オカマ上司の恋人【R18】

饕餮

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番外編・小話

ある日の母親

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圭に宛てた手紙の方の内容です。



*******


 年末のことだった。息子の葎に「もうじき来るから」と突然言われた。一瞬何のことかわからず首をかしげたがあることに思い至り、急にそわそわし始めたのは一時間前のことだった。

 パラリ、とアルバムを開く。それは、結婚式の写真だった。
 そのアルバムは、少しイラついたように「そわそわしてるなら、アルバムでも見てたら?」と葎に渡されたアルバム数冊と、「なら、これも見ておけ」と言って父が持って来たアルバムだった。
 隣にいる男性と幸せそうに笑っている女性の写真を眺めてそっと手を伸ばし、写真の女性に指先をあてては撫でる。
 自分が一度も見たことのない、楽しそうな笑顔と嬉しそうな笑顔だった。それはそうだろう……笑顔を奪ったのは、他でもない、自分自身なのだから。

 別の一冊を手に取ってパラリとページを開くと、今度はバーのバーテンのような服を着た女性の写真。目の前のテーブルには色とりどりのカクテルが並び、お酒のビンが空中に浮いていた。まるで、先日葎と見たトム・クルーズの映画のDVDのようだ。

「こんなこともできるのね……」

 自分は何も知らないのだと、改めて気付かされる。
 もしもあの時、両親や祖母の言うことを聞いて彼の……元夫の呪縛から逃れていたならば、写真の女性を……彼女を手離さずに済み、憎まれることなく笑顔を向けられていたのだろうか。

 ――男の嘘を信じて盲信的に愛し、結婚後本性を現した男の暴力に怯え、結局は男の言うがままに生活していた、若かったころの、愚かだったころの自分。思い返しても、想像も付かないが。

 溜息をついて葎が持って来たアルバムを閉じて脇にどけて、今度は父が持って来たアルバムを開くと見覚えのある顔が目に入る。
 家では怯えた目を向けられ、全く笑わず、喋ることもしなかった彼女は、ここでは違う表情を見せていたようだった。

「圭……」

 写真に手を伸ばして触れながら、かなり前に彼女に宛てた……今は別の家の養女になった娘に宛てた手紙を思い出す。


 『圭へ

  今更このような手紙を書くことを許してください。
  どうしても貴女に会って謝りたいのです。

  あのころの私は、夫であるあの人が全てでした。
  彼が好きで好きで、彼の言うがままに生活して
  いました。それが間違いだと気付かずに。

  二人が産まれた時は、本当に幸せだった。

  二人いっぺんに育てるのは大変だったけれど、
  それを癒してくれていたのは、他でもない、
  圭、貴女でした。

  貴女だけが血液型が違うことに最初は戸惑った
  けれどそういうこともあると習ったことを何となく
  覚えていたから、私は気にもしなかった。

  けれど、貴女が大きくなるにつれ、貴女は
  私にも彼にも似ていないことに気付きました。
  当然彼もそれに気付き、浮気を疑われました。
  違う、と言っても信じてはもらえなかった。
  それが悲しくて、私の話を聞こうともしない、
  育児の手伝いもしない彼が憎くて、でも彼に
  それをぶつけることができない悔しさで、
  いつしか私は貴女に辛く当たるようになって
  しまった。

  それは間違いだった、と今更ながら気付いて
  います。
  貴女がなぜ私たちに似てないのかも聞きました。
  あの時それを聞いていれば……おばあちゃんの
  話をちゃんと聞いていればと後悔してします。

  今すぐ許してください、とは言いません。
  けれど、どうしても貴女に会って、きちんと
  話をし、謝りたいのです。

  愚かな母を許してください。

  今は彼と離婚し、葎やおばあちゃんたちと一緒に
  住んでいます。
  おばあちゃんや葎にもたくさん怒られました。
  おばあちゃんの手伝いをしながら、貴女の
  小さいころの話をたくさん聞きました。
  葎からも、貴女の仕事ぶりをたくさん聞きました。

  それと、結婚したそうですね。おめでとう。
  私からおめでとう、と言われても嬉しくない
  かも知れませんが、それでも言わせてください。

  いつか貴女が私と会ってくれることを祈りつつ。


                   かしこ』




 ポタリ、とアルバムに雫が落ち、慌てて袖で目元とアルバムを拭う。
 圭からの返事は一度もなかった。でも、葎から圭に子供が産まれたことを聞かされたあとで

『圭は『見るぶんには構わない』と言ってるから、偶然を装って病院に行く?』

 と聞かれたが、自分は『行かない』ときっぱり断った。驚いた顔をした葎は『なんで?』と聞いて来たので

『確かに、赤ちゃんには会いたい。でも、圭よりも先に赤ちゃんに会ったら、いくら圭が『見るぶんには構わない』と言ってても、それじゃあまるで、圭じゃなくて赤ちゃんに会いたい、って言ってるみたいじゃないの。葎、あたしはね、圭に会いたいの。会って、謝って、圭が『いいよ』って言ってくれてから赤ちゃんに会いたいの。だから、行かない』

