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第24話 同じ穴の狢
しおりを挟む運命だの無償の愛だのは物語の中にしか存在しない。
そんなことを豪語していた俺が、たった一ヶ月一緒に過ごしただけの相手を手に入れるためにこんなトチ狂ったことをしているのは、まさに運命だのなんだののせいなんじゃないんだろうか。
映画の中のそれはもう少しキラキラとした甘やかなものだった気がするけど。
……じゃあ、俺のこれは何。執着? 妄執?
そんなことを考えて自分の感情に名前をつけることを諦めようとすると、次は自分じゃなくて、あいつの気持ちが気になってもやもやイライラしてくる。
仕事の外で俺にあれこれ手を貸したのはなんで。
俺のこと、どう思ってんの。
あれからずっと俺の頭の中はそんなしょうもない堂々巡りを繰り返していた。
意味のないことだ。
他人の気持ちなんて理解できるはずがない。
特に俺みたいな人間には。
だから、肝心なのは自分がどうしたいか。
身勝手だって言われたってどうしようもない。
"おにーちゃん"を人質に取られた弟くんは、あれからすぐに行動に移ってくれた。俺が喜田誠の孫だったってことが効いたんだろう。
そして例のおじさんヤクザは、突然呼び出されたにも関わらず何かとんでもなく面白い催し物を控えた子供みたいな顔をしてあっという間に俺を迎えにきたのである。
「ドーゾ、坊ちゃん」
ボロいアパートの前に乗り付けた黒塗り高級車。
たまたま出かけようとしていたらしい下の階の住民が、開けたばかりの扉をパタ……と閉めたのを横目で確認しながら車に乗り込む。
もう少し、車種に気を遣ってくれたらいいのに。
ヤクザって黒い車にしか乗っちゃダメなんだろうか。
「どうも」
タバコと香水の匂いが濃く漂う車内にコッソリ顔を歪めながら、俺は窓の外のアパートを見上げた。次はいつこのアパートに戻って来れるだろうか。どっちに転んでも、もしかしたら二度と戻って来れないのかもしれない。
「どうした、坊ちゃん。今更怖くなったか?」
振り向けば、ニマニマと笑ったオジサンがこちらを見ている。
「……ああ、いや。ガスの元栓閉めたかなって」
パチリ。
目を瞠ったオジサンが次の瞬間ンフ、と噴き出した。口からポロとタバコが溢れる。危な……と咄嗟に靴を避けて足元を見遣ったが、それはタバコじゃなくて棒付きキャンディだった。
「坊ちゃん危機感足りてないってよく言われるでしょ」
「………」
危機感が充分に足りてる人はヤクザの事務所に乗り込んで行ったりしないんじゃないですか。
と大真面目に答えてまた笑われるのも嫌だったので、俺はまた窓の外に視線を戻した。
まあ、ガス栓くらい大丈夫か。
盗聴器やらなんやらを壊しまくって出てきたから、近いうちあの人か、その部下あたりが様子見しにくるんだろうし。
スマホがコップの水につけられてるの見つけたら、どう思うかな。
ちょっとは慌てたりするんだろうか。
慌ててしまえばいいのにと思う。
「………」
部屋の隅に、スーツ姿の男たちが並んで座っていた。
テラテラとしたスーツはきっと高いんだろうけどいまいち着こなせていない。ネクタイの趣味が悪い。室内でサングラスは変だろ、とか頭の端で考える。
「子供にとっては最悪な母親でした。ろくに自分の子供の世話もしないし。あの人のひどい浪費癖のせいで酷い目にたくさん遭わされたし。連れてくる男みんなクズばっかりだし。映画の趣味も悪いし」
両脇の男たちは喋ることを許されていないのか、銅像のようにじっと座ったまま動かない。
「クズ男しか引き当てないくせに、いつの日か自分の人生を変えてくれる運命の人がやってくるって。あの人本気で信じてたんです。夢を見るのは個人の自由ですけど、まず現実ですること済ませてからにしろって話ですよね」
母さんを連れて逃げた"椎名"は、結局どうだったんだろう。今度こそ、運命の人だったんだろうか。
喉が渇いて、湯呑みの蓋をパカリと開ける。
……知ってる? 茶柱って安いお茶にしかできないんだって。
安いお茶なら腐るほど飲んできたけど、もちろん俺は茶柱なんて見たことはない。吉兆の印なんてものとは基本的に無縁の人生である。
「自分はああはなるまいって思いながら育ちました。お陰様で可愛げがない立派な大人に育ったな、俺一人でって思ってたんですけど。なんか知らないうちに色々手を貸してもらってたみたいですね、俺」
俺のことをか弱い子ウサギか何かだと思っているのか。
至れり尽くせり。
助かるし、楽でいいな。なんて呑気に構えていられたのは最初のうちだけ。
だんだん落ち着かなくなって、そのうち相手がどういうつもりなのか気になりだして、一定の距離を置いて近づきたがらない相手に腹が立った。
そりゃそうだ。俺は余裕に満ち溢れたお姫様なんかじゃない。ただの貧乏なフリーターである。
与えられたらもっともっと欲しくなる。
わあ、ありがとう、嬉しいな。そう言って微笑んで、何もかもを受け入れて。あの人の望む俺の幸せを演じてやることなんて、俺にはできなかった。
「……お前はあれやの、馬鹿なんか怖いもの知らずなんか。よくわからんの」
