出戻り巫女の日常

饕餮

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ボルダード編

 閑話 愚かさの代償

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 薄暗い地下牢の床に座りながらぼんやりと考える。

 神様の言う通りにしたのに、どうしてこうなったの? 最近まで聞こえていた神様の声が気付いた時には聞こえなくなっていたし、今も全然聞こえない。

 いつから聞こえなくなっていたんだろう……?

 それに気付いたのは、王太子妃を訪ねて来たアストリッド王妃の言葉と、王様の態度と言葉だった。それまではずっと、恋したあの人に似た人を見つめていたのだ。


 あたしは元々この国の平民だった。両親は商人で、それなりに大きな商家だった。ある日我が家に強盗が入り、私を含めた全員が殺された。
 もっと生きたかった。恋をして、両親みたいな幸せな家庭を築き上げたかった。そんな声が届いたのか、神様と名乗る人が私に話しかけた。

『もっと生きたいかい? うってつけの身体があるんだけど、それでいいなら生き返らせてあげるよ』

 そう言った神様に、あたしはすぐに頷いた。連れて行かれたのは遠くからしか見たことがないこの国のお城で、お城の中にあるとある部屋だった。見下ろした先には、ベッドの上で苦しそうに息をしている、あたしと同じ歳くらいの女性がいた。

『彼女はこの国の側室でね、先ほど出された珍しいお茶を飲んでああなったんだ。毒が入っていたわけではないよ? 単にお茶が彼女の体質に合っていなかっただけ。それを彼女も、彼女の両親も、侍女ですらも知らなかったんだ――初めて輸入された、本当に珍しいお茶だったから』

 ほら、と指差した先には、彼女の身体があった。さっきまで苦しんでいたのに、今はピクリとも動かなかった。

『この身体でいいなら、君はまた生きられるよ。幸せになりたいなら手伝ってあげるし、ボクの言う通りにすれば幸せになれるよ』

 どうする? と聞かれて頷いた直後、気付いた時には上から見下ろしていた身体の中に入っていた。ベッドから降りて鏡を見れば、鏡の中には見知らぬ女性の顔があった。そばかすだらけのあたしの顔じゃなく、白くてすべすべの肌の顔が。神様が教えてくれたこの身体の女性の名前はロシェルと言った。奇しくもあたしと同じ名前だった。

 生きられることを喜んでいたら、神様が黒い水晶玉をくれた。

『君との連絡手段だよ』

 あたしに水晶玉をくれた神様は『またね』と言って消えてしまった。そしてその翌日から神様の言う通りに行動したら、本当に幸せになった。
 贅沢な暮らし、沢山の綺麗なドレス、街にはいない整った顔立ちの男性が沢山いていっぱい話しかけたけど、『ロシェル様は変わってしまわれた』と言われてしまった。

 変わったって何? あたしはずっとあたしのままだわ!

 そんなあたしを愛してくれる人はいなかったし、王様や他の人、騎士様にまで距離を置かれてしまって寂しかった。

 そんな時に城の中庭で見たのは、黒髪に薄紫色の瞳を持った、綺麗な顔をした男性だった。隣には赤ん坊を抱いた女性がいて、柔らかな笑顔で赤ん坊を見てた。そんな女性を、男性は慈しむような顔で見てた。
 そんな彼に、あたしは恋をした。その目を、あたしだけに向けて欲しいと願った。

 叶えてやろうと言ったのは神様だった。

『君が寝ている間に終わらせておいてあげるから』

 神様はあたしが眠っている間に全部やってくれたみたいだった。起きたらあの人と恋が出来る……そう思って目覚めたら、あたしは剣を持っていてあの女性を切り刻んでいた。

『何で……どうして……っ!』
『君が望んだことだろう? 他国の王族の妻を排除するんだから、幽閉じゃなく殺すしかないじゃないか』
『他国の……王族の、妻……?! あの人はこの国の人じゃないの?!』
『おや、聞いてなかったのかい? 帝国の皇弟殿下とその妻と子だと、この国の王様が言っていたじゃないか』

