【完結】この胸が痛むのは

Mimi

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第98話 アシュフォードside

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急ぎ侯爵邸に戻る。
アーサーが馬車寄せに立っていて、馬車を横付けした途端に駆け寄ってきた。


「旦那様と若様にも報せは出しています!」

「ゲイルが居ないのに、ひとりで始めたのか?」

ノイエとアーサーの3人で早足で玄関ホールから階段を駆け上がりながら、アーサーに尋ねた。
まさか、ひとりで?
誰かに頼んでかけて貰ったのか?


「ロレッタというメイドが居まして。
 金貨を渡して頼まれたようです。
 ドレスの着付けをお命じになられて。
 何か草を燃やして、それを持ってお嬢様の周りをまわるだけでいいと仰られて、終わったら部屋から出る様に仰せになった、と。
 恐ろしくなって、私のところに駆け込んできました」

「そのメイド、口は堅いな?」

「大丈夫です」


すかさずアーサーが答える。
いつも世話をしているレニーを差し置いて、アグネスがお願いしたのだから、忠義に厚いメイドなのはわかっていたが、一応確認だけはする。


この邸には随分通ったが、2階に上がったのは初めてだ。
クラリスの私室に先導されながら先生から聞いた手順を思い出す。
乾燥させた香草を燃やし、それを手にして風の抜ける出口から見て、左回りに依り童の周囲をまわる。
右回りにじゃなく、左回りに。

『死人還りを始めた昔にそれを知られていたのかはわかりませんが……
 人は何故か、右回りよりも左回りに馴染むのです』

『ホワイトセージは空間浄化作用があると広く知られていますが、気を付けなくてはいけないのが、使用者のその時の精神状態です』

『使用者とはその場に居る全員です。
 依り童、術者、立ち会う者。
 その者達の気分が塞いでいる時、体調が悪い時、そんな時にはその香りが低級霊を呼び寄せるともいわれて……』



「レニーに何の草なのか確認したら、トルラキアから帰国された時に鉢植えで持ち帰られたようです。
 お嬢様の部屋のバルコニーで育てられていたそうです」

既にトルラキアやリヨンでは香草の効用は浸透していたが、まだバロウズでは草の扱いだった。
他国からの動植物の持ち込みは厳禁なのだが、バロウズとトルラキア両国の国境警備の目を掻い潜って、うまく持ち込んだのか。

クラリスの部屋の扉をノックしようとしたその手を一瞬止めて、確認する。


「じゃあ、今アグネスはクラリスの部屋でひとりで居るんだな?」

アーサーが頷いた。
……今、何故か何人かの気配を扉の向こうに感じた。

それはあり得ない。
霊的な心配は要らないと、先生が言ったのだ。
それにもし、そうだとしても。
部屋の中にはアグネスが居て、俺は彼女の側に行かなくてはならない。

扉をノックする。返事はない。
先より強めにノックする。当然返事はない。
俺の合図で、アーサーが胸ポケットから真鍮製のウォード錠を取り出して、俺に手渡した。
ノイエも何か感じているのか。
俺の手を押さえて、自分が先に中に入ろうとする。

それは駄目だ、君は決して巻き込まれないようにと、先生に命じられていただろう?
部屋に入っても扉の前から動かず、事のなり行きを見守ってくれていたらいいんだ。


ひとりでこの部屋に居るアグネスを思うと、本当は立ち会いたかった侯爵とプレストンに申し訳なく思った。
渋る侯爵に『俺の中にはアグネスしかいない』なんて言ったくせに、俺はアグネスの側を離れた。
ゲイルが居なければ、諦めてくれると思った。

……本当は自分でもわかっている、それは怯えていた言い訳なんだ。
無意識なのか故意なのか、わからないが。
アグネスからぶつけられた悪意。
彼女は幼い頃からの、抑制された性格からめったに表に出せなかったものを、別の人格の力を借りて俺にぶつけてきたのだ。
そんなアグネスが恐ろしくて、俺は。
……俺をずっと憎んでいたのかもしれない君の隣に居ることを放棄した。

鍵を回して部屋に入る。
中は光を遮る厚地のカーテンが閉じられて、灯りは二本立て燭台に立てられた蝋燭の2本の頼りない細い炎だけ。


9月上旬の午後だ。
外は小雨とは言え、カーテンまで閉めきって、部屋はムッと熱気が籠っていると思っていたのに、反して冷気を感じた。
身震いする程の。

セージを燃やすと、しばらくは煙からミントに近い清涼感のある香りがするのに、扉を閉じられていた部屋には何の香りも……
燻された煙の名残りも、そこにはなかった。

全て想定したものとは違っていた。
部屋の雰囲気は重く、直接絨毯の上に座り込んでいたアグネスがゆっくりと、闖入者である俺達の方を見た。
暗いので一緒に入室したのがノイエだと、判断は出来ていない筈だ。

