恋人を溺愛&神聖化し過ぎてEDになった俺だけど、絶対に二人で幸せになりたい!!

鱗。

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第二章『愛しい貴方に触れるまで』

第二話『貴方の隣に、帰りたい』

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和泉先生が処方してくれた薬を受け取る為に、クリニックの入っているビルの一階の調剤薬局に向かい、和泉先生の彼氏を目視で確認しようとしたが、そう言えば経営者というだけで薬剤師と決まった訳じゃないよな、と思い直し無駄な検索をするのをやめた。そして、俄かに湧き立った野次馬根性を垣間見せても、自分の沈んだ感情や気落ちした心は、そう簡単には浮上して来ないんだという事実に直面して、今日何度目か分からない溜息を吐いた。


同棲を長続きさせる為の秘訣を聞いて、その答えが、透さんが以前に言っていた、千明さんと同居を解消しない理由と、ほぼ完全に一致していたからといって、いや、だから何?友達と恋人じゃあ、話が違うでしょう、という話ではあるんだけど。頭でどれだけ理解しても、俺の心が納得してくれない。


透さんと千明さんの言う様に、二人はずっと親友として過ごしてきて、一度もそんな仲にはなっていないというのは分かっている。それが、決して嘘じゃない事も。ただ、千明さんは透さんに気持ちが無かったかも知れないけど、透さんがそうだったかは、まだ不透明だ。もしも、千明さんが知らないだけで、透さんがずっと片想いをして過ごしてきたんだとしたら、どうだろう。


……どうもこうもない。結果として、二人は付き合っては来なかったのだし、もし透さんが千明さんに気持ちがあって、それを打ち明けていたのだとしたら、二人が未だに一緒に暮らしているのは不自然だ。だから、仮に透さんが千明さんの事をずっと好きでいたとしても、透さんは、お互いの関係性を崩したくなくて、それを隠し続けてきた可能性も。


「………しんど」


そんな可能性、考えたくもない。自分は、あの人とちゃんとセックスをする為に医者に罹って。この歳でED治療薬を処方して貰って。それがきちんと効力を発揮するかしないかで悩んで。あの人の事だけで頭も胸もいっぱいなのに。あの人の心の中にいる人間は……もしかしたら自分じゃないかもしれないなんて。


あの人は何も悪くない。あの人はいつだって綺麗で、悪いのは、どうしても自分を汚いと思ってしまう俺自身なんだからって、思ってやってきたけど、でも。


………なんやそれ、どないなっとんの。俺アホやん。俺だけアホやん。なんで俺ばっかり、こんなに辛いの。いつもいつも、俺だけがしんどくて、あの人の事で、全部。


恥ずかしかった。待合室におる人間、周りみんなおっさんばっかりで。俺だけ浮いてて、むっちゃしんどかった。和泉先生は、最近若い患者さんも増えてきたとか言うてくれたけど、あんなもん信じられるか。見え透いたおべっかなんざいらんわ。早よ薬だけ下さい、ってなんぼ言おうとしたか。でも先生が、最初のうち、めちゃめちゃしっかり対応してくるから、結局言えなくて。その後も色々言われても、何とか話に耳澄ませて素直に話きいたり、相談していって。気持ちが多少なり晴れた様な気持ちになれて、何だかんだで来て良かったな、と思ってからのコレ。


「……ッ、………ぅ……」


帰りたい。


「………っう、……ッ……」


貴方の隣に、帰りたい。


「っ、……アホくさ……」


だけど、貴方の心の中にいるのは、もしかしたら、俺ではないのかもしれない。


「もう、全部……やめたい」


でも、それを確かめられるだけの勇敢さは、俺の中の何処にも見当たらない。もしも、貴方が俺の目の前で、『そうなんだ、実は僕』と唱え始めたら、俺は。




俺は、貴方を。




気が付いたら、雨の中傘も刺さずに、最寄駅から歩いて家に辿り着き。風呂にも入らず、透さんが作ってくれたおかずにも手を付けずに、そのままベッドに突っ伏した。目が覚めると、幼い頃に一度だけ経験した事のある、あまりの息苦しさと悪寒を感じて。コレはきっと不味いやつだ、と瞬時に悟りを得た。 


ベッドから起き上がるのもままならず、やっとの思いでトイレにまで向かい、喉の奥から競り上がってきた胃液だけを便器に叩き付ける。何も、水分すら摂っていないから、苦酸っぱい滑った胃液が渇いた喉に絡んで、只管に気持ちが悪かった。恐らく熱風邪だとは分かっているけれど、一応熱を測ってみようと思い、薬箱を取りに一階へと降りて行く。殆ど壁伝いに這って動いていたから、所々、身体を打つけて。それでも何とか薬箱のある居間の戸棚に辿り着き、そこに入っていた薬箱から水銀タイプの体温計を取り出すと、それを自分の脇に差し込んで、床にごろんと転がった。


視界が回る。世界が歪む。水分も摂っていないのに、涙が勝手に流れる。暫くして、恐らく五分は経過しただろう所で、汗ばんだ脇から体温計を取り出すと、そこには今まで見た事のない数値が表示されていた。


……何やコレ、俺、死ぬんかな、このまま。せやけど、取り敢えず職場には連絡せんと。スマホどこやったけ、ああ、せや、枕元に……昨日、充電したっけ。してへんのと違う?なら、きっと直ぐには使えへんな。固定電話……セールスばっかりで、解約したんやっけ。ほんなら、どないしたら……って、今日日曜日やん。会社休みやわ。なら、安心や。このまま、この冷たい床使うて、ちょい寝て……待てよ、日曜日?


