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異世界転移編
国立庭園に来たらしい
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殿下が迎えに来る日の朝。早く目覚めてしまった私はお弁当を作っていた。商人の相手は父がしてくれるというので、自室のキッチンで作ったのだ。
そして商人が帰ったあとのこと。
現在、時刻は十時半。キッチンなどがある私の部屋ではなく、増築したモーントシュタイン家にある私の自室にいるのだが。
「お嬢様、これはどうでしょう?」
「アイ二様、こちらのお色もよさそうですわ」
「でしたら、装飾品はこちらですわね」
私ではどういったものがいいのかわからなかったので我が家の侍女たちにドレスの選択をお願いしたら、それはもう嬉しそうにあれこれ選び始めたのだけれど……。
「……あと三十分ほどで十一時になるのですが、のんびり選んでいる時間があるのですか?」
「「「え……?」」」
そう聞くと、その場にいた侍女たちが固まり、徐々に顔を青ざめさせていく。
「お嬢様、もっと早く仰ってくださいまし!」
「あら、何度も言いましたよね? 『そろそろ何時です、間に合うんですか?』って。そのたびに皆さんはなんと答えていらっしゃいました? 『まだ時間はあります!』って答えたのはどなただったでしょう?」
「……」
そう指摘すると侍女たちは黙り込んでしまい、慌てて私を着飾らせ始めた。
ドレス自体は先日買ったぶんと昨日、今日で納品された五着ほどしかないにも拘わらず、ああでもないこうでもないとはしゃいでいたのだからどうしようもない。しかも、あと十着以上届くというのだから驚きだ。
今日のドレスは殿下の御髪に合わせたのか、或いは春をイメージしているのか、ライトグリーンでAラインのシンプルなドレスだ。袖口と裾に刺繍が施されている。装飾品も落ち着いた色合いのピアスとネックレス、ブレスレットだけなので、思っているよりも派手ではない。同時進行で髪も整えていくのだから凄い。髪は両サイドを編み込み、首の後ろ辺りで一つにしている。他は結わくことなくそのままだ。
『あら~、素敵! いい色のドレスじゃない、ミカ様』
「とてもよくお似合いですわ!」
「あ、ありがとう」
侍女の中になぜかシェーデルさんが混じっていることに頭痛がしてくる。しかも既にメイド服を着て準備万端なうえ、アレイさん同様に声を変え、女性のように話しているのだから余計に。……元々オネエ言葉なので違和感はないのだけれど。
はあ、と溜息をついたところに、扉のノックの音が響く。返事をして扉を開けてもらうと、顔を出したのは父だった。
「実花、殿下がいらっしゃった。支度は終わったか? ……ほう、よく似合っている」
目を細め、うんうんと頷きながら侍女たちを褒める父に苦笑する。殿下を待たせてはいけないからと移動をし、玄関に到着した。
「おはようございます、グラナート殿下」
「ああ、おはよう。では行こうか」
「はい」
シェーデルさんにお弁当が入っている籠を持ってもらい、差し出された殿下の腕につかまる。馬車まで移動すると私をエスコートし、馬車に乗せてくれた。その流れるような動作に、さすがは王族だと納得してしまう。
殿下の今日の装いはスーツに近い。ネクタイも見慣れた形のものだし、服の色もチャコールグレーだった。髪は首の後ろあたりで縛っており、騎士だからなのかやはり腰には剣があった。
「庭園まで、馬車で三十分ほどかかるんだ。その間に昼食をどうするか一緒に考えないか?」
「そのことなのですが、実はお弁当……昼食を作って来たのです」
「え……」
「ご迷惑でなければ、それを食べていただけませんか?」
お弁当のことを持ち出したらグラナート殿下は一瞬呆けた顔をしたあと、嬉しそうに……本当に嬉しそうに破顔した。その笑顔に鼓動が跳ねる。
「先日のサンドイッチも美味しかったし添えられていたものも美味しかったんだ。まさか、食事を作って来てくれるとは思っていなかったから、嬉しい」
「そ、そうですか」
「中身はなんだ?」
