オカマ上司の恋人【R18】

饕餮

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葎視点

Angel's Delight

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 圭が家に来てから二週間くらいたったころだった。

『葎、おかえりなさい。……あの、ね……今日、お父さんに一緒に行ってもらって、離婚届出して来た』

 仕事から帰ると、まるで試合後のボクサーみたいに唇と目を腫れ上がらせた母が家にて、開口一番僕にそういった。唇と目尻に貼られたガーゼが痛々しい。

『……何があったの?』

 母曰く、圭が来た辺りから父からお金をせびられるようになったこと、『そんなお金なんかない』と言うと暴力を振るわれたこと。そして父の浮気相手から『妊娠したから別れてくれ』と言われたこと、それらが日々ひどくなって行ったことを話し、顔は昨日殴られたと告げられた。

『まったく! 何考えてんだよ!』
『お父さんに殴られた時は、あの人も少しは良くなったのよ? でも、結局……。昨日顔を殴られてさすがに怖くなったから、あの人が会社に行ったあとでお父さんに連絡したの。そしたら、医者をしている叔父さんと一緒に来てくれて……。叔父さんが手当てしている時に叔父さんやお父さんと話したんだけど、話しているうちにあたしもだんだん腹が立って来たから、叔父さんと別れたあとでお父さんに役所まで一緒に行ってもらって離婚届をもらったあと、そのままあの人の会社に行って……』
『行ったの?! その顔で?!』
『うん。その浮気相手の人は同じ会社だって言ったし、こんなことするヤツだって教えたかったから』

 父の言うことを従順に聞いていた母しか知らなかった僕は、母にそんな行動力があったなんて驚いた。

『行ったら、ちょうど昼休みに入ったばかりだったらしくて、上司らしき人と浮気相手があの人と一緒にいたから、その目の前で離婚の理由と離婚届を突き付けて、その上司とお父さんに保証人になってもらって、目の前で書いたの』
『あいつ、よくすんなり書いたね』
『その上司らしき人、浮気相手のお父さんだか伯父さんだかわかんないけど、そういった感じの人だったみたいで……半分二人に脅される形で書いてたし。尤も、その半分は少し嬉しそうに見えたけどね。書いてもらって鞄にしまったあとで『財産も慰謝料も何にもいらない。暴力を振るうような男なんかこっちから願い下げ! 熨斗付けて、尚且つリボンもかけて、この人の借金ごと貴女に全部あげる。返品不可よ!』と言った途端、二人はえって顔をして呆然とあの人を見てた』

 母にしては、すごい啖呵を切ったなあと唖然とする。

『その隙にそのままお父さんと一緒に会社を出て、その足で離婚届を役所に提出して戸籍とかも移して、家に寄ってもらって自分名義の貯金通帳とか実印とか当面の服とか必要なものだけ持って、ここに連れて来てもらったの』

 年金も手続きしてきたし、携帯も解約して新しく買い直したよと笑って言った母に、祖父は

『こいつが啖呵を切ったあとの慌てふためいたあいつの顔を、葎にも見せてやりたかったよ』

 とニヤリと笑った。

 一人で暮らすと言った母に、祖母は『足が悪いから手伝って』と僕に言ったように母に言い、曾祖母も『昔みたいに畑を手伝ってくれると助かる』と言い、祖父も僕も

『何があるかわからんから、しばらく一緒に住めばいい』
『うん、いいんじゃない?』

 と言うと、母は子供みたいに、わんわんと泣いた。


 ――その後の母は、まるで憑き物が落ちたみたいに明るくなり、曾祖母や祖母を手伝ったり、『良い歳して脛をかじりたくない』とパートに出るようになった。そこで新たな出会いがあって再婚するんだけど、それはまた別の話。

 その話を室長や泪義兄さんにすると

『圭がもう少し落ち着いてから話すから、今はまだ内緒にしとけ』

 と言われたので母にそう伝えると、少しだけ寂しそうな顔をして『まあ、しょうがないか』と、ポツリと呟いた。
 しばらくたったそんなある日、母から『在沢さんに渡して』と封筒を渡された。
 それを室長に渡すと、それを読んだあとでたった一言『わかった、と伝えてくれ』と、微妙な顔をして呟いた。


 ***


 九月のある日。目尻を下げ、満面の笑みで出社して来た室長に、秘書課の面々は「鬼の攪乱」「槍が降る」なんて噂してたんだけど。

「圭に娘が生まれたんだ」

 室長のその言葉に、わっと秘書課内が湧いた。今日は企画室にいる三島先輩の手伝いをすることになっていたので、三島先輩と、写真の一件から何かと面倒を見てくれるようになった美作先輩……もとい。河野先輩(僕は真葵先輩と呼んでいる)にそれを伝えることにした。企画室に行く途中で、受付の大橋先輩と相良先輩に会った。

「りっちゃん、おはよう」
「おはようございます」

 圭の同期の女性たちは、僕のことを「りっちゃん」と呼ぶようになった。正直、やめてほしいと思うんだけど、言い出しっぺがだから、仕方がない。

「何か嬉しそうじゃない?」
「そう、ですか?」
「うん」
「……実は、圭に娘が生まれたと、たった今室長に教えていただきました」
「ほんと?! よし! 美樹、召集かけて!」
「了解!」

