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第七話 刃を研げ
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「……貴方、あの男の『オンナ』なんですか」
つぶし。つまり、配された各色をべた塗りで着色する作業をされながら。彰宏は、胸の内に巣くった疑問を、ぼそりと口にした。
「覗き見とは、良い趣味してるな」
作業を進める手を一瞬たりとも休ませない四代目に、舌打ちをする。少しくらい動揺を見せてもいいだろうに。
「待たせておいて、その態度ですか」
「それに関しては、申し開きようもないな……悪かった」
思いの外すんなりと謝罪が引き出せたので、彰宏は居心地が悪くなった。こんな風に素直になられてしまっては、こちらも許さないわけにはいかない。
「で、どうなんです」
だからといって、逃がすわけもなく。彰宏が四代目を執拗に問い詰めると、彼は小さく苦笑った。
「さて、先代の時代からの、馴染み客ではあるけれど」
「貴方、『そっち』の客も取るんですか」
「そんな商いはしてないさ」
「じゃあ、やっぱり、念友か何かですか」
「そんな重たい関係じゃあない」
「向こうはどうだか知れないですよ」
「ふふ……そうだね」
「随分と、素っ気ないんじゃないですか?」
「忙しい奴だな、お前は。拗ねるか、あいつを心配するか、どちらかにしなよ」
呆れた様な声が降ってきたので、彰宏は、ふん、と鼻を鳴らした。
「どっちでもありません」
『雅』と呼ばれた男と自分。その間に聳え立つ大きく分厚い壁を前にして、彰宏は立ち尽していた。
過ごした年月が違う。遇らわれ方が違う。交わす言葉も、表情も、何もかもが自分に対するそれと、大いに異なる。当たり前なそれらが、途轍もなく面白くなくて。彰宏は、あからさまに不貞腐れていた。
「じゃあ、さっさと機嫌を直して。仕事がし辛くて適わない」
「それこそ、俺の勝手でしょう」
「全く、仕様のないやつだな……痛みはどうだ、辛くはないか?」
つぶしの作業は、しくしくとした痛みは感じるものの、筋彫りの時のような、身を刻まれるかの如き辛さと比べれば、薄ぼんやりとしている。寧ろ眠気覚ましには丁度いいとすら思えた。
「別に。どうって事はありませんよ」
だから、見栄を張るわけでも何でもなく、本音を口にした。すると四代目は、慰撫するかの様な優しげな声色で、そっと話し始めた。
「そうか。だけど、墨を入れられるってのは寝転んでいるだけでも体力を使うから、疲れた時はちゃんと言ってくれ。休憩を挟んであげるから。俺はそれで一回眠りこけてしまったことがあって、少しばかり恥をかいた経験があるんだ。だからお前も、あんまり無理はするなよ」
「貴方も、彫ってあるんですか?」
驚きを隠さずに尋ねると、何でもないような口調で、あぁ、と返された。
「先代に彫ってもらった。お前と同じだけ入れてある。それがきっかけで、弟子入りしたんだ」
「……へぇ」
動揺を気取られまいとして、努めて平静に返事をした。彰宏は、彼の背中にどんな紋様が刻まれているのか、無性に知りたくなった。だが、それを尋ねるのは憚られた。 直接的に夜に誘うのと、同義だからだ。
雅という名の男の存在によって激しく胸中を掻き乱されたとはいえ、一度袖にされた分は弁えている。それをあっさりと反故にして、直ぐにすぐ口説きに掛かろうとは流石に思ってはいない。
それに四代目は、あの男は念友ではないと言った。ならば、自分にもまだ機会は残されているだろう。四代目を、自分の物にする機会が。
焦りは、禁物だ。まだまだ、時間はある。四代目がどんな男なのか、彼の目に一体自分はどんな風に映っているのか。その背に彫られた画とは、果たしてどの様な代物なのか。
