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 ◇◇◇

 メイと睨み合った、少し後のこと。
 オーウェンが学生寮の自室の椅子に深く腰を下ろしていると、音もなくその男は現れた。

「オーウェン様、ジェシカ様は無事、自室へと入られました」
「ん、ご苦労」

 燕尾服に身を包み、窓際に立つクリフに、オーウェンは見向きもせずに礼を告げる。
 クリフは「ふふ」と口元に笑みを浮かべると、オーウェンの目の前に行き、床に片膝をついた。

「おやおや、もう少し驚いてくださるのかと思ったのですが……。窓も扉も閉まっているのに、どこから現れたのか、と」
「お前がどこからともなく現れることには慣れてるよ。何年一緒にいると思ってる」

 オーウェンは長い前髪を鬱陶しそうに搔き上げる。

「長い付き合いだからこそ、言葉はいらない。……それこそ主従の絆。胸がキュンと高鳴りますね」
「こんなに聴くに堪えないキュンは初めてだよ。……それで、どうだった?」

 若干苛立ちを浮かべながら問いかけるオーウェンに対して、クリフはいつもの飄々とした笑みを浮かべた。

「ジェシカ様については問題ありません。何者とも接触することなく、えらく弾んだ足取りで、自室に戻られました」
「そう」

 オーウェンは無意識にホッと胸をなでおろす。
 その様子に、クリフはより一層笑みを深めると、楽しそうな声色で話を続けた。

「やはり、異性の友人よりも、同性の友人ができたほうが嬉しいのでしょうかねぇ」
「……お前ね、それ以上余計な話をするなら減給するよ」
「さて、無駄話はやめにして本題に戻るとしましょう」

 調子の良い奴だ、とオーウェンは思う。
 しかし、これを口にすればまた話がそれる可能性があるため、オーウェンはそれを口にすることなく、クリフの話を聞き入れた。

「フリントン公爵令嬢様につきましては、今日は大人しく自室に戻られました。しかし、あの目はこのまま大人しく引き下がるようには見えませんねぇ」
「……お前もそう思う?」
「ええ。かなり睨んでいらっしゃいましたし」

 先程のガゼボでのこと。ジェシカやメイと共にいた時、オーウェンは鋭い視線を感じ、その人物に気付いていた。
 その人物こそ、ラプツェ・フリントン。いつもならばアーサーたちと一緒にいる彼女が、遠くの物陰から一人でこちらを見ているのだから、偶然であるはずはない。
 彼女の視線に嫌な感じがしたオーウェンは、物陰から護衛活動をしているクリフに密かに指示を出し、ジェシカとラプツェ、両方の動向を追わせていたのだ。

「それにしても、お二人を同時に尾行するのはさすが大変でした。まあ、結果的にお二人とも何事もなく自室に戻られたので良かったわけですが、お二人が別の場所に行っていたらどうされるおつもりで?」
「クリフが体を引き裂いてでも二人の動向を追えば良いんじゃない?」
「ぐすっ、我が主は私の無駄話を密かに怒っていらっしゃる」

 泣き真似をし始めたクリフにオーウェンはハァとため息をつき、面倒くさそうに口を開いた。

「冗談だ。何に置いても一番守るべきはジェシカの身の安全だと伝えておいたでしょ」
「もちろん、心得ておりますよ。我が主の命ですからね。時に、フリントン公爵令嬢のあの睨みは何だったのでしょう? 何らかの理由でジェシカ様が疎ましいのか、それとも自分の側を離れたメイ様が許せないのか……」
「さあね。いずれにせよ問題ない」

 何故なら、まず、メイのことについては完全に片が付いているからだ。

 オーウェンは先日、メイの話を聞いてからすぐさまアドフィニス男爵家、フリントン公爵家、新たな援助先候補である伯爵家へと遣いの者を送った。

 三日後に行われた交渉は、結果的に全て上手くいった。

 アドフィニス男爵は、娘であるメイが学園に入学してから少しずつ元気がなくなっていることに気付いていたようで、その原因がラプツェやその周りにあることを伝えると、是非別の援助先を教えて欲しいと頼んできた。

 援助先候補である伯爵家は、アドフィニス男爵領で作られる作物にかなり惚れ込んでいたことと、不作が終わってからは優先的に作物を卸すよう男爵家に約束させると言えば、二言返事で頷いた。

 一番難関だと思われていたフリントン公爵家についてだが、これも上手くいった。
 援助の手を引くことや、返済の期間を長めに設けること、今後ラプツェが絶対にメイに近付くことはないよう、公爵が娘に命じること。またはそれを守らせること。
 これらの条件を飲むのなら謝礼をたっぷり渡すと言えば、公爵はそれはもう喜んで話に乗った。

