11 / 62
異世界転移編
風邪から復活したらしい
しおりを挟む
夢を見た。まだ私が小学生で、その日は兄の誕生日。二十歳になったお祝いだからと四人で食事に出かけた日に起こった時の、夢。
ああ、そうか。父と兄――二人とギクシャクし始めたのはこのあとからだ。それに、二人が私から離れたのではない、私が二人から離れたのだ。
どうして忘れていたのだろう? いいえ、どうして今になって思い出したのだろう?
それはきっと、父の話を聞いたから。私を『護っていた』と言っていたから。
そのことで『彼女』との『約束』を思い出したから。
もう一度、私は二人に歩み寄らなければならない……もう、元凶たる三人の女性と彼女たちの祖父母はここにいないのだから。
“何を願う?”
アレイさんとシェーデルさんに似たような、それでいて全く違う声が同時に響き、願いは何かと問いかけてくる。
だから、私は――
***
熱も平熱に戻り、どうにか復活した日。兄を除く三人を交えつつ話をしながら、大量に購入して来た物の片付けをしたりクッキーを焼いたりしていたので、部屋(?)から一歩も外には出ていない。兄は殿下の側近であり友人の一人らしく、王宮に出勤? 出仕? する日だとかでいなかった。
食事も父が運んで来てくれたこともあって余計にこの家の構造などわからないのだけれど、そこは後日案内してくれるというので、それまで待つことにした。掃除は父と兄が交代でしてくれていたらしく埃一つなかったし、魔法で一発だから簡単だそうだ。……いいなあ、その魔法。私も使えるようになりたい。
そしてその翌日の朝。父が呼んでいるからと兄が迎えに来て、二人の執務室に案内された。執務室内は重厚な机と革張りの椅子のセットが二つと本棚を含む大きな棚が七つ、そして中央に大きなローテーブルとそれを囲むようにソファーが並べてあった。
そのうちの一つを勧められ、ソファーに腰掛けて部屋の中を見回していると、兄がクスリと笑った。
「お兄様、急に笑ってどうしたのですか?」
「ごめん。実花がここにいることが未だに信じられなくて。それに、また一緒に仕事ができると思うと嬉しくてさ」
「仕事、ですか? 私、そんな約束をした覚えがないのですけれど……」
兄の言葉に首を傾げると、兄だけではなく護衛としてついて来たシェーデルさんとアレイさんにまで驚かれた。ちなみにアレイさんは私の頭の上にいる。重さを感じないからいいけれど……できれば頭に乗るのはやめてほしい。
「あれ? 実花が王宮で目覚めた日のことだけどさ。眠る直前、親父の『また仕事の手伝いをしてくれるかい?』という問いかけに、幼いころの口調で『パパとお兄ちゃんのお仕事? うん、いいよ!』って言ったこと、覚えてないの?」
『ねー。すっごくイイ笑顔で頷いてたのよ?』
《ああ。可愛かったぞ》
「えっ……?! 全く覚えていないのですが……!」
兄やシェーデルさんたちの話に愕然とする。確かに眠る直前まで二人と何かを話していたような記憶はあるが、その内容を覚えていなかった。しかも、子供のころの話し方でなんて……!
