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対面
しおりを挟む 私はとても妻を愛していた。番相手を求めて中央へと赴き、初めて妻と出会った瞬間、私は妻と番うのだとなんの根拠もなく確信していた。それは向こうも同じだったようで私達はつつがなく結婚した。
結婚生活は穏やかで幸せなひと時であった、いずれ別れが来ると頭の中では理解していても、そんな時は訪れないのだと、私のおめでたい脳は勝手にその事実を封印した。そして訪れた運命の時、私の心は妻の死と共に死んだのだ。
妻との間には一人息子シロウが生まれ、可愛くない訳ではなかったが子供は子供で妻ではない、誰も妻の代わりにはなれない。それでも息子の一挙手一投足は妻の面影を映し出し、私は息子との二人暮らしが辛くなった。私はだから逃げ出したのだ。愛した家も家族も捨てて、妻との思い出だけを抱えて私は家から逃げ出した。
逃げ出した先は魔大陸イグシード。私が所属したガレリア調査団は魔物の発生を食い止めるために、魔物がどのように生まれてくるのか、そしてそれはどんな場所で起こるのかを調査して回っていた。
初めは世界中の色々な場所を回っていたのだが、行きついた先がイグシードの東の端に存在するシルス遺跡、そしてその調査が始まったのがおよそ二十年前、そこに大賢者クロームはやって来た。
「へぇ、シルス遺跡ってどんな所かと思っていたけど、意外と普通の廃墟だねぇ」
大柄でいかにも優男なユキヒョウ、最初はなんだこいつは? と思ったのだが、それが大賢者と呼ばれる人物だと紹介されて大賢者はこんなに若いのか? と驚きを隠せなかった。
その時のクロームの外見年齢は自分と大差がないどころか年下のようにも見えたのだ、だがそれは見た目だけで、実年齢は私の三倍近いのだと知った時には本当に驚いた。
大賢者といえばこの世界を3つに分けて守護しているはずのとても偉い雲の上の存在だと思っていたのに、目の前に現れたクロームはどこ吹く風で何故か私達と共にいた。
「だぁって、大賢者の仕事って書類読んでハンコ押すだけの仕事だよ、そんなの誰がやっても同じだろ? 僕、そういうの好きじゃないんだよねぇ」
そう言って彼は私達の調査について来た。元々何故彼がガレリア調査団の前に現れたのかと言えば、彼が守護を任されているここイグシード大陸の調査をしている私達に対する視察であったはずなのだ、なのに彼はそれが面白そうだと判断すると、まるで調査団の一員になったかのように、すっと私達の中に入って来た。それこそ、末端の者は彼が大賢者である事に気付かなかったくらい、彼は自然に私達の中へと入り込んできたのだ。
正直何故彼がこんな行動を起こすのか最初は分らなかったのだが、そんな疑問はすぐに解けた。彼は好奇心旺盛で、興味の向くことにしか興味を示さないそれは厄介な性格の持ち主だったのだ。
如何せん魔術師としては超が付くほど優秀で、その変わり者な性格をなんとなく周りが許容してしまった成果が今の彼を形成しており、その頃には優秀なのだが中身は子供という非常に扱いに困る大賢者を生み出してしまっていたのだ。
最初の頃はそれこそ相手は大賢者様だとこちらも丁重に扱っていたが、繰り返される彼の身勝手な行動にいつしか私はそんな彼に対する敬いの心を捨てた。ここは少しでも輪を乱せば命を落とす魔物の遺跡、そんな場所で自由気ままに行動している彼は調査をする上では邪魔者以外の何者でもなく、けれど相手は大賢者様だ、誰もそんな彼を諫める事ができなくて、そんな彼を私が叱責するたび何故かクロームには懐かれ、周りも私に彼を押し付け始めた。
「ねぇ、ジロウこれ見て~」
彼が持って来るモノはいつでも奇妙な物ばかり。最初はその辺のガラクタだったり、魔物の死骸の欠片だったりしたのだが、ある時彼は奇妙な生き物を私の前へと連れて来た。