「普段は煩わしいことが多いけど、こういう時だけはこの身分があって良かったと思わされるよ」
「……ふふ、オーウェン様がそのような言葉を仰るとは意外ですねぇ。こうなったらジェシカ様の憂いもオーウェン様の権力と地位で追い払って差し上げては?」

 クリフの発言に「言い方」とツッコミを入れたオーウェンは、少し考える素振りを見せてから再び喋りだした。

「それも考えたけど、やめておく。ジェシカは逆境を糧に魔法の修行なんかを頑張ってるし」
「……つまり、解決してしまっては、もうジェシカ様と一緒に魔法の修行や勉強などができないから、彼らは泳がせておくと?」

 オーウェンはクリフに鋭い視線を向け、首を横に振った。

「違う。ジェシカの憂いを完全に晴らすには、些か決定打が足りない。中途半端な反撃は、ジェシカを傷付けてしまう可能性がある。……それに、ジェシカには俺がいる。俺が側にいて守ってやればいいだけの話だから、強硬手段に出ないだけだよ」
「なるほど。……いやぁ、愛ですねぇ」
「は?」
「え?」

 刹那、二人の間には何とも言えない空気が流れた。
 その空気を壊したのは、怪訝げな顔をしたオーウェンだった。

「何故急に愛が出てきた?」
「……恐れながら、メイ様のことでここまで手を回されたのは、ジェシカ様のお気持ちを思ってでございますよね?」
「そうだよ。これまでの俺たちの会話も聞いてたなら、それくらい分かるでしょ?」
「ジェシカ様のことは、ご自身で守るとも仰っていますよね?」
「だから、それが何なの」

 何を今更……と言わんばかりに呆れた顔をしたオーウェンに、クリフはさすが頬を引くつかせた。

「いえ、分かりますよ? 分かるのですが……まさか、まだ自覚しておられなかったのですか?」
「は?」
「オーウェン様は当初、ジェシカ様に対して興味が惹かれたと仰っていました。しかし、最近の我が主のジェシカ様に対する言動は、どう考えても興味という言葉だけでは片付けられません。失礼ですが、思い返してみては?」

 クリフにそう言われ、オーウェンはジェシカと出会ってからのことを思い返した。

『ほら、どうにもならない状況って絶対あるじゃないですか。それなら、そのことに腹を立てるだけじゃなくて、良い未来になるように努力するほうが建設的かなって!』

 ──そう。初めは、好感を抱いたというよりも、興味の対象という意味合いがほとんどだった。
 ジェシカのような考え方をする人が周りにいなかったから、珍しいなと、気になるな、とそう思っただけだった、はずなのに……。

『姿勢が良くても悪くても、私はオーウェンが大切だからね』

 真っ直ぐに言葉を伝えてくれるジェシカが。

『オーウェン……! 貴方って人は! もしかして前世はマイナスイオン!?』

 底抜けに明るいジェシカが。

『この教科書は両親が用意してくれたもので』
『帝国からの留学生であるオーウェンにそのような発言をするなんて……将来国を背負う者として考えが浅はかではありませんか?』

 人のことになると、怒りを露わにするジェシカが、少しずつ愛おしいと思えてきて──。

『ジェシカに危害を加えられるかもしれないと思うと、体が勝手に動いていたんだ』
『だってジェシカさ、自分に対してはそうでもないのに、他人ひとのこととなると結局無茶するから。それなら、初めから俺も協力したほうが良いと思わない?』
『……当然。ジェシカのためだから』

 こうも改めてジェシカとのことを思い出すと、何故今まで気付いていなかったのかと笑えてくる。

(いつのまにか、ジェシカは俺に掛け替えのない存在になっていたというのに)

 今思えば、何度もジェシカに友だちだからと言っていたのは、無意識に予防線を張っていたからなのだろう。

 メイに懐かれて楽しそうなジェシカを見るのが嬉しい反面、その笑顔を俺にも向けてほしいと、もっと俺を見てほしいと思ってメイに嫉妬したことも、ジェシカに対しての思いが隠しきれないようになっていたから。

「……ハァ、クリフに気付かされるとはね」

 オーウェンは口元を手で押さえ、ポツリとそう呟いた。

「ふふ、オーウェン様のことは誰よりもお側で見ておりますからね。……して、主の心を紐解いた私に賞与などは?」
「一瞬しようかと思ったが、なんだか自分から言い出すのがむかつくから減給することにするよ」
「クリフ、黙りまぁす」
「……ははっ、冗談」

 それからオーウェンは適当にクリフをあしらって部屋から追い出した。

 一人きりになった部屋。
 オーウェンは溌剌とした笑顔を浮かべるジェシカのことを思い浮かべて、ふっと微笑んだ。

「ジェシカが、好きだ──……」

 誰に言うわけでもなく、囁いた愛の言葉。
 なんだか無性に恥ずかしくなったオーウェンは、その後テーブルに突っ伏せた。
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