 召集という言葉に、思わず苦笑する。嬉しそうにはしゃぐ二人に「よかったね」と声をかけられ、すれ違いざまに「あとでメールするね」と相良先輩に言われた。

 まだ圭や泪義兄さんには言ってないけど、実は今、相良先輩と付き合っている。先日プロポーズもした。
 もちろん圭とのことも話してある。圭の同期にも、相良先輩のことや圭とのことも全部話した。
 ……次の日には噂が広まるのを覚悟していたけど、圭の同期は結束が固いうえに口も固かったみたいで、そんな噂はとうとう聞こえてこなかった。
 企画室に行くと、早速三島先輩や石川室長、真葵先輩たちに伝えると「召集はそう言うことか」、と智先輩が納得していた。

 そんな話をした週末の帰り。

「おーい、羽多野! たまには付き合え!」

 エントランスを抜けて駐車場へ向かう途中で室長にそう声をかけられたので室長のあとに付いていくと、駐車場がある場所を通り越した先の狭い路地を入った。その先には、小さな喫茶店があった。

「ここは?」
「圭に教えてもらった、秘密の喫茶店。サイフォンでコーヒーを入れてくれる。……他の連中には内緒だぞ?」

 そう言って室長はコーヒーを二つ頼んだ。

「……羽多野、子供、見に来るか? 母親と一緒に」
「……え?」
「泪くんと圭には、母親のことを話した。圭は母親にはまだ会いたくないと言っているが、子供を見るぶんには構わないと言ってたぞ?」

 室長のその言葉に驚いた。まさか、圭がそこまで譲歩するとは思わなかった。母が室長に渡した手紙の内容は気になるけど、でも、圭が子供を見せてもいいと思えるほど、圭に心境の変化があったのがわかるから。

「じゃあ、偶然を装ってこっそり見に行きます。本当は圭が会ってくれるのが一番なんですが……」
「まあな。だが、人は変わる。変わることができる。圭がお前を許したように、お前とお前の母親が変わったように、圭もまた、お前の母親を許すかも知れない。今はまだ許さないかも知れないが、話くらいは聞いてくれるさ。……お前と話したように」
「……え?」
「アイツ、ああ見えて、嫌いなヤツとはろくすっぽ話もしないぞ? 特に、口先だけのヤツが嫌いだ。良い例が日比野と山下だな」

 室長にそう言われて、二人に対する圭の態度を思い出す。話かけられれば、それに対して答えを返す。でも、自分からは話かけることはしていなかった。下手をすると聞いてなかったふりをしている時もあったっけ。特に、下らない話とか。

「口先だけでなく、本当に母親が変わったということをお前が教えてやれ。再び圭と絆を造った、お前にしかできないことだから」
「……はい」

 話し終えたあと、室長と一緒に駐車場まで行ってそこで別れ、僕は急いで家に帰ると室長の話を母に伝えた。

「どうする? 行く?」
「……行かない」

 しばらく考えたあとで呟いたその言葉に驚いて「なんで?」と聞いた。

「確かに、赤ちゃんには会いたい。でも、圭よりも先に赤ちゃんに会ったら、いくら圭が『見るぶんには構わない』と言ってても、それじゃあまるで圭じゃなくて赤ちゃんに会いたいって言ってるみたいじゃないの。葎、あたしはね、圭に会いたいの。会って、謝って、圭が『いいよ』って言ってくれてから赤ちゃんに会いたいの。だから、行かない」

 きっぱりとそう言った母は少し寂しそうに見えたけど、これ以上何を言っても、多分母は動かない。母は意外と頑固だ。だから僕は、圭にその話をするために病院に行った。

「葎、いらっしゃい」
「え? あら! 葎くん、いらっしゃい」
「こんにちは。おめでとうございます」

 そう言って、曾祖母たちに持たされたお祝いを渡す。圭の側には小さい赤ちゃんがいた。眠っているのか、すやすやと寝息をたてていた。唇や眉は圭に似ているけど、全体的な顔立ちはどちらかと言えば泪義兄さんに似ている気がする。

「あら、ありがと♪ んー……アンタ何か、思い詰めてない?」

 泪義兄さんにそう言われて思わず苦笑してしまった。どうやって話そうかと思っていた僕は、思いきって室長の話と母の話を二人にした。

「……は……」
「なに? お圭ちゃん」
「今はまだ、気持ちの整理がつかない」
「うん」
「でも、赤ちゃんより先に私に会いたい、って言ってくれたことが、嬉しい」
「圭……」

 泪義兄さんが圭の側に行き、圭の手を握る。

「今はまだ無理だけど……ちゃんと気持ちの整理がついたら、三人でひいおばあちゃんちに行くか……きゃっ!」
「圭!」
「ちょっと!」

 圭の言葉が嬉しくて思わず圭に抱き付くと、泪義兄さんに怒られた。けど、気にならない。

「待ってるから」
「……うん」

 全く、お人好しなんだからと苦笑混じりに言った泪義兄さんも、「ちゃんと連れて行くから」と言ってくれた。

 いろいろ話をしたあとで圭と泪義兄さんと赤ちゃん三人一緒の写真を撮り、病院を出たところで室長とばったり会ったので、室長に母の話と圭の話をすると、「そうか」と言ったあとで別れた。
 ……ニヤニヤ笑いながら僕の頭をぐしゃぐしゃにして。


 ――その年の暮れ。


 圭は泊まりがけで曾祖母の家に来た。約束通り、泪義兄さんと娘(僕にとっては姪)を連れて。最初はギクシャクしながらも、圭はちゃんと母の話を聞いていた。
 ……母もやっぱり、圭に僕と同じようにあの仕草をされたあとで頬っぺたを叩かれていたけどね。

 そのあとで圭の娘を抱かせてもらった母は、嬉し泣きをしながら、圭とゆっくり話をしていた。




 < 葎視点 了 >


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