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31 吹雪の言い訳
しおりを挟む翌日はバッシュさんが言っていた通り、外に出るのも躊躇うような大雪になった。
カーテンを少し開けるだけで、体の芯が震えるような冷気が窓の隙間から入って来る。
外では向かいの家ですら霞んで見えなくなるような大粒の雪が降り続けていた。
……本当に昨日、焦って牢獄に向かわなくて良かったと思う。こんなの遭難確定だ。止めてくれたバッシュさんに感謝しないと。
シドも「あの人、いい人だったね」という俺の言葉に、少し考えるような素振りを見せた後「まあ」と頷いていたし。
警戒心が強くて貴族に良い印象なんて少しも無いはずの彼が頷くんだから、筋金入りの良い人なんだろうと思う。まあ、奥さんのために必死に薬を探すような人が、悪い人なわけないか。
それに昨日の様子を見ていると、あの人が昔前騎士団長の跡を継ぐに違いないと言われるほど優秀な人だったという話は本当だったらしい。
俺たちの前では良いお兄さんという雰囲気だったのに、薬屋に行くため路地を歩いていた時、こちらに絡んでこようと腰を上げた男を静かにジロと見るだけでとっとと追っ払ってしまったのだ。
背筋のピンと伸びた大きな背中で俺たちの前に出て男たちを見据える姿は、そうだ、この人強いんだった……と思い出すには十分な迫力だった。剣を抜くわけでもなく、大きな声を出すわけでもなくごろつきたちを追っ払ってしまう仕草なんて、まさに尊い身分の人間に静かに付き従い警護する騎士そのものって感じだったし。
なんせ歩く時も俺とシドの斜め後ろを付き従うように歩くのだ。
俺が話しかけたらわりとフランクに言葉を返してくれるのに、俺が速度を落とせば彼も速度を落とし、頑として隣に並ばない。
俺はそんな彼の姿を見てうわ……すご……、プロだ、本物の騎士だ……と横目で感心しきりだったが。シドはといえばさほど気にした様子もなかった。
……彼は王子様とはいえ、王族として扱われたことなんて生まれて一度もないはずなのに。あれか。高貴な血が流れている人間と一般人との違いってやつなのか。
「……寒」
物思いに浸っていた俺は、窓の隙間から吹き込む冷気に我に返った。
ぶるりと身震いをし、カーテンを閉める。
振り返った宿の小さな部屋の中はパチパチと燃える暖炉の暖かな炎で、柔らかな橙色に照らされていた。
寝台の上で本を読んでいたシドが「雪、どうだった」と顔を上げずに尋ねてくる。
「すごいよ。これは止んでもすぐには出れそうにないって感じ」
寝台に腰掛けながら答えると、シドが視線を上げ窓の方を見た。
俺は彼の隣の開いたスペースにひょいと腰掛ける。
出窓近くは冷気が吹き込んできて寒いし、暖炉の前の小さな椅子は硬くて長時間座るにはあまりに座り心地が悪い。
昨晩そう気がついてからは、ずっとこんなふうにシドの隣に自分の枕を置いて、あれやこれやととりとめのない会話をして過ごしているのだ。
……ちなみに、初めの数時間はかなり気まずい時間を過ごしていた。
なんせ部屋のほとんどをベッドで占められたこぢんまりとした部屋である。
寒いものだからカーテンも扉も閉め切って。薄暗い部屋をパチパチと暖炉の光が照らす。
そんななんともプライベートな雰囲気の漂う部屋の中で、シドとこれから一週間も二人きりなのだ。
だだっ広くて何もない牢獄で過ごすのとは訳が違う。
パーソナルスペースの広いシドには相当ストレスになるはず。
そう思って、初めは暖炉の前の小さなソファーを定位置に決め。よし、今晩はひとまずここで火の番をしながら寝るぞ、と意気込んでいたのだが。
「シドごめん、そろそろ足先がまじで壊死しそう。もうちょっとそっちに寄せてもいい?」
「いいけど。アンタの足、なんでそんなに冷たいんだよ。……生き物の足じゃないだろ」
……そんな悠長なことをことを言っていられるほど、ウィンターグレーの寒さは生易しくなかった。
今や俺は、昨晩の「大人として適切な距離感を保とう」なんて決意はどこへやら。この信じられない冷え込みを完全に彼の体温を頼りで乗りきっている。
「脂肪量と筋肉量が少ないからです……情けない気分になるんであんまり言わないでもらって……ハクシュ!!」
「……ん、」
凍えた俺の様子を見かねたシドが、本から視線を上げないまま自分の体にかけていた毛布を持ち上げてくれる。
俺はそんな彼の優しさに甘えて、自分の足を毛布の下にモゾモゾと滑り込ませた。
寒さで余計な力の入っていた体がホッと緩む。
感覚のなくなっていた足先がじんわりと体温を取り戻すのがわかる。
「あったか……」
もうすっかり、彼のぽかぽかとした体温の前に完全降伏だ。
血の温度から違うんじゃないかなと思うくらい、彼の肌は本当に温かいのである。
……いや、今の表現は語弊があったな。
もちろんピッタリと肌をひっつけているわけではない。
ただ分け合っている毛布の中が、ちょっとびっくりするくらい温かくて居心地が良いというだけ。
「……」
……そういえば、ひどく痩せていた頃を除いてシドが寒がるそぶりを見せたことがないな。
ひょっとしたらこの体温は、彼のご先祖さま譲りのものなのかもしれない。
なんにせよ、昨晩はこの体温のおかげでものすごくよく眠れたのだ。
暖炉の前から早々にリタイアをした直後は、なるべく体が触れない様に距離をとって寝ていたのだけど、「……アンタが離れて寝るせいで空気が入って寒い」と文句を言われたのをきっかけに彼に少し引っ付いて、気がつけばその背中に額をピタリと押し付ける様な形で朝を迎えていた。
もちろん、自分が現在進行形で擦り寄っている背中がシドのものであると気がついた瞬間、俺は一日目の朝と全く同じように寝台の下に姿を消すことになったのだが。
……眠りの浅いはずのシドが、よく俺を押し除けずに放っておいてくれたものだ。
寝台の下に落っこちた俺をすぐに覗いた呆れ顔が、一日目と違い、特に驚いたものじゃなかったことを思い出しつつ隣のシドを見る。
「……何、」
「……いや、シドのこと大好きだなと思ってただけ」
「……へえ」
「……」
日常茶飯事である愛の告白は、華麗にスルーされた。
俺はそれについ小さく笑いながらモソモソと枕に預けていた背中の位置を調節する。
初めの頃は、俺がこういうことを言うたびギョッとしてたのに。すっかり愛情表現に慣れているシドがおかしい。
枕の上で据わりの良いところを見つけて、息をつく。
パチパチと暖炉の火が燃える音と、パラと隣で本のページが捲られる音、それから時折下の階で子供が笑う声なんかが聞こえてくる。
俺はもう一度、カーテンの隙間から見える窓の外に視線をやった。
何度見たところで窓の外の景色は変わらない。
それでも見てしまうのは、仕事の待っている日本にも帰らず、何ができるでもなくシドの隣に座っていられるこの時間が、何もかも外の吹雪のおかげだと分かっているからだ。
――いっそのこと一週間と言わず、ずっと吹雪いてくれてて構わないんだけどな。
なんて、本日何度目かになるそんな本音をゴクリと飲み込む。
毎日魔物と戦ってまで強くなろうと頑張っているシドを前に、間違っても口に出しちゃいけない言葉だ。
だけど、きっと大丈夫だろう。
そっと、先ほどから俺の方に偏りがちな毛布をシドの方に寄せていると、彼の赤い瞳がチラとこちらを見た。
「シドだって寒くないわけじゃないんだからちゃんと毛布着て……」と、口うるさくブツブツボヤく俺を彼がじっと見つめる。
「どした?」
「別に」
「寒くない?」
「寒くない」
寒がりなのはアンタだろと呟くシドに、まあそうだけど、と小さく肩をすくめる。
「まあ、俺はほんの一週間のウィンターグレー生活だし。そこまで気をつけなくたって大丈夫」
よっぽど風邪を拗らせたって、日本に帰れば薬を飲んで点滴打てば治るんだから。
なんせ、一週間なんてあっという間である。
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