頭を抱えた私の様子に、兄は苦笑する。
「まあ、あの時は半分寝ているような状態だったし、覚えていなくても仕方がないか。で、だ。仕事は手伝ってくれるんだろう?」
「もちろんです。私にできることであれば手伝いますよ?」
「助かるし、それでいいよ」
そんな話をしながら兄たちと一緒に待っていると扉のノック音のあとで父が顔を出し、父と同年代か少し若いと思われる男女三人を連れて来た。ただ、同年代に見えるだけで、実際の年齢はわからないが。服装は、一人は黒い執事服、一人は白いコックの格好、一人は紺色のワンピースに白いエプロンとボンネットをしたメイド服だ。
そしてモーントシュタイン家に仕えている方たちだというので、初対面の挨拶を交わしている。
「ようやく会えた娘の実花だ」
「実花と申します。よろしくお願いいたします」
「執事長のバルドと申します」
「侍女長のアイニと申します」
「料理長のミゲルと申します」
「「「よろしくお願いいたします、ミカお嬢様」」」
父の紹介でお互いに頭を下げたとはいえ、至って簡単な挨拶で終わってしまった。
父と兄からは他にも使用人がいることは聞いているけれどこの三人しか連れて来ていないということは、この人たちが家の管理などをしている長であることと、彼らしか信用できないということなのだろう。二人に信用されていればきちんと紹介してくれるのでそこは安心できるし、幼少のころから一緒に過ごしていたのならともかく、初対面ならばこんなものだろう。
これから話をしたり聞いたりしながら信頼を築き上げたり仲良くなっていけばいいだけの話だし、父や兄も私を含めた全員にそう話していた。
まあ、他の人たちは父や兄、紹介されたバルドさんとアイニさんの目を盗み、私や父と兄の部屋にあったこの世界にない物を勝手に持ち出そうとしたというのだから、信用や信頼されなくて当然か。たった一度であろうとも、盗みを働くような人は今後もやる可能性が高い。そして、そういう人は我が家に限らずどこの家に行っても信用されないし、自家の信用問題にも繋がるので辞めるときに他家への紹介状すら書かないうえ、そういう情報は貴族を中心に茶会や夜会で積極的に流すのだという。
それはともかく。
「実花。午後にドレスを扱っている商人と宝石商が来るから、採寸してもらったりアクセサリーを選んでもらいなさい。そのあとはバルドやアイニからこの国のことや常識について、アルからは魔法と仕事について聞いておくように」
「はい」
「ミゲルは料理について実花に聞きたいことがあるなら、殿下が来る前に聞くといい。四人とも実花を頼む」
そう言った父に、兄と三人は返事を返す。ミゲルさんに至ってはお菓子に興味があるようで、その作り方を教えてほしいと言って来た。なので、そこはどんな材料があるのか教えてもらってからという話になった。これから朝食だというので、その間にメモを用意してくれるという。
ただ、文字が読めるのかどうかが心配なのだけれど、文字の読み書きは絵本を用意しているというのでそれで確かめること、大丈夫なようであれば魔法書や辞典を用意するのでこの世界独特の名前を覚えなさいと、食事をしながら父と兄、アレイさんとシェーデルさんにまで言われてしまった。まあ、光るキノコの名前が聞き取れなかったのだから、勉強するのは当然か。……魔法が使えるかどうかは別問題だけれど。
そもそもどうしてこんな話になったのかというと、「私の話を聞きたいから」と父や兄も使ったという魔道具を持ってこれから殿下が来るというので、屋敷内はかなり慌しい雰囲気になっているのだ。父が商人を呼んだのも、兄とバルドさんとアイニさん――特にアイニさんが今後のことも考えてドレスを作ったほうがいいというので、その流れになっただけらしい。
……せめて、私に一言あってもいいと思うのだけれど、「相談しようにも実花は寝込んでいたじゃないか」と言われてしまったら、ぐうの音も出なかった。しかも殿下の予定が詰まっていて、今日の午前中を逃すと七日後まで予定があいていないし、我が家に来ることが決まったのが昨日の夕方だというのだから、どうしようもない。
そんなこんなで部屋でクッキーやパウンドケーキを焼き、手持ちの服の中から見苦しくない服とアクセサリーを選んで待つことしばし。殿下がいらしたと兄が呼びに来たので、後ろをついていく。案内された場所は執務室の隣にあるテラスで、殿下が来るとこの部屋か兄の部屋、応接室か外の東屋でお茶にするという。
「グラナート殿下、ご無沙汰しております」