「おはようございます。今日も宜しく、潤。あれ、潤?……二階かな?」


透さん、今日、出勤日やん。付き合う様になって出勤日変えて、日曜日は一緒に過ごす事にしたから。しもた、完全に忘れてた。こんな情け無い格好見られたら、幻滅されるやないか。ああ、でも、もうどうにもならん。


「潤?どうしたの?そんな場所で……」

「透さん、すんませ……ッ、ごほっ、」

「咳?……ッ待って、無理せんでええから。分かった、大丈夫、よく分かったから、ちょっと待っといて。起きんでええよ。熱は測った?頷くか首横に振るかだけでええから」


瞬時に俺の状況を察知した透さんが、サッと俺の頭付近にまで近付いて腰を下ろし、体温を測ったかどうかの確認をしてくる。俺はそれに黙って頷き、震える腕を懸命に上げて、自分の手の中にある水銀計を透さんから見える様に主張した。意図に気がついた透さんが、その水銀計を手に取り、表示された体温を確認する。すると、その顔の表情は一瞬のうちに険しくなり、しかし、その眼差しは心配そのものの色を宿していった。


「何か胃に入れた?水分は?」


首を横に振り、何も口にしていない、という意思を伝える。すると透さんは、すぐにその場から翻って、居間の隣にある台所に向かった。どたん、ばたん、と普段では絶対に聞こえない忙しない音がして、透さんが何事か俺の為に準備しているのが伝わってくる。そして、それから暫くして居間に戻ってきた透さんは、具合を悪くしている俺ですら呆気に取られる程の、様々な風邪対策グッズを両手両脇に携えていた。


常温と思われる経口補水液。ゼリー飲料。レトルトパックの常温で食べられるお粥。凍らせても柔らかいままの状態を維持するアイス枕。レンチンしたてのほかほか湯気の立つ濡れタオルとプラスチック製の洗面器。新しいパジャマと下着一式。あまり見た事がない形状の小さなジョウロみたいなやつ……一体、何処に保存していたのか。その殆どが、家主である俺ですら知らない物品ばかりで驚きを隠しきれない。そもそも、頼んですらいなかったその物品を、いつ購入したのか。


「勝手に買ったり用意してて、ごめん。家庭菜園で食費が浮いてた分、こういう時の為の備蓄費に回してたんや。それと、防災用品関係も、ちょっとずつ……でも、今は文句言いっこなしやで」


そんな事、絶対に言うわけがないのに、何を気にしてるんだ、この人は。謝る必要なんて全然ないのに、どうしていつも貴方は、俺が『ありがとう』を言う前に、そうやって先回りして謝って、感謝をするタイミングを失わせてしまうの。


「まずは、着替えんと。身体拭くから、ちょっと寒いけど、我慢してな」 


そう言いながらも手は休めず、テキパキと手際良く俺の着替えを主体的に手伝っていく透さんに、呆気に取られつつも。熱に浮かされながら、邪魔だけはしない様に気を付けて、自分の着ている物を脱いでいく。上から羽織っていたパーカーと、その下のインナーを脱ぐと、透さんは温めた濡れタオルで脇などを中心に上半身を拭いて、直ぐに新しいインナーとパジャマの上着を俺に着せていった。そして、着替えが下半身に差し掛かると、透さんはタオルを洗面器の中に置いて、俺の腰の近くにそれを置いた。


「申し訳ないけど、下もせな。僕がやってもかまわへん?」


そんなもの、透さんの手を煩わせんでも自分でやります、と言いたい所だけど、やはりそれは難しくて。俺は悪寒によってカチカチと鳴る奥歯を噛み締めて、後から後から湧いて出てくる情け無さを逃しながら、頷いた。透さんは、俺の了解を受け取ると、俺のズボンのベルトを外していき、ベルトが付いたまま、雨の所為で生乾き状態になっていたズボンを、俺が微かに腰を浮かせたタイミングで器用に脱がしていった。


ボクサーパンツ一枚になったところで、透さんは、小さく、『ごめんな、すぐ終わらせるから、また少しだけ腰あげて』と俺の耳元で囁いた。俺がそれを受けて再び腰を浮かせると、次の瞬間、透さんは、ボクサーパンツをあっという間に下半身から取り払ってしまった。


下半身をタオルで拭かれている間も、新しい下着とパジャマのズボンを着せて貰っている間も、恥ずかしいとか、情け無いとか言う感情が身体の中で渦巻いていたけれど。それ以上に、俺の胸の中には、言葉では表せられない、圧倒的な安堵が広がっていった。


