〜湫に咲く〜背中に昇り龍を刻まれた男が、恋に堕ち、一匹の雄になるまで。

鱗。

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第四話 湫に咲く、一輪の睡蓮

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「ご覧」


四代目が、部屋の片隅にあった姿見を、布団の上で座する彰宏の背後に置いた。黒線で描かれたその一匹龍は、画で見た時よりもずっと胸に迫るものがあって。彰宏は、静かに感嘆の溜息を漏らした。


「思っていたより、根気があったな。もっと暴れるかと踏んでいたのに」

「そんな見っともない真似しませんよ」

「ちょっと残念だったな」

「全くもう、変態じゃないですか」

「冗談だよ、真に受けないで」


睨め付けると、怖い怖い、と着物の袖で口を覆って、くすくす笑われた。そんな事、毛ほどにも思っていないに違いない。内心で小さく悪態を吐いていると、四代目が目の前でしゃがんで、此方と目線を合わしてきた。


あまりにも突飛な行動だったので、彰宏は思わず、背筋をぴんと伸ばした。


「なんにせよ、山は越えた。よく頑張ったな」


くでに咲く、一輪の睡蓮。


それを思わせる、慈愛に満ちたその表情に。
彰宏は、見惚れた。


よくよく見なくても、別嬪なのだから仕方がない。そんな相手に綻ばれて、気を良くしない訳もなく。彰宏の下降していた機嫌は、意図も簡単に浮上した。だが、それを気取られるのは何処と無く癪だったので、喉だけで咳払いをして、その場をなんとかやり過ごした。


その後、事後処理の説明を受ける流れになったのだが、そのあまりの面倒臭さに、彰宏は閉口した。暫くは風呂も流すだけで擦ってはならないだとか、よく乾燥させてから軟膏を塗れだとか、壮絶な痒みに襲われるだろうけれど、絶対に掻いてはならないし、瘡蓋は剥がしてはいけないだとか。他にも注意点をつらつらと列挙されたが、それ以上は頭に入ってこなかった。


そんな事よりも、彰宏には、他に聞きたい事があったから、というのもある。それは、約束の取り付けだった。


「……それで結局、次はいつ来ればいいんですか?」

「二週間ばかし、空けたほうがいいだろうな」

「そんなに待てません」

「堪え性がないな」

「母親の腹に置いてきたって、よく言われます」


四代目は、やれやれと肩を竦めた。


「急いては事を仕損じるって言葉、知ってるか?……折角入れた墨に障るから、やめておけ」

「じゃあ、言い方を変えます……次は、いつ会えますか」


明け透けに、すっぱり言ってのけると、四代目はきょとんと目を丸くした。幼顔がより一層際立ち、可愛げがひょこりと姿を現した。彰宏は、こんな顔も悪くないなぁ、と内心で顎に手をやった。


暫く、繁々と此方の顔を見ていた四代目だったが、堪らずといった体で吹き出すと、そのまま腹を抱えて笑いだした。涙を目尻に浮かべるほどに笑われたので、彰宏は不快を隠すことなく眉間に皺を寄せた。


「……何がそんなに可笑しいんですか」


此方は、ある程度の思い切りを持って口にしたというのに。それを笑ってのけるとは何事か。彰宏は、じとりと四代目を睨め付けた。


「ごめんな。でも久々に、こんなに笑ったよ。お前、面白い奴だなぁ」


四代目は、そう言いながら、目尻の涙を拭った。一向に笑い声は止まず、いまだに口許に手をやっている。彰宏は流石に頭にきて、その手を掴んで、己の身に引き寄せた。


抵抗は無かった。彼は、すっぽりと彰宏の腕の中に収まった。けれども、手の内で鈴をころころ転がしたかのような思い出し笑いは止まなかった。


ご機嫌なところ申し訳ないが、此方はちっとも面白くない。彼の指先でじっくりと背中を煽られ、舐られて。これ以上なく、興奮を駆り立てられてしまっているのだから。


そして両の眼で確認した、筋彫りのその完成度の高さたるや。悦楽が一挙に押し寄せて、目の前にいる男に劣情を抱かない訳がなかった。お誂え向きに此方は素裸であるし、布団まで敷いてある。ここで事に及ばなければ、寧ろ男が廃る。


彰宏は、もういい加減黙れと言うのも億劫になって。強引に四代目の顎を引くと、己の唇で、その小生意気な口を塞ごうとした。だが、その唇が相手のそれに到達する寸前。


彼は、人差し指一本で、それを制した。


「本当に、堪え性がないね」


その捉えどころの無さを、なんと例えるべきか。錬磨された物腰と、表情。多分こうして迫られた事は、星の数ほどにあるのだろう。彰宏は、二の句が継げず、それ以上の行動を起こす事が出来なかった。


ーーー否、許されなかった。
 

歴然とした経験値の差。見せつけられてしまった、自分の幼さをまざまざと感じて。くそ……と、彰宏は胸の内で、また小さく、悪態を吐いた。


四代目は、婀娜っぽい眼差しを寄越すと、固まってしまった彰宏の肩口に柳のようにしなだれ掛かり、ひっそりと耳元で囁いた。


「二週間後に、また……百舌鳥家の坊ちゃん」

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