「ああ、久しぶりだな。熱は下がったと聞いたが、足のほうはどうだ?」
「その節はありがとうございました。まだ多少痛いですが、歩くぶんには問題ありません」
まだこの世界の礼儀作法を習っていないので、それを伝えたうえで頭を下げて挨拶を交わす。そのあとで、不快な思いをさせてしまったことを謝罪すると、殿下は溜息をついた。
「アルから聞いた。ミカ嬢は知らなかったのだ……気にすることではない」
「ですが……」
「いいと言っているんだから、実花は気にする必要はないさ」
「アルの言う通りだ」
「そうですか……。では、お言葉に甘えさせていただきます」
これで謝罪は終わりだというのでパウンドケーキを切り分け、クッキーと一緒にお皿に盛り付けると、紅茶と一緒に殿下と兄に振舞う。殿下の後ろに控えている二人にも配ると嬉しそうな顔をされた。もちろん、私の膝に乗っているアレイさんや後ろに控えているシェーデルさんにも配っている。
雑談をしながらそれらを一通り食べ終え、アレイさんがクッキーのおかわりを要求して来たのでそれと一緒に全員に紅茶を淹れ直すと、殿下が何もない空間から無色透明なものを出した。見た目は両方が尖っている六角柱の水晶に見える。
「これが職業鑑定の魔道具だ」
「魔道具なのですか? 六角柱の水晶に見えますね」
「ほう……よく知っているな。実際これは魔力の篭ったクリスタルで出来ている」
「そうなのですね。私がいた国でも水晶はありましたし、色も様々なものがありました。透明の水晶の中でも六角柱は集中力アップや癒し効果、人それぞれのパワーを増幅させる力、マイナスの力を浄化すると言われておりました。中でも不純物が内包されていない水晶を丸玉に加工することで、より強い効果を発揮すると聞いたことがあります。それにしても……魔道具とは思えないほど綺麗ですね」
殿下が持っている魔道具は、直径五センチ、長さ二十センチほどの大きさのもの。その透明度の高さに、思わず感嘆の息を漏らす。
「ほしいと言われても困るが……」
「言いませんよ」
水晶のブレスレットやペンダントがあるし、魔道具なんて高価そうなものは必要ないのですよ、殿下。……なんてことなど言えるはずもなく、そこは紅茶を飲むことで黙っておく。
「そうか、それは安心した。では、これを左手に持ち、そのあとこの紙の上のほうに置いてくれるか?」
「はい」
渡された魔道具を両手で受け取ると言われた通りにする。するとどうだろう……紙に職業や使える魔法が勝手に表示されていくではないか!
「すごいですね……どのような技術なのですか? 不思議です……。職業は【裁縫師】で、魔法が【時空】、【付与】、【白】、であっていますか?」
「おー、まだ字を教えてないのによく読めたな、実花。うん、それであってるぞ」
「……っ」
紙には見たことがない文字が浮かび上がったけれど、兄に確かめたら問題なく読めていたらしく頷いてくれた。但し読めない文字もあったので、そこはあとで兄かアレイさんたちに聞くことにした。そして殿下はなにに驚いたのか、息を呑んでその紙を見つめていた……シェーデルさんやアレイさんですらも。
『ちょっと……アンタまで【時空】とか言わないでよ!』
《しかも【白】もとはな……。儂らと出会ったのは偶然ではなく、必然ということか……》
『アレイ爺、達観した様子でそんなこと言わないでくれる?!』
「あの……何か問題があるのでしょうか」
「ああ……ミカ嬢はまだこの世界のことを習っていなかったのだな。そこから説明するとしようか」
殿下が眉間に皺を寄せたまま話し始めようとした時だった。
「なっ!」
「実花!」
『《ミカ、危ない!》』
「え……?」
殿下や兄の驚いた声と、シェーデルさんとアレイさんの注意喚起の鋭い声がしたと同時にそれは私にぶつかって光り、消えた。
何が起こったのかわからずに困惑していると、兄に無言で手鏡を渡され――
――それを見た私は、髪の色が変わってしまったことに絶句するしかなかった。
ああ、そうか。父と兄――二人とギクシャクし始めたのはこのあとからだ。それに、二人が私から離れたのではない、私が二人から離れたのだ。
どうして忘れていたのだろう? いいえ、どうして今になって思い出したのだろう?
それはきっと、父の話を聞いたから。私を『護っていた』と言っていたから。
そのことで『彼女』との『約束』を思い出したから。
もう一度、私は二人に歩み寄らなければならない……もう、元凶たる三人の女性と彼女たちの祖父母はここにいないのだから。
“何を願う?”