「お疲れさん。後は水分摂って、軽く何か胃に入れて薬飲んで……布団はここに敷いたるな。僕もこの部屋にいるから、何かあったら直ぐに言うんやで。辛くて言えへんかったら、手ぇ上げるだけでええから」


この人が、いてくれて良かった。


「吸飲みの使い方上手いやろ?死んだお祖母ちゃんがよう使っとってな。それで覚えてん。でもまだゆっくりでええで。温くても気を付けんと胃が吃驚するから」


この人の胸の中には、俺以外の人がいるかもしれなくても、もういい。今、俺の目の前にいて、こうして俺の危機的状況に慌てずに対処して、俺を助けてくれた事実は、変わらないから。


「ゼリー飲料半分はいけたな。お疲れさん。これなら熱覚まし飲めるわ。ただ、薬だけはちょっと顔上げんと。僕の膝使って」


そして、この人が、俺を選んでくれた事実は、何があっても変わらないから。その奇跡を、出会いを尊ばなければ、バチが当たる。今日の、昨日の俺の様に。


「ちょい失礼しますよ……はい、布団、と。ちょっと吃驚するかも知れへんけど、ごめんな……よっと、はい。これでもう寝ても大丈夫」


その細い身体のどこにそんな力があるのかと言う凄まじい体幹で、体格の一回り違う俺を抱え上げ、テーブルを部屋の端に追いやって、寝転んでいた俺の隣に敷いた布団に、よいしょ、と降ろす。そして、上掛け布団を掛け、胸の上付近を落ち着かせる様に撫でてから、透さんは安心した様にホッと息を吐いて微笑んでくれた。


「まだ僕にして欲しい事ある?何でも言うて。この家に無いものやったら、買いに行くから」


これだけの事をしてくれたのに、まだ何かしようとしてくれる透さんに、もう恩を返せなくなるから勘弁して下さい、と叫びながら顔を覆いたくなったけれど。そんな俺の口からは、自分でも思ってもみなかったリクエストが、いつの間にか零れ落ちていた。


「……こもり、うた」


自分でも言葉にした事実が信じられなかった。だけど、それを他人事の様に聞いていた自分は、ああそうか、と酷く納得もしていた。



俺は、ずっとずっと、拗ねていたんだな、と。



「膝枕で、耳掻きして。マッサージも……他の人の所、行かんといて。ずっと、俺だけ構ってて」


俺の胸の上付近を撫でていた透さんの手が止まり、代わりに、俺を落ち着かせる、清涼で柔らかい声がふわりふわりと降り注ぐ。そして、それは、俺に眠気を安らかな齎らすものだった。


「居なくならない。ずっと一緒におる。ただ、耳掻きとかマッサージは、元気になってからな?……ほんなら、子守唄は、何がええ?」

「何でも、いい。貴方の……好きな、歌なら」

「さよか。じゃあ、この歌にしよか」


透さんは、これから歌う歌について、ゆっくりと説明をし始めた。世界中の子供達が一度は耳にするその子守唄は、『子守唄』という直球の名前の上に作曲者の名前が付属させたものがより認知されているらしい。19世紀のドイツの作曲家によって作られたその曲は、作曲家の友人の元に生まれた次男のお祝いに作られたのだという。だから、この家の次男として生まれた俺にとって、ぴったりの歌だと思えた。


微かに喉を鳴らして、声の調子を整えてから、透さんがその曲を歌い始めると、確かに俺にも聞いた事のある曲で、強烈な既視感を感じた。だけど、歌詞は全く理解できないし、自分が聴いたのも、下手をしたら赤ん坊の頃かもしれないと思って、何となく、自分の昔の記憶を辿って行った。そして、辿っていった先の俺の記憶は。


「この居間に、ベビーベッドがあって。俺、そこに寝転んで、ずっと、この曲が流れるメリー眺めてました。つまらへんのに、見てるとだんだん眠たくなって……」

「そうなん?凄いやん、よう覚えとるなぁ」 

「お母さんも、今よりずっと若くて……そんな仕様もない記憶はあるんですよね」

「仕様もなくあらへん。素敵な思い出やんか」

「透さんは?小さい頃の記憶、あります?」

「僕は、二歳くらいまでの記憶、殆ど無いんよ。両親共働きやったし、殆どお祖母ちゃんに育てられとったし。せやから、小さい頃の両親との思い出も殆ど無い」


薬が効いてきたのか、さっき歌ってくれた子守唄の効果なのか、瞼が次第に重くなっていく。うつら、うつら、としながら、だけど、これだけは伝えたいと思ったから、なんとか襲いくる眠気を堪えながら、途切れ途切れに言葉を紡いでいった。


「俺が、もう、寂しい想い、させへん。この家で、ずっと……色んな思い出、つくろう」

「潤……」 

「こもりうた、うれしかった……ひざまくらも、みみかきも、楽しみや。また、あなたと、思い出が増えてくのが、うれしく、て。きょうは、ホンマに、ありがとう、ございました」

「……うん」 
 
「……げんきになったら、透さんに、だいじな話があるんです。だから、……おぼえ、て……」


瞼が重い。世界中のどんなものよりも。そんな風に、胸が感想を漏らした瞬間。ふつり、と記憶の糸が途切れた。

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