「こんな場所に赤ん坊を連れて来るとは非常識極まりない、返してこい!」
彼がその日小脇に抱えて私の元に連れてきたそれは、真っ黒な猫の赤ん坊だった。
「えぇ? いいの? 戻して来いって言われるなら、この子遺跡の中に戻してこないといけないよ?」
「ん? どういう事だ?」
その生き物はぱっと見、獣人の赤ん坊にしか見えなかったのだ。ただ、そのサイズは非常に小さく、まさに生まれたての赤ん坊。こんな危険な場所に連れてくるのは非常識としか思えない私はクロームの言葉に耳を疑った。
「だから、僕はこの子を遺跡の中で見つけたんだって言ってるんだよ。元の場所に戻して来いって言うのなら、僕は魔物の巣窟にこの子を戻さなけりゃならないんだ。ジロウはそんな非道なことを僕にしろって言うの?」
「そんな馬鹿な事があるか。遺跡の中は調査団以外立ち入り禁止だぞ」
「そんな事は僕だって分かってるよ、だけどこの子は自分の足で遺跡の奥から出てきたんだ」
クロームの腕の中の赤ん坊は甘えたように「な~ん」と鳴く。最初はクロームが嘘でも吐いているのかと思ったのだが、そんな意味もない嘘を吐いてもクロームには何の益もない。私はそんな彼の言葉を信じられなかったのだが、そんなに言うのなら「その子は自分で面倒見ろ」と彼に告げると彼は嬉々としてその子猫を飼い始めた。
獣人の子供の成長は早い。まるで生まれたての赤ん坊に見えたその黒猫の子はすぐに育つと思われたのだが、一か月経っても二か月経っても何の変化も見られなかった。
「大きくならないな……」
「だねぇ、僕が思うにこの子、これで成体なんじゃないかと思うんだよね」
クロームの部屋で密かに暮らし始めた子猫は元気に部屋中を跳ね回っている。
「これで成体? 二足で歩きも喋りもしないのにか?」
「遺跡の中で見つけた子だよ、普通の獣人の子だとは考えにくい。僕も色々考えたんだよ、もしかしたら遺跡の中に人身御供的に捨てられたのか? とか、産んだはいいけど育てられなくて置いて行かれたのか、とか。この子は一切喋らないし、少し知能が遅れているのかもしれないとも思ったんだけど、知能が遅れていたとしても体は普通に成長するはずで、こんな赤ん坊サイズのままで止まっているのもおかしな話だろ? だとしたら、この子はもうこれ以上成長の余地のない成体なのかもしれないな、ってそう思ったんだけど」
「だが、こんな赤ん坊のような姿で成体と言われても……」
「だけど、この子自分で狩りはできるんだよ。見てて」
そう言って、クロームが掌を合わせてそれをそっと広げると、その掌からは小さな何かが飛び出してきた。それを見た子猫は目を輝かせてそれに飛びつき、得意気にこちら見やるのだ。その小さな何かは魔術で作り出された物だったのだろう、そのうちふいっと消えてしまい、それが何故なのか分からないのだろう黒猫はやかましいほど「なーなー」と鳴き喚いた。
「今のは僕の作り出した標的だけど、この子は小さな魔物を自分で狩って食べるんだ。そうやってたぶんここで暮らしていたんだと思う」
「こんな小さな子猫がか?」
「俄かには信じられないけど……」
「もしかして、こいつ新手の魔物なんじゃないか?」
私がそのうなじを掴み持ち上げ子猫の瞳を覗き込むと、子猫は一丁前に威嚇するように牙を剥いた。
「そういう持ち上げ方止めてくれる? ジロウは子育て経験あるって聞いてたけど、子供の扱い酷くない?」
そう言って、クロームは私の手の中からソレを奪っていったのだが、ソレが獣人の子供ではないと言うのなら、ソレは得体の知れない化け物でしかない。
「それにこの子は魔物じゃないよ、身体のどこにも核がない。この子は僕達と同じ生き物、だけど、違う。新種の生き物なのかもしれない!」
「新種の……?」
「僕はこの子の生態をもっと調べてみようと思うんだ」
