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第一章『無自覚な天才』
第一話『初めてのお客様』
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一人暮らしとアルバイトをしながらの専門学校通いは、大切な実習や講習ばかりが続くため覚えることが多く、その二つを両立させるのに常に必死で、辛く険しい日々が続いた。家具製作に必要な設計、構造材料、家具工作法、塗装法などの知識や、器工具の取扱い及び木工機械の操作技術を学び、木製品を作りながら技能を習得していくという過程は想像していた以上に大変だったけれど、好きで始めたという事実と、遠くから応援してくれる両親の存在があったために、それらをバネにして何とか乗り越える事が出来た。
成績優秀者で資格も保有していたため、卒業後の進路には事欠かなかった。多方に渡ってうちに就職してみないかとの声が掛けられたのだけれど、俺はやはり両親が店を構えるあの場所で工房を開き、店の家具を一から作ってくれたその場所で身に付けた技術を更に磨き上げていきたくて、その全てを断って両親の待つ地元に帰った。そして、父の伝を使って昔通ったその工房を訪れると、責任者である親方に頭を下げて、ここで働かせて欲しいと直談判に踏み切ったのだった。
すると親方は、二つ返事でそれを快諾。なんと、挨拶に行ったその日のうちどころか、その場で俺の就職先が決まってしまった。俺はそのあまりの呆気なさに虚を突かれてしまい、ぽかんと口を開いてまじまじと親方の顔を見つめた。けれど、俺の気の抜けた顔を見返しながらニヤニヤとしている親方と父とを交互に見やったとき、俺は確信したのだった。最初から話は通っていたのだ、と。
俺の周りにいる大人達は、本当に人が悪い。けれど、スタートが順調だったとはいえ、その先に待つ修行が楽だったわけでも何でもなくて。自分から見ても他の先輩の職人達からみても、これならば商品として売り出しても良いだろうという一脚の椅子を一から制作出来る様になるまで、相当の時間を有した。それだって、先輩達にアドバイスを頂きながらの制作だ。本当の意味で一人だけでえっちらおっちら制作したわけではない。だからこそ俺は、完全に独り立ちが出来る日なんて来ないんじゃないか、という途方もない気持ちになりながらも、それでも自分の生きる道はここにしか無いんだと懸命になって、黙々と修行を積み重ねていった。
腰痛や肩こりに悩まされながら、先輩の技術を目で盗み、親方の背中を追い続け、来る日も来る日も木材に真摯に向き合い、鉋を掛け続けた。そしてついに親方すら唸らせる様なダイニングセット一式を作り上げた頃には、既にこの工房で働き始めてから五年の月日が流れていた。
それだって見習い期間の枠からは到底外れる事など出来ない短い期間なのだけれど、俺はどうやらこの道でいう所の才能に恵まれていたらしい。俺にはお前の才能は手に余ると親方にしみじみと言われ、俺は突然、ある意味で親方に匙を投げられてしまった。学ぶべきはこの工房にはないと、親方直々に独立を勧められたのも、それとほぼ同時期だった。
けれど身一つで放り出された様な気持ちになってしまった俺には、一人だけでやっていける自信などまるでなくて。なんでもするからここに置かせて下さいと、親方に必死になって頼み込んだ。すると親方は、お前に出来て俺に出来ない事がある以上、もうここには置いておく訳にはいかないと、俺の要求をすっぱりと拒絶したのだった。しかし、そこには一抹の冷たさも何も無くて。俺は、独立を勧めてくるそれこそが、俺の可能性を潰したく無いと言う親方なりの気遣いと優しさである事をそこから感じ取ったのだった。
とは言え、突然独立しろと言われても、どこから手をつければいいのか分からない。俺は途方に暮れ、親方に今後どうして行けば良いのか相談を持ちかけた。すると親方は、まずインターネット上に店を構えれば、実店舗を持たなくともウェブ上で容易に製品の販売を行えると俺に勧めてくれた。そして、そちらが軌道に乗るまで工房を間借りして木工に当たっていいと俺に提案してくれたのだ。材料である木材に関しても、自分に任せてくれれば格安で提供すると親方に胸を張られ、俺は感極まってその場で泣きながら親方に向けて頭を下げた。お世話になった先輩達も、独立を果たそうとしている俺を気遣い、これから頑張れよと俺を囲んで激励してくれた。