アレイさんとシェーデルさんに似たような、それでいて全く違う声が同時に響き、願いは何かと問いかけてくる。
だから、私は――
***
熱も平熱に戻り、どうにか復活した日。兄を除く三人を交えつつ話をしながら、大量に購入して来た物の片付けをしたりクッキーを焼いたりしていたので、部屋(?)から一歩も外には出ていない。兄は殿下の側近であり友人の一人らしく、王宮に出勤? 出仕? する日だとかでいなかった。
食事も父が運んで来てくれたこともあって余計にこの家の構造などわからないのだけれど、そこは後日案内してくれるというので、それまで待つことにした。掃除は父と兄が交代でしてくれていたらしく埃一つなかったし、魔法で一発だから簡単だそうだ。……いいなあ、その魔法。私も使えるようになりたい。
そしてその翌日の朝。父が呼んでいるからと兄が迎えに来て、二人の執務室に案内された。執務室内は重厚な机と革張りの椅子のセットが二つと本棚を含む大きな棚が七つ、そして中央に大きなローテーブルとそれを囲むようにソファーが並べてあった。
そのうちの一つを勧められ、ソファーに腰掛けて部屋の中を見回していると、兄がクスリと笑った。
「お兄様、急に笑ってどうしたのですか?」
「ごめん。実花がここにいることが未だに信じられなくて。それに、また一緒に仕事ができると思うと嬉しくてさ」
「仕事、ですか? 私、そんな約束をした覚えがないのですけれど……」
兄の言葉に首を傾げると、兄だけではなく護衛としてついて来たシェーデルさんとアレイさんにまで驚かれた。ちなみにアレイさんは私の頭の上にいる。重さを感じないからいいけれど……できれば頭に乗るのはやめてほしい。
「あれ? 実花が王宮で目覚めた日のことだけどさ。眠る直前、親父の『また仕事の手伝いをしてくれるかい?』という問いかけに、幼いころの口調で『パパとお兄ちゃんのお仕事? うん、いいよ!』って言ったこと、覚えてないの?」
『ねー。すっごくイイ笑顔で頷いてたのよ?』
《ああ。可愛かったぞ》
「えっ……?! 全く覚えていないのですが……!」
兄やシェーデルさんたちの話に愕然とする。確かに眠る直前まで二人と何かを話していたような記憶はあるが、その内容を覚えていなかった。しかも、子供のころの話し方でなんて……!
頭を抱えた私の様子に、兄は苦笑する。
「まあ、あの時は半分寝ているような状態だったし、覚えていなくても仕方がないか。で、だ。仕事は手伝ってくれるんだろう?」
「もちろんです。私にできることであれば手伝いますよ?」
「助かるし、それでいいよ」
そんな話をしながら兄たちと一緒に待っていると扉のノック音のあとで父が顔を出し、父と同年代か少し若いと思われる男女三人を連れて来た。ただ、同年代に見えるだけで、実際の年齢はわからないが。服装は、一人は黒い執事服、一人は白いコックの格好、一人は紺色のワンピースに白いエプロンとボンネットをしたメイド服だ。
そしてモーントシュタイン家に仕えている方たちだというので、初対面の挨拶を交わしている。
「ようやく会えた娘の実花だ」
「実花と申します。よろしくお願いいたします」
「執事長のバルドと申します」
「侍女長のアイニと申します」
「料理長のミゲルと申します」
「「「よろしくお願いいたします、ミカお嬢様」」」
父の紹介でお互いに頭を下げたとはいえ、至って簡単な挨拶で終わってしまった。
父と兄からは他にも使用人がいることは聞いているけれどこの三人しか連れて来ていないということは、この人たちが家の管理などをしている長であることと、彼らしか信用できないということなのだろう。二人に信用されていればきちんと紹介してくれるのでそこは安心できるし、幼少のころから一緒に過ごしていたのならともかく、初対面ならばこんなものだろう。
これから話をしたり聞いたりしながら信頼を築き上げたり仲良くなっていけばいいだけの話だし、父や兄も私を含めた全員にそう話していた。
まあ、他の人たちは父や兄、紹介されたバルドさんとアイニさんの目を盗み、私や父と兄の部屋にあったこの世界にない物を勝手に持ち出そうとしたというのだから、信用や信頼されなくて当然か。たった一度であろうとも、盗みを働くような人は今後もやる可能性が高い。そして、そういう人は我が家に限らずどこの家に行っても信用されないし、自家の信用問題にも繋がるので辞めるときに他家への紹介状すら書かないうえ、そういう情報は貴族を中心に茶会や夜会で積極的に流すのだという。
それはともかく。
「実花。午後にドレスを扱っている商人と宝石商が来るから、採寸してもらったりアクセサリーを選んでもらいなさい。そのあとはバルドやアイニからこの国のことや常識について、アルからは魔法と仕事について聞いておくように」
