〜Axolotl〜 キスから始まる不可思議な関係

鱗。

文字の大きさ
上 下
2 / 7
第一章『不可思議な生き物』

一話『売れるのって、大変ね』

しおりを挟む


ホストクラブのオーナーと一口に言っても、その種別は二通りある。実際に資金を出して、その店を経営している開業タイプ。他にもクラブを経営しているオーナーに雇用されている、雇われタイプ。つまり俺は、後者に当たる。自由はあまり利かないが、降り掛かってくる責任が少ない分、開業よりは幾分か気楽に構えていられる。ホストを現役でやっていた時に比べれば、性質としても此方の方が向いていると自分では思っていたし、小さなお山の大将を気取るのも、存外悪い気分ではなかった。


野心がない訳じゃない。いずれは、自分の店を構えるつもりだ。その為にも、給料を得ながら修行も積めるという環境に身を置ける現状は俺にとって最適で。実際に自らの店を出す時の為の足掛かりになると考えていた。


だから、雇われならではの不自由さなど、その経験と秤で比べてみれば、どうということも無かった。


「昴、開店準備出来たぜ」


バックヤードにいると、マネージャーの富永さんが現れて、昔から名乗っている俺の源氏名を使って声を掛けてきた。軽く振り向いて了解を伝えると、俺はホールへと足を向けた。ホールに出ると、少しばかり緊張した面持ちの男達がずらりと横並びになって此方を待ち構えていた。その面々をいつも通りに確認しながら、俺は男達の一人ずつに話し掛けていった。


体育会系と言われればそうなのかもしれないが、するとしないのとでは、スタッフ達の士気に歴然とした差があった。それだけ、男にとってもコミュニケーションは大事なのだ。水商売に身を置こうと思う男達など癖が強くて当然で。そんな男達を束ねるのだから、並大抵の性根では渡り合っていけない。だからこそ、会話という一点に時間を割く。中途半端はしないで、きちんと語る。ただし、簡潔に。長々と拘束はせず、説教臭くならない絶妙な塩梅で。全員と対話を終えると、俺は一つ頷いてから、檄を飛ばした。


「よし、そんじゃあ開店すんぞ。気合い入れろよ、お前ら」


ウッス、だの、はい、だのと判別の仕様がない返事が勢いよく返ってくる。びりびりと室内に響き渡るそれらを背に受けると、俺は店の看板を出す為に、豪奢なシャンデリアが煌めくエントランスへと向かった。


◇◇◇◇


その二人組は予約していた時間丁度に来店した。富永さんに耳打ちをされてそれを知った俺は、手にしていた雑務を一旦切り上げてから、二人を出迎える為にバックヤードを後にした。エントランスに出ると、二人組の片割れが此方に向けて手を振ってきたので、俺は営業用の笑顔を朗らかに返した。


「北瀬様、ようこそ、おいで下さいました」

「久々ね、昴。元気にしてた?」

「はい、おかげさまで」

「なぁに、久し振りだからって堅苦しくなって。もっと気楽になさいな」

「はは、相変わらず敵わないなぁ」


俺は、このホストクラブ『暁』を任せられる前に、『明星』という別の店でホストをしていた。有り体に言えば、其方が本店。此方が支店だ。北瀬さんは、俺が本店でホストをしていた時から贔屓にしてくれていた客の一人で、有名な芸能プロダクションで振付師兼演出家をしている。懐具合は芳しく、頼りになる太客だった。北瀬さんは俺の気安い反応に満足気に笑むと、鷹揚に言葉を紡いだ。


「今日はね、この子にお酒の呑み方を教えてあげようと思って来たのよ」


北瀬さんは首だけで振り返って、斜め後ろに控えていた男を紹介した。


「うちで預かっているダンサー、時任 和己よ。いま、うちで一番の売り出しの子なの」


紹介を受けたので、彼に視線を合わせて微笑むと、無表情で小さく会釈を返された。その温度の低い対応に、俺は、あらま、と内心で頬を掻いた。まぁ、仕事に直接関係ない男に愛想を振り撒いたところで、何になるわけでもない。場所も場所だ。此方もプロなので、男性客の素っ気ない態度には慣れている。だから特段気にも留めずに、二人を予約してあった席に案内した。席に着くと、北瀬さんは乾杯用にシャンパンを一本開けた。その場の流れで、俺も相伴に預かる形となった。


「昴、もうちょっとここに居なさいな」

「北瀬さんの仰せのままに。でも、現役も粒揃いなんで、良かったらそいつらも構って貰っていいですか?」

「もう、仕方ないわね・・・」


北瀬さんは膨れ面をしながら、隣に座る和己を横目でちらりと伺った。その目には、明らかにこの若いダンサーをこれから揶揄ってやるぞ、という意思が見え隠れしていた。


「ねぇ和己、これが大人の遇い方よ。よく見て覚えておきなさいな」

「……はい」

「これよ。昴からも言ってあげて?この顔でこれじゃあ、勿体無いと思わない?」


促されて、彼に視線を移す。すらりとした体躯に上等なスーツを着こなした彼は、目を伏せてフロートグラスに静かに口を付けていた。紹介された年齢よりは幾らか童顔だが、整った容姿だと思う。一言で表すなら、美人だ。所作の一つ取っても洗練されていて、どれだけ視界に映しても苦にならない。鑑賞の対象だと言われても頷ける、そんな彼を繁々と観察してから、そうですね、と同意した。


美人という表現は、同性への賛辞として首を傾げる響きかもしれないが。それ以上にぴたりとくる言葉が見当たらない。語彙力の問題だとかは一先ず横に置くとして。男女問わず、これだけの雰囲気のある美人を目にした事はそう無かった。