高そうな着物を身に纏った老人が呆れたように呟いた。枯れ木のような体と掠れた低い声をした老人らしい老人なのに、人をどこか萎縮させるような雰囲気。まさに話に聞いて頭の中に描いていた通りの祖父である。
「それでなんや。勘当された娘の子がのこのこ現れて。うちに入れてくれって?」
舐め腐っとるなこのガキ。蛇のような目に睨め付けられて、俺は湯呑みの下でちょっぴり唇を横に歪めた。
おおかわいい孫よ! と歓迎されるような未来が待っているとは思っていなかったけど。周りの黒服たちの気配はど素人の俺でも分かるくらいに張り詰めている。俺よくまだ生きてるなってくらいに。
「俺以外の跡取りがいないから、学校の帰りにうっかり誘拐されないようにねって散々言い含められてたんで。ギリ許されるかなと思って」
ついそんな本音をこぼした途端、おじいさんがピタと動きを止めて。次の瞬間、ドッと大笑いした。
それまで銅像のようにじっと黙り込んでいた男たちも、突然おじいさんに合わせるようにガハガハ笑い始める。
発作的な笑い。流石にギョッとして辺りを見回す。
「お前人生これからやろ。せっかく借金も返し終わったんに惚れたやつがヤクザやったから自分もヤクザになりたいって? 健気なことやな」
「………」
また予兆なく、ピタ、と機械のように笑いを止めたおじいさんが俺を見据えて続ける。
「……お前、利用されとるんよ。男前に優しくされてそんなことも分からんくなったんか。可哀想に」
それだけ言ったおじいさんがタバコを手に取る。
横に控えていた男がすかさず火を差し出した。
スーッと肺まで息を吸い込んで、蒸気のように吐き出された煙の向こう。意地悪そうに細められた二つの目が、値踏みするみたいに俺を見ている。
……かわいい娘を誑かした男の子供が憎くて仕方ないのか。
はたまた、ただ性格がひん曲がっていて人を虐めずには居れないのか。
「、」
この人は俺にどんな答えを求めているんだろう。
茶菓子に添えられていた砂糖菓子を口に放り込みながらふと考えた。
おじいさんの言ってることはもっともだ。
俺を利用していたわけじゃないって事は本人に聞いたけど。護衛任務についていたなんてことは、なんの証明にもなっていない。彼が言っていたことが本当かどうかなんて分からない。
……だけどなあ。
中々溶けない砂糖に痺れを切らしてガリガリ噛み砕く。
この人が何を誤解してるのか知らないけど、メソメソする段階はもう終わってるんだよな。
そもそも、ヤクザの会合に乗り込んでくる奴がそんな言葉で大人しくなるような神経してると思ってんのかな。どう考えてもまともじゃないだろ。ヤクザ脅してヤクザに車回させて、こんなとこに一人で飛び込んでくる奴。
「利用されてるんだとしてもいいんです」
曲がりなりにも組長の唯一の血縁者だ。傍にいればあいつに多少箔をつけるくらいはできるだろう。
「将来とか正直どうなってもいいんです。とにかく俺、もうあの人のこと諦めきれないんです」
それまで、興味なさげに煙を追ってぼんやり顎を上げていたおじいさんが目を丸く瞠ったのがわかった。
「なんやお前、父親似なんは顔だけか」
掠れた声に何故か喜びが滲んでいる。
「知りません。父親の顔見たことないんで」
「お前の母親がなんて言ってお前の親父んとこ逃げていったか知っとるか」
だから知らないって言ってんじゃん。
母さんは、もう会うこともないから、と俺の父親のことをほとんど話そうとしなかった。
俺が首を横に振ると、おじいさんがさっきまでとは違う、何かを面白がっているような笑みを浮かべてふざけた口調で言った。
「『一度欲しいって思っちゃったら、もう諦められないの、ごめんねパパ』だと。もう何言っても聞かんかったわ。俺が甘やかして育てすぎたんやな。マア気が強くてな。流石俺の娘やわ。女やなかったら跡継がせたんやけどなあ、勿体無いことしたわ」
あれ。と思う。
男と逃げ出した母さんを怒っているようには聞こえなかったからだ。
「……どうして迎えに行かなかったんです?」
「可愛がって可愛がって育ててきた娘がな、外人男なんぞと子供を作ったらそりゃこっちも意地になるやろ」
俺のことを上から下までぐるりと見回す。
「………」
さっきまでの威圧的な態度は演技だったのか。そう思うほど、おじいさんの様子はすっかり変わってしまっていた。今はむしろ「いいものが転がり込んできた」そんな言葉さえ聞こえてきそうな満足げな表情を浮かべている。
「ただの外国の男やったら良かったんやけどなあ。よりにもよって他所のマフィアの跡取りなんかと子供作りよるんやから大した女やわ。でも男の方は全然ダメやったな。ちょっと脅したらすぐ逃げ帰ってな」
「…………は、」
それまで貼り付けていたポーカーフェイスが俺の顔からぽろりと剥がれ落ちるのを見て、今度こそ、面白くてたまらないと言うように「ガハハ!」とおじいさんが膝を打って笑った。
親父がいなくなったのって、この人のせいだったのか。あんたが元凶じゃん。
……いや、そんなことは今はどうでもよくて。
「言うたらお前はサラブレッドじゃ」
ガハガハじゃねえんだわ。
俺は頭を抱えそうになる自分をぐっと押さえ込んで「はは」と空笑いした。やっぱ俺みたいな人間の家族って、ろくなやついないんだなって。
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