「はい」
「ミゲルは料理について実花に聞きたいことがあるなら、殿下が来る前に聞くといい。四人とも実花を頼む」
そう言った父に、兄と三人は返事を返す。ミゲルさんに至ってはお菓子に興味があるようで、その作り方を教えてほしいと言って来た。なので、そこはどんな材料があるのか教えてもらってからという話になった。これから朝食だというので、その間にメモを用意してくれるという。
ただ、文字が読めるのかどうかが心配なのだけれど、文字の読み書きは絵本を用意しているというのでそれで確かめること、大丈夫なようであれば魔法書や辞典を用意するのでこの世界独特の名前を覚えなさいと、食事をしながら父と兄、アレイさんとシェーデルさんにまで言われてしまった。まあ、光るキノコの名前が聞き取れなかったのだから、勉強するのは当然か。……魔法が使えるかどうかは別問題だけれど。
そもそもどうしてこんな話になったのかというと、「私の話を聞きたいから」と父や兄も使ったという魔道具を持ってこれから殿下が来るというので、屋敷内はかなり慌しい雰囲気になっているのだ。父が商人を呼んだのも、兄とバルドさんとアイニさん――特にアイニさんが今後のことも考えてドレスを作ったほうがいいというので、その流れになっただけらしい。
……せめて、私に一言あってもいいと思うのだけれど、「相談しようにも実花は寝込んでいたじゃないか」と言われてしまったら、ぐうの音も出なかった。しかも殿下の予定が詰まっていて、今日の午前中を逃すと七日後まで予定があいていないし、我が家に来ることが決まったのが昨日の夕方だというのだから、どうしようもない。
そんなこんなで部屋でクッキーやパウンドケーキを焼き、手持ちの服の中から見苦しくない服とアクセサリーを選んで待つことしばし。殿下がいらしたと兄が呼びに来たので、後ろをついていく。案内された場所は執務室の隣にあるテラスで、殿下が来るとこの部屋か兄の部屋、応接室か外の東屋でお茶にするという。
「グラナート殿下、ご無沙汰しております」
「ああ、久しぶりだな。熱は下がったと聞いたが、足のほうはどうだ?」
「その節はありがとうございました。まだ多少痛いですが、歩くぶんには問題ありません」
まだこの世界の礼儀作法を習っていないので、それを伝えたうえで頭を下げて挨拶を交わす。そのあとで、不快な思いをさせてしまったことを謝罪すると、殿下は溜息をついた。
「アルから聞いた。ミカ嬢は知らなかったのだ……気にすることではない」
「ですが……」
「いいと言っているんだから、実花は気にする必要はないさ」
「アルの言う通りだ」
「そうですか……。では、お言葉に甘えさせていただきます」
これで謝罪は終わりだというのでパウンドケーキを切り分け、クッキーと一緒にお皿に盛り付けると、紅茶と一緒に殿下と兄に振舞う。殿下の後ろに控えている二人にも配ると嬉しそうな顔をされた。もちろん、私の膝に乗っているアレイさんや後ろに控えているシェーデルさんにも配っている。
雑談をしながらそれらを一通り食べ終え、アレイさんがクッキーのおかわりを要求して来たのでそれと一緒に全員に紅茶を淹れ直すと、殿下が何もない空間から無色透明なものを出した。見た目は両方が尖っている六角柱の水晶に見える。
「これが職業鑑定の魔道具だ」
「魔道具なのですか? 六角柱の水晶に見えますね」
「ほう……よく知っているな。実際これは魔力の篭ったクリスタルで出来ている」
「そうなのですね。私がいた国でも水晶はありましたし、色も様々なものがありました。透明の水晶の中でも六角柱は集中力アップや癒し効果、人それぞれのパワーを増幅させる力、マイナスの力を浄化すると言われておりました。中でも不純物が内包されていない水晶を丸玉に加工することで、より強い効果を発揮すると聞いたことがあります。それにしても……魔道具とは思えないほど綺麗ですね」
殿下が持っている魔道具は、直径五センチ、長さ二十センチほどの大きさのもの。その透明度の高さに、思わず感嘆の息を漏らす。
「ほしいと言われても困るが……」
「言いませんよ」
水晶のブレスレットやペンダントがあるし、魔道具なんて高価そうなものは必要ないのですよ、殿下。……なんてことなど言えるはずもなく、そこは紅茶を飲むことで黙っておく。
「そうか、それは安心した。では、これを左手に持ち、そのあとこの紙の上のほうに置いてくれるか?」
「はい」
渡された魔道具を両手で受け取ると言われた通りにする。するとどうだろう……紙に職業や使える魔法が勝手に表示されていくではないか!