こんな果報者はいない。ここで学べて本当に良かった。そんな想いを胸にしながら、通い慣れた工房に毎日朝から晩まで通い詰め、目の前にある木材と向き合いながら、その想像力の赴くままに思う存分腕を奮い、家具や調度品の制作に当たった。
そして、今の自分にはこれ以上の作品を作る事は叶わないという、自分の工房の看板になるであろう作品が出来上がってから、その写真をトップ画に使用した工房をインターネット上にオープン。勤めていた工房もホームページを所有していた為に、そこでも俺の店を紹介してくれた。俺以上に親方の方が店が軌道に乗るか乗らないかを気にしていて、来る日も来る日も、客は付いたか?と俺を心配してきた。とはいえ、そんな心配をされるのも当然の成り行きで。独立をして直ぐにすぐ客が付く筈もなく、俺は買い手のいない作品を、毎日コツコツと作り続けながら、心配してくる親方や先輩達に、無理矢理笑顔を作りながら、大丈夫です、と答え続けた。
買い手がなかなか現れないまま半年が過ぎた頃、転機が訪れた。木工家の存在と仕事を購買層や一般の方々に広くアピールすることを目的として、作り手と使い手の出会いの場を作り、作品を持ち寄って展示販売する合同展示会が、首都で開かれる事になったのだ。
出店出来る木工家の数は、限定四十。これは、まだ無名の俺にとって好機でしか無かった。親方の工房も参加する事が決まっていたため、それも心強い後ろ盾になっていた。単身で首都に乗り込める様な度胸はまだ俺には無い。だから、俺は、これ以上なく頼りになる師匠でもあり運命共同体でもある親方と共に、これは、と思える作品を厳選して、その展覧会の会場に持ち込んだのだった。
会場は、木工家具に詳しく目の肥えたお客様や同業者ばかりが集い、活気に溢れていた。即売会も兼ねているため、職人達が行うお客様に向けた作品一つ一つに対する説明にも熱が入っている。俺はこうした展示会兼即売会に参加する親方の手伝いをした事はあっても、自分だけで全てを執り行うことは初めてだったし、作品の説明を一から十まで初対面の人にする事も無かったから、元来の人見知りも相まって、お客様と殆ど会話らしい会話をする事が出来ずにいた。
木工家具は一点一点手作りしているため、同じ作品を生み出すことは難しい。というより、そもそもが全て一点物と言っても過言ではない。決して安くもないそれらを売るためには、職人との会話の内容だって買い手側は重視する。どんな木工家が制作したのかも、買い手側にとっては大切な情報なのだ。だから、自分を曝け出す勢いで会話を繋げていかなければならないのに、俺にはそれがどうしても出来なかった。
作品の説明を求められても、しどろもどろ。何処にこだわりが?と聞かれても、全部です、としか答えられない。作品には興味を持って貰えても、買うか買わないかの決め手に一歩欠けてしまうのは、作り手が俺みたいな人見知りを拗らせた若造だという部分がネックになっているのだろう。
俺は、展示即売会が始まってまだ数時間しか経っていない午前中の段階でへばってしまい、お客様がいない隙を見計らって深い溜息を吐いた。こんな調子では、作品の良さを分かってくれる人が現れても購入には繋がらない。俺自身の人間としての本質が作品の足を引っ張ってしまっているからだ。でも、それが分かっていても、生まれ持った性格ばかりはどうにもしようがない。そもそも、人前に出なくて済むなら出来るだけそうしていたい、という内向的な性格だからこそ木工家を志したという部分もあるというのに、作品のプレゼン力が購入の決め手になるだなんて言われてしまったら、今更どうしろと、と落ち込んでしまう。
