〜espoir〜五つ星オーベルジュのオーナーだなんて、こんな僕には向いてません!

鱗。

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第一章 『それぞれの願い』

鹿の目を持つ男

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僕の実家の一室には、歴代の当主達の肖像画が飾られている。これまた歴代の当主達が使用してきた書斎のその壁面に連なる、人、人、人。

けれど、その眼に宿る野心は、一様にして、皆同じ。

血の繋がりとは。おすが生来から持つ、子々孫々に渡る己が血筋の栄華繁栄を望む意志とは。かくも強靭かつ確固たる物なのかと。背筋に薄寒い感覚を覚えた幼き頃のその日を、今だに忘れられずにいる。

あの時の僕はまだ、ただただ父親の愛情を欲しがる、何も持たない子供だった。まるで家庭を顧みない父親でも、それでも、と。そうして初めて訪れた、決して入るなと言い聞かせられてきた父親の書斎で、僕は、若き頃の父親にそっくりな曽祖父の肖像画を見つけたんだ。

その時の僕の感情は、確か。

『どうせ叱られるなら、たまには、こんな人から叱られたいな』

だった気がする。

幼い頃の僕はまだ、時と場合を選ばすして襲い来る父親からの度重なる折檻せっかんが、息子である僕に対する、不器用な愛情表現だと本気で認識していた。

「『日本ワイン』とは、日本国内で栽培されたぶどうを100%使用して日本国内で醸造されたワインです。日本ワインの特徴はその多様性です。日本を代表する白ワイン用品種の『甲州』や、赤ワイン用品種の『マスカット・ベーリーA』などの日本固有の品種に加え、アメリカ原産ラブラスカ種との交配種、さらに近年はシャルドネ、メルローといったワイン専用種も導入され、幅広い品種から多様な味わいのワインが造られています」

歴代の当主達と寸分違わぬ、その眼差しが、鋭敏に、残酷に、現実を僕の眼前に見せつける。天から授けられたとしか言い表せない恵まれた体躯を、オーダーメイドで誂えたソムリエユニフォームの上からでも一目で分かる程に鍛え抜いた彼は、正確無比な身のこなしと洗練された所作でもって、僕へのサービスに、懇切丁寧に従事していた。

「全般的な味わいの特徴は、日本の伝統的な料理と同じく、『繊細さ』です。まさに和食と日本ワインはこの繊細さにおいて相性の良さを発揮します。寿司、天麩羅、すき焼きに最高にあうワインが日本ワインです。今回ご紹介するワインは、その繊細さを活かして、季節に合わせたフレンチにぴたりと寄り添うものを厳選致しました。是非とも、ご賞味下さい」

頭の先から足の爪先まで、神人が緻密に計算して彫刻したかの如く整った、一度見れば忘れられない類稀なる容貌。まるで当たり前の様にスッと通った鼻筋と、冗談みたいに長い睫毛。これまた当然の如くくっきりと縁取られた二重瞼の下には、雄々おおしくも猛々たけだけしい野生の鹿を思わせるまるい眼が、二つ並んでいる。

全てが万事、見た事しかない。まるで、幼い頃に見た肖像画の曽祖父や、若かりし頃の父親が、肖像画や写真からそのまま抜け出してきたみたいだ。けれど、頭の作りまで、その血筋そっくりとはいかない様だった。

あの人は……父親は、僕の前でこんな風に、朗らかに、それでいて優美に、笑ったりはしなかった。

金ピカだ。パーフェクト。御園家の栄華、ここに極まれり。歴代の御当主様方、並びに、お父様。本当におめでとうございます。でも、ごめんなさい。大変申し訳ありませんが、これだけは言わせて下さいね。


クソッタレ。


「失礼致します、御園様」

「……はい、なんでしょうか?」

声まで、何処となく若い頃の父親に似ている気がする。もう、本気で帰りたい。

「このワインは、私がシェフと入念な打ち合わせを行った後に、本日のお食事に合わせてご用意した物です。御園様は、世界中、ありとあらゆる国々のワインをお召し上がりになってきたご経験がお有りでしょうから、こうして本国でも素晴らしいワインが作られていることを知って頂けたなら、僅かでも印象に残る夜になるのではないか、と……」

そうだったんですね。それはそれは、お忙しい中、僕なんかの為に貴重な時間を費やしてきめ細やかなご配慮をして頂き、大変恐縮です。でも、ごめんなさい。一つ訂正させて頂きますと、ワイン、殆ど飲んだ試しが無いです。もっぱら缶チューハイと発泡酒党で……とか、言える空気じゃないのは、日頃から察しの悪い僕でも充分に分かる。

