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後日談:甘い拷問
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※本編のすぐあと、「その名前で僕を呼んで」より前の話になります。
夕日を見に行こう、なんて柄にもないロマンチックなことを思いついたのが良くなかったんだろうか。
「りゅ、龍介さん! 龍介さん!」
おとなしくしがみついていたはずの百樹が、ばしばしと背中を叩いている。
「おい、やめろ。危ないだろう」
ヘルメットを被っているから、伝えようと思えばどうしたって大声になる。それでも百樹は怯まずに背中を叩く。
「いいから! 停めて!」
なんだなんだと思いつつ、龍介はバイクをちょうど見えてきた路肩の展望スポットに滑り込ませた。
ヘルメットを外して頭を振り、乱れた髪をかき上げる。
「どうした? 危ないだろ」
まだ二十歳とはいえ、本来百樹は子供のようなわがままさなどとは無縁の性格だ。訝しく思っていると、百樹ももどかしくて仕方ないという様子でヘルメットを外した。
「だって! 今! 『もも』って言った!!」
「あ? ーーあ……」
こちらを見上げる百樹の瞳が潤んでいるのも、龍介の顔が熱くなるのも、夕日のせいではなかった。
⬜︎⬜︎⬜︎
それは数日前のことだ。
「今学校であだ名って禁止なんですってね」
市役所の食堂でそう言い出したのは晴臣だった。スマホで天気をチェックしていて、たまたまそんなニュースが目にとまったらしい。
晴臣とは、顔を合わせればあからさまに避けるのも不自然で、なんだかんだ一緒に昼食をとることも多い。
今日は椿も一緒だ。
「ああ、いじめを助長するからっていう……」
「一概には言えないと思いますけど、まあ、そういう傾向もある以上、ぜんぶ禁止にしちゃったほうが楽ってことなんでしょうね。管理する側が」
「だろうな」
規則でがんじがらめの寮生活を送った龍介には、その感覚が実感としてあった。
全国から集められたスポーツマンとはいえ、子供は子供。全員が聞き分けがいいわけではない。一部の人間をコントロールするために規則はどんどん厳しくなっていったが、どこへ行っても学校の名前を背負って評価される世界で、それは仕方のないこととも言えた。
「お二人はあだ名で呼ばれたことってあります? 学生の頃とか」
「ないな……つけるまでもない名前だし」
子供の頃、母親は龍介のことを「龍ちゃん」と呼ぶこともあったが、それはもちろんノーカンだろう。
椿は定食の副菜のひじき煮を嚥下すると、記憶を探るような顔をした。
「……〈なんか暗そうな奴〉、とか」
「それはあだ名じゃないです」
「それはあだ名じゃないだろ」
というわけで思いがけず幼馴染の黒歴史に触れてしまった帰り道、龍介はふと考えた。
百樹はなんと呼ばれていたんだろう。
『もが多すぎ!』
といつも嫌がっている本名だが、龍介は百樹の名前の柔らかい響きが、とても好きだった。
すももぎももき。
響きといい字面といい、実にまるっこくて可愛い。
可愛い、なんていう感情を野郎相手にこんなに頻繁に抱くことになろうとは、少し前までなら考えられなかった。
すももぎ、ももき。……ももき……もも、
もも。
こんなに口の中で転がすのに最適な、甘い輪郭の名前があるだろうか?