きらきらとした瞳のクローム。興味は遺跡から完全にその子猫にシフトした。とはいえ子猫が現れたのがここシルス遺跡だった事もあり、クロームはこの遺跡に居座って、日がな一日その子猫と戯れ転がるようにして過ごすようになった。
魔物の巣窟であるはずのこの遺跡が彼らにとってはただの広大な遊び場で、私達が真面目に遺跡調査をしているのが馬鹿らしくなって来た頃、クロームは私の前に一人の『ヒト』を連れて来た。
「ジロウ~! 紹介するよ、この子、ユキちゃん!」
「…………何度言えば分かる? ここは魔物の巣窟だ、むやみに一般人を連れ込むな」
「僕が連れ込んだんじゃないよ、この子が連れて来たんだ」
そう言って、クロームは頭の上に乗せた小さな黒猫を指さした。
「連れて来たって、一体何処から?」
「う~ん? たぶん遺跡の奥から?」
ユキチャンと紹介されたその『ヒト』はどこか少しおどおどと周りを見回して、クロームの服の端をきゅっと掴んだ。
「遺跡の奥にヒトなんかがいる訳ない!」
「だけど、ユキちゃんは遺跡の奥から出て来たんだよ、ね? ユキちゃん」
クロームの後ろに隠れるようにしていたユキチャンは、びくりと顔を上げて、何事か喋ったのだが、私にはその言葉がいまいち理解できない。唯一「クローム」という名を呼んだ事だけは理解できたのだが、話している言葉が私達と違うのだ。
「クローム、ユキチャンは一体何を話している?」
「え? それは僕にも分からないよ! ユキちゃんの話す言葉は難解で、僕もまだほとんど理解できてない」
なん、だと……!? 何故それで名前が分かった? こいつは一体何者だ?
クロームは身振り手振りで何とかそのユキチャンと意思の疎通を図っているようなのだが、そのユキチャンが何故遺跡の奥から現れたのか、何故そんな場所にいたのか、そんな事も分からないまま、それは楽しそうにユキチャンを連れ歩くようになったのだ。それは子猫と戯れていた時と同じように最初のうちは遺跡で過ごしていたのだが、次第にクロームとユキチャンの仲は深まり、遺跡に留まらず二人でよく出歩くようになっていった。
しばらくするとクロームはそのユキチャンの話す言語を解読し魔術で自動翻訳ができるようにユキチャンに魔法をかけた。おかげで私もようやくユキチャンと会話ができるようになったのだが、そんなユキチャンの話す話の内容はこの世界ではあり得ない事ばかりで、私は困惑した。
ユキチャンは不思議な魔道具を私達に向けて、興味深そうに何かをしている。それは「写真を撮っている」のだと言われたのだが、その『写真』というものが何か分からない私は大いに戸惑った。だが、ユキチャンが持っていた魔道具には私の姿は映し出されて、こうやって画像でその時あった物事を記録する物なのだと説明された。
「ユキちゃんの住んでいた世界には不思議な物がたくさんあるんだ!」
クロームの興味の矛先はユキチャンからユキチャンが元々住んでいた世界へと移っていった。そう、ユキチャンはこの世界とはどこか違う別の世界から来たのだと私達にそう言ったのだ。そしてその世界はここシルス遺跡のどこかと繋がっているらしい。
「私はこの黒猫に導かれるようにしてここに来たの、どこをどうやって来たのかまでは分らないけれど……」
ユキチャンはそう言って困惑したように首を傾げた。一方でクロームは、私には何も言わなかったのだが、何か悪戯を思いついた子供のようにずっと何か物思いに耽っていた。そして、そんな折にあの事件は起こったのだ。
クロームとユキチャンはこちらの世界と向こうの世界を何度か行き来する事に成功したらしい。
「ジロウにも見せてあげるよ、向こうの世界は本当に不思議なんだよ、なんてったって世界が丸いんだ。世界の果てなんてモノは存在しないし、魔物はいるんだけどこっちの世界みたいに凶悪じゃないのばかり。むしろ向こうの世界は魔物と共存が出来ている。僕達は向こうの世界を見習うべきだと僕は思う。さぁ、行ってみようじゃないか、新しい世界へ……」
