出戻り巫女の日常

饕餮

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シュタール編

王宮までは馬車で三時間ほどですわ

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 揺れる馬車の中、眠るアストの侍女を見ながらそういえば、と思い出す。

「そういえばアスト、デューカスさんの屋敷に来るとき、馬車の中でこの人に襲われなかったの?」
「大丈夫でしたわ。わたくしとミリアの他に、アルブレク家の侍女がおりましたもの。イプセンが気を利かせてくれたようで、『お待ちかねの方が来たようです』とわたくしを呼びに来て下さったのですわ」
「は? どういうこと? 呼びに行ったとしても、アストが来たのって凄く早かったよね?」
「それは、わたくしが今いる離宮は、アルブレク家の隣――と言っても別邸ですけれど――にありますもの。馬車でしたら、ほんの一分ほどですわ」

 コロコロと笑うアストに頭を抱えるが、アストには何の悪気もない。そもそも、馬車でたった一分なら馬車に乗る必要はないんじゃと思うものの、まがりなりにもアストはこの国の王妃である。私のような庶民みたいに、徒歩で「ちょっと隣の家まで」とは行かないんだろう。
 例えもう一人の侍女さんがいなかったとしてもアストは簡単に殺られるような性格はしてないし、揉み合っているうちにデューカスの家についてしまえば自分のしたことがばれ、そこからお嬢様もお縄についてしまうといった感じだろう。
 それにしてもイプセンめ。あの時困った顔をしていたくせに。あれは演技だったのか? くそー、とんだタヌキ親父だ。あれか? ラーディ同様、上級神官は皆タヌキ親父なのか?

「でも、何でデューカスさんの家の隣に離宮があるの?」
「それは、王妃の護衛騎士をアルブレク家が代々勤めているからなのですって。現に、王太后様の護衛騎士は、デューカスの父君の弟君――叔父様だと聞いておりますわ」
「そりゃまた……」

 凄いですね、デューカスさん。サラブレッドでしたか。

「あと、王宮ってどれくらいで着くの? 三日くらい?」

 物語の中の離宮といえば大抵離れている。馬車なら最短で三日、最長で一週間とかだろうか。アストやデューカスがいるとは言え――素人暗殺者の侍女も――、やっと旅らしい旅が出来ると内心喜んでいたのだが。

「王宮までは馬車で三時間ほどですわ」
「近っ! なんでそんなに近いのよ?!」
「なんでも、先々代の王……陛下のお祖父様にあたる方ですけれど、その方がよく王妃様と喧嘩をされていたそうですの。でも、お互いにすぐに会いたくなってしまって、王妃様も離宮につく前に引き返していたんだそうですわ」
「……」
「離宮は元々馬車で五日ほどの場所にあったそうなんですけれど、あまりにも頻繁に喧嘩され、あまりにも短時間で会いたくなるものですから、『それならば王宮がある場所に離宮を作り、離宮を作るのであればアルブレク家の隣なら警護も万全なのでは』ということで、こちらに作ったのだそうですわ。もちろん元々の離宮も残っておりますのよ? 今は王室の方々の避暑地となっておりますの。わたくしも二度ほど連れて行っていただきましたけれど、本当に素敵な場所ですの」

 その場所を思い出しているのか、アストは目をキラキラさせながら柔らかい笑顔を浮かべている。そんなアストを見ていると、何というか……どんなコメントを返せばいいのか、どんなリアクションを返せばいいのかと困ってしまう。そう、突っ込みどころ満載で。脱力しつつも、そういえば王子が二人いると言っていたことを思い出す。

「子供二人はどうしてるの?」
「王宮にいますわ。連れて来たかったのですけれど、陛下に止められてしまいましたの。仕方なく、二人の乳母に任せて来ましたけれど」

 離れ難かったのか、子供たちを思い出すようにアストが溜息を溢す。でもさ、アストがそのお嬢様に狙われている以上、ちょっとヤバくないか?