⬜︎⬜︎⬜︎
ーーなどということがあり、以来龍介は百樹のことを〈もも〉と呼んでいた。もちろん心の中で。
それがうっかり漏れ出てしまっていたらしい。
百樹は潤んだ瞳で龍介をじっと見つめ「もっかい言って!!」と半ば叫ぶ。
龍介は今やひりひりするほど熱い顔を、てのひらで覆った。
「勘弁してくれ……」
しかし可愛い恋人は、赦すつもりが毛頭ないらしい。
「なんで?」
「……恥ずかしいだろ」
「おれは嬉しい。……夕日も見に連れてきてくれて、凄く嬉しかったよ」
宿に向かう途中に少し寄り道ーーなんてふうを装ってみたけれど、それもばれていたらしい。幼く見えて実に繊細で勘がいいのは、役者なんていう仕事のせいだろうか。
「いっぱい言ったらきっと恥ずかしくなくなるよ! 練習して!!」
はい、と稽古場よろしく手を叩かれて、龍介は観念するしかなかった。なんという拷問なんだこれは。
「……もも」
「はい」
「……もも?」
「うん」
「もも」
「好き!」
眩しい笑顔で百樹が言う。
やがてふたりの影は、いっそう濃く赤くなる夕日のなかで、ひとつになっていった。
〈了〉
20210514
夕日を見に行こう、なんて柄にもないロマンチックなことを思いついたのが良くなかったんだろうか。
「りゅ、龍介さん! 龍介さん!」
おとなしくしがみついていたはずの百樹が、ばしばしと背中を叩いている。
「おい、やめろ。危ないだろう」
ヘルメットを被っているから、伝えようと思えばどうしたって大声になる。それでも百樹は怯まずに背中を叩く。
「いいから! 停めて!」
なんだなんだと思いつつ、龍介はバイクをちょうど見えてきた路肩の展望スポットに滑り込ませた。
ヘルメットを外して頭を振り、乱れた髪をかき上げる。
「どうした? 危ないだろ」
まだ二十歳とはいえ、本来百樹は子供のようなわがままさなどとは無縁の性格だ。訝しく思っていると、百樹ももどかしくて仕方ないという様子でヘルメットを外した。
「だって! 今! 『もも』って言った!!」
「あ? ーーあ……」
こちらを見上げる百樹の瞳が潤んでいるのも、龍介の顔が熱くなるのも、夕日のせいではなかった。
⬜︎⬜︎⬜︎
それは数日前のことだ。
「今学校であだ名って禁止なんですってね」
市役所の食堂でそう言い出したのは晴臣だった。スマホで天気をチェックしていて、たまたまそんなニュースが目にとまったらしい。
晴臣とは、顔を合わせればあからさまに避けるのも不自然で、なんだかんだ一緒に昼食をとることも多い。
今日は椿も一緒だ。
「ああ、いじめを助長するからっていう……」
「一概には言えないと思いますけど、まあ、そういう傾向もある以上、ぜんぶ禁止にしちゃったほうが楽ってことなんでしょうね。管理する側が」
「だろうな」
規則でがんじがらめの寮生活を送った龍介には、その感覚が実感としてあった。
全国から集められたスポーツマンとはいえ、子供は子供。全員が聞き分けがいいわけではない。一部の人間をコントロールするために規則はどんどん厳しくなっていったが、どこへ行っても学校の名前を背負って評価される世界で、それは仕方のないこととも言えた。
「お二人はあだ名で呼ばれたことってあります? 学生の頃とか」
「ないな……つけるまでもない名前だし」
子供の頃、母親は龍介のことを「龍ちゃん」と呼ぶこともあったが、それはもちろんノーカンだろう。
椿は定食の副菜のひじき煮を嚥下すると、記憶を探るような顔をした。
「……〈なんか暗そうな奴〉、とか」
「それはあだ名じゃないです」
「それはあだ名じゃないだろ」
というわけで思いがけず幼馴染の黒歴史に触れてしまった帰り道、龍介はふと考えた。
百樹はなんと呼ばれていたんだろう。
『もが多すぎ!』
といつも嫌がっている本名だが、龍介は百樹の名前の柔らかい響きが、とても好きだった。
すももぎももき。
響きといい字面といい、実にまるっこくて可愛い。
可愛い、なんていう感情を野郎相手にこんなに頻繁に抱くことになろうとは、少し前までなら考えられなかった。
すももぎ、ももき。……ももき……もも、
もも。
こんなに口の中で転がすのに最適な、甘い輪郭の名前があるだろうか?
⬜︎⬜︎⬜︎
ーーなどということがあり、以来龍介は百樹のことを〈もも〉と呼んでいた。もちろん心の中で。
それがうっかり漏れ出てしまっていたらしい。
百樹は潤んだ瞳で龍介をじっと見つめ「もっかい言って!!」と半ば叫ぶ。
龍介は今やひりひりするほど熱い顔を、てのひらで覆った。
「勘弁してくれ……」
しかし可愛い恋人は、赦すつもりが毛頭ないらしい。
「なんで?」
「……恥ずかしいだろ」
「おれは嬉しい。……夕日も見に連れてきてくれて、凄く嬉しかったよ」
宿に向かう途中に少し寄り道ーーなんてふうを装ってみたけれど、それもばれていたらしい。幼く見えて実に繊細で勘がいいのは、役者なんていう仕事のせいだろうか。
「いっぱい言ったらきっと恥ずかしくなくなるよ! 練習して!!」
はい、と稽古場よろしく手を叩かれて、龍介は観念するしかなかった。なんという拷問なんだこれは。
「……もも」
「はい」
「……もも?」
「うん」
「もも」
「好き!」
眩しい笑顔で百樹が言う。
やがてふたりの影は、いっそう濃く赤くなる夕日のなかで、ひとつになっていった。
〈了〉
20210514
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