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後日談:中の人などいない
しおりを挟む「これからまた街ですれ違うこともあるだろうから、一度ちゃんと紹介しておこうと思ってな」
昔はもっと高級な料亭だったという日本料理の店の半個室で、龍介が生真面目に言う。
テーブルにならぶのは、海と湖の食材を活かしたランチだ。長方形の盆に、お造り、奉書焼き、いくつもの小鉢が彩りよく並べられている。
ーー友だちに紹介なんて、ちゃんと付き合ってるみたいだ。
もちろんちゃんと付き合っているのだが、先輩と付き合っていた頃には、そんな話になったことは一度もない。とても大事にされている感じがして嬉しい。
ーーでも。
百樹はちらっと視線を走らせた。
ただの友だち紹介とはちょっとわけがちがう。
百樹の向かいの黒髪に眼鏡の線の細い青年は、龍介のかつての想い人なのだ。
歳は龍介と同じらしいが、一度も日焼けしたことなどなさそうな白い肌は、もう少し若く見える。綺麗と可愛いで言ったら前者。
ーーやっぱり俺とは全然タイプが違う。
もちろん大人だから、過去に恋愛でなにかあったからといって、人間関係が完全に断たれるわけでないことは知っている。
龍介のことだって信じてる。
でも複雑な気持ちであることは確かだ。
ーーほんとはちょっと逃げ出したい。
そんな気持ちをぐっと押さえ、まずは自分から名乗った。
「えっと、季木百樹です。はじめまして。一応俳優やってます……です」
どうしよう。心臓の音聞こえないかな。初めてのカンパニーの顔合わせより緊張する……と思いながら頭を下げれば、黒髪眼鏡ではなく、その隣の男が先に名乗ってきた。
「こちらこそ初めまして。俺は早坂晴臣っていいます。元々東京の下町に住んでたんですけど、観光協会の求人見てこっちに来て、二年目」
簡単に経略まで添えると、にこっとする。職業柄美男など見慣れている百樹だが、一瞬目を奪われる爽やかさだ。男性用化粧水のCMにでも出ていそうな。
「去年は街コンとか手掛けたんですよ。ね、椿さん」
「ええ。ーーはじめまして、月森椿です。俺も大学は東京で、卒業してからまたこっちに」
椿さん、と水を向けられて、黒髪眼鏡が名乗る。声に固さは残るものの、さっきよりはやや緊張のほぐれた顔つき。
それで百樹は悟った。
早坂さんて人、わざと自分が先に名乗ったんだ。月森さんが、ひと息つけるように。
そんな態度ひとつとっても、やはりあの日直感が知らせたように、ふたりが付き合っているのは明らかだ。
いくら龍介がかつて心を寄せた相手だと言っても、必要以上に緊張することはないのかもしれないーーそう思ったとき、龍介が捕捉するように口を開いた。
「椿とは中学校まで学校が一緒でーー」
椿。
下の名前呼び。
子供の頃からの友だちなら、そうなるのも自然だ。別に不思議なことじゃない。
けれどその親しげな響きに、考えさせられてしまう。自分よりはるかに長い時間を一緒に過ごしてきたんだろうと。
思わず箸が止まってしまった。
「もも? 喰えないものでもあったか?」
龍介が気遣わしげに訊ねてくる。
「ううん。ちょっと熱そうだなって思っただけ。初めて食べるけど、モロゲエビ美味しい。魚も紙に包んであるの、和食!って感じでテンション上がる」
わざわざ設けてもらった席だ。百樹は「全部美味しい!」ともりもり口に運んだ。幸い龍介は、百樹のつまらないこだわりには気づかなかった様子で、自分の盆に向き直る。
「俺も〈七珍〉ちゃんと食べるの初めてだな。ーー七珍といえば、あの妙なマスコット、椿が探してきてくれたんだ。椿は観光課で働いてるから」
「月森さんが?」
おかげさまであのマスコットは百果のお気に入りで、ぐずったときもちょっと目の前で振ってやるとすぐご機嫌になる。
うっかり口に入れたりしないよう、管理は母と義父であるクリスがしているが、もはや子育てには必要不可欠だ。
「ありがとうございます……!」
複雑だった気分もすっかり忘れ、頭を下げると、椿は「いえ」と短く応じ、一旦箸を置いた。
「たいしたことでは……それから、よかったら俺のことも名前で呼んでください」
「え?」
恋人が昔好きだった男からの名前呼び要求。
それってどう対処するのが正解なんだろう?
