〜湫に咲く〜背中に昇り龍を刻まれた男が、恋に堕ち、一匹の雄になるまで。

鱗。

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第二話 面接交渉

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二年前。高名な彫師が若くして勇退したという情報は、界隈に瞬く間に広がった。その響めきは彰宏の周囲のみならず全国各地で上がり、それはそれは大変な騒ぎとなった。


まだ駆け出しだった頃の彰宏にとって、それは正しく他人事でしかなかったのだが。他人の人生に頓着を示さない冷徹さを持った自分の周りにいる大人達までもが、次々と嘆きや哀しみを口にするので。あぁ、これはきっと、とんでも無いことが起こったんだろうなと、若いながらに、その重大性をきちんと認識したのだった。


その者達の悲嘆や哀情を癒したのが、他ならぬ、四代目・桐生だった。


一度、男の背に鯉を登らせれば。その男は忽ちのうちに出世を果たし。


一度、女の背に蝶を羽ばたかせれば。その女は、夜街に君臨する女王となった。


四代目は、彫られた者の人生をも変える、天賦の才を持っていた。三代目・桐生が勇退した理由。それは、四代目の台頭にこそあるのではないか、との実しやかな説が流布した。


そしてその説を裏付けんばかりに。その腕前を堪能した者達は、嘆息と共に言い放つのだった。


ーーー苦痛を乗り越え堪えたその先に、極楽を見たと。


四代目の確かな腕前は、先んじた者達の伝聞で、あっという間に広がった。だが、いくらその腕を熱望されたとしても、四代目・桐生の、その身は一つ。門扉は、あっさりと引かれた。


客は完全紹介制。その上で面接をし、気に入った客しかとらない。何とも上から目線の商売の仕方に、己が矜持をこれ以上なく大切にする世界で逆上しない者がいないはずもなく。四代目・桐生は、その身を守る為に、とった顧客には箝口令を敷き、性別も正体も一切合切隠すという手法を取り入れた。


だから、こうして彰宏が四代目・桐生の正体を知り、驚きが胸を占めているのも無理からぬことだったのだ。


四代目の腕前を先んじて知った、否、『味わった』百舌鳥家の数名の幹部達は、箝口令が敷かれている中で、出来うるだけの情報を彰宏に与えたのだ。


だからといって、彼らに彰宏が遊ばれていないわけではない。彼の性質を、彼らは良く理解している。彼の生まれた頃からの付き合いなのだから、当然といえば当然だ。彰宏の矜持に触れるのが分かっていて、こうして何食わぬ顔で送り出しているのだから始末に置けない。全く、可愛がりにも程というものがある、と胸の内で彼らを罵ってから。彰宏は、細めがちな瞳で此方を、じぃと見つめてくる四代目・桐生に向き直った。


「では、まだ何を彫りたいかも決めていない、と」


珍しい事なのだろう。四代目のその声は、微かな驚きを孕んでいた。


「はい。図案から何から、全部任せたいんです」

「それは豪気ですね」

「その分、礼は弾ませてもらいます」

「格好がよろしくて、何よりです」

「あと、もう一つ注文があるんですが」

「はい、何でしょう」

「俺の前で、敬語を使うのは辞めて下さい」


四代目が思わずといった程で小首を傾げた。顔に、何故?と書いてある、彰宏は、然もありなんと小さく鼻で息を吐くと、姿勢を正してから、四代目に向き直った。


「貴方の方が歳上でしょう。客商売だと分かってはいますが、俺はそういうのが苦手なんです」

「……噂に違わず、面白いお人ですね」

「え?……噂?」

「生まれもお育ちも申し分ないのに、『其方の人間』らしくない、素直な気質を持たれた方だと」
「は、馬鹿にされてるんでしょうね」

「……見方に寄ると思うけど。残念ながら大半はそうなんじゃないかな?」


すっぱりと言ってのける彼に、だが彰宏は好感を持った。全国に名を轟かせる、百舌鳥家の跡取り息子という肩書き。それを鑑みた上で迎合される事が、彰宏にとっては、むず痒くてならなかった。


『そう言われましても、出来かねます』


そう返されるばかりだった。だから彰宏にとって、彼の至極あっさりとした態度は目新しく映った。


こんな風にすっぱり言ってのける相手と対峙するのは、初めての経験だ。すると、彼自身に対する興味が、胸の内側でむくりと湧いた。色々と尋ねたくなってしまい、彰宏は知らずのうちに前のめりになった。


「あなたの名前は?」

「四代目を継いだ時に捨てたよ」

「……どうして?」

「そうしたかったから」

「なら、愛称は?それくらいならありますよね」

「仲良くなったら、教えるよ」

「随分と勿体ぶりますね……」

「性分なんだ、許してくれ」


ふ、と口許だけで笑う彼に、これ以上の期待は出来そうにないと知る。彰宏は、質問を変える事にした。


「なら……貴方から見て、俺はどんな人間に見えますか?」


相手を困らせるために、態と大振りな言葉を選んだ。これだけ勿体をつけられたのだから、客として、これくらいの仕返しはしていいだろうと思ったからだ。だが。


「まだ、さぁ、としか」


彰宏の投球は、あっさりと躱されてしまった。


「簡単に底が知れるような相手を客にとる趣味はないからな」

「じゃあ、これから教えて下さい。俺が、どんな男なのか……貴方が、どんな男なのかを」

「あぁ。時間は、たっぷりとあるからね……気が向いたら教えてあげるよ」


……上等。勝負事は、なんだって好きだ。


時間にして、約半年かけてこの店に通う事になる。その間に、どれだけ相手の口を割らせられるか。墨を入れに来る以外に、この店に通う理由が増えた。彰宏は、頭の中で頸をごきりと鳴らした。


「上を脱いで、そこに立って」


四代目が促すので、彰宏は大人しくそれに従った。自分用に誂えた背広を脱いで上半身を露わにすると、彼から見やすいように背を向けた。


背後に四代目が立った。頸だけで振り返る。触ってもいいかと、尋ねるような視線。彰宏はそれに、小さく頷いた。


彼の指先が、触れた刹那。
びり、と背筋を電流が駆け上った。
紛れもなく、勘違いしようもなく。
それは、快楽でしかなかった。


泣かされた男は、数知れず……か。
成る程これは、堪えるに難い。


僧帽筋から広背筋にかけてを、柔く温かな指先が踊るように辿る。己の背が、一枚の画布になったかのような錯覚にとらわれて。彰宏は、人知れず生唾を飲み込んだ。
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