結婚生活は穏やかで幸せなひと時であった、いずれ別れが来ると頭の中では理解していても、そんな時は訪れないのだと、私のおめでたい脳は勝手にその事実を封印した。そして訪れた運命の時、私の心は妻の死と共に死んだのだ。
妻との間には一人息子シロウが生まれ、可愛くない訳ではなかったが子供は子供で妻ではない、誰も妻の代わりにはなれない。それでも息子の一挙手一投足は妻の面影を映し出し、私は息子との二人暮らしが辛くなった。私はだから逃げ出したのだ。愛した家も家族も捨てて、妻との思い出だけを抱えて私は家から逃げ出した。
逃げ出した先は魔大陸イグシード。私が所属したガレリア調査団は魔物の発生を食い止めるために、魔物がどのように生まれてくるのか、そしてそれはどんな場所で起こるのかを調査して回っていた。
初めは世界中の色々な場所を回っていたのだが、行きついた先がイグシードの東の端に存在するシルス遺跡、そしてその調査が始まったのがおよそ二十年前、そこに大賢者クロームはやって来た。
「へぇ、シルス遺跡ってどんな所かと思っていたけど、意外と普通の廃墟だねぇ」
大柄でいかにも優男なユキヒョウ、最初はなんだこいつは? と思ったのだが、それが大賢者と呼ばれる人物だと紹介されて大賢者はこんなに若いのか? と驚きを隠せなかった。
その時のクロームの外見年齢は自分と大差がないどころか年下のようにも見えたのだ、だがそれは見た目だけで、実年齢は私の三倍近いのだと知った時には本当に驚いた。
大賢者といえばこの世界を3つに分けて守護しているはずのとても偉い雲の上の存在だと思っていたのに、目の前に現れたクロームはどこ吹く風で何故か私達と共にいた。
「だぁって、大賢者の仕事って書類読んでハンコ押すだけの仕事だよ、そんなの誰がやっても同じだろ? 僕、そういうの好きじゃないんだよねぇ」
そう言って彼は私達の調査について来た。元々何故彼がガレリア調査団の前に現れたのかと言えば、彼が守護を任されているここイグシード大陸の調査をしている私達に対する視察であったはずなのだ、なのに彼はそれが面白そうだと判断すると、まるで調査団の一員になったかのように、すっと私達の中に入って来た。それこそ、末端の者は彼が大賢者である事に気付かなかったくらい、彼は自然に私達の中へと入り込んできたのだ。
正直何故彼がこんな行動を起こすのか最初は分らなかったのだが、そんな疑問はすぐに解けた。彼は好奇心旺盛で、興味の向くことにしか興味を示さないそれは厄介な性格の持ち主だったのだ。
如何せん魔術師としては超が付くほど優秀で、その変わり者な性格をなんとなく周りが許容してしまった成果が今の彼を形成しており、その頃には優秀なのだが中身は子供という非常に扱いに困る大賢者を生み出してしまっていたのだ。
最初の頃はそれこそ相手は大賢者様だとこちらも丁重に扱っていたが、繰り返される彼の身勝手な行動にいつしか私はそんな彼に対する敬いの心を捨てた。ここは少しでも輪を乱せば命を落とす魔物の遺跡、そんな場所で自由気ままに行動している彼は調査をする上では邪魔者以外の何者でもなく、けれど相手は大賢者様だ、誰もそんな彼を諫める事ができなくて、そんな彼を私が叱責するたび何故かクロームには懐かれ、周りも私に彼を押し付け始めた。
「ねぇ、ジロウこれ見て~」
彼が持って来るモノはいつでも奇妙な物ばかり。最初はその辺のガラクタだったり、魔物の死骸の欠片だったりしたのだが、ある時彼は奇妙な生き物を私の前へと連れて来た。
「こんな場所に赤ん坊を連れて来るとは非常識極まりない、返してこい!」
彼がその日小脇に抱えて私の元に連れてきたそれは、真っ黒な猫の赤ん坊だった。
