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第19話 煮るなり焼くなり

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「俺、椎名渚。喜田詩織の息子です」

返事は返ってこない。
目の前の首にしがみつくみたいに手を回した。
逃げられたりしないように。

「喜田詩織。喜田組の人なら知らないわけないよね」

パタ、と鼻先に空から雨粒が降ってくる。
雨だ。

「喜田組組長の一人娘だよ。外人と駆け落ちして逃げたバカ娘」

しかも早々に駆け落ち相手と破局して、子供も捨てた挙句他の男と姿をくらました最低な母親。

「知ってて俺に取り入ったんでしょ? 俺母さんに似てないけどどうやって見つけたの? "椎名"のことでも知ってた?」

"シーナ"は母さんの駆け落ちを手伝ってくれたらしい下っ端ヤクザから喜田を名乗るわけにもいかなくなった母さんが借りた名前だった。ちなみにその"椎名"は最終的に、母さんとどこかに高飛びした。母さんの"運命の人"ってやつだ。

「……………」

ついさっき、俺の鼻先に落ちた雨粒があっという間に強い土砂降りになって俺たちを濡らした。
俺を包み込むみたいに立って見下ろしている大きな影がそのほとんどを受け止めて、唯一黒い髪からポタポタと降ってくる僅かな水滴が俺の頬を伝って落ちた。

「………答えないの」

ヒタ、と暗い頬に触る。死人みたいに冷たい肌だ。

「………送る。車に戻ろう」

唯一戻ってきた答えがそれだった。






 
この人が何を考えているのかさっぱりわからない。男は、路地裏の入り口に乗り付けたフルスモークの高級車に俺を誘導した。
従者が主人にするみたいに扉を開けて、酔った俺が頭をぶつけないようにドアの縁を手で覆う。
雨でぐっしょりと濡れた髪が垂れているせいで表情は伺えない。ただ、俯きがちの顔が異常に青ざめていることだけは土砂降りの雨の中でも理解ができた。
ネオンの道を行き交う人たちが、黒塗りの車からあからさまに目を逸らして早足に通り過ぎていくのを横目に、車内に乗り込む。

「、」

バタン。
ドアが閉められると、途端に世界が静かになった。

「………なに、だんまり?」

土砂降りの雨が車に降り注ぐ音。
ボタボタ、車のシートに水滴が落ちる音。
普段画面の上であれだけ饒舌な男は、髪から雫を落としながら、何かを後悔しているみたいに俯いて黙りこくっていた。
ウジウジした人間は嫌いだ。だから今の自分も、この隣の男も、この状況も全部気に入らない。

「………まあ、いいや」

俺のことどうするつもりなのか知らないけど。好きにしてくれていいよ。駆け落ちした娘の、混血の息子がどれだけ役に立つのか俺にはわからないけど。

アルコールのせいでズキズキ痛み出した頭を隣の肩に預ける。
それでも何も言われないから、そのままでいることにした。多分どうせもう会えないんだし。
車にはいつか見た水とタバコとライターが置かれたまま。そういえば、すぐ近くの体から香水の匂いに混じってほんのりタバコの匂いがする気がした。

「好きにしてくれていいよ」

「…………好きに?」

怯えているみたいな、掠れた声。
なんでこの人が怯えるんだろう。どっちかというとこの状況、俺が怯えるべきだと思うんだけど。

「俺に何か利用価値があるから優しくしてくれてたんでしょ。好きにしてくれていいよ」

「………、ごめん」

ようやく、答えが返ってきて、体が少し緊張した。
でもその声色を聞いただけで、少なくともこの人が俺のことをバカにしてたとかそういうわけじゃなかったんだってことがわかって。正直俺はもうそれだけでいいかなって気分になって目を閉じた。
辛そうな声。そんな声出されたらこっちが苦しくなるじゃん。何を謝ってんの。俺を利用するために近づいたこと?

「シーナのことを護るのが仕事だった」

は?
想像と違う話が始まってパチンと目が開く。
なんて?

「……まもる?」

「………俺が一番信用できるからって。シーナが気づくずっと前から。俺が行けない時は部下とか。色々見張らせてた」

俺を護衛してた?
頭を上げて信じられない気持ちですぐ隣の顔を見る。
髪に隠されていた顔がこちらを向いて、俺はあれ、と内心で呟いた。
あれ、この顔。
アルコールのせいでボヤけた脳が必死に既視感を訴える。
次から次と出てくる新しい情報に頭が追いつかない。

「組の中がずっとゴタゴタしてて。シーナのことを巻き込まないように俺が護ることになった」

シーナが自分の出自のこと知ってると思わなかった。
黙っててごめん。
俺をじっと見つめる黒い瞳が外を流れるネオンに照らされてチラチラ光る。
混乱した頭が、なるほど、確かに馬鹿みたいに綺麗な顔だな。こりゃモテるわ。とか絶対に今考えることじゃないことを考え始める。

