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最終章『いない、いない、ばあ。』

第三話『隣の芝生は、こんなにも、青い』

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前園先輩が立案し、俺が企画から携わった、二日間に渡るイベントは、透さんがラストを華々しく締め括ってくれたおかげもあり、大盛況のうちに幕を閉じた。その熱狂は収まる所を知らず、こうして年末を迎えた今でも、イベントそのものの待望論がSNSを中心として沸き起こり、もはや伝説と化した透さんのライブ映像と共に話題を呼んでいる。


アメリカに本社を置く某有名オンライン動画共有プラットフォームでは、観客席にいたイベント参加者により撮影された透さんのダンス映像が軒並み記録的な再生回数を叩き出しており、それ単体での知名度もさる事ながら、本来踊るべきだったダンサーさんの過去の映像と比較検証までなされ、『このダンサーは、本郷 透本人だったのでは?』と、ひっきりなしに噂されていた。


また、本来踊る予定だった筈のダンサーさんにとっても、殆ど元ネタ扱いされている透さんと噂される事はやぶさかでは無かった様で、其方の苦情についても、今のところ受け付けていない。例え苦情を入れた所で、どの口が言ってんだという話でもあるし、彼の窮地を文字通り救った救世主は、透さんだ。だから、彼は自らの崇拝する神にも近しい存在である透さんが、微笑みのもと人差し指を口元に持っていき、『この事はどうか御内密に』と一言添えただけで、絶対にこの事は誰にも口外しませんと言った約束を忠実に守っていた。また、これは凡ゆる意味で蛇足であるが、無事に生まれた男の子の名前に透さんと同じ名前を付けたというのは、風の噂で耳にしている……何だかなぁ。


「セックスレスの判断基準?」

「はい。調べても、結局は個人差があるみたいな話ばかりで、実際どうなんやろうって」

「そうだな。一応、性科学会というのがあって、そこで指定されている期間は、特別な理由がない場合、一ヶ月というのが定説だよ」

「一ヶ月……」


思っていたよりも、更に短い。俺はてっきり、三ヶ月とか半年くらいのスパンで考えていたから、和泉先生……最近では、前園先輩を中心にして集まって、一緒に飲んだり、プライベートでも交流があるので、望さんや千明さんと併せて下の名前を呼んでいる丞さんの言葉に、思わず絶句した。


因みに、今日一緒に行動しているのは、望さん、前園先輩、丞さん、そして透さんと俺の、計五人だ。しかし、今この場にいる人間は、俺と丞さんしかいない。何故なら、他の人間達は全員、ビュッフェ形式のこのウェディングパーティーを楽しむ為に、席を外しているからだ。ご存知の通り、本日の主役は勿論、俺が半年間イベントの為に駆けずり回っていた時期に、見事に入籍を果たした、森住夫妻である。


二人は、無事に安定期を迎え、主医者からの了承を得て、赤ちゃんが産まれて忙しくなってしまうよりも先にと、こうして人生の節目を迎えた。あまり動かずに済む様にと誂えた席に座り、幸せ一杯に大きくなったお腹を沢山の人に撫でられながら、森住夫人は、安らかに、それでいて満たされた表情を浮かべていた。


そんな、誰かの人生の門出である特別な日にする話では無いし、はっきり言って全くTPOを重んじていないのだけど。あのイベントを無事に終結させてからこっち、俺自身があまりにも忙しくなってしまって。受診そのものに割く時間を見繕え無かった……というのは、完全なる言い訳でしか無いので、もうこれ以上は口にしない事にする。


だって、飲みには行ってるし、会ってたし。望さんの手前、二人でとかは無いけど、それなりに話す機会は有ったからね……ただ、こうしたデリケートな話をする機会は無かった、というだけで。


きちんと受診して、それから相談すれば良いとは分かっていながら、俺達の今現在抱えているのかも知れない、セックスレスの事実が確定する事を恐れて、つい足が遠退いてしまった。だから、友人席に、ぽつんと二人きりになってしまった穴埋めをする様に口にされた、丞さんからの『お前らの方は最近どうだ?上手く行ってるか?』という大人の気遣いの範疇でしかない言葉に、『はい、上手く行ってますよ』と笑顔の元に返さずに、『実は……』なんて打ち明け話を始めて、ついうっかり乗っかってしまったのは、焼きが回ったというか、軽率過ぎる俺の、単純明快なやらかしでしかなかった。


「すみません、こんな話を、こんな日にして」

「いや……それにしても、側から見たら上手く行っていた様に見えたから、驚いたよ。でもまぁ、カップルの内情なんて、他の人間には、言われるまで分からない場合が多いからな」


こんな打ち明け話を、こんなめでたい席でする俺に対して、困惑した様子を殆ど見せないのは、この人自身の人が出来ているからなのと、医者として確かな地位を確立している自負があるからだろう。海千山千の経験を積み重ねて、『そんな事もあるんですね』という態度を崩さない丞さんは、本当に頼りになる。俺や、望さんを通じて、丞さんも透さんとは面識があるので、その人となりや、俺達の関係性についても、きっと、担当医の立場としても、よく見てくれていたんだろう。だから、そんな丞さんにしか話せない話や悩みが、俺の中に積もり積もっていて。でも、結局、受診して俺達の関係性を客観性を持って捉えて貰うだけの勇気が湧いて来なくて、ズルズルと今日まで来てしまった。


「理由には心当たりがあるのか?」

「はい。もしかしたら、それなんやないかな、っちゅうのは」

「そうか。なら、そろそろ皆んなが帰ってくるから、その話はまた後にしよう。二次会は個々だから……そうだな、俺の行きつけのバーがあるから、そこで話を聞くよ」

「え……でも、望さんに、悪いんじゃ。それに、俺、きちんと受診もしてへんのに」


自分から話し始めたのに、実際に相談内容がとんとん拍子に前に進み始めた途端に焦り始めるなんて、我ながら本当に自分勝手な奴だ。だけど、実際問題、その申し出は俺にとって本当に嬉しいもので。やんわりとした様子見の言葉を選んでしまった。とはいえ、望さんに対して気を遣っているのは、本当だったのだけど。


「友達の相談に乗るくらい、別にいいだろ」

「そうかも知れませんけど……」

「そうか。なら、俺も一緒に着いて行く。それで良いですか?丞先輩」


……………え?誰?