「すごいですね……どのような技術なのですか? 不思議です……。職業は【裁縫師】で、魔法が【時空】、【付与】、【白】、であっていますか?」
「おー、まだ字を教えてないのによく読めたな、実花。うん、それであってるぞ」
「……っ」
紙には見たことがない文字が浮かび上がったけれど、兄に確かめたら問題なく読めていたらしく頷いてくれた。但し読めない文字もあったので、そこはあとで兄かアレイさんたちに聞くことにした。そして殿下はなにに驚いたのか、息を呑んでその紙を見つめていた……シェーデルさんやアレイさんですらも。
『ちょっと……アンタまで【時空】とか言わないでよ!』
《しかも【白】もとはな……。儂らと出会ったのは偶然ではなく、必然ということか……》
『アレイ爺、達観した様子でそんなこと言わないでくれる?!』
「あの……何か問題があるのでしょうか」
「ああ……ミカ嬢はまだこの世界のことを習っていなかったのだな。そこから説明するとしようか」
殿下が眉間に皺を寄せたまま話し始めようとした時だった。
「なっ!」
「実花!」
『《ミカ、危ない!》』
「え……?」
殿下や兄の驚いた声と、シェーデルさんとアレイさんの注意喚起の鋭い声がしたと同時にそれは私にぶつかって光り、消えた。
何が起こったのかわからずに困惑していると、兄に無言で手鏡を渡され――
――それを見た私は、髪の色が変わってしまったことに絶句するしかなかった。
64
お気に入りに追加
1,641
あなたにおすすめの小説

騎士団寮のシングルマザー
古森きり
恋愛
夫と離婚し、実家へ帰る駅への道。
突然突っ込んできた車に死を覚悟した歩美。
しかし、目を覚ますとそこは森の中。
異世界に聖女として召喚された幼い娘、真美の為に、歩美の奮闘が今、始まる!
……と、意気込んだものの全く家事が出来ない歩美の明日はどっちだ!?
※ノベルアップ+様(読み直し改稿ナッシング先行公開)にも掲載しましたが、カクヨムさん(は改稿・完結済みです)、小説家になろうさん、アルファポリスさんは改稿したものを掲載しています。
※割と鬱展開多いのでご注意ください。作者はあんまり鬱展開だと思ってませんけども。


召喚とか聖女とか、どうでもいいけど人の都合考えたことある?
浅海 景
恋愛
水谷 瑛莉桂(みずたに えりか)の目標は堅実な人生を送ること。その一歩となる社会人生活を踏み出した途端に異世界に召喚されてしまう。召喚成功に湧く周囲をよそに瑛莉桂は思った。
「聖女とか絶対ブラックだろう!断固拒否させてもらうから!」
ナルシストな王太子や欲深い神官長、腹黒騎士などを相手に主人公が幸せを勝ち取るため奮闘する物語です。

できれば穏便に修道院生活へ移行したいのです
新条 カイ
恋愛
ここは魔法…魔術がある世界。魔力持ちが優位な世界。そんな世界に日本から転生した私だったけれど…魔力持ちではなかった。
それでも、貴族の次女として生まれたから、なんとかなると思っていたのに…逆に、悲惨な将来になる可能性があるですって!?貴族の妾!?嫌よそんなもの。それなら、女の幸せより、悠々自適…かはわからないけれど、修道院での生活がいいに決まってる、はず?