職業柄、多種多様な面立ちの男を目にしてきたが、その中でもトップクラスと言ってもいいだろう。俺の不躾な視線にも物怖じしない胆力も備えている。目の肥えた自分に、確かにこれでは宝の持ち腐れかもしれないな、と素直に思わせるだけの存在感。北瀬さんに言われても仕方がないかもしれない。


「この先トップダンサーになりたいなら、多少の可愛げは身につけて置くべきよ?」


ころころと笑いながら北瀬さんが告げると、彼は飄々とした佇まいはそのままに、さらりと口にした。


「北瀬先生に分かって頂けているなら、俺はそれで構いませんよ」

「まぁ……」


その言い様に、暗がりでも分かる程に北瀬さんが頬を染めたのが分かった。彼のその対応力に、へぇ、と短く感嘆詞を漏らすと、俺は思わず顎に手をやった。早計だったかもしれない。恐らく俺は、相手を見誤っていた。この俺がねぇ……軽くショックだな。どうやら、『美人ちゃん』と、軽く茶化してい彼に対する認識を改める必要性がある様だ。


「貴方、もしかして拗ねてるの?」


時任は長い脚をゆったりと組み変えて斜に構えると、艶やかな視線を北瀬さんに向けた。


「どうでしょうね。自覚は無いですけど、そう見えますか?」


にこりと安心させる様にして微笑んでから、北瀬さんは、組んだ脚の上に置かれていた彼の手に手を重ねた。


「私はね、昔馴染みに会いにきただけよ。今は貴方が一番可愛いの、分かるわよね?」


子供に言い聞かせるように、しかし色を帯びた声色で北瀬さんが告げると、時任は彼女のその手の上に、またそっと手を置いた。


「___………」


彼は北瀬さんの耳元に顔を寄せると、何事か囁いた。その声は店内の雑音に紛れて此方までは届かなかったが、北瀬さんが生娘のように恥じらいながら口許を和ませたので、俺はその様子を訝しんで、眉間に皺を寄せた。


連れて来る必要、無かったんじゃねぇの。そんな感想をぽつりと胸に浮かべながら、俺は自分用のシャンパンに口を付けた。


結局二人は、閉店時間ギリギリまで店にいた。北瀬さんは終始ご機嫌で、相当に酔っていた。帰り際、時任にべたべたと触れてはしなだれ掛かり、用意されたハイヤーにもなかなか乗車しようとしなかったが、彼はうちの若いホストなんて目じゃ無いくらいに、手慣れた様子で北瀬さんを遇っていた。


「ちゃんとお家に帰れる?和己」

「大丈夫ですよ、心配しないで」

「愛してるわよ、本当に」

「俺もだよ、先生」


二人のやり取りを眺めながら、俺は胸の内に湧いた確信を深めた。


分かっちゃいたけど、やっぱり此奴が、今の『ツバメ』か。結局、北瀬さんが今日一番したかった事はこれなのだろう。普段大っぴらに出来ない分、この場を借りてこの男を自慢しに来たんだ。昔の『ツバメ』である、この俺に。女って大変だなぁ。どれだけの成功を収めても、こんな場所でしか自分の本心や本性を曝け出せない。自分には生き辛くて敵わないから、男に生まれて良かったな、としみじみ思えた。


宥め賺して北瀬さんをハイヤーに乗せ、後部座席の扉をゆっくりと閉めると、そのハイヤーが交差点を曲がり姿が見えなくなるまで頭を下げて見送っていた。ハイヤーが見えなくなると、時任は空を仰いで、一息、ふ、と細く息を吐いた。彼もこれで大変なんだろう。


気持ちは分かるので共感はするけれど、とは言え、何か言葉に出すのも無粋というか。嫌なら嫌で、ツバメなんて辞めればいいという話になってしまう。だから、何も言わずに成り行きを見守っていたのだが、そんな俺の心境など知らない時任は、俺を振り返って今日一番の清々しい表情を浮かべた。


「すみません。お手洗い、どこですか?」

しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

【短編】乙女ゲームの攻略対象者に転生した俺の、意外な結末。

桜月夜
BL
 前世で妹がハマってた乙女ゲームに転生したイリウスは、自分が前世の記憶を思い出したことを幼馴染みで専属騎士のディールに打ち明けた。そこから、なぜか婚約者に対する恋愛感情の有無を聞かれ……。  思い付いた話を一気に書いたので、不自然な箇所があるかもしれませんが、広い心でお読みください。

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

執着攻めと平凡受けの短編集

松本いさ
BL
執着攻めが平凡受けに執着し溺愛する、似たり寄ったりな話ばかり。 疲れたときに、さくっと読める安心安全のハッピーエンド設計です。 基本的に一話完結で、しばらくは毎週金曜の夜または土曜の朝に更新を予定しています(全20作)

家族になろうか

わこ
BL
金持ち若社長に可愛がられる少年の話。 かつて自サイトに載せていたお話です。 表紙画像はぱくたそ様(www.pakutaso.com)よりお借りしています。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

例え何度戻ろうとも僕は悪役だ…

東間
BL
ゲームの世界に転生した留木原 夜は悪役の役目を全うした…愛した者の手によって殺害される事で…… だが、次目が覚めて鏡を見るとそこには悪役の幼い姿が…?! ゲームの世界で再び悪役を演じる夜は最後に何を手に? 攻略者したいNO1の悪魔系王子と無自覚天使系悪役公爵のすれ違い小説!

十七歳の心模様

須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない… ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん 柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、 葵は初めての恋に溺れていた。 付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。 告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、 その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。 ※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

処理中です...