 
「殿下……なの?
 いつもの温室での散歩を終えられて……帰られたのではないのですか?」

いつものと、また記憶と思い込みが混雑している。
『アグネス嬢の言うことに合わせてください』と、先生に言われていたのは、死人還りの儀式で彼女がトランス状態になっていたらの話だ。
これはクラリスではなく、アグネスとの会話なので合わせなくてもいいだろう。


「違うよ、アグネス。
 今年初めて、温室で君と散歩をしたんだ。
 君に愛している、って……さっき言ったんだ」

ノイエは近付かないように扉の前で立ったままだ。
俺はアグネスの前に跪いて彼女の手を取った。


「死人還りを試したの?
 姉上とは会えた?」  

「駄目……駄目なの、お姉様は来なかった」

ふるふると頭を振るアグネスの仕草は幼く見えた。
12の頃に戻っているのか?
そして、俺は気が付いた。
さっき着ていたデイドレスを着替えていた。
彼女は座り込んでいるし、何より暗くて、はっきりとは見えないが。
そうだ、メイドに着付けを命じたと、アーサーが言っていた。


夜会に着ていくようなドレス姿だ。
見覚えのあるデザイン。
まさかと、胸の鼓動が強くなる。
今はこの儀式の仕儀を気にするべきで、ドレスの確認など二の次なのに。
アグネスの着ているドレスが。
俺の思い浮かべたものだったとしたら?


死人還りは失敗した。
クラリスは還ってこなかった。
だったら。
俯くアグネスを抱き締めた。


「カーテンを開けてもいい?
 外はまだ降っているけれど、空気を入れ換えよう」


換気と。
……ドレスの確認の為にバルコニーに続く掃き出し窓のカーテンを引き、雨が吹き込んでこない程度に開ける。
晴れてはいないが、それでも9月は昼が長くて。
晴れの日に比べたら暗いが、それでもまだ明るい外の陽を取り込むことが出来る。

雨の湿った匂いを含んだ新鮮な空気を吸い込んで、
俺は振り返った。
そして確認した。


……どうして!
そのドレスを、今、着ているんだ?
あの日の、あのデビュタントの夜。
君の手を取り、何度も愛を囁いた。
婚約の話には頷いてはくれなかったけれど『いつかは』と、応えてくれたじゃないか。
一瞬の、初めての口付けも受けてくれた。
そして身に付けていたドレスの胸元を撫でながら、君から言ってくれたのに。

『トルラキアでは、この夜のドレスを……』




「これは……一体どういうつもりだ?」

俺の声の震えは怒りからか、悲しみからか。
自分でも判断がつかない。 
ただ、頭のなかを占めていくのは絶望。
ここまで君は、俺を憎んでいたのか。
いつ刺せば一番俺を傷付けられるのか、そのタイミングを俺の側で、ずっと窺っていたのか。


俺の言葉を聞いて、それまでぼんやりしていたアグネスの瞳が俺をしっかりと見た。
薄く嗤い、挑戦的な目で、俺を見ていた。


「アグネス! 何故嗤っている?
 それは私を愚弄している、と受け取っていいのだな?」



10年前の夏、トルラキアまでアグネスを追いかけた。
あの夏から俺はアグネスの前では『私』と言う王子の仮面を脱いだ。
君の前では殿下ではなく、ひとりの男のアシュフォードでいたかったから。

しかし今は、自覚なく『私』と言っていた。
君の狙いは正しかった。
この上なく正しいタイミングで、確実に君は俺の心臓を突き刺した。


『トルラキアでは、この夜のドレスをウェディングドレスに作り替える人が多いのです』

言い出したのは君の方だった。

『ウェディングドレスに?
 ……もしかして君も』

『いつか、いつかの日の為に、このドレスを作り替えてもいいですか?』

期待を込めて尋ねた俺の胸には喜びが溢れた。
初めて君に贈ることが出来たデビュタントのドレスを、ウェディングドレスに作り替えると、君自身が約束してくれた!

あの年のあの夜、俺ほど幸せな男はいないと、信じた。
この約束があれば、この先も俺はやれる、そう……目の前が晴れていく気がした。
体力と気力が底辺だったのに、いきなり世界の全てを手にした様な高揚感に包まれた。


その約束をしたデビュタントの夜。
君が身に付けていたドレスは紫色に染め替えられていた。




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