 そう告げると、葎は『そう……わかった』と言って背中を撫でてくれた。
 翌日、圭のお見舞いから興奮した様子で帰って来た葎は、しばらく部屋に籠ったあとで写真を持って来た。手渡された写真には、赤子と、男性と、圭が写っていた。
 それをまじまじと見ていると、

『昨日の母さんの話を、圭と泪義兄さん……圭の旦那さんの名前だけど、二人に話したんだ』
『葎……』
『圭は、「今はまだ、気持ちの整理がつかない。でも、赤ちゃんより先に私に会いたい、って言ってくれたことが、嬉しい。今はまだ無理だけど……ちゃんと気持ちの整理がついたら、三人でひいおばあちゃんちに行く」って言ってたよ』
『あ……』

 葎にそう言われて、思わず涙が滲んだ。圭だけでなく、圭の家族も一緒に、というのが嬉しかったから。

 パラリとアルバムを捲ると、いつの間にか引っ越してしまった高林家の長男に抱っこされ、二人揃って同じ道着を着た写真が目に入る。二人とも、帯の色は黒。二人揃って金色のメダルをぶら下げていることから、大会で優勝したのだろう、と思った。
 空手をやっていたことすら、知らなかった。
 今からでもやり直すことができるだろうか……。葎と圭がやり直したように。

 そう思った時、玄関が開く音がして「ひいおばあちゃん、ただいまー!」という女性の声がした。その声に、どきりとする。聞き覚えがあるようで、聞き覚えのない声だった。今更ながら緊張する。
  しばらくすると、後ろから

「おじいちゃん、おばあちゃん、ただいま」
「お邪魔します」

 という声が聞こえた。アルバムに集中しているふりをしながら、どうやって話そう、どうやって謝ろう……と内心ドキドキしていたのだが。

「……お久しぶりです。お元気でしたか?」

 と話かけられた。他人行儀な言い方に、ズキリと胸が痛む。でも、そうされても仕方がない。たとえ血の繋がりがあったとしても、そう仕向け、手離したのは自分自分なのだから。

「……ええ。け……貴女は?」
「それなりに。……ずいぶん懐かしいアルバムを見てるんですね」
「おじいちゃんが持って来てくれたの」
「そうなんですか」

 アルバムから目線を上げて圭の顔を見る。眼鏡をしているその奥は、片方ずつ色が違うオッドアイ。そして、あのころよりも大人になったけれど、その表情は無表情。
 ずっと、こんな顔をさせて来たのだ……と後悔が押し寄せる。思わずアルバムをテーブルに乗せて立ち上がると、圭に向かって頭を下げた。

「ごめんなさい! 謝って済むことじゃない、ってわかってるわ。今更、って思うのもわかってる。でも、それでも、圭、貴女に会って謝りたかっ……」
「……ママ」

 圭が小さいころ呼んでいた呼び方をされて、思わず頭を上げる。目の前には、自分よりも頭一つ分小さい圭の顔。羽多野の家系から言えば、もっと身長があってもいいはずなのだ。でも、男の言いなりに成長期に栄養を与えなかったのは、自分だ。
 圭の手がスッ、と伸びて来て、左頬をピタピタと優しく叩く。その仕草は、圭が赤子の時に自分を癒してくれた仕草だった。懐かしくなって目に涙が滲んだ瞬間、圭の平手打ちが飛んで来た。

「痛っ……!」
「あーあ、母さんもやられてるし」
「もう、お圭ちゃんたら……」

 声のしたほうを見ると、息子の葎と圭の旦那さんが並んで自分を見ていた。葎と旦那さんは苦笑していた。圭を見ると、無表情を崩して怒ったような、泣いているような顔をしていた。

「圭……?」

 そう話しかけると、バチン、ともう一発平手打ちが飛んで来た。

「痛いっ!」
「……私の痛みは、こんなものじゃなかったんだよ?」
「……ごめんなさい」
「完全に、というのはまだ無理だけど、でも、今ので許してあげる」
「圭……っ!」

 その言葉に、ギュッ、と圭を抱き締め、謝りながら泣いた。


 ――そのあと、圭から赤子を渡された。全体的な顔立ちは旦那さんに似ているようだったが、眉や唇は、圭が赤子だったころに似ている。
 圭の旦那さんの言葉遣いに驚きつつも、赤子を見ながら、ポツリ、ポツリと、圭といろいろな話をした。


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