「それって危なくない?」
「どうしてですの?」

 不思議そうに返すアストに、もうちょい危機感持とうよと内心溜息をつく。

「そんなことはないと思うけど、もし二人のうちの一人、或いは二人ともがそのお嬢様の息のかかった人とか買収された人だったら? 次代の王を産んだアストを殺そうとしたくらいだもの、その王子を殺してアストを殺した後、自分が王妃に収まったら自分の子供を王にしたいって思わないかな? 杞憂ならそれでいいけど、もしもってことがあるでしょう?」
「あ!」
「王様がそれを許すとは思えないけど、念のためちょっと急いだ方がいいかも」
「わかりましたわ。デューカス、デューカス!」

 窓を少し開けてデューカスを呼ぶアスト。指示を出しているアストの声を聞きながら、うーん、と考える。王様と名のつくものはバカばっかなんだろうか。それとも、恋は盲目とかなんだろうか。或いはお嬢様がバカとか?
 王様に関しては、愛がないとはいえ自分の子供を産んでくれたアストを蔑ろにしたりとか、後継ぎの王子を殺したりとかしないと思う。何せアストは最高位の巫女だ。無知なユースレスのバカ王と違い、側室にその事実を伝えていることからアストや王子を殺すことはないだろう、と思う。
 アストの話を聞く限り、王様にそれなりに大事にしてもらっていることは何となく判る。問題はお嬢様だ。ある意味話に聞くフーリッシュに似ていて、限りなく頭痛がする。

「アスト、王宮内にいる神殿関係者の階級って、何級以上か知ってる?」
「わたくしが嫁ぐ前は初級前後の方しかおりませんでしたけれど、わたくしが嫁いでからは、中級以上の方で揃えたとお聞きしましたわ」
「なら、彼らには『滅びの繭』が見えている筈よね? お嬢様周辺の神殿関係者で、お嬢様から離れて行った人とかいる?」
「そうですわね……五人ほどおられた筈ですが。そういえば、わたくしが狙われるようになってから、ベアトリーチェ様の周辺で見かけなくなりましたわね」
「ということは、ユースレスの神殿関係者と違って彼らにはちゃんと力もあって、『滅びの繭』も見えているってことね」

 全員が全員アストの味方とは言えないだろうが、『滅びの繭』が見えているってことは、中には王様に進言している人もいるだろう。ただ、『滅びの繭』が目に見えない人にとっては、戯れ言として笑い飛ばしてそうだけど。

「んー……だったら、見えるようにすればいいだけね」
「見える? 何をですの?」
「『滅びの繭』。アストにも具現化出来るでしょう?」
「え、『滅びの繭』の具現化?! わたくしにもレーテにも、そのような事は出来ませんわ!」
「…………え″」

 なんですと? 『滅びの繭』の具現化が出来ないですと?! それは困った。
 ジェイドは私が『滅びの繭』を具現化した、と言った気がする。私も何となくそれを覚えている。これはあれか? 私の最高位の巫女の力が世界の理によって与えられたから、具現化出来るってことか? うわあ、本当にチートっぽい能力だよ。なんて厄介な。ホント、そんな能力いらないよ、うん。

「うう……それは私がやるしかないのか……」
「シェイラ?」
「ごめん、今は話せない。王宮に行ったら判るから、それまでのお楽しみってことで勘弁して」

 疲れたように話す私に首を傾げながらも、アストは「判りましたわ」と頷いてくれた。その後アストは何かを考えているのか、或いは息子の身を案じているのか、膝に乗せた手をギュッと握り締めている。
 それを見ながら、私がやらなければならないこと、やるかも知れないことを考える。

 一つ、女神の託宣をする。
 一つ、『滅びの繭』を具現化する。

 どちらもアストに関係していて、尚且つ最高位の巫女に関わることだから仕方ない。

 一つ、お嬢様を王様の前に引き摺り出す。

 これは多分大丈夫だろう。さっきアストがデューカスに「わたくしの帰還と、異国の巫女をお連れするからと先触れを出すように」と言っていたし、王様のことだから「異国の巫女を見せよう」とか何とか言って連れて来るに違いない。

 一つ、お嬢様と王様の前で、侍女にお嬢様がしたことを話させる。

 これも大丈夫。聖獣であるカムイがいる上、デューカスやイプセンがフェンリルを知っていた事から、恐らくこの国でも聖獣は大事にされていると思う。何せカムイは肉声で話せる。これまで見聞きしたラーディ達やデューカスの態度から、肉声で話せるフェンリルはいないと思うし、話せてもかなり格の高い、或いは最高位のフェンリルだけのような気がする。……カムイに聞きづらいから、確かめる術はないが。
 それに、侍女に話をさせるのがカムイだから、問題ないだろう。侍女の話にあやかって他の人からも証言が取れればラッキー、と言ったところか。