「それは、食べる時のお楽しみです」
そして馬車なのだけれど、馬はなんと翼が生えているとても大きくて、ペガサスに似た黒鹿毛の馬だった。殿下曰くこの馬は空を飛ぶ馬車で、騎士たちが乗っている馬になるともっと大きい。殿下に質問するとどちらも軍馬だと教えてくれた。
但し、軍馬を馬車にしているのは王宮のみで、貴族の家にも空を翔る馬はいるもののもっと小さいのだというし、平民の馬車は空を飛ばない普通の馬だそうだ。空を翔けない時は当然道を駆けるそうだ。
そんな会話をしている間に国立庭園につく。騎士とはいえ王族だからなのか、護衛の騎士が複数いた。私の護衛は当然のことながら、侍女服のシェーデルさんと執事服のアレイさんだ。
殿下が先に降りると手を差し伸べてくれる。それに手を乗せて馬車を降りると風に乗って花の香りがして来た。そして目の前にあったのは色とりどりの花と、バラのアーチだった。
「とても綺麗なところなのですね……」
「そうだろう? では行こうか」
「はい」
殿下にエスコートと案内をされながら、ゆっくりと庭園を歩く。
「ここはロジエの庭と呼ばれている。季節ごとに違う花をつけるから、人気の場所でもあるな」
最初に来たのは、赤や白などのバラが咲いている場所だった。そして先日殿下が言っていたうちの花の一つであるロジエはバラのことだと理解した。今の季節は大輪の花をつける品種が多く植えられているのだとか。
ちょっとした迷路になっているロジエの小路を抜けると赤やピンク、オレンジ色のカーネーションに似た花と、先日教えてもらったオルキスの花が。殿下が言っていた通り、オルキスは白だけではなく、ブルーとピンク、黄色もある。それらは群集になっていたりなにかしらのアートになっているらしく、風が吹くと可憐な花が揺れた。
「ここはオルキスとガリファロが植えられている」
「ガリファロとは、オルキスとは違う背の高いお花のことですか?」
「ああ」
「とても素敵なお花ですね。私がいた世界にはカーネーションという、ガリファロにとてもよく似たお花がありました」
そう前置きしてから母の日だけではなく父の日のことも説明すると、殿下は
「親に感謝する日なのか。いい習慣だな」
と言って笑顔を浮かべた。
一緒に歩きながら、兄と同じかそれ以上に高い身長の殿下を見上げる。
今日はやけに笑顔が多いなあと思うし、ずっとそうしていればいいのにと思った。
オルキスの絨毯を横目に歩いて行くと、池が広がる場所に出た。水面には水鳥が浮かび、水際には青い小鳥が水浴びをしたり水を飲んだりしている。そして視線をずらして別の水面を見れば、大きな葉っぱとそこから伸びる薄いピンク色の花が咲いている。まるで睡蓮のようだ。
「これがネックロースだ」
「水上に咲く花なのですね。大きな葉っぱに乗れそうな気がします」
「はははっ、それはできないな。乗った途端に水の中に落ちてしまうぞ」
声をあげて笑う殿下に、私だけではなく護衛の騎士まで驚いている。きっと殿下は滅多に声をあげて笑ったりしないのだろう。
だいぶ歩いたしベンチもあるからと殿下に誘われてそこに座ると、シェーデルさんに声をかけて籠をもらう。籠の中には冷たく冷やした紅茶もあるので、それを飲んでもらおうと思ったのだ。
インベントリから取っ手のついたグラスを取りだし、冷やした紅茶を注ぐ。騎士たちもいるからとアレイさんに【毒消し】の魔法をかけてもらい、それを殿下に渡した。本来ならば毒見の人がやることだしモーントシュタイン家の人間はそんなことをしないと広く知られているけれど、何があるかわからないからと、父と兄に「外では必ず【毒消し】の魔法をかけてもらいなさい」と言われているので、実行したにすぎない。
「ミカ嬢、これは?」
「紅茶を冷やしたものです。お口に合えばいいのですが……」
「ほう……そんなこともできるようになったのか」
「……ええ、まあ」
本当は冷蔵庫で冷やしたものだけれど、そんなことは言えないので曖昧な返事で誤魔化した。お腹も空いたというので籠を脇に避けてベンチにのせ、籠にかかっていた布を取り払い、重箱を取り出す。インベントリから別の布を取り出すとそれを敷き、その上に重箱を置いた。お皿とフォークを出してから重箱の蓋を開けると、殿下の顔が輝いた。すかさずアレイさんが【毒消し】の魔法をかける。
「おおっ! ミカ嬢、今日も美味しそうだな! 見たことのないものばかりだが……」
「私の故郷のものなのです」
「故郷の……」
「もちろん、食材や調味料などはこちらのものを使っていますから、厳密に言えば違うのですけれど」
そう前置きしてから何を持って来たのか説明する。手毬形と俵型のおにぎり、一口サイズのチーズ入りハンバーグ、厚焼き玉子は少しだけ甘めにした。串形に切ったジャガイモを素揚にしたポテトフライ、タコさんウインナー、ミニトマト、きゅうり、レタスのサラダ。
それらを、お皿に盛りながら殿下に話をしたのだ。
お米はこの世界にも普通にあって、モーントシュタイン領の特産物らしく、領地で作っているそうだ。他の領地でも作っているけれど我が家ほど美味しいわけではないらしい。
ただ、この世界のお米の使い道はリゾットがほとんどだそうで、“炊く”という料理方法を知らないらしい。まあ、普通の鍋では炊きづらいし、土鍋や炊飯器がないと炊くのは難しいと思う。私だって火加減がよくわからなくて土鍋では炊けないもの。今度父に聞いてみようか。
「これは……リージェか?」
「はい」
この世界では、お米のことをリージェというのだと、父に聞いた。
「どうやったらこうなるんだ?」
「我が家の秘密の料理方法なので、それはお教えできません、と申し上げておきますね」
「そうか……。モーントシュタイン家に行けば食べられるか?」
「事前にご連絡をいただければ、作ることは可能ですよ」
「そうか。……うん、美味い! このハンバーグと言ったか? これとよくあう!」
「それはよかったです」
そんな会話をしながら食事をしていた時だった。騎士たちが何かを見つけたのか、身構える。それに首を傾げていたら、シェーデルさんから『お嬢様、足元にご注意を!』と叫ばれたので視線を向けると、そこには黒猫がいた。正確には牙が長い黒猫だけれど。
「猫……? お肉の匂いにつられてきたのかしら」
「ミカ嬢、危ない!」
「え? どうしてですか? 喉をごろごろ鳴らしながら、私の足に顔を擦りつけているのに?」
「なに……?」
「ハンバーグ……はまずいですよね。ソーセージも塩分があるからあげるのはまずいのだけれど……」
そんなことを言いながらハンバーグからチーズを取り除き、ソーセージを半分にするとお皿に乗せる。「食べる?」と聞くと「にゃあ!」と元気よく鳴いたので、屈んで地面に置くとそれに飛びついて食べ始めた。……玉ねぎも入っているのだけれど、大丈夫だろうか……。
「ふふ……美味しい?」
そう聞くと、尻尾が揺れる。可愛いなあ、なんて思いながら背中を撫でた。嫌がる猫もいるけれど、この猫はそうではないらしい。洗えばふかふかもふもふになりそうな毛並みで、いつまでも撫でていたくなるのを我慢し、インベントリからタオルを出すと【生活魔法】を使って濡らし、手を拭いた。
そんなことをしている間に食べ終わったようで、その場で毛繕いを始める黒猫。それが終わると伸びをし、私の膝に飛び乗って来て顔をペロリと舐めた。
「わっ! そんなに舐めたらだめよ、お化粧が落ちちゃうし痛いわ」
「……っ!」
「ふふっ、可愛い……っ」
満足したのか、黒猫はそのまま私の膝の上で丸まってしまった。そんな黒猫の行動にあちこちから息を呑む声がしてそちらを見れば、護衛の騎士たちが呆気に取られた顔をしていて、殿下はポカンと口を開けていた。やはり耳と、そして今度は頬も微妙に赤くなっているけれど。
「あ、あの……グラナート殿下?」
「…………ミカ嬢は不思議だな……」
「はい?」
「今、ミカ嬢の膝に乗って丸まっているのは、サーベルタイガーの仔だ。ヒトには懐かない魔獣なのだがな……」
「……は? サーベル、タイガー……?!」
そう言われてまじまじと黒猫を見る。確かに猫よりも牙が長いけれど……。私にしか聞こえない念話で《また無自覚にやらかしおったな》なんて言わないでください、アレイさん。それにどういう意味ですか?!
どうしていいかわからずに殿下を見たけれど、殿下は呆気にとられた顔をするだけだった。
そして商人が帰ったあとのこと。
現在、時刻は十時半。キッチンなどがある私の部屋ではなく、増築したモーントシュタイン家にある私の自室にいるのだが。
「お嬢様、これはどうでしょう?」
「アイ二様、こちらのお色もよさそうですわ」
「でしたら、装飾品はこちらですわね」
私ではどういったものがいいのかわからなかったので我が家の侍女たちにドレスの選択をお願いしたら、それはもう嬉しそうにあれこれ選び始めたのだけれど……。
「……あと三十分ほどで十一時になるのですが、のんびり選んでいる時間があるのですか?」
「「「え……?」」」
そう聞くと、その場にいた侍女たちが固まり、徐々に顔を青ざめさせていく。
「お嬢様、もっと早く仰ってくださいまし!」
「あら、何度も言いましたよね? 『そろそろ何時です、間に合うんですか?』って。そのたびに皆さんはなんと答えていらっしゃいました? 『まだ時間はあります!』って答えたのはどなただったでしょう?」
「……」
そう指摘すると侍女たちは黙り込んでしまい、慌てて私を着飾らせ始めた。
ドレス自体は先日買ったぶんと昨日、今日で納品された五着ほどしかないにも拘わらず、ああでもないこうでもないとはしゃいでいたのだからどうしようもない。しかも、あと十着以上届くというのだから驚きだ。
今日のドレスは殿下の御髪に合わせたのか、或いは春をイメージしているのか、ライトグリーンでAラインのシンプルなドレスだ。袖口と裾に刺繍が施されている。装飾品も落ち着いた色合いのピアスとネックレス、ブレスレットだけなので、思っているよりも派手ではない。同時進行で髪も整えていくのだから凄い。髪は両サイドを編み込み、首の後ろ辺りで一つにしている。他は結わくことなくそのままだ。
『あら~、素敵! いい色のドレスじゃない、ミカ様』
「とてもよくお似合いですわ!」
「あ、ありがとう」
侍女の中になぜかシェーデルさんが混じっていることに頭痛がしてくる。しかも既にメイド服を着て準備万端なうえ、アレイさん同様に声を変え、女性のように話しているのだから余計に。……元々オネエ言葉なので違和感はないのだけれど。
はあ、と溜息をついたところに、扉のノックの音が響く。返事をして扉を開けてもらうと、顔を出したのは父だった。
「実花、殿下がいらっしゃった。支度は終わったか? ……ほう、よく似合っている」
目を細め、うんうんと頷きながら侍女たちを褒める父に苦笑する。殿下を待たせてはいけないからと移動をし、玄関に到着した。
「おはようございます、グラナート殿下」
「ああ、おはよう。では行こうか」
「はい」
シェーデルさんにお弁当が入っている籠を持ってもらい、差し出された殿下の腕につかまる。馬車まで移動すると私をエスコートし、馬車に乗せてくれた。その流れるような動作に、さすがは王族だと納得してしまう。
殿下の今日の装いはスーツに近い。ネクタイも見慣れた形のものだし、服の色もチャコールグレーだった。髪は首の後ろあたりで縛っており、騎士だからなのかやはり腰には剣があった。
「庭園まで、馬車で三十分ほどかかるんだ。その間に昼食をどうするか一緒に考えないか?」
「そのことなのですが、実はお弁当……昼食を作って来たのです」
「え……」
「ご迷惑でなければ、それを食べていただけませんか?」
お弁当のことを持ち出したらグラナート殿下は一瞬呆けた顔をしたあと、嬉しそうに……本当に嬉しそうに破顔した。その笑顔に鼓動が跳ねる。
「先日のサンドイッチも美味しかったし添えられていたものも美味しかったんだ。まさか、食事を作って来てくれるとは思っていなかったから、嬉しい」
「そ、そうですか」
「中身はなんだ?」
「それは、食べる時のお楽しみです」
そして馬車なのだけれど、馬はなんと翼が生えているとても大きくて、ペガサスに似た黒鹿毛の馬だった。殿下曰くこの馬は空を飛ぶ馬車で、騎士たちが乗っている馬になるともっと大きい。殿下に質問するとどちらも軍馬だと教えてくれた。
但し、軍馬を馬車にしているのは王宮のみで、貴族の家にも空を翔る馬はいるもののもっと小さいのだというし、平民の馬車は空を飛ばない普通の馬だそうだ。空を翔けない時は当然道を駆けるそうだ。
そんな会話をしている間に国立庭園につく。騎士とはいえ王族だからなのか、護衛の騎士が複数いた。私の護衛は当然のことながら、侍女服のシェーデルさんと執事服のアレイさんだ。
殿下が先に降りると手を差し伸べてくれる。それに手を乗せて馬車を降りると風に乗って花の香りがして来た。そして目の前にあったのは色とりどりの花と、バラのアーチだった。
「とても綺麗なところなのですね……」
「そうだろう? では行こうか」
「はい」
殿下にエスコートと案内をされながら、ゆっくりと庭園を歩く。
「ここはロジエの庭と呼ばれている。季節ごとに違う花をつけるから、人気の場所でもあるな」
最初に来たのは、赤や白などのバラが咲いている場所だった。そして先日殿下が言っていたうちの花の一つであるロジエはバラのことだと理解した。今の季節は大輪の花をつける品種が多く植えられているのだとか。
ちょっとした迷路になっているロジエの小路を抜けると赤やピンク、オレンジ色のカーネーションに似た花と、先日教えてもらったオルキスの花が。殿下が言っていた通り、オルキスは白だけではなく、ブルーとピンク、黄色もある。それらは群集になっていたりなにかしらのアートになっているらしく、風が吹くと可憐な花が揺れた。
「ここはオルキスとガリファロが植えられている」
「ガリファロとは、オルキスとは違う背の高いお花のことですか?」
「ああ」
「とても素敵なお花ですね。私がいた世界にはカーネーションという、ガリファロにとてもよく似たお花がありました」
そう前置きしてから母の日だけではなく父の日のことも説明すると、殿下は
「親に感謝する日なのか。いい習慣だな」
と言って笑顔を浮かべた。
一緒に歩きながら、兄と同じかそれ以上に高い身長の殿下を見上げる。
今日はやけに笑顔が多いなあと思うし、ずっとそうしていればいいのにと思った。
オルキスの絨毯を横目に歩いて行くと、池が広がる場所に出た。水面には水鳥が浮かび、水際には青い小鳥が水浴びをしたり水を飲んだりしている。そして視線をずらして別の水面を見れば、大きな葉っぱとそこから伸びる薄いピンク色の花が咲いている。まるで睡蓮のようだ。
「これがネックロースだ」
「水上に咲く花なのですね。大きな葉っぱに乗れそうな気がします」
「はははっ、それはできないな。乗った途端に水の中に落ちてしまうぞ」
声をあげて笑う殿下に、私だけではなく護衛の騎士まで驚いている。きっと殿下は滅多に声をあげて笑ったりしないのだろう。
だいぶ歩いたしベンチもあるからと殿下に誘われてそこに座ると、シェーデルさんに声をかけて籠をもらう。籠の中には冷たく冷やした紅茶もあるので、それを飲んでもらおうと思ったのだ。
インベントリから取っ手のついたグラスを取りだし、冷やした紅茶を注ぐ。騎士たちもいるからとアレイさんに【毒消し】の魔法をかけてもらい、それを殿下に渡した。本来ならば毒見の人がやることだしモーントシュタイン家の人間はそんなことをしないと広く知られているけれど、何があるかわからないからと、父と兄に「外では必ず【毒消し】の魔法をかけてもらいなさい」と言われているので、実行したにすぎない。
「ミカ嬢、これは?」
「紅茶を冷やしたものです。お口に合えばいいのですが……」
「ほう……そんなこともできるようになったのか」
「……ええ、まあ」
本当は冷蔵庫で冷やしたものだけれど、そんなことは言えないので曖昧な返事で誤魔化した。お腹も空いたというので籠を脇に避けてベンチにのせ、籠にかかっていた布を取り払い、重箱を取り出す。インベントリから別の布を取り出すとそれを敷き、その上に重箱を置いた。お皿とフォークを出してから重箱の蓋を開けると、殿下の顔が輝いた。すかさずアレイさんが【毒消し】の魔法をかける。
「おおっ! ミカ嬢、今日も美味しそうだな! 見たことのないものばかりだが……」