 クスクスと笑った神様に、あたしの身体は震えた。
 この国の人だと思ってた。帝国の皇族だなんて知らなかった。今更謝っても取り返しなんてつかないし、後悔しても遅い。

 お城に帰ったらすぐに騎士に捕まって、そこにある塔に幽閉された。その後すぐに帝国と戦争になって負けたって聞いた。

『そなたのせいで我が国は……!』
『たかが伯爵家の令嬢風情が、何と身の程知らずな!』
『以前は素敵な方でしたのに、今は平民のようですわ』

 幽閉された塔の窓から聞こえるのは、あたしを責める言葉だけだった。それも何年も何年も、ずっとその声が聞こえた。

『商人達が大量に魔導石を仕入れて来たそうだ』
『有難いことだね。今は他国との取引もままならないからな……』
『そうですな。それもこれもあの女のせいで……!』

 そんなの知らない! あたしのせいじゃない!

 そう叫んでも、食事を運んで来る人以外誰も来ないこの塔で、あたしの声を聞く人は誰もいなかった。

 あたしはもっと生きたかった。素敵な恋をして幸せになりたかった。そう望んだらいけないの?

 どうしたら幸せになれるの?

 そう望んだ時だった。いつの間にか無くしてしまった神様との通信手段だった水晶がなかったのに……ずっと神様の声が聞こえなかったのに、いきなり『ここから出たい?』と声が聞こえて来たのは。

『出たいに決まってるでしょ?!』
『じゃあ出してあげる。ついでに、この城にいる人間の全てが君の言う事を聞くようにしてあげるよ』

 優しくそう言った神様に頷くと、何をしたのかは判らないけど神様はすぐにそれを実行した。
 それでも言う事を聞かない人もいた。それが王太子と王太子妃と王太子妃付きの騎士だった。あの三人には何故か神様の術みたいなやつが効かなかったし、二人がいる部屋にいる間は何故か神様の術が効かなかった。
 それに気付いた神様が言うことを聞く騎士数人に命令して騎士と王太子を襲い、王太子妃を含めた三人を、あたしが殺してしまった女性を閉じ込めていた森の中にある塔へと連れて行った。もちろん、偽物の王太子を仕立てたのも神様だ。

 だから、アストリッド王妃がお城に来たのは驚いた。まさか王太子妃がお友達だとは思わなかったし、王太子妃が最高位の巫女だなんて知らなかった。そして、あの人に良く似た人を見つめていたら、氷のように冷たい目で見られて怖くて体が震えた。

『知っているかな? 妻の祖国では貴様が『魔女』と呼ばれていたことを。貴様が彼の国に病を撒き散らしたと噂になっていることを。その姿を見た者がいて、お尋ね者として姿絵が出回っていたことを』

 冷たい……心の底まで凍えるほどの冷たい声だった。

『アイリーンさえいなければ私が貴様に靡くと思っていたようだが、それはないと断言出来る。まさか、自分の妻を殺した人間を、いつか愛するようになってくれると本気で思っていたのか? 妻子がいる男に言い寄る愚か者は、我が帝国には存在しないうえ、露呈した場合は処罰は免れん!』

 体ごと凍るような、冷たく憎しみのこもった目と声だった。

 お前は自分の幸せの為に他人を不幸にした、と言われたも同然だった。それだけは絶対にしてはいけないと親に言われていたのに。生き返ったことにはしゃいでいたあたしは、それを忘れていた……やっちゃいけないことだったのに……!

 だからこそ思い出した……幽閉されている時に聞いたことを。

『セレーノで病が流行っているそうですな』
『わたくしもお聞きしましたわ。何でも、あの女にそっくりな人物が怨嗟の声をあげながらさ迷っているとか』
『ああ、【体は何処だ、体を返せ】と言っているらしいですな』
『私が聞いたのは、あの女にそっくりな人物が、治療と称して病を撒き散らしていると』
『犯人探しのためにその姿絵も出回っているそうじゃないか』
『まあ……。では、あの女が【魔女】と呼ばれているという噂をご存知?』

 外から漏れ聞こえる沢山のその言葉に、その時は何の冗談だと思った。あたしはここに閉じ込められてるのにって。そんなこと出来るわけないでしょって。体を返せってことは、死んでしまったあの人のことなのかなと思ったら、理由もなく身体が震えてしまった。……今さら思い出しても遅いけど。