これからじっくりと捌き、暴いていけばいい。彰宏は、いつか訪れるだろう好機に向けて、胸の内で鋭く薄く、刃を研いだ。
「……貴方、あの男の『オンナ』なんですか」
つぶし。つまり、配された各色をべた塗りで着色する作業をされながら。彰宏は、胸の内に巣くった疑問を、ぼそりと口にした。
「覗き見とは、良い趣味してるな」
作業を進める手を一瞬たりとも休ませない四代目に、舌打ちをする。少しくらい動揺を見せてもいいだろうに。
「待たせておいて、その態度ですか」
「それに関しては、申し開きようもないな……悪かった」
思いの外すんなりと謝罪が引き出せたので、彰宏は居心地が悪くなった。こんな風に素直になられてしまっては、こちらも許さないわけにはいかない。
「で、どうなんです」
だからといって、逃がすわけもなく。彰宏が四代目を執拗に問い詰めると、彼は小さく苦笑った。
「さて、先代の時代からの、馴染み客ではあるけれど」
「貴方、『そっち』の客も取るんですか」
「そんな商いはしてないさ」
「じゃあ、やっぱり、念友か何かですか」
「そんな重たい関係じゃあない」
「向こうはどうだか知れないですよ」
「ふふ……そうだね」
「随分と、素っ気ないんじゃないですか?」
「忙しい奴だな、お前は。拗ねるか、あいつを心配するか、どちらかにしなよ」
呆れた様な声が降ってきたので、彰宏は、ふん、と鼻を鳴らした。
「どっちでもありません」
『雅』と呼ばれた男と自分。その間に聳え立つ大きく分厚い壁を前にして、彰宏は立ち尽していた。
過ごした年月が違う。遇らわれ方が違う。交わす言葉も、表情も、何もかもが自分に対するそれと、大いに異なる。当たり前なそれらが、途轍もなく面白くなくて。彰宏は、あからさまに不貞腐れていた。
「じゃあ、さっさと機嫌を直して。仕事がし辛くて適わない」
「それこそ、俺の勝手でしょう」
「全く、仕様のないやつだな……痛みはどうだ、辛くはないか?」
つぶしの作業は、しくしくとした痛みは感じるものの、筋彫りの時のような、身を刻まれるかの如き辛さと比べれば、薄ぼんやりとしている。寧ろ眠気覚ましには丁度いいとすら思えた。
「別に。どうって事はありませんよ」
だから、見栄を張るわけでも何でもなく、本音を口にした。すると四代目は、慰撫するかの様な優しげな声色で、そっと話し始めた。
「そうか。だけど、墨を入れられるってのは寝転んでいるだけでも体力を使うから、疲れた時はちゃんと言ってくれ。休憩を挟んであげるから。俺はそれで一回眠りこけてしまったことがあって、少しばかり恥をかいた経験があるんだ。だからお前も、あんまり無理はするなよ」
「貴方も、彫ってあるんですか?」
驚きを隠さずに尋ねると、何でもないような口調で、あぁ、と返された。
「先代に彫ってもらった。お前と同じだけ入れてある。それがきっかけで、弟子入りしたんだ」
「……へぇ」
動揺を気取られまいとして、努めて平静に返事をした。彰宏は、彼の背中にどんな紋様が刻まれているのか、無性に知りたくなった。だが、それを尋ねるのは憚られた。 直接的に夜に誘うのと、同義だからだ。
雅という名の男の存在によって激しく胸中を掻き乱されたとはいえ、一度袖にされた分は弁えている。それをあっさりと反故にして、直ぐにすぐ口説きに掛かろうとは流石に思ってはいない。
それに四代目は、あの男は念友ではないと言った。ならば、自分にもまだ機会は残されているだろう。四代目を、自分の物にする機会が。
焦りは、禁物だ。まだまだ、時間はある。四代目がどんな男なのか、彼の目に一体自分はどんな風に映っているのか。その背に彫られた画とは、果たしてどの様な代物なのか。
これからじっくりと捌き、暴いていけばいい。彰宏は、いつか訪れるだろう好機に向けて、胸の内で鋭く薄く、刃を研いだ。
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