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23.それからと、ずっと
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「お疲れ様でしたー!」
稽古場に向かい、百樹は誰よりも大きな声を出す。
今日は初めて挑むオリジナル脚本舞台の稽古だった。しかも演出家兼脚本家は稽古で役者とぶつかりながらキャラクターの解釈を深めていくタイプ。
轍人からそういうオファーが来ていると聞いたとき、正直怖いと思った。
被る仮面が最初から用意されていない役は、怖い。だって俺は空っぽで、いつか見たネットのブログで言われてたように「同じような顔の若手俳優」の一人でしかない。
――でも今はもう、ひとりで震える子供じゃない。
怖いときは怖いと言える相手がいる。
だから腹をくくって応えた。
「おれ、やるよ。やってみる」
不思議なもので、そうなると逆に怖いものがなくなった気がした。
怖い、つらい、苦しい――百樹がいくらそう愚痴をこぼしても聞いてくれ、最後には「頑張ってるな」と言ってくれる相手と毎日LINEで通話して、なんとか喰らいついている。
「おお、お疲れ」
スタッフたちに混ざって、ベテラン俳優さんが軽く手をあげてくれた。
最初の顔合わせのときには「顔だけ俳優のこわっぱが」という空気を隠しもしなかった相手がだ。
居合わせたスタッフがそっと耳打ちしてくる。
「――今日あの人、SENさんが監督に食らいついてるの見て、思ってたより骨あるなって言ってましたよ」
百樹はあらためて稽古場に向かって腰を深く折ると、「お疲れ様でした!」と声を張り上げた。
そのころ、百樹が端役で出る2.5次元の観客席に、熊のような風貌の外国人の姿が頻繁にみられるようになった。
けしていい席ではない端のほうにいるのだが、なにしろ女性客ばかりの中でガタイがいい彼は、大変目立つ。
そう、彼はまだ療養中の母から「チケット無駄にしないで」と厳命されてやってきた、彼女の新しい夫だ。
目下猛烈に日本語を勉強中だという彼は、誰よりも真剣に舞台に見入り、カーテンコールでは手を振り上げて誰よりも盛大に拍手した。彼が最初に覚えた言葉は「センガチゼイ・ドウタンキョヒ」だ。
そして百樹は知った。
舞台に立つようになってからずっと、一度も欠かさず匿名で送られてきていた花が、誰からのものだったのかを。
◇◇◇
少しでも時間が空けば、百樹は梓に向かう。
飛行機を降り、空港のロビーにたどりつくとすぐ、龍介の姿が目に入った。鍛えられた肢体がすっと立つ姿は、遠目にも美しい。
最近実家を継ぐべく社長業の勉強も始めた龍介は忙しい日々を送っている。
だから今日は「在来線でのんびり市内まで向かうよ」と伝えてあった。邪魔をしたくないという百樹なりの気遣いだったのだが。
「えっ、なんで?」
小走りに駆け寄って訊ねると、龍介はぽん、と軽く叩くような仕草で百樹の頭を撫でる。
「早く顔が見たくてな」
なんて言われたら、稽古の疲れも旅の疲れも、一瞬で吹っ飛んでしまおうというものだ。
「おれも! おれも早く会いたかった!」
百樹が告げると、龍介は嬉しそうに微笑む。
「ねえ、また〈も〉多過ぎだと思わない!?」
差し出されたヘルメットを受け取りながら口にしたのは、妹の名前のことだ。
あの日生まれてきた彼女は、念のため保育器に入れられただけで、なんと三千グラムの健康体だった。
そんな彼女に母がつけた名前は、「百果」
龍介は「いい名前だ」と笑った。笑って、それから、いつもの慈しむような眼差しで百樹を見おろして言うのだ。
「……お母さん、うまくできなかっただけで、おまえのことを大事にしたい気持ちは昔からちゃんとあったんじゃないか?」
「へ?」
「病院に行ったとき、病室の名前を見たんだ。……普通、大事にしたいと思わなければ、自分と同じ字は与えないんじゃないか」
百樹はやっと思い出した。母の名前が「百合」であることを。
ーー龍介さんはいつも、俺の気づかなかったことに気づかせてくれる。
やりとりを反芻しながら、百樹は龍介のバイクに乗り込む。今では二人乗りにも慣れたものだ。
「宿に行く前に少し寄り道したいんだが、いいか?」
「うん」
本当は今すぐ宿になだれこんであれやこれやしたい気持ちがある。話したいことだって山ほどあるから、移動しながら話ができないのは正直もどかしい。
とはいえツーリングが忙しい龍介の気晴らしになっていることも知っているから、百樹は「まあずっと抱きついてられるんだから、お得だよね」と前向き解釈で己を慰めた。
たくましい背中にぴったり抱きついて、会えなかった間の分も充電する。
ーーでも、寄り道ってどこだろ。
顔を見られたのがとにかく嬉しくて、行き先を確認するのを忘れていた。我ながらはしゃぎすぎだと思ったところで、抱きついた龍介の背中が、名を呼ぶ振動を伝えてくる。
「もも」
促すような響きに面を上げれば、バイクはいつのまにか湖のほとりを走っていた。今日の宿はこちらを通ると遠回りなはず。少し地理も理解してきた百樹は訝しく思ったが、湖面を渡る風が心地良い。
面を上げれば、視界いっぱいにオレンジと紫に染め上げられた空が広がっていた。