 ふと足音が聞こえて顔をあげると騎士が二人いた。牢屋の鍵が外され、中に入って来た冷たい目をした騎士に「飲め」と言われて渡されたのは、小瓶に入った青い液体。

「ごめん、なさい……」

 あたしのせいだ。我儘を言ったせいで、幸せになれる筈だった人が、幸せだった人の人生が、「生きたい」と願ったために不幸にした。
 もう一度「ごめんなさい」と小さく呟いて、渡された小瓶の液体を飲み干すと、口の中にお菓子みたいな甘さが広がる。空いた小瓶を騎士に渡すと、騎士は牢屋から出てまた鍵をかけるとそのまま歩いて行ってしまった。その数瞬後には熱を出したみたいに身体中が熱くなり、いきなり胸が苦しくなって咳き込んだ。

「ごほっ……っ、ぐうっ……、かはっ、あああっ!」

 競り上がったものを吐き出せば、それはどす黒い色をした血だった。その後に身体全体に広がった痛みがあたしを苦しめる。何度血を吐いても、何度床を転げ回っても、全身の熱さと痛みは引かなくて。

「お、とう、さん……おか、あ、さん……」

 何度目か判らない血を吐き出した後、そう呟いて目を閉じる。痛いよ、熱いよ、苦しいよ、お父さん、お母さん……。


 ご め ん な さ い ……


 息苦しい中そう胸の内での呟きを最後に、あたしの記憶は途絶えた。


 ***


 今や大人の女性の体となった……かつて少女だった魂を一度両手包むとその手を開く。

『神に翻弄された娘、ロシェル。次の生でも辛く、苦しみ、短い生となることになるでしょう。けれどその試練を受け入れて生を全うすれば、その次の生では幸せになれるでしょう。それまで頑張れますか?』

 小さく瞬いた魂はふわふわと動く。

『そうですか……。では行きなさい』

 ふわふわと動いた魂は、そのまま光に溶けるように消える。優しい眼差しでそれを見送ったフローレンは、丸い檻に囚われている男神を厳しい目で見つめる。檻の右側には父神である世界の理が、左側には妹神の月姫が同じように厳しい目を檻に向けていた。

『魂の願いを聞いてはならぬと言った筈だな、ナダル……神と言えども、やってはならぬことがあると』
『……っ』
『沢山の人間の運命を歪め、二つの国を滅ぼし、死ぬ筈のなかった人間の命を奪ったのだ……その役目さえも歪めて』
『そうね。貴方が何もしなければ、あの体のロシェルはそのまま息を吹き替えし生き長らえました。そして、皇弟の姫君であるリーチェも最高位の巫女になることはなかった』
『そして、姫君の生まれ変わりをこの世界に呼ぶこともな』

 世界の理が、月姫が、死者の魂を管理する弟神のナダルに冷たく言い募る。世界の理が手を振ると、そこには本来あるべきだった世界……成長したリーチェが月姫の巫女として目覚め、伯父である皇帝に神託を授ける未来が、フーリッシュが最高位の巫女として目覚めユースレス王に嫁ぐ未来が、シュタール王がアストリッドを大事にし、その子が王と宰相になる未来が、レーテがセレーノに嫁ぐ未来が次々と写し出されては消える。

『う、あ……』
『時の神がいたとて、最早後戻りは出来ぬ。……全ての魂が元々の運命になるまで、そしてそなたが心の底から反省するまで、その檻の中で見ているがいい。それまでは力を使うことを禁じ、檻からも出さぬ』
『あああああっ!』

 両手首に嵌まった腕輪と檻がナダル神の力を封じる。どちらも父神が許さぬ限り……魂の全てが本来の運命の流れを全うし、ナダル神が心の底から反省するまで腕輪が外れる事もなければ、檻から出ることも出来ない――そう悟ったナダルが力なくその場にくずおれると、三人の神はその場から消えた。


 ほんの少しの好奇心だった。いつも以上に魂の叫びが聞こえ、その声に答えただけだった。魂の叫びを受け入れると、その魂が関わった人間と、関わった人間の周囲すらも影響を及ぼし、数多の人間が死する事になると言われていたのに。


 ――好奇心が沢山の人の運命を歪め、沢山の人を、国を殺した……。


 ナダルは暫し呆然とし……自分の仕出かしたことに後悔し、涙した。

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