「私の故郷のものなのです」
「故郷の……」
「もちろん、食材や調味料などはこちらのものを使っていますから、厳密に言えば違うのですけれど」
そう前置きしてから何を持って来たのか説明する。手毬形と俵型のおにぎり、一口サイズのチーズ入りハンバーグ、厚焼き玉子は少しだけ甘めにした。串形に切ったジャガイモを素揚にしたポテトフライ、タコさんウインナー、ミニトマト、きゅうり、レタスのサラダ。
それらを、お皿に盛りながら殿下に話をしたのだ。
お米はこの世界にも普通にあって、モーントシュタイン領の特産物らしく、領地で作っているそうだ。他の領地でも作っているけれど我が家ほど美味しいわけではないらしい。
ただ、この世界のお米の使い道はリゾットがほとんどだそうで、“炊く”という料理方法を知らないらしい。まあ、普通の鍋では炊きづらいし、土鍋や炊飯器がないと炊くのは難しいと思う。私だって火加減がよくわからなくて土鍋では炊けないもの。今度父に聞いてみようか。
「これは……リージェか?」
「はい」
この世界では、お米のことをリージェというのだと、父に聞いた。
「どうやったらこうなるんだ?」
「我が家の秘密の料理方法なので、それはお教えできません、と申し上げておきますね」
「そうか……。モーントシュタイン家に行けば食べられるか?」
「事前にご連絡をいただければ、作ることは可能ですよ」
「そうか。……うん、美味い! このハンバーグと言ったか? これとよくあう!」
「それはよかったです」
そんな会話をしながら食事をしていた時だった。騎士たちが何かを見つけたのか、身構える。それに首を傾げていたら、シェーデルさんから『お嬢様、足元にご注意を!』と叫ばれたので視線を向けると、そこには黒猫がいた。正確には牙が長い黒猫だけれど。
「猫……? お肉の匂いにつられてきたのかしら」
「ミカ嬢、危ない!」
「え? どうしてですか? 喉をごろごろ鳴らしながら、私の足に顔を擦りつけているのに?」
「なに……?」
「ハンバーグ……はまずいですよね。ソーセージも塩分があるからあげるのはまずいのだけれど……」
そんなことを言いながらハンバーグからチーズを取り除き、ソーセージを半分にするとお皿に乗せる。「食べる?」と聞くと「にゃあ!」と元気よく鳴いたので、屈んで地面に置くとそれに飛びついて食べ始めた。……玉ねぎも入っているのだけれど、大丈夫だろうか……。
「ふふ……美味しい?」
そう聞くと、尻尾が揺れる。可愛いなあ、なんて思いながら背中を撫でた。嫌がる猫もいるけれど、この猫はそうではないらしい。洗えばふかふかもふもふになりそうな毛並みで、いつまでも撫でていたくなるのを我慢し、インベントリからタオルを出すと【生活魔法】を使って濡らし、手を拭いた。
そんなことをしている間に食べ終わったようで、その場で毛繕いを始める黒猫。それが終わると伸びをし、私の膝に飛び乗って来て顔をペロリと舐めた。
「わっ! そんなに舐めたらだめよ、お化粧が落ちちゃうし痛いわ」
「……っ!」
「ふふっ、可愛い……っ」
満足したのか、黒猫はそのまま私の膝の上で丸まってしまった。そんな黒猫の行動にあちこちから息を呑む声がしてそちらを見れば、護衛の騎士たちが呆気に取られた顔をしていて、殿下はポカンと口を開けていた。やはり耳と、そして今度は頬も微妙に赤くなっているけれど。
「あ、あの……グラナート殿下?」
「…………ミカ嬢は不思議だな……」
「はい?」
「今、ミカ嬢の膝に乗って丸まっているのは、サーベルタイガーの仔だ。ヒトには懐かない魔獣なのだがな……」
「……は? サーベル、タイガー……?!」
そう言われてまじまじと黒猫を見る。確かに猫よりも牙が長いけれど……。私にしか聞こえない念話で《また無自覚にやらかしおったな》なんて言わないでください、アレイさん。それにどういう意味ですか?!
どうしていいかわからずに殿下を見たけれど、殿下は呆気にとられた顔をするだけだった。
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