「えぇ? いいの? 戻して来いって言われるなら、この子遺跡の中に戻してこないといけないよ?」
「ん? どういう事だ?」
その生き物はぱっと見、獣人の赤ん坊にしか見えなかったのだ。ただ、そのサイズは非常に小さく、まさに生まれたての赤ん坊。こんな危険な場所に連れてくるのは非常識としか思えない私はクロームの言葉に耳を疑った。
「だから、僕はこの子を遺跡の中で見つけたんだって言ってるんだよ。元の場所に戻して来いって言うのなら、僕は魔物の巣窟にこの子を戻さなけりゃならないんだ。ジロウはそんな非道なことを僕にしろって言うの?」
「そんな馬鹿な事があるか。遺跡の中は調査団以外立ち入り禁止だぞ」
「そんな事は僕だって分かってるよ、だけどこの子は自分の足で遺跡の奥から出てきたんだ」
クロームの腕の中の赤ん坊は甘えたように「な~ん」と鳴く。最初はクロームが嘘でも吐いているのかと思ったのだが、そんな意味もない嘘を吐いてもクロームには何の益もない。私はそんな彼の言葉を信じられなかったのだが、そんなに言うのなら「その子は自分で面倒見ろ」と彼に告げると彼は嬉々としてその子猫を飼い始めた。
獣人の子供の成長は早い。まるで生まれたての赤ん坊に見えたその黒猫の子はすぐに育つと思われたのだが、一か月経っても二か月経っても何の変化も見られなかった。
「大きくならないな……」
「だねぇ、僕が思うにこの子、これで成体なんじゃないかと思うんだよね」
クロームの部屋で密かに暮らし始めた子猫は元気に部屋中を跳ね回っている。
「これで成体? 二足で歩きも喋りもしないのにか?」
「遺跡の中で見つけた子だよ、普通の獣人の子だとは考えにくい。僕も色々考えたんだよ、もしかしたら遺跡の中に人身御供的に捨てられたのか? とか、産んだはいいけど育てられなくて置いて行かれたのか、とか。この子は一切喋らないし、少し知能が遅れているのかもしれないとも思ったんだけど、知能が遅れていたとしても体は普通に成長するはずで、こんな赤ん坊サイズのままで止まっているのもおかしな話だろ? だとしたら、この子はもうこれ以上成長の余地のない成体なのかもしれないな、ってそう思ったんだけど」
「だが、こんな赤ん坊のような姿で成体と言われても……」
「だけど、この子自分で狩りはできるんだよ。見てて」
そう言って、クロームが掌を合わせてそれをそっと広げると、その掌からは小さな何かが飛び出してきた。それを見た子猫は目を輝かせてそれに飛びつき、得意気にこちら見やるのだ。その小さな何かは魔術で作り出された物だったのだろう、そのうちふいっと消えてしまい、それが何故なのか分からないのだろう黒猫はやかましいほど「なーなー」と鳴き喚いた。
「今のは僕の作り出した標的だけど、この子は小さな魔物を自分で狩って食べるんだ。そうやってたぶんここで暮らしていたんだと思う」
「こんな小さな子猫がか?」
「俄かには信じられないけど……」
「もしかして、こいつ新手の魔物なんじゃないか?」
私がそのうなじを掴み持ち上げ子猫の瞳を覗き込むと、子猫は一丁前に威嚇するように牙を剥いた。
「そういう持ち上げ方止めてくれる? ジロウは子育て経験あるって聞いてたけど、子供の扱い酷くない?」
そう言って、クロームは私の手の中からソレを奪っていったのだが、ソレが獣人の子供ではないと言うのなら、ソレは得体の知れない化け物でしかない。
「それにこの子は魔物じゃないよ、身体のどこにも核がない。この子は僕達と同じ生き物、だけど、違う。新種の生き物なのかもしれない!」
「新種の……?」
「僕はこの子の生態をもっと調べてみようと思うんだ」
きらきらとした瞳のクローム。興味は遺跡から完全にその子猫にシフトした。とはいえ子猫が現れたのがここシルス遺跡だった事もあり、クロームはこの遺跡に居座って、日がな一日その子猫と戯れ転がるようにして過ごすようになった。