戸惑っていると、椿はなんだか慌てた様子で補足した。
「あの、古い家なので、この辺り、月森って苗字の人多くて。区別するために下の名前で呼ばれることが多いから、そっちのほうが俺も慣れてるんです」
なるほどそういうことか。
「えっと、はい、それじゃ……椿、さん?」
おずおずと口にする。
「ーーはい」
なんだか微妙に間があった気がするのだが、ともかく、向こうからの提案なのだから、これでいいのだろう。
「あの、じゃあ俺のことも百樹で……俺も、苗字があんまり好きじゃないんで」
季木の系列企業はこの辺りにもあるから、出されたくないというのが本音だ。
考えてみれば、おれとこの人、ちょっと立場が似てるのかもしれないなと思う。
椿は少し面食らったような顔をしたあと、百樹と同じくらいおずおずと口にした。
「え。……じゃ、じゃあ……百樹くん……?」
「は、はい」
なんだろう、これ。
自分で言っておいて、めちゃくちゃ照れる。
照れてしまったのを誤魔化すように、そういえば、と百樹はスマホを取り出した。
「お、おれ、この間東京でしっちんと写真撮ったんですよ!!」
カメラロールをスライドして椿に見せると、彼はなぜか突然噎せこんだ。
「椿さん、お水」
すかさず早坂が水を差し出す。この人ほんとに甲斐甲斐しいなと思いつつ、スマホ画面をあらためて一堂に見せる。
「生しっちん初めてで、おれ、テンションあがっちゃいました」
「ああこれ、湖フェスの」
「おまえらも行ってたんだろ」
「残念ながらその日俺は別件で。椿さんが」
「椿さんが?」
観光課で働いているということは、当然あの場にもいたんだろう。ということは、しっちんを前に大はしゃぎしたところも見られていたかもしれない。恥ずかしい。
「あ、ああー、俺はずっと仕事中で、外には出られなかったかなー」
椿がそう口にして、百樹はほっと安堵した。なんだかやけに棒読みだったような気もするが。「……嘘ではない」という小さな呟きも、聞こえたような気もするが。
「そう言えば、これって中誰が入ってるんだ?」
龍介が、一周したスマホを百樹の手元に戻しながら言って、百樹はくわっと面を上げた。
「龍介さん!!」
「お、おう?」
「ゆるキャラに中の人なんていないんだよ!! しっちんはしっちんなの!!」
〈中の人〉
そこは触れてはいけない、アンタッチャブルな領域だ。ゆるキャラを愛する者なら、けして口にしてはいけない。ましてや関係者に訊ねるなど、言語道断だ。
既存のキャラを演じることが主な生業の百樹としては、同族意識も湧く。ここは断固強く主張しなけらばならない。
「ねっ、椿さん!」
「えっ」
ここで自分に振られるとは思っていなかったのだろう。椿は一瞬狐につままれたような顔をしたが、すぐさま
「そ、そうだぞ龍介。しっちんに中の人などいない!」
と声を上げてくれた。
「中の人などいなーい!!」
「わかった、わかった。俺が悪かった。……まあ、気が合うようで良かったよ」
二人からよってたかって言い募られて、龍介がこぼす。
しまった、つい熱が入りすぎた。椿さんだって、今日会ったばかりなのに距離を詰めすぎた?
青ざめていると、クスッと吐息の漏れる音がした。
椿が笑っているのだ。
笑うといっそう若く見える。綺麗な人だな、と思った。
「ああ、すみません……龍介が尻に敷かれてるのがおかしくて……」
「し、尻」
そんなつもりはなかった、と弁明しようと口を開くより先、龍介がむすっと呟く。
「なんとでも言え。……そうだよ、俺はももに惚れてるからな」
「ほっ……」
そうだといいなとは常々思っているけれど、いざ口にされると、どうしたらいいのか。反応に困る。しかも人前でだ。
焼かれたモロゲエビよりも赤くなってもじもじしていると、椿が言った。
「あの、梓に来たとき、困ったことがあったらなんでも言ってください。お仕事柄写真撮られたくないとか、あるでしょうから。話のわかる宿の紹介なんかも、できると思います」
穏やかに告げる眼差しはやさしい。
「ーーはい」
今日、呼んでもらって良かった。
逃げ出さなくて良かった。
おれ、この街も、この人たちも好きだ。
緊張が解けてみると、奇妙なことに、なんだか椿につい最近会ったような気がしてきた。このやさしい物腰に、覚えがあるような。
ーーカフェですれ違ったときじゃなくて、もっと最近……でも、会ったら覚えてるよねえ。
なぜ、会ったことがあるような気がするのだろう。
しばらく悩んだが、ぷりぷりの白魚を口に入れると、あまりの美味しさにそれも忘れてしまったのだった。
〈了〉
20210509
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