「なに。俺のことこれからどこかに突き出すんじゃないの」

「そんなことするわけない」

「………仕事で、俺のことストーキングしてたってこと?」

「本当はずっと隠れて見てるつもりだったんだけど」

シーナが、クズばっかり捕まえて危ない目にばっかり遭うから。

「流石に我慢ならなくなって」

「…………は、なに。俺の恋愛まで監視しろって言われてんの」

「ううん。これは俺の私情」

なんだそれ。
ぐったり力が抜けて背もたれに体を沈めた。
酔っ払いの頭にはちょっと難しすぎる。もっとわかりやすく言って。

「……なんか、俺にすごい優しくしてくれたのは?」

「俺が勝手にした」

「………チンピラからも助けろって言われてんの?」

「組のいざこざから護るようにってことだけ言われてる」

なんか俺、自惚れちゃいそうなんだけど。

「婚約者は?」

「………婚約者?」

なにそれ。と言いたげな顔で首を傾げられ、俺も眉を寄せながら思わず首を傾げる。それを見て、かわいいものを見たという風に突然目の前のアーモンド型の瞳が蕩けるので慌てて視線を逸らした。なに今の。

「………ああ。いたかも。いたな。二、三回しか会ったことないけど。なんか俺のこと婿養子にして頭押さえつけてやろうってそういうことだと思う。勝手に言わせてるだけで、…………てか、どこで知ったの?」

「………結婚しないんだ?」

「するわけない」

ほ、と思わず息をついた俺を綺麗な顔が覗き込む。近……

「……今、ホッとした?」

「………してない」

「……何にホッとしたの?」

何にホッとしたの?
そんなの、あんたに好きな女がいなかったことに決まってんじゃん。
ここまで来ておいて、そんな言葉も口から出てこない。
はくりと、水面で喘ぐ金魚みたいに口を開け閉めする。
そして何とか絞り出した言葉がこれ。

「………、俺のこと、好きなのかと思ってたから」

あ、と思うけどもう遅い。もうちょっと言い方あったじゃん。
丸くなった目が信じられないようなものを見る目でこちらを見ている。

「婚約者がいるって聞いて驚いただけ」

「……、がっかりしたってこと?」

確信をつくような質問をされて、一気に顔が熱くなる。

「がっかりした」

「………シーナはさ、賢いのになんで俺みたいな奴にそんな顔してそんなこと言っちゃうの? 皆のことそうやって誑かしてる? だとしたら俺頭おかしくなりそうなんだけど」

「……これはストーカーさん誑し込むようの顔だから他の人には見せてない」

ああ、全部言っちゃった。
体を起こしてるのが辛くなって、またフラフラ体を後ろに預けた。
はあ、と震えるような細い息が聞こえて、隣の影が俺と同じように背もたれに沈む。
そんな仕草ひとつで俺の心臓はピンポン玉みたいにバクバク跳ねる。
なに。今のため息。
相手の些細な反応が気になってたまらない。どう思われたのかが怖い。
ああ、これだから愛だの恋だのは嫌なんだ。
恋なんて、剥き出しになった心をポイと相手に投げ渡すようなものだと思う。ほら、これはあなたのものだから。
あとは煮るなり焼くなり刻むなり。大事に優しく抱きしめるなり。全部あなたの好きにしてくださいって。
そういうの向いてない。

「……シーナはさ、勘違いしてるんだよ」

「……勘違い?」

また表情を隠してしまった隣の男を見上げる。

「俺はシーナの寂しさにつけ込んだただの気色悪い男だよ。シーナにそんなふうに言ってもらえる人間じゃない」

「ふうん」と、鼻から声が漏れた。
頭がガンガン痛む。

……何、俺フラれたの?はそんな感じじゃなかったけど。
つまり何? 俺国語苦手なんだってば。はっきり言ってくれないとまた勝手に勘違いするけど。
ゆらゆら危なっかしく揺れる俺の頭に、大きな手がそっと乗った。自分の肩に頭を預けるように優しく導かれる。
いや、だからそういうとこだって言ってんじゃん。
今日こそ、全部ちゃんと聞いてはっきりさせてやるってそう思って。酒を煽って馬鹿な真似をしたのに。いまだにこの男のことが理解できない。なんなんだよ本当にこの人。

「……人のさ、恋心を否定するってめちゃくちゃ失礼なことなんだけど知ってる?」

「ごめんね。俺ヤクザだから」

「あとフった相手にこういう気を持たせることするのも超失礼」

「ごめん」

「好きでもない相手になんであんな優しくしちゃったの」

「うーーーん……」

「俺じゃダメなの」

「俺じゃあシーナの人生をめちゃくちゃにしちゃうから」

「好きにしていいって言ってんじゃんさっきから」

俺の人生、最初からずっとめちゃくちゃだし。
その言葉に返事はない。
瞼がだんだん重たくなってきた。
すぐ近くから、穏やかな声がするせいだ。
安心して、子守唄みたいに眠くなる。

「寝な。家に着いたら起こすから」

「んん」

俺の頭を寝かしつけるみたいに大きな薄い掌が優しく撫でている。

「………シーナ酒、弱いんだからもう飲んじゃダメだよ」

――あ。
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