親方は、ようは場数だ、などと言って俺を鼓舞してくれたけれど、今思えばこの結果を見越していた様な口振りだったとも言える。親方、そうと分かっていたのだったら、先にそう言って下さい。多分俺、カンペくらいは用意してきましたよ、と恨み節を胸の中に落としても、もう遅くて。俺はぐったりとパイプ椅子の背凭れに上半身を預けて会場の天井を仰いだ。
こんなにも、物を売るという行為が難しい事だったなんて、思いもよらなかった。やっぱり、俺にはまだ独立なんて早過ぎたんだ。この展示即売会が散々な結果に終わったら、親方に再度頭を下げて工房に戻りたいと告げよう。そして、雇われ職人に戻って、気の良いみんなと和気藹々と相談しながら作品を作る、あの暖かい環境に戻ろう。俺には、独立なんて荷が重かったんだ。そう、何十回目かの逡巡の元、再び深い溜息を吐こうとした、その時。
「すみません。貴方がここにある作品の作り手様でいらっしゃいます、小日向 渉さんですか?」
丁寧な言葉遣いで声を掛けられた俺は、はたりと意識を取り戻し、はい、そうです。と反射的に返事を返した。すると、俺の返事を受けて、目の前に佇んでいた男性が、人の良い笑顔をにこりと浮かべて、俺の前にスッと右手を差し出してきた。
握手を求められているだろうか。まじまじとその差し出された手を見つめてしまう。こんな風に何の衒いもなく握手を求められた経験が無かったから、一周回ってこの人に対する警戒心が吹き飛んでしまった。俺は引き寄せられるようにして、その手を握って握手をした。がっちりとした、男の手。その感触を確かめた瞬間、びり、と電流が走った様な感覚を覚えた。
緊張と緩和。
そして、再びの緊張。
「柿沼 栄二と申します。この会場の近くにある飲食店をいくつか経営している者です。貴方の作品を大変興味深く拝見させていただきました。よろしければ、少々作品についてお話しをさせて貰えませんでしょうか」
握手を終えると、作品に対する説明を求められた。俺は、ぎこちなく、それでいて何度もそれに頷いて、緊張で高鳴る胸を押さえつけながら、どの作品について話せばいいのかを尋ねた。
すると柿沼さんは、再びにこりと穏やかな笑みを俺に向けると、まるで予想だにしていなかった信じられない事を口にしたのだった。
「勿論、ここには無い、貴方の未来の作品についてですよ」
一人暮らしとアルバイトをしながらの専門学校通いは、大切な実習や講習ばかりが続くため覚えることが多く、その二つを両立させるのに常に必死で、辛く険しい日々が続いた。家具製作に必要な設計、構造材料、家具工作法、塗装法などの知識や、器工具の取扱い及び木工機械の操作技術を学び、木製品を作りながら技能を習得していくという過程は想像していた以上に大変だったけれど、好きで始めたという事実と、遠くから応援してくれる両親の存在があったために、それらをバネにして何とか乗り越える事が出来た。
成績優秀者で資格も保有していたため、卒業後の進路には事欠かなかった。多方に渡ってうちに就職してみないかとの声が掛けられたのだけれど、俺はやはり両親が店を構えるあの場所で工房を開き、店の家具を一から作ってくれたその場所で身に付けた技術を更に磨き上げていきたくて、その全てを断って両親の待つ地元に帰った。そして、父の伝を使って昔通ったその工房を訪れると、責任者である親方に頭を下げて、ここで働かせて欲しいと直談判に踏み切ったのだった。
すると親方は、二つ返事でそれを快諾。なんと、挨拶に行ったその日のうちどころか、その場で俺の就職先が決まってしまった。俺はそのあまりの呆気なさに虚を突かれてしまい、ぽかんと口を開いてまじまじと親方の顔を見つめた。けれど、俺の気の抜けた顔を見返しながらニヤニヤとしている親方と父とを交互に見やったとき、俺は確信したのだった。最初から話は通っていたのだ、と。
俺の周りにいる大人達は、本当に人が悪い。けれど、スタートが順調だったとはいえ、その先に待つ修行が楽だったわけでも何でもなくて。自分から見ても他の先輩の職人達からみても、これならば商品として売り出しても良いだろうという一脚の椅子を一から制作出来る様になるまで、相当の時間を有した。それだって、先輩達にアドバイスを頂きながらの制作だ。本当の意味で一人だけでえっちらおっちら制作したわけではない。だからこそ俺は、完全に独り立ちが出来る日なんて来ないんじゃないか、という途方もない気持ちになりながらも、それでも自分の生きる道はここにしか無いんだと懸命になって、黙々と修行を積み重ねていった。
腰痛や肩こりに悩まされながら、先輩の技術を目で盗み、親方の背中を追い続け、来る日も来る日も木材に真摯に向き合い、鉋を掛け続けた。そしてついに親方すら唸らせる様なダイニングセット一式を作り上げた頃には、既にこの工房で働き始めてから五年の月日が流れていた。
それだって見習い期間の枠からは到底外れる事など出来ない短い期間なのだけれど、俺はどうやらこの道でいう所の才能に恵まれていたらしい。俺にはお前の才能は手に余ると親方にしみじみと言われ、俺は突然、ある意味で親方に匙を投げられてしまった。学ぶべきはこの工房にはないと、親方直々に独立を勧められたのも、それとほぼ同時期だった。
けれど身一つで放り出された様な気持ちになってしまった俺には、一人だけでやっていける自信などまるでなくて。なんでもするからここに置かせて下さいと、親方に必死になって頼み込んだ。すると親方は、お前に出来て俺に出来ない事がある以上、もうここには置いておく訳にはいかないと、俺の要求をすっぱりと拒絶したのだった。しかし、そこには一抹の冷たさも何も無くて。俺は、独立を勧めてくるそれこそが、俺の可能性を潰したく無いと言う親方なりの気遣いと優しさである事をそこから感じ取ったのだった。
とは言え、突然独立しろと言われても、どこから手をつければいいのか分からない。俺は途方に暮れ、親方に今後どうして行けば良いのか相談を持ちかけた。すると親方は、まずインターネット上に店を構えれば、実店舗を持たなくともウェブ上で容易に製品の販売を行えると俺に勧めてくれた。そして、そちらが軌道に乗るまで工房を間借りして木工に当たっていいと俺に提案してくれたのだ。材料である木材に関しても、自分に任せてくれれば格安で提供すると親方に胸を張られ、俺は感極まってその場で泣きながら親方に向けて頭を下げた。お世話になった先輩達も、独立を果たそうとしている俺を気遣い、これから頑張れよと俺を囲んで激励してくれた。
こんな果報者はいない。ここで学べて本当に良かった。そんな想いを胸にしながら、通い慣れた工房に毎日朝から晩まで通い詰め、目の前にある木材と向き合いながら、その想像力の赴くままに思う存分腕を奮い、家具や調度品の制作に当たった。
そして、今の自分にはこれ以上の作品を作る事は叶わないという、自分の工房の看板になるであろう作品が出来上がってから、その写真をトップ画に使用した工房をインターネット上にオープン。勤めていた工房もホームページを所有していた為に、そこでも俺の店を紹介してくれた。俺以上に親方の方が店が軌道に乗るか乗らないかを気にしていて、来る日も来る日も、客は付いたか?と俺を心配してきた。とはいえ、そんな心配をされるのも当然の成り行きで。独立をして直ぐにすぐ客が付く筈もなく、俺は買い手のいない作品を、毎日コツコツと作り続けながら、心配してくる親方や先輩達に、無理矢理笑顔を作りながら、大丈夫です、と答え続けた。
買い手がなかなか現れないまま半年が過ぎた頃、転機が訪れた。木工家の存在と仕事を購買層や一般の方々に広くアピールすることを目的として、作り手と使い手の出会いの場を作り、作品を持ち寄って展示販売する合同展示会が、首都で開かれる事になったのだ。
出店出来る木工家の数は、限定四十。これは、まだ無名の俺にとって好機でしか無かった。親方の工房も参加する事が決まっていたため、それも心強い後ろ盾になっていた。単身で首都に乗り込める様な度胸はまだ俺には無い。だから、俺は、これ以上なく頼りになる師匠でもあり運命共同体でもある親方と共に、これは、と思える作品を厳選して、その展覧会の会場に持ち込んだのだった。
会場は、木工家具に詳しく目の肥えたお客様や同業者ばかりが集い、活気に溢れていた。即売会も兼ねているため、職人達が行うお客様に向けた作品一つ一つに対する説明にも熱が入っている。俺はこうした展示会兼即売会に参加する親方の手伝いをした事はあっても、自分だけで全てを執り行うことは初めてだったし、作品の説明を一から十まで初対面の人にする事も無かったから、元来の人見知りも相まって、お客様と殆ど会話らしい会話をする事が出来ずにいた。