「ああ、漸く着いたのか。お疲れ、幸也、久し振り」

「お久し振りです。で、どうですか?俺も一緒にって話は」

「俺は別に、誰かもう一人巻き込めるなら、誰でも……あ、潤がいいならだけどな。どうする?」

「いいだろ、俺が居ても」

「え?……いや、え?」


だから、さっきから、誰?……いや、本当は、知ってはいるんだけど。出来れば違ってたら良いな、という気持ちがあって。だって、ずっと憧れていて、一方的に大ファンでいて。けれど、この一年で、この人に対しては、様々な思いをさせられてきたから、実際に会った時はどんな顔をしたら良いのか分からなくて………ていうか、何で、作詞作曲家の小泉 幸也大先生が、ここに?


「そうか、お前がいてくれたなら、面倒臭い望を巻くのも簡単に済むな。よし、行こう」


『ええ……俺の都合……めっちゃデリケートな話……なのに、この疎外感………どういう事なの………』という、俺の心の声は二人に届かず。俺の都合を聞いていたさっきまでの気遣いと、望さんを振り切る面倒臭さと天秤に掛けて、あっさりと小泉 幸也大先生を連れて行く選択肢を選んだ丞さんに、振り回される格好になってしまった。うっかり相談するんじゃなかった。まさか、こんな展開になるだなんて。でも、こんなの誰も予想しないでしょ。ホンマに、この後どうなるん、自分。


丞さんと、突然現れた小泉 幸也大先生に両サイドから挟まれて、もうどうにでもなれば良いじゃない、と言う気持ちで温くなったシャンパンをちびちびと舐めていると、其処に、料理を取って帰ってきた他の三人が合流した。


「あれ?幸也さん、お久し振りです。新曲の作業があるから無理かも、とか言ってたのに」

「よぉ、俊明。おかげさまで徹夜明けだ」

「あらら、お疲れ様です。でも相変わらず義理堅いですねー。千明とは、透繋がりで知り合ったらしいじゃないですか。それ以外は特に関わりが無かったんでしょう?」

「アイツ、透が仕事しに来てる時に、心配して、うちに上がり込んで入り浸ってやがったからな。これが本当の腐れ縁ってやつだ」

「ははは。でも、おかげでお天道様の光が浴びられて良かったですね。そこは感謝しとかないと」

「俺は観賞植物か」


やいのやいの、と昔から親交がある前園先輩と小泉 幸也大先生の二人が話し始めたので、この場の空気もパッと明るくなる。だから、この場所で気持ちを落ち込ませたり、複雑な、それでいて目立った感情を持ち合わせているのは、俺と……きっと、もう一人。


「幸也さん、お久し振りです。お元気そうで良かった」

「うん……お前は?」

「僕は、元気です」

「……そうか」


何。この会話、何。久し振りに、知人の結婚式で再会した、元彼と元彼女みたいな。やめてよ、俺の前でそんな雰囲気醸し出すの。ただでさえ状況が分からなくなってたのに、その混乱状態の最中に、こんなヘビーな現実を押し付けて来ないで欲しい。色んな感情を、自分の中で処理しきれないから。本当に、やめて欲しい。


「あ、望。俺、幸也と久し振りに会ったから、飲んでから帰るな」

「分かりました。殆ど毎日顔を合わせていたのに、高校を卒業してからは、あまり会っていないって言っていましたからね。仲の良い先輩後輩同士、気兼ねなく楽しんで来て下さい」

「うん。あと、透、潤借りるな。こいつ、幸也の大ファンらしいから、色々話聞きたいんだって」

「はい、分かりました。潤、あんまり飲み過ぎないで帰って来てね」

「………はい」


人間関係の相関図がどうなっているのか、何処となく把握し始めてきたかなという所で、完全に外堀が埋められてしまった。普段はこんなに自己主張が弱い人間じゃないんだけどなぁ……受けてしまった精神的ダメージが、それだけ大きいのかも知れない。


そして、その場での会話を終わらせた皆んなが、各々話したり、近況を報告しあったりしているうちに、ウェディングパーティーも、宴もたけなわ、と言った空気になった。本日の主役の一人である新郎の千明さんの挨拶と、新婦の森住夫人による両親への手紙朗読とがあり、そして、感動的な空気のまま、そのパーティーはお開きとなった。


これまでずっと、二人の馴れ初めから見守り続け、赤ちゃんのいる新生活そのもののスタートを応援してきた、このパーティーの主催者側に近い位置に居た透さんや、そして、それをサポートしてきた俺にとっても、こうして無事に二人の門出を迎えられた事実は、とても感慨深い。なのに、俺は、そんなおめでたい日であるにも関わらず、自分の胸に持つのに相応しくない感情を、只管に持て余している。だから、胸の中で、ぽつりと、こんな風にも思ってしまったんだ。


隣の芝生は、こんなにも、青い。

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