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46 思い立ったが吉日
しおりを挟む「……いやいや、そうだ、買い物」
そうだ。俺、買い物を頼まれたんだった。
気持ちを切り替えるように呟きつつ、腕に引っ掛けたままだった薄手のコートを羽織って外に出る。
さっきの青年がいやしないかと周囲を見回していると、ガチャガチャと鎧の音を鳴らしながら騎士たちが曲がり角を曲がっていくのが見えて、「うわ」と顔が引き攣った。ま、まずい。
「……く、靴跡でバレたりしないよな。まさかな。日本の警察じゃないんだし」
チラと自分の靴を確認しつつ、そそくさ歩き始める。
これじゃあまるで犯罪者だ。
「……お尋ね者になってしまった」
相変わらずざわざわと騒がしい大通りを尻目にそっと人通りの少ない路地裏に飛び込む。
その瞬間、後ろをガチャガチャと騎士達が走って行って、たらりと冷や汗が垂れた。
……侵入者騒ぎってどのくらいでほとぼりが冷めるものなんだろうか。
流石に投獄されるのは嫌だ。投獄されてシドに会えるなら良いけど、国王様が牢獄に現れるとも思えないし。
……あれ。これ、思ったよりもまずいんじゃないか?
「いっそのこと、ほとぼりが冷めるまで王都を出るか……」
いい加減、シンシアさんたちにお世話になりっぱなしなのも気が引けてきてたんだよな。
占いのおかげで、思いもよらずお金が貯まったし、庶民らしく徒歩の旅にでるくらいなら……。
何の気なしに声に出した言葉に、「旅、旅か……」と顔を上げる。
旅。今思いつきで言ったことだけど、案外悪くないかもしれない。
大好きなゲームの世界を自分の足で歩き回る。
言葉にすると結構楽しそうなことに思えた。
お金の稼ぎ方は……弱い魔物を倒して素材を売ったりすれば、なんとかなるんじゃないだろうか。
あちこちの酒場を回ってカードゲームで荒稼ぎする手も、まあ、いざとなったらありだし。
シドに会うこともできず、知り合いのいない異世界でこれから先どうやって生きていけば良いかも分からず、ずっと宙ぶらりんの気分だったのも事実なのだ。
俺は自分の黒髪を触りながら、遠くに見える王城の方向に視線を向けた。
……そうだ。『ラスト・キング』で回った道を旅して回るなんていうのも楽しいかもしれない。
「……本当に、ありだな」
八年後のウィンターグレーに迷い込んでから早一ヶ月。
先のことを考える余裕ができるのに、随分時間がかかってしまったなと思いながら、久しぶりの王都を歩く。
後回しにして売り切れてしまっては大変なので、先にメモに書かれていた果物なんかを買って回ることにした。
近所のお店の人は、顔見知りの常連さん達が多い。
みんな俺が買い物にきたと知ると驚いたように目を丸めて、それからニコニコと話をしてくれた。
ついでに「荷物が重いんじゃないか」「まだ治安の悪い通りもあるから気をつけてくださいね」とそんな心配まで。……また俺、貴族の坊ちゃんか何かに間違われていたりするんだろうか。
「あ、そうだ。あの、髪を染める染め粉とかってありませんか」
大方の買い出しを済ませた俺がふとそんなことを口にすれば、店主のおじさんがギョッとした顔で「……なんだって?」と声を上げる。
「髪の染め粉??」
「はい。俺、しばらくこの国に滞在することに決めたんですけど……」
「……本当かい?」
俺の言葉におじさんが身を乗り出す。
「あ、はい」
「……故郷が、あるんだろう? その、よく事情は知らないが。そっちは良いのかい?」
「ウィンターグレーが好きなので」
「……はは、そうかい。そりゃあいい! いくらでもゆっくりしていってくれ! なんならずっとこの国に住んでくれて構わないんだよ」
「はは、ありがとうございます。ただ、そうすると俺の髪、すごく目立ってしまうんで。髪色が変わればもう少しこの国に馴染めるんじゃないかと思って」
「……」
俺の言葉にニコニコと嬉しそうに笑っていたおじさんがグッと黙り込む。
「……そんなことはしない方が良いと思うけどなあ、俺は」
そしてなぜか悲しそうな顔をして呟かれてしまった。
「髪の色なんて気にしなくてもすぐに馴染めるようになるから、大丈夫さ。皆、ちょっと驚いてるだけでさ、ミナトさんが嫌いなわけじゃないんだよ」
「そうですかね」
だったら良いんだけど。
