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第8話 誰がダメ男ホイホイだ
しおりを挟む「……で、どんなストーカー?」
カウンターに肘をついてそう尋ねる店長の目は、普段のヘラヘラふにゃふにゃした性格が嘘みたいに真剣だった。
仕事中につい漏らした言葉を今まで気にしてくれていたらしい。
時々、俺に寄ってくる奴の中に笑えないヤバいタイプの人間がいることを、付き合いの長い店長は知ってくれているからだろう。店を巻き込んだこともあるし。……その節は大変ご迷惑をお掛けしました。なんでこの人俺のことまだ雇ってくれてるんだろうね。
「いや、それがちょっと珍しいタイプのストーカーでですね……」
こうして心配をかけるんだから、黙ったままでいればよかったのに。出勤前「変な客に絡まれたら俺に教えてね」と言われたそばから、厄介なナンパをされたものだからつい口に出してしまった。
こうなってしまっては、変に隠す方が迷惑になるだろう。
そう思って後ろポケットからゴソゴソスマホを取り出した俺は、ストーカー男とのやりとりを見せながら、店長に今までの経緯を説明した。
最初はキリッとした顔でウンウン話を聞いてくれていた店長が、「え、やだあ、怖すぎ……」と口を覆い次第に青ざめていく。
あれ。何これ!とか言って笑うと思ってたんだけどな。クズ男と関わりすぎて感覚が変になってるのかもしれない。比較的一般的な感性を持っているはずの店長がこんなに怯えてるってことは、もしかしてこれ、ちょっとヤバいんだろうか。
「そんなにヤバいですかね」
「ヤバイわ。これは確実にヤバい」
ヤバいのゲシュタルト崩壊。俺と付き合いが長いせいで、最近少しずつトラブル耐性がつきつつある店長が(ごめん)青ざめた顔でスマホを見つめながらブンブン頷いた。え、そんなに?
「……そいつになんかされた?」
なんか?
「なんかとは?」
「その、なんか嫌なこと」
シーナの様子を見るに今のところはされてないんかな、とは思うんやけど。あ、いや。シーナの意見はあんまり当てにならんか。と、店長が付け加える。
……当てにならない。そうなのかもしれない。
女ができたからと家を放り出されたり(ちなみに俺の家)、こっそりベランダで怪しげな草を栽培されててガサ入れが入ったり。
そんなことがあった日でも何食わぬ顔で「お疲れ様です」と出勤したら、やや引き気味な店長から「いや、流石に休みな?ね?有給にするから」と家に送り返されたことが、多分もう4、5回はある気がする。……何回も言うけど、なんでこの人俺をクビにしてないんだろう。
「シーナはその辺ぶっ壊れてるからな。一般的な物差しで考えて?」
「……一般的な物差しで」
一般的な嫌なことってなんだろう。日用品とか食品とか差し入れられるのは一般的にも嫌なことじゃないよな。
頭上の薄暗いライトを見上げながら、俺はここ数週間を鮮明に思い出そうと頭を捻った。いや、色々あったんだよ、本当。
蛍光灯を替えておいてくれたことと、シャンプーを買ってきてくれたこと。あと、歯磨き粉もそろそろ絞り出すのは限界だなと思ってたらいつのまにか新しいのに替えられてたこと(それもちゃんと俺の嫌いなミントの味がしないやつに)。
男の一人暮らしに似合わないスキンケアセットのおかげで、最近肌艶が良くなってきたこと。
食生活がまともになったおかげで立ち上がるたびに眩暈がしなくなったこと。
「え、待って。シーナが最近、イケメンっぷりに磨きかけてんのそのストーカー男のせいなん?」
「体の調子は前より良いですね」
「"体の調子は前より良いですね"じゃないわ。ストーカーに貰ったもの素直に使う奴があるか」
「俺はてっきりシーナにも春が来たんだとばかり」と、頭を抱える店長を横目にまた思考へ戻る。
毎日「いってらっしゃい」と「おかえり」が送られてくるのも嫌じゃない。
それから「おはよう」と「おやすみ」、「仕事お疲れさま」も。
仕事が特別忙しくてフラフラで帰った金曜日には、『シーナの好きなチョコケーキ買ってあるよ』なんてメッセージが届いていた。