将来の夢は修道院での生活!と、息巻いていたのに、あれ。なんで婚約を申し込まれてるの!?え、第二王子様の護衛騎士様!?接点どこ!?
婚約から逃れたい元日本人、現貴族のお嬢様の、逃れられない恋模様をお送りします。
■■両翼の守り人のヒロイン側の話です。乳母兄弟のあいつが暴走してとんでもない方向にいくので、ストッパーとしてヒロイン側をちょいちょい設定やら会話文書いてたら、なんかこれもUPできそう。と…いう事で、UPしました。よろしくお願いします。(ストッパーになれればいいなぁ…)
■■
【完結】愛猫ともふもふ異世界で愛玩される
綾雅(ヤンデレ攻略対象、電子書籍化)
ファンタジー
状況不明のまま、見知らぬ草原へ放り出された私。幸いにして可愛い三匹の愛猫は無事だった。動物病院へ向かったはずなのに? そんな疑問を抱えながら、見つけた人影は二本足の熊で……。
食われる?! 固まった私に、熊は流暢な日本語で話しかけてきた。
「あなた……毛皮をどうしたの?」
「そういうあなたこそ、熊なのに立ってるじゃない」
思わず切り返した私は、彼女に気に入られたらしい。熊に保護され、狼と知り合い、豹に惚れられる。異世界転生は理解したけど、私以外が全部動物の世界だなんて……!?
もふもふしまくりの異世界で、非力な私は愛玩動物のように愛されて幸せになります。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2023/09/21……完結
2023/07/17……タイトル変更
2023/07/16……小説家になろう 転生/転移 ファンタジー日間 43位
2023/07/15……アルファポリス HOT女性向け 59位
2023/07/15……エブリスタ トレンド1位
2023/07/14……連載開始

美醜逆転異世界で、非モテなのに前向きな騎士様が素敵です
花野はる
恋愛
先祖返りで醜い容貌に生まれてしまったセドリック・ローランド、18歳は非モテの騎士副団長。
けれども曽祖父が同じ醜さでありながら、愛する人と幸せな一生を送ったと祖父から聞いて育ったセドリックは、顔を隠すことなく前向きに希望を持って生きている。けれどやはりこの世界の女性からは忌み嫌われ、中身を見ようとしてくれる人はいない。
そんな中、セドリックの元に異世界の稀人がやって来た!外見はこんなでも、中身で勝負し、専属護衛になりたいと頑張るセドリックだが……。
醜いイケメン騎士とぽっちゃり喪女のラブストーリーです。
多分短い話になると思われます。
サクサク読めるように、一話ずつを短めにしてみました。

【完結】神から貰ったスキルが強すぎなので、異世界で楽しく生活します!
桜もふ
恋愛
神の『ある行動』のせいで死んだらしい。私の人生を奪った神様に便利なスキルを貰い、転生した異世界で使えるチートの魔法が強すぎて楽しくて便利なの。でもね、ここは異世界。地球のように安全で自由な世界ではない、魔物やモンスターが襲って来る危険な世界……。
「生きたければ魔物やモンスターを倒せ!!」倒さなければ自分が死ぬ世界だからだ。
異世界で過ごす中で仲間ができ、時には可愛がられながら魔物を倒し、食料確保をし、この世界での生活を楽しく生き抜いて行こうと思います。
初めはファンタジー要素が多いが、中盤あたりから恋愛に入ります!!

面倒くさがりやの異世界人〜微妙な美醜逆転世界で〜
波間柏
恋愛
仕事帰り電車で寝ていた雅は、目が覚めたら満天の夜空が広がる場所にいた。目の前には、やたら美形な青年が騒いでいる。どうしたもんか。面倒くさいが口癖の主人公の異世界生活。
短編ではありませんが短めです。
別視点あり
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる