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だから前を向いて

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その光景が目に浮かびました。
皇妃陛下は怒り、皇帝陛下は頭を抱え、幼い頃の健気なクリスティン様の
姿しか知らない皇弟殿下が陛下をお助けしようとして。

「母上は勿論反対した。
 だがラーラ叔母上が母上を説得したんだ。
 母上と叔母上は皇太子妃教育を一緒に受けていて、母上にとって
 叔母上は実の妹のような存在だったから。」


王国では幼い頃に婚約者を定め、そのおひとりに王太子妃教育を
受けさせますが、
帝国は、幾人かの候補を帝都に集め、一定期間合同で学ばせ、
ふるいにかけ、最も相応しい女性を皇太子妃とするのです。


「皇妃陛下はクリスティン様の事は警戒しておられましたが、
 企みには気付いていらっしゃらなかったんですね…」

「母上は妖しいとは感じられても、心中を読むことは出来ないから。
 事を起こすまで、あの女は大人しくしてた。
 魔女に誘惑された馬鹿な王子に、婚約破棄された『悲劇の悪役令嬢』の
 仮面を外さないよう気を付けてた。
 あの女の本性に気付いてなかったからこそ、叔母上は子供達を連れて、
 実家に遊びに行かれたんだ…。」

「たった2日です、2日であの女は閣下を魅了した。
 …気を付けていたのに、私は閣下をお護り出来なかった!」

『エドガーは叔父上の護衛騎士だったんだ』
小さな声で殿下は教えてくださいました。


「事が発覚したのは、閣下がご自分で自身の目を潰したからです。
 公妃様が邸にお戻りになる日の朝、凄い叫び声がして、私が慌てて
 駆けつけた時には、閣下はあの美しい翠の目を潰していた。」

「ご自分で?」

「閣下は、この目がいけないのだと、
 クリスティンの瞳を見てしまったら訳が判らなくなってしまった。
 もうクリスティンの姿を見たくないから潰すしかないと。」

「…」

私は何も言えませんでした。

殿下とエドガー様からは怒りと悲しみ、そして後悔が感じられて、
不用意で無神経な慰めなど言ってはいけないと思いました。


「まず医師を呼び、クリスティンを拘束して皇宮に知らせました。」

「叔父上の邸は大変な騒ぎになっていて、駆けつけた俺はどさくさに紛れ、
 皆に止められない内にクリスティンを殺してやろうと、拘束した部屋へ
 飛び込んだが、あの女は逃げ出した後だった。
 既に邸の使用人何名かと警護の騎士、出入りの商人などが魅了
 されていて、こちらの混乱に乗じて逃げられたんだ。」 

殿下は未だ悔しそうに拳を握られました。

「帝国と王国は近い。
 国境を越えたら、王家の血を引く公女に手出しは難しい。
 成人した男女間の問題で、引き渡しを要求することも
 出来なかった。」

「それで以前クリスティン様の事を、帝国から逃げ出したと
 仰ったんですね。」

「傷が癒えた叔父上は皇族としての全ての公務、特権、そして
 ご自分の血筋の皇位継承権を永年放棄した。
 あの女が身籠った時の事を考慮してだ。
 叔母上には、私的資産をほぼ全部、自らの不貞を理由の離婚申請、
 親権の放棄、それらを用意した。
 両陛下は叔父上おひとりの責任ではないと、皇帝領のグッドウィンを
 与えて、公爵家を新しく創設した。」

突如グッドウィン公爵領を賜って、帝都から移られた皇弟殿下。
大怪我を負われたので、皇籍を離れられたと聞いていました。

…その理由は。
クリスティン様。

「おひとりで帝都を離れる閣下にお供を願いましたが、
 ご自分には剣を捧げて貰う価値はないと、断られてしまって…。
 父には閣下をお守り出来なかった責任を取り、あの女をどうにかせよと、
 言っていただき、
 陛下にバイロンの家の後顧の憂いがなくなったので、あの女の最期が見たい
 と、お願いしたのです。」