 一番の問題は、王子達のことだ。もし命の危険に晒されていた場合、すぐに助けなければならない。何せ一人は多分赤子だ。あのおじさんと違って体力なんかないから、下手すれば二人同時に癒しをかけなければならない。
 託宣をし、『滅びの繭』を具現化させた後で、補給も休憩もせず何処まで癒せるのか不安だ。休む暇もなく食べ続けるしかないか、或いは自分の命を危険に晒すか。
 アストの子供を助けられるならば、命の危険を晒すことも厭わないと覚悟を決め、今のうちに少しでも回復に勤めようとアストに食べ物がないかと聞けば、ないと言われてしまった。どうしようかと思っているとアストがデューカスに相談したらしく、デューカスが一旦馬車を止めて私に何かを寄越した。それを見ると、なんと私のリュックだった。

「カムイ様に、これを持って行くように言われましたので」
「うわあ! デューカスさん、カムイ、ありがとう!」
「いいえ」
『構わん』

 お礼を言うと、デューカスは馬車の扉を閉めて馬車をまた走り出させる。機嫌よくリュックの中身を漁る私に、アストは不思議そうな顔を向ける。

「シェイラ、それはなんですの?」
「私の世界の鞄の一種なの。食料が入ってるのよ。アストも食べる?」

 カカウエテ、ラポーム、干しラクスを見せると、アストは干しラクスが欲しいと言ったのでそれを渡す。

「カムイもラクスを食べる? それともお水がいい?」
『ラクスをもらおう』
「判った」

 食べたがったラクスを前足の上に五個乗せると、カムイはそれを食べ始める。フェンリルがラクスを食べる姿が珍しいのか、アストはポカンとした顔をしていた。

「アスト、内緒だよ?」
「わかりましたわ」

 クスクス笑うアストにホッとする。私もラクスを二つ食べた後でラポームをかじる。ラクスを食べた後は、水を飲みながらカカウエテを食べる。そんなことをしながら話をしているうちに王宮につき、自分でも判るほど巫女の力は満タンになった。

 デューカスに手を支えられながら馬車を降りるアスト。カムイは侍女を起こし、アストの後をついて行かせる。私もデューカスに手を支えられながら馬車を降り、カムイもその後を追いかけるように降りて来たが、私の横に張り付くようにぴったり並んで歩く。
 先触れを出した効果なのか出迎えと護衛が両脇に並び、私の前を歩くアストに礼を取っているが私の巫女装束姿とカムイの大きさに驚いているのか、礼をしながら物珍しそうにチラチラと見ている。その場にいた神殿関係者らしき人達は私の内包する巫女の力がわかるのか、アストに向けるような眼差しで私を見、最高位の巫女にする最上の礼を持って出迎えくれた。この分なら神殿関係者にアストの敵はいないだろう。

 正面を見れば、金髪碧眼でアストより少し年上の柔らかい笑顔を浮かべた威厳がある男性と、一歩下がった場所に黒髪碧眼の中年男性がいる。若い方が王様、中年男性が宰相、と言ったところか。
 若い男性の横を見ると、服も髪の色もわからないほど『滅びの繭』をくっつけている女性がいた。まるで『滅びの繭』の着ぐるみを着ているみたいだった。なるほど、こいつが例のお嬢様かとは思うものの、まるで自分が王妃だと謂わんばかりに王様らしき人の真横に並んでいる。そのことに一瞬眉をしかめつつも、敢えて何も言わないでそのお嬢様を見ていると、アストと侍女を忌々しげに見ていた。

(分を弁えた行いをしない、我儘なお嬢様って感じか)

 言葉を発する許可がおりたら、真っ先に嫌味でも言ってやるかと決め、今か今かとその時を待った。


 ――さあ、戦闘開始だよ、お嬢様。あんたが誰を怒らせたのか、じっくりその身に刻んでもらいましょうか。


 背中がチリチリする。女神の託宣が、今正に降りようとしていた。


 ***


 シェイラは不思議な方です。確かにリーチェの記憶がありますし、わたくしやレーテとの会話や思い出を覚えていました。それは凄く嬉しいのです。
 けれど、性格はリーチェと反対のようでそれが少し寂しくもありますけれど、でもわたくしは今のリーチェの方が……いえ、シェイラの方が好きですわ。何だか、お姉様みたいで親しみが湧きましたの。
 馬車の中で年齢をお聞きしますと、二十六と仰いました。その外見から見た限り、わたくしと同じかわたくしよりも一つか二つ上だと思っておりましたのに、わたくしよりも六つも上でしたのは驚きでしたわ。

 わたくしが神殿に連れて来られた時、わたくしは七つでした。同時に来たレーテも同じ年。けれど、リーチェはわたくしが来た時には既に神殿にいて、わたくしについてくれた神官によれば、リーチェは赤子の時神殿に捨てられていたのだと仰っておりました。
 わたくしもレーテも、両親や兄弟姉妹や世間の常識を少しは知っておりますわ。けれどリーチェは、両親も世間の常識すらも、何も知らないようでした。それが哀れで可哀想だと思ったことを思い出します。
 けれど、シェイラは違う。きっと、あちらの世界のではありますけれどご両親がいて常識も知っている……そんな気がするのです。

 見たことがないほど大きくて気高いフェンリル。そのフェンリルと一緒に旅がしたいのだと仰ったシェイラ。ラーディ様やジェイランディア様はどうしたのかと問えば、困ったように笑顔を浮かべておりました。今頃、彼らは心配しているに違いありませんのに。

 でも、シェイラを? リーチェを?

 そう思った時、少しだけ胸が痛んだのです。もしかしたらシェイラを拒絶したから、フェンリルと旅をすることを決めたかも知れないと思い至ったからです。

 それでも、と思います。何もかも終わったらシェイラがわたくしの側にいることを、ラーディ様にお伝えして差し上げよう、と。

 もちろんわたくしは、誰が何と言おうとシェイラについて行くつもりでいますの。どんな託宣が降りるのか今はまだわかりません。ですが、許されるのならば、二人の子供とデューカス、イプセンを連れてシェイラの旅に同行したいのです。

 ねえ、シェイラ。いつか、貴女の本当の名前を呼んでいいかしら。それとも、然り気無く呼んだら、喜んでくれるかしら。
 貴女は、わたくしが本当の名前を呼べないだろうからと言ったけれど、どういうわけか、わたくしは貴女の本当の名前を言えるみたいですわ。どうせ話をするのであれば、現在のような堅苦しい言葉ではなく、神殿にいた時のような言葉で話したいの。

「サクラ、わたくしのお友達になって下さらないかしら」

 フェンリルと話しているのか、馬車の中でのわたくしの小さな呟きは聞こえておりません。いつかきちんと、そう言いたいですわ。

 わたくしの小さな呟きが聞こえたのか、フェンリルはわたくしの顔をじっと見つめた後で、嬉しそうに目を細めてわたくしの足に前足を乗せ、わたくしにだけわかるような念話を送って来て下さいました。

『大丈夫だ。桜は絶対に喜ぶ。事が終わったら、そう言えばいい』

 わたくしの足を、前足を使って慰めるように、応援するように器用に叩くと、フェンリルはまた目を閉じました。



 馬車から降り、すう、と息を吸って顔を上げますと、わたくしの正面には陛下と宰相のルガト、『滅びの繭』を纏ったベアトリーチェが見えました。ベアトリーチェは心無しか青ざめ、わたくしとミリアを睨んでいるようです。わたくしとて、最高位の巫女のはしくれ。巫女時代、何度も危ない目に合いましたからあの程度では怯みませんし、現在のわたくしは王妃です。

 わたくしの後ろで、フローレン様の神気が徐々に上がって行くのがわかります。然り気無く視線をさ迷わせると、上級神官はそれがわかるようで女神降臨の兆しに慌てているようでした。

 わたくしのために怒ってくれたシェイラ。そのシェイラがわたくしの背後で、女神の神気を纏いながらも怒気を発していることが感じられます。シェイラが何をするのか気になりますが、シェイラなら何とかしてくれる……そんな気分に浸りながら、笑顔を浮かべて陛下の元へと歩きだしました。

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