「出過ぎた真似をして、大変失礼致しました。私の小手先程度の気遣いなど、御園様にとっては誠に幼稚に感じられたことだとご推察します。今回の件は、貴重な経験として持ち帰り、今後のご参考とさせて頂きます。遅きに失したこととは存じ上げますが、ワインは代わりの物をご用意させて頂きます……重ねて、本日は大変申し訳ありませんでした」

ここまで徹底して低姿勢を貫き通している姿を見ていると、もしかして、新しくオーナー(仮)となる僕を、招かれざる客として扱う為の遠回しな嫌味だったりしません?とすら邪推してしまった自分自身が恥ずかしくなってきた。意気消沈を絵に描いたように肩を落としている彼の落ち込みようは、心の底から残念に思っている人間のそれにしか僕の目に映らない。

だから、やはりこの一連の壮大な流れは、彼を始めとしたスタッフ全員による、全くの純粋な真心と気遣いからくるものではあるのだろうと思わずにはいられないけれど。一応、ドレスコードがあるのを見越して、着慣れないスーツを購入してきたものの、僕の身なりからして、そんな経験少ないだろうなぁ、とか何となくでも分からないものだろうか……なんて、どれだけ意地悪な発想なんだろう。

この場所には分不相応な、僕みたいな人間相手でも、こんな風に手厚くおもてなししてくれている相手に対して、持っていい発想ではないよね。そこは、素直に反省しなくちゃならない。本当に最近、嫌な感じに性格悪くなってるぞ、僕。

この夜、僕の為だけに用意されたフレンチのフルコースは、アミューズからデザートデセールに至るまで、世界三大珍味と厳選した地元食材をふんだんに使用した特別仕様の物だった。

竹之内総料理長が存分に腕を振るい、眞田副料理長が丁寧に仕上げ、ラフな格好から雰囲気をガラリと変え、シック且つクラシカルな燕尾服に身を包んだ給仕長である弘樹が配膳を完璧に行ない、食前酒アペリティフの段階から、腕利きのソムリエ二人が、食事の邪魔をしない丁度良いタイミングを見計らい、代わる代わるサービスに訪れる……この世の至福を絵に描いたような、言葉では表せない素晴らしいおもてなしを受けた僕は、残念なくらいに物の見事に場所見知りと緊張を併発へいはつし、殆ど無言のまま、黙々と食事を進めていった。

僕を手厚く出迎える為に時間を割いて、一日に三組しかお客様を迎えず、一年先まで予約が取れない事で有名なオーベルジュを貸切にして、スタッフ一丸となって歓迎ムードを高めてくれているのにも関わらず、肝心の僕がこんな調子なんじゃあ、心配になって、スタッフを代表して、こんな事を言いたくもなりますよね。重ねて申し訳ないと頭を下げなくてはいけないのは、本当は彼ではなく僕の方だ。本当に、何から何まで、すみません。

けれど僕は、彼を始めとしたスタッフ皆さんに対して申し訳ないという気持ちを持つのとは裏腹に、ワインや料理に関する事ではなく、全く別の事で頭の中をいっぱいにしていた。

申し訳ないと思っているのであれば、そのうれいを帯びた見慣れた顔を、今すぐに他の誰かと取り替えて欲しいとか。そんな直角90度の綺麗なお辞儀も必要ないし、そもそも、顔色一つ変えずに経営者として冷酷無比に采配を振るい、常に人の上に立ってきた厳格な父親そっくりの顔を引っ提げた人に謝罪されるなんて以ての外だ、とか……彼の顔を見ているだけでむしゃくしゃしてしまって、悲しくて、辛くて、惨めで、この場から逃げる様に立ち去りたくて。自分の立場を弁えずに、危うく刺々しい言葉を口走ってしまいそうになる。

とはいえ、このまま無言を貫き通していては、この場に流れる不穏な空気に拍車が掛かってしまうし……彼の所為ではない、僕自身の感情の問題だっていうのに。これじゃあまるで、どちらが年上か、分かったものじゃなかった。

一目に血筋と出自が明らかな彼、時任ときとう 千秋ちあきさんは、僕より二つ年下の26歳。こうして話せば分かる通り、どの角度から見ても隙がない、絵に描いた様な好青年だ。父親の遺産相続の争いに巻き込まれて、すっかり性格が捻くれてしまった僕とは雲泥の差。世が世なら、国が傾いてもおかしくはない美貌と、ワインとサービスに対する深い教養を兼ね備え、こうした繊細な気遣いまで出来てしまう。正に、ザ・正統派イケメンと呼ぶに相応しい存在だった。