うつ向かれたエドガー様の両手の拳が震えている様に見えました。

「もう少しエドガーが遅かったら、叔父上は両方の目を失ってたよ。」

殿下がエドガー様の肩に触れられて、静かな声でそう仰いましたが、
エドガー様はしばらくお顔を挙げられませんでした。


年上の男性に対して、このような気持ちを持ったのは初めてでした。

大丈夫。
貴方のせいだと誰も思っていない。
だから前を向いて。

「そうだ、シャーロットが好きそうな話がある。」

殿下の声は今までで、一番優しく聞こえました。

「叔父上はおひとりで帝都を出られたが、
 先に叔母上と子供達がグッドウィンで待っていた。
 叔父上を泣かせたくて、皆で秘密にしていたんだ。」


皇太子殿下は本当にお気遣いの出来る御方だと、思いました。


 ◇◇◇


もう聞いてもよいのではと思い、私は尋ねることに致しました。

「クリスティン様の愛する男性が公爵閣下だと判りましたけれど、
 ノーマン様に愛を告白されていたのは何故ですか?」

すると、少し気が楽になられたのか、殿下はいつもの皮肉気な笑みを
浮かべられました。

「厳密に今の状況なら、元使える男に落ちたかもね。」

はっきりと答えてくださらず、ただ笑っておられるので、
私はエドガー様の方に向きました。

「ノーマンは金髪で目が緑です。
 色は細かく言うと少し違いますが。」

「それって…閣下?」

「そうです。 
 あの女は国に戻ってしばらくして自分が妊娠していると、気づきました。
 まだ未婚の娘が身籠ったことなど父親が許す筈もないが、
 愛した男の子供なら産みたい。
 あの女はそう考えて、代わりに父親になる男を探しました。
 並み居る求婚者の中で、公爵閣下に一番近い色を持つノーマンに
 目を付けたのです。
 幸いな事に、やつは三男で婿に取れるし、もし先に妊娠していた
 ことがばれても、実家の力は大した事はない。
 それでノーマンを使おうと、考えました。
 だが行為をしないと、子供が出来たと言えない。」

「それで何度も一度だけでいいからと?」

カフェで聞いたクリスティン様の声が甦って来ました。

あんなに愛していると。
貴方に愛して欲しいと。
切実に訴えられていたけど、どこかお芝居の台詞のようだと思って…。

本当はノーマン様のことを愛してなんかいなかった。
単に髪と瞳の色が愛するひとと、よく似てるから。
それで…?

それで、どうして何度も愛してもいない男に、愛を囁かなくては
いけなかったの?

貴女が望めば、何でも叶えられたのに。

別の女性をただひとりのひとと決めている、初恋のひとの心を、
一瞬でも奪えた。

ノーマン様は貴女に焦がれて、私も家族も将来も捨てたのに、
どうして貴女を抱かなかったの?

ランカスター公爵を恐れたと殿下は仰られたけれど、
貴女が望むならノーマン様との結婚を許したのでは?

貴女もそう思ったから、彼にその役割を求めたのではなかったの?


クリスティン様、貴女の魅了の力は何処かへ行ってしまったの?


そこから殿下が、引き受けられました。

「夏の半ばがあの女のぎりぎりのタイムリミットだった。
 あいつ焦ったと思うよ、簡単に落とせる筈のノーマンが手強くて。
 夏の頭にあいつから迫られると思ったのに、そうはならない。
 半ばまでに一度、もしくはそれ以上が必要なのに、時間はなくなる。
 早くしないとお腹はどんどん膨らんでくる。 
 貴方の子供よと、ノーマンを仮の父親にする予定だったのに、ね。
 …シャーロット、あの女の魅了の力がなくなってしまったこと。
 妊娠と関係あると思わないか?」

妊娠したから魅了の力が失われた?
その力が子供が出来たので消えてしまった?

「こうは考えられないか?
 魅了の力はお腹の中の胎児に移ったと。」

…殿下が仰っていた言葉を思い出そうとしました。
クリスティン様のことを父親の公爵閣下は何と言ってた?

「…選ばれし人間…?」

「その通りだと思う。
 魅了の力を持つ者が『選ばれし人間』なんだろう。
 それは次の世代に引き継がれる力なんだ。」


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