木工家具は一点一点手作りしているため、同じ作品を生み出すことは難しい。というより、そもそもが全て一点物と言っても過言ではない。決して安くもないそれらを売るためには、職人との会話の内容だって買い手側は重視する。どんな木工家が制作したのかも、買い手側にとっては大切な情報なのだ。だから、自分を曝け出す勢いで会話を繋げていかなければならないのに、俺にはそれがどうしても出来なかった。
作品の説明を求められても、しどろもどろ。何処にこだわりが?と聞かれても、全部です、としか答えられない。作品には興味を持って貰えても、買うか買わないかの決め手に一歩欠けてしまうのは、作り手が俺みたいな人見知りを拗らせた若造だという部分がネックになっているのだろう。
俺は、展示即売会が始まってまだ数時間しか経っていない午前中の段階でへばってしまい、お客様がいない隙を見計らって深い溜息を吐いた。こんな調子では、作品の良さを分かってくれる人が現れても購入には繋がらない。俺自身の人間としての本質が作品の足を引っ張ってしまっているからだ。でも、それが分かっていても、生まれ持った性格ばかりはどうにもしようがない。そもそも、人前に出なくて済むなら出来るだけそうしていたい、という内向的な性格だからこそ木工家を志したという部分もあるというのに、作品のプレゼン力が購入の決め手になるだなんて言われてしまったら、今更どうしろと、と落ち込んでしまう。
親方は、ようは場数だ、などと言って俺を鼓舞してくれたけれど、今思えばこの結果を見越していた様な口振りだったとも言える。親方、そうと分かっていたのだったら、先にそう言って下さい。多分俺、カンペくらいは用意してきましたよ、と恨み節を胸の中に落としても、もう遅くて。俺はぐったりとパイプ椅子の背凭れに上半身を預けて会場の天井を仰いだ。
こんなにも、物を売るという行為が難しい事だったなんて、思いもよらなかった。やっぱり、俺にはまだ独立なんて早過ぎたんだ。この展示即売会が散々な結果に終わったら、親方に再度頭を下げて工房に戻りたいと告げよう。そして、雇われ職人に戻って、気の良いみんなと和気藹々と相談しながら作品を作る、あの暖かい環境に戻ろう。俺には、独立なんて荷が重かったんだ。そう、何十回目かの逡巡の元、再び深い溜息を吐こうとした、その時。
「すみません。貴方がここにある作品の作り手様でいらっしゃいます、小日向 渉さんですか?」
丁寧な言葉遣いで声を掛けられた俺は、はたりと意識を取り戻し、はい、そうです。と反射的に返事を返した。すると、俺の返事を受けて、目の前に佇んでいた男性が、人の良い笑顔をにこりと浮かべて、俺の前にスッと右手を差し出してきた。
握手を求められているだろうか。まじまじとその差し出された手を見つめてしまう。こんな風に何の衒いもなく握手を求められた経験が無かったから、一周回ってこの人に対する警戒心が吹き飛んでしまった。俺は引き寄せられるようにして、その手を握って握手をした。がっちりとした、男の手。その感触を確かめた瞬間、びり、と電流が走った様な感覚を覚えた。
緊張と緩和。
そして、再びの緊張。
「柿沼 栄二と申します。この会場の近くにある飲食店をいくつか経営している者です。貴方の作品を大変興味深く拝見させていただきました。よろしければ、少々作品についてお話しをさせて貰えませんでしょうか」
握手を終えると、作品に対する説明を求められた。俺は、ぎこちなく、それでいて何度もそれに頷いて、緊張で高鳴る胸を押さえつけながら、どの作品について話せばいいのかを尋ねた。
すると柿沼さんは、再びにこりと穏やかな笑みを俺に向けると、まるで予想だにしていなかった信じられない事を口にしたのだった。
「勿論、ここには無い、貴方の未来の作品についてですよ」
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