けれど残念ながら、彼は、本当の自分自身の価値というものを、何も分かっていないようだった。彼の双肩には、文字通り、国内有数の財閥の未来が掛かっている。彼の今後の出方によっては、身内同士が更なる骨肉の争いを繰り広げ始めるだけではなく、会社の株主達や大勢の社員達が、ある日突然に路頭に迷ってしまう可能性すらあった。人里離れたこの場所で、それがさも当然と言わんばかりに、客人に向けてサービスをする側に回っていていい存在では決してない筈だ。

こんな隠し玉を、大人達は、僕や母親にも知らせずに秘匿し続け、前のめりになって、生前贈与の話を進めようとしてきたんですか……本当に自分達のことしか考えていない、面の皮の厚い人達だこと。本格的な相続の話し合いが始まるまで、僕達だけでなく、マスコミや世間の目から、どうやってこの事実を隠し通そうと思っていたのか知らないけれど。確かに、こんな絶大な威力を秘めた爆弾を解除するには、最初から手中に収めてしまった方が話も早いし、都合も良いのかもしれない。

自由を手に入れる為に、ありとあらゆる権利から遠ざかり、身内の中でも存在感の薄くなっている僕は論外と考えても。父親という大き過ぎる支柱を失い、平衡感覚を失ってしまった財閥全体を立て直す為に、若き日の父親や、財閥を一層盛り立ててきた経歴がある曽祖父と瓜二つの顔を持つ、脈々とした血の繋がりを感じさせる彼を擁立ようりつできれば、会社に対する不安や不信感を抱いている大株主達に与えるインパクトは絶大だろう。

経営経験がないだろう彼のことを、上手く懐柔して丸め込めれば、父親の残した財産を、身内同士でテーブルにつき、いがみ合いながらケーキの様に切り分けずとも、そっくりそのままに近い形で、手にすることも可能かもしれない。それだけ、彼のという存在が、周囲の人間だけでなく、社会全体に与える影響力は計り知れないという訳だ。

けれど、正直言って、父親が残した『』の正体が、こんなにもあっさりと見つかるとは思いもよらなかった。その秘密の正体とは何なのかを明らかにするまで、当然、相当の時間を要すると思っていたからだ。このオーベルジュに勤めている他の従業員達が、彼という人間の秘匿の為に動いている様子も差して見受けられず。妻子ある人間と愛人関係にあった先代オーナーの息子という特異な存在を、ごく自然に受け入れている。本妻の子に愛人の子が飲酒のサービスをしているという、明らかに歪なこの状況に違和感を持っているのは、この場においては、僕以外に存在していないらしい。

虐めてるつもりも、そんな風に考えてしまいたくなる気持ちも、僕の中には、これっぽっちも無いけれど。無言を貫く僕と、低姿勢かつ粛々とサービスに従ずる彼という構図は、完全に僕の許容の範疇を超えていた。

本当に、もう全部が全部、嫌で堪らない。

帰りたい。
でも、一体『』に?

「後で、僕の部屋に来て下さい。貴方に、折り入って話があります」

家族の愛情。教育。容姿。地位と財産。その全てを、滞りなく手に入れてきた……僕からしてみれば、そうと光り輝いて見える君とは違って、僕の手の平の上には、殆ど何も残っていない。あるのは、何も与えられてこなかったという空虚な事実と、漸く手に入れた僅かな自由だけ。

そして、父親にとって大切な、愛人ともに作り上げた箱庭を、ある日突然、丸ごと押し付けられる羽目になってしまった僕は。唯一手に入れられた僅かな自由すらも失いかけている。

「……かしこまりました。夜の部のミーティングが終わり次第、すぐにお部屋にお伺い致します」

硬い声だ。ここにきて初めて声に動揺が現れた。一流のソムリエでも、深夜に部屋に呼び出しを受けるなんて、滅多に無い経験なんだろう。僕の話の内容も、恐らくは、彼なりに当たりをつけているに違いない。もしかして、これからの自分自身の進退や命運が、僕に掛かっていると錯覚でもしているんだろうか。

だとしたら、期待外れだよ。僕には、君の未来を采配する権利なんて全く備えられていないのだから。僕はただ、君という人が一体どんな人で、どんな場所で育ち、どんな風に過ごしてきたのか、それが知りたいだけなんだ。

だった僕とは違う、本当の意味で父親と血の繋がった、君の口から。

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