一人暮らし用の小さな冷蔵庫(薄~い麦茶しか入ってない)を開けて覗き込むと、真ん中でポツンと照らされているお洒落なケーキ屋の箱。中身は俺の大好きなチョコケーキだった。それもちょっとほろ苦くて、ブランデーがたっぷり効いたやつ。
これが好きだって誰かに言ったことあったっけ。俺はそう首を傾げながら、ワンルームの小さな部屋で、一人おいしくケーキをいただいた。
人からケーキを買ってもらうなんて、本当に小さい頃以来だ。これも嫌なことじゃない。
……うん。なにもされてないな。
むしろ俺、ストーカーさんにお中元とか送った方がいいのかもしれない。
俺がウンウン唸って首を傾げていると、店長が「何かなくなった物とかは?」と、助け舟を出してくれる。
「……あ、」
「やっぱり! なんや、下着か、歯ブラシか!」
キッ!と細い眉を吊り上げた店長が身を乗り出す。
「光熱費の請求書が無くなってました」
「せ、せいきゅうしょ?」
「請求書」
ふにゃふにゃと店長の眉が下がる。
「ニュータイプすぎる……請求書盗って何に使うん……」
たしかに、光熱費の請求書を盗っていくストーカーって新しいなって俺も思った。
「『推しの生活を直接支えてる実感があって興奮する』だそうです」
「キッショ」
「鳥肌立ったわ」と店長が腕を摩る。
ストーカーさんにこれを聞いた時、なるほど、お互いwin-winでいいな、と思った俺は粟立った店長の腕からソッと目を逸らした。
……そうか。これはキモがらなくちゃならないところなのか。
下着とか持っていかれるのは困るけどさ。光熱費払ってくれる分には、なんの損もないし。こっちも助かる、向こうもよく分かんないけどなんか喜んでる。ならいいじゃん。って思ってたんだけど。
……あれ、だめなのか。
「てかシーナ普通にメッセージのやり取りしてしまってるやん。ストーカーとメル友になる被害者とか聞いたことないで」
「特に実害もないし、いいかなって。あとなんか俺がメッセージ送るだけですごい喜ぶし。ケーキ買ってくれるし」
「弄んでるやんストーカーを。やばい奴に慣れ過ぎやねん。もうちょっと危機感持って」
正論に次ぐ正論。ぐうの音も出ないとはこのことである。
確かに、ちょっと冷静になって考えたらストーカーと呑気に朝の挨拶してるのってかなりおかしいのかもしれない。
「……それで、そのストーカーどうする気なん?」
――どうしましょうかね。
ヘラッと笑った俺に、店長のおもた~いため息が落とされる。
危機感が足りてない自覚はあるんだけど。あまりにも存在が助かりすぎて。
「……とりあえず様子見??」
ポピン。
その時、俺の返答を見計らったみたいなタイミングで聞き慣れた通知音が開店前の薄暗い店内に響いた。
バーにいる時にメッセージが届いたのは初めてだ。
バッと弾かれたように自分のスマホを見下ろす。俺のスマホの画面は暗いまま。……あれ。じゃあ、今の俺のじゃないのか。
顔を上げると、スマホの画面を見下しながら真っ青になった顔を引き攣らせている店長がいた。
何か悪い知らせでも届いたんだろうか。
「え、嘘やろ。アイツなにしとん……。うわ……まじ……?」という呟きを聞くに、相手は店長の知り合いらしい。
深爪気味に整えられた指が、ポチポチと文字を打つ。
店長の友達、何しでかしたんだろう。
「……大丈夫ですか?」
そう聞くと、「ハハハ」と空笑いをしながら店長が顔を上げた。うわ、顔色悪。
「……シーナさ、いつも言っとるけど、もしやばいことになったらすぐ俺に言ってな。本当に。マジで」
話題が突然戻ったらしい。ちょっと呆気に取られながらこくんと頷く。
「はい。ありがとうございます。今のところ大丈夫そうですけど」
「シーナはなあ、いつもそう言って大丈夫じゃないんよなあ……」
「はは、まあ、なんやかんやあっても五体満足で元気に生きてるんで」
「……とりあえず、"大丈夫"のラインの擦り合わせからしとこうか、俺ら」
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