに心を波立たせたくなかったのに。もう二度と――
我に返ると、自分の居場所がわからなくなっていた。比喩ではなく、初見の旅館の中で文字通り迷ってしまったのだ。
幾つかの部屋が池の上に点在するような造りの為、廊下が入り組んでいる。そのせいで方向感覚も完全に狂っていた。スマホは部屋に置いてきたし、こんなときに限って仲居さんも通らない。
途方に暮れてしまったとき、微かに人の声が聞こえた。藁にもすがるような気持ちで声のするほうへと複雑な廊下を回り込む。
そこに、晴臣が立っていた。
「――、」
やっと鼓動の収まった胸が、今度は外側からぎゅっと押さえつけられたような苦しさを感じながら、椿はとっさに身を隠した。それこそ忍者のように壁にぺったりと張り付く自分の姿を想像して、死にたい気分になる。
待て俺、隠れる必要あったか?
ない。むしろ部屋がどこか訊ねるチャンスだろう。
龍介がおかしなこと言うから――
あらためて出ていこうと思うと、なかなかタイミングが難しかった。仕方なくそっと様子をうかがうと、晴臣も先に風呂に入るつもりなのか、すでに浴衣に着替えている。
話し声がしたのは、晴臣が誰かと電話をしているからだ。スマホを耳に当てる袖口から、普段はシャツで隠されている、腱の浮いた前腕がのぞいていた。
「ん? うん、今日はそれで打ち上げ。遊んでばっかじゃないって。人聞き悪いな、もー」
晴臣が自分に接するときは、いつも敬語だ。観光課、観光協会合わせた中でも自分と晴
臣が一番の若手だから、砕けた口調はむしろ
初めて耳にするものだった。友だちだろうか。
奴のことだから沢山いるだろうし、きっと
こっちに来てから知り合った相手だってもう
相当数いるのでは、と思う。
新鮮な違和感。ぺしゃっと外側から押しつぶされたあと、ようやく落ち着いていた胸の辺りが、水たまりを叩く雨粒のように小さく跳ねる。
晴臣個人のアカウントに自分のことを呟かれそうになったとき感じたざわざわと、似ている。あのときは晴臣の日常に自分が刻まれてしまうのが嫌だった。今日は晴臣の日常を盗み見てしまっている。
それは自分の好む距離感ではないのに、どうしてか今ここから立ち去ることが出来ない。
「……うん。うん。そう、まあひと段落はしたけど、そればっかりやってればいいわけじゃないからね。お城祭りだって当然手伝いますよ。俺の案、ひとつ採用してもらえたし。ん? まだ秘密」
ひみつ、という言葉に乗った、もったいぶるような響きがなぜか癇に障った。いったい誰と話してんだ。そんな甘えるような声で。
いや、そんなふうに聞こえるのは俺の気のせいなのか。
「だめだって、色々本決まりになるまで教えられません。……うん、大丈夫。もう怒ってなんかないよ。ほんとだって」
今度は一転、確実に労わるような声音だった。
怒る? こいつが? いつでもへらへらっと世慣れた感じでかわしてしまいそうなのに、自分の知らないところではそんな顔を見せることもあるんだろうかと考えると、胸のざわめきは強くなる。
「うん、うん。いいよ、もう謝らないで。ちゃんと話さないで逃げちゃった俺も悪いと思ってる。……ちゃんと、話し合うべきだった」
逃げた?
穏やかでない言葉だ。
どこから? 東京から?
逃げる、という言葉を使うもめ事ってなんだろう。それでいてこんなにやさしい声音で許すって――
東京に残してきた、恋人?
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