とはいえ、旅先でいちいちギョッとされてたんじゃ敵わないし、悪目立ちするからこその危険もあるだろう。
俺は「とりあえず試しに一個だけ……」と頼み込んで、染粉を買わせてもらった。
小さな石のような見た目である。練り固められてある染粉を、水に溶かして使うようだ。
なるほどなるほど。
お金を払って、店から出た後ふと振り返れば、俺の押しに負けて染粉を売ったおじさんがポリポリと後ろ頭をかきながら「まずいことをしちまったかなあ」という顔をしていた。
裏から奥さんが出てきて何やら言葉を交わしている。
「アンタ、あの方にそんなものを売るなんて……」
「……」
……あれだろうか。日本人は若く見えるみたいなことで、未成年にブリーチ剤を売ったみたいな扱いになっているんだろうか。
腕の中の紙袋を抱えなおしつつ、顔を引き攣らせる。
……なんか、ごめん。おじさん。
――数時間後。
俺は両手いっぱいになった紙袋を抱えて、ようやく帰路につこうとしていた。
いつのまにか、とっぷりと日が暮れて暗くなっている。
旅に出ると決めたなら早速……と武器と装備品を見繕いに行ったのだけど、それが思いの外楽し過ぎて時間がかかってしまったのだ。
自分が実際に色々な効果のある装備品を身につけるとなって、テンションの上がらないゲーマーはいないと思う。
どうしよ、体力に自信がないから、持続回復効果のあるやつが良いかな。いや、でも魔物と戦うなら火力が心配だから魔力アップ系のものも……。いやいや、幸運をあげまくって、めちゃくちゃ運の良い掘り出し物を狙うのもいっそのことありなのでは……。
そうやって何時間もウンウン悩んだ結果、なんとか厳選した三つのアクセサリーと俺でも扱えそうな短剣を相棒に選び、ようやくお店に戻るところなのだ。
「……そういえば、」
そういえば、前回ウィンターグレーで買った懐中時計。
俺、このコートのポケットに入れてたつもりだったんだけど、ひょっとして日本に置いてきちゃったかな。
コートの空っぽのポケットをポンと上から触りつつ呟く。
ああ、勿体無いことをした。あれはシドと一緒に買ったものだったのに。
どうせなら一緒に旅をしたかった。
「……今更そんなこと言っても仕方ないか」
周囲が真っ暗だったので、路地裏を歩くのはやめて表通りの方から店へ向かう。
――流石に遅くなりすぎたな。
門限がある子供でもないのに、罪悪感のようなものを覚えながら、俺はようやく辿り着いた店の扉を押し開けた。
「ただいま戻りました」
「あ、ミナトさん……!」
「……遅くなってすみません、シンシアさん。……あの、突然なんですけど、実は俺、近いうちに旅に出ようと思って……」
後回しにしては、この優しい夫婦と居心地の良いお店に甘えていつまでも現実逃避してしまうだろう。
勢いのまま言ってしまおうと、俺は紙袋で視界がほとんど見えないまま口を開いた。
すると「ミナトさん、」とジェームズさんに声をかけられ、腕の中の紙袋をヒョイと取られる。
「お客様が来てるよ」
「……え?」
お客様??
あ、そっちの紙袋は俺の雑貨類です、すみません、なんて言いながら、紙袋を渡していた俺はキョトンと店の中を見渡した。
……お客様って、俺、この世界に知り合いなんていないんだけど。あ、占いのお客さんだろうか。……こんな時間に?
首を傾げつつ、ジェームズさんの指差していた裏口の方に向かう。
裏口で待たせてるのか? お客様を? ……ひょっとして、人に見られると困る人とか??
すると開けっぱなしになった裏口の扉の向こう、路地の壁に背中を預けるようにして佇む、一つの影があった。
路地には篝火が少ないものだから、容貌がよく見えない。
つい廊下の途中で立ち止まると、そのカツリという微かな靴音に反応したらしい。
ピクリと肩を振るわせた影が俯けていた顔をゆっくりと上げた。
彼が顔を上げるのと同時に、さらりと銀色の髪が揺れて。暗闇でぼうっと光るほど鮮やかなピジョンブラッドを柔らかく覆う。
――え。
「おかえり」
「……」
「パレードで俺を見てたんだって?」
「…………な、なんで」
薄暗がりの部屋の中、流れる雲の隙間から溢れた月明かりに照らされた顔を見て。俺はその場に立ちすくんだまま、呟いた。
喉から出たのは、夢でも見ているような死ぬほど情けない声だった。
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