魔物の巣窟であるはずのこの遺跡が彼らにとってはただの広大な遊び場で、私達が真面目に遺跡調査をしているのが馬鹿らしくなって来た頃、クロームは私の前に一人の『ヒト』を連れて来た。
「ジロウ~! 紹介するよ、この子、ユキちゃん!」
「…………何度言えば分かる? ここは魔物の巣窟だ、むやみに一般人を連れ込むな」
「僕が連れ込んだんじゃないよ、この子が連れて来たんだ」
そう言って、クロームは頭の上に乗せた小さな黒猫を指さした。
「連れて来たって、一体何処から?」
「う~ん? たぶん遺跡の奥から?」
ユキチャンと紹介されたその『ヒト』はどこか少しおどおどと周りを見回して、クロームの服の端をきゅっと掴んだ。
「遺跡の奥にヒトなんかがいる訳ない!」
「だけど、ユキちゃんは遺跡の奥から出て来たんだよ、ね? ユキちゃん」
クロームの後ろに隠れるようにしていたユキチャンは、びくりと顔を上げて、何事か喋ったのだが、私にはその言葉がいまいち理解できない。唯一「クローム」という名を呼んだ事だけは理解できたのだが、話している言葉が私達と違うのだ。
「クローム、ユキチャンは一体何を話している?」
「え? それは僕にも分からないよ! ユキちゃんの話す言葉は難解で、僕もまだほとんど理解できてない」
なん、だと……!? 何故それで名前が分かった? こいつは一体何者だ?
クロームは身振り手振りで何とかそのユキチャンと意思の疎通を図っているようなのだが、そのユキチャンが何故遺跡の奥から現れたのか、何故そんな場所にいたのか、そんな事も分からないまま、それは楽しそうにユキチャンを連れ歩くようになったのだ。それは子猫と戯れていた時と同じように最初のうちは遺跡で過ごしていたのだが、次第にクロームとユキチャンの仲は深まり、遺跡に留まらず二人でよく出歩くようになっていった。
しばらくするとクロームはそのユキチャンの話す言語を解読し魔術で自動翻訳ができるようにユキチャンに魔法をかけた。おかげで私もようやくユキチャンと会話ができるようになったのだが、そんなユキチャンの話す話の内容はこの世界ではあり得ない事ばかりで、私は困惑した。
ユキチャンは不思議な魔道具を私達に向けて、興味深そうに何かをしている。それは「写真を撮っている」のだと言われたのだが、その『写真』というものが何か分からない私は大いに戸惑った。だが、ユキチャンが持っていた魔道具には私の姿は映し出されて、こうやって画像でその時あった物事を記録する物なのだと説明された。
「ユキちゃんの住んでいた世界には不思議な物がたくさんあるんだ!」
クロームの興味の矛先はユキチャンからユキチャンが元々住んでいた世界へと移っていった。そう、ユキチャンはこの世界とはどこか違う別の世界から来たのだと私達にそう言ったのだ。そしてその世界はここシルス遺跡のどこかと繋がっているらしい。
「私はこの黒猫に導かれるようにしてここに来たの、どこをどうやって来たのかまでは分らないけれど……」
ユキチャンはそう言って困惑したように首を傾げた。一方でクロームは、私には何も言わなかったのだが、何か悪戯を思いついた子供のようにずっと何か物思いに耽っていた。そして、そんな折にあの事件は起こったのだ。
クロームとユキチャンはこちらの世界と向こうの世界を何度か行き来する事に成功したらしい。
「ジロウにも見せてあげるよ、向こうの世界は本当に不思議なんだよ、なんてったって世界が丸いんだ。世界の果てなんてモノは存在しないし、魔物はいるんだけどこっちの世界みたいに凶悪じゃないのばかり。むしろ向こうの世界は魔物と共存が出来ている。僕達は向こうの世界を見習うべきだと僕は思う。さぁ、行ってみようじゃないか、新しい世界へ……」
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