あの日見られなかった、永遠の愛を約束するという夕日が。
〈了〉
20210305
稽古場に向かい、百樹は誰よりも大きな声を出す。
今日は初めて挑むオリジナル脚本舞台の稽古だった。しかも演出家兼脚本家は稽古で役者とぶつかりながらキャラクターの解釈を深めていくタイプ。
轍人からそういうオファーが来ていると聞いたとき、正直怖いと思った。
被る仮面が最初から用意されていない役は、怖い。だって俺は空っぽで、いつか見たネットのブログで言われてたように「同じような顔の若手俳優」の一人でしかない。
――でも今はもう、ひとりで震える子供じゃない。
怖いときは怖いと言える相手がいる。
だから腹をくくって応えた。
「おれ、やるよ。やってみる」
不思議なもので、そうなると逆に怖いものがなくなった気がした。
怖い、つらい、苦しい――百樹がいくらそう愚痴をこぼしても聞いてくれ、最後には「頑張ってるな」と言ってくれる相手と毎日LINEで通話して、なんとか喰らいついている。
「おお、お疲れ」
スタッフたちに混ざって、ベテラン俳優さんが軽く手をあげてくれた。
最初の顔合わせのときには「顔だけ俳優のこわっぱが」という空気を隠しもしなかった相手がだ。
居合わせたスタッフがそっと耳打ちしてくる。
「――今日あの人、SENさんが監督に食らいついてるの見て、思ってたより骨あるなって言ってましたよ」
百樹はあらためて稽古場に向かって腰を深く折ると、「お疲れ様でした!」と声を張り上げた。
そのころ、百樹が端役で出る2.5次元の観客席に、熊のような風貌の外国人の姿が頻繁にみられるようになった。
けしていい席ではない端のほうにいるのだが、なにしろ女性客ばかりの中でガタイがいい彼は、大変目立つ。
そう、彼はまだ療養中の母から「チケット無駄にしないで」と厳命されてやってきた、彼女の新しい夫だ。
目下猛烈に日本語を勉強中だという彼は、誰よりも真剣に舞台に見入り、カーテンコールでは手を振り上げて誰よりも盛大に拍手した。彼が最初に覚えた言葉は「センガチゼイ・ドウタンキョヒ」だ。
そして百樹は知った。
舞台に立つようになってからずっと、一度も欠かさず匿名で送られてきていた花が、誰からのものだったのかを。
◇◇◇
少しでも時間が空けば、百樹は梓に向かう。
飛行機を降り、空港のロビーにたどりつくとすぐ、龍介の姿が目に入った。鍛えられた肢体がすっと立つ姿は、遠目にも美しい。
最近実家を継ぐべく社長業の勉強も始めた龍介は忙しい日々を送っている。
だから今日は「在来線でのんびり市内まで向かうよ」と伝えてあった。邪魔をしたくないという百樹なりの気遣いだったのだが。
「えっ、なんで?」
小走りに駆け寄って訊ねると、龍介はぽん、と軽く叩くような仕草で百樹の頭を撫でる。
「早く顔が見たくてな」
なんて言われたら、稽古の疲れも旅の疲れも、一瞬で吹っ飛んでしまおうというものだ。
「おれも! おれも早く会いたかった!」
百樹が告げると、龍介は嬉しそうに微笑む。
「ねえ、また〈も〉多過ぎだと思わない!?」
差し出されたヘルメットを受け取りながら口にしたのは、妹の名前のことだ。
あの日生まれてきた彼女は、念のため保育器に入れられただけで、なんと三千グラムの健康体だった。
そんな彼女に母がつけた名前は、「百果」
龍介は「いい名前だ」と笑った。笑って、それから、いつもの慈しむような眼差しで百樹を見おろして言うのだ。
「……お母さん、うまくできなかっただけで、おまえのことを大事にしたい気持ちは昔からちゃんとあったんじゃないか?」
「へ?」
「病院に行ったとき、病室の名前を見たんだ。……普通、大事にしたいと思わなければ、自分と同じ字は与えないんじゃないか」
百樹はやっと思い出した。母の名前が「百合」であることを。
ーー龍介さんはいつも、俺の気づかなかったことに気づかせてくれる。
やりとりを反芻しながら、百樹は龍介のバイクに乗り込む。今では二人乗りにも慣れたものだ。
「宿に行く前に少し寄り道したいんだが、いいか?」
「うん」
本当は今すぐ宿になだれこんであれやこれやしたい気持ちがある。話したいことだって山ほどあるから、移動しながら話ができないのは正直もどかしい。
とはいえツーリングが忙しい龍介の気晴らしになっていることも知っているから、百樹は「まあずっと抱きついてられるんだから、お得だよね」と前向き解釈で己を慰めた。
たくましい背中にぴったり抱きついて、会えなかった間の分も充電する。
ーーでも、寄り道ってどこだろ。
顔を見られたのがとにかく嬉しくて、行き先を確認するのを忘れていた。我ながらはしゃぎすぎだと思ったところで、抱きついた龍介の背中が、名を呼ぶ振動を伝えてくる。
「もも」
促すような響きに面を上げれば、バイクはいつのまにか湖のほとりを走っていた。今日の宿はこちらを通ると遠回りなはず。少し地理も理解してきた百樹は訝しく思ったが、湖面を渡る風が心地良い。
面を上げれば、視界いっぱいにオレンジと紫に染め上げられた空が広がっていた。
あの日見られなかった、永遠の愛を約束するという夕日が。
〈了〉
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