【完結】この胸が痛むのは

Mimi

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第92話 アシュフォードside

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これからアグネスと話をしてみると仰った先生に、帰国の前にストロノーヴァ公爵家へ伺いたいとお願いした。 
アグネスから俺には何も話さないだろうと、わかっていたからだ。
その後、イェニィ伯爵にも直接お会いして
『アグネスがお世話になるご挨拶をしに行こうと思っています』と、付け加えると。
先生の方から伯爵へ先触れを出してくださるとのことだった。


先生を見送るアグネスの様子は特に変わっては見えない。
先生からは、今はまだ俺が死人還りの事を知っていると、伝えない方がいいと言われていたので、白々しく何の話をしていたのか、彼女に尋ねたが。
アグネスの方も正直には言ってくれなかった。

何も言ってくれない彼女に。
つくづく信頼が回復していないのだと思い知らされて。
許さなくてもいいからと、わかっていた筈なのに寂しくて。
いつもより長く、彼女を抱き締めた。



翌日はストロノーヴァ公爵邸へ。
先ずは当代の公爵閣下の私室に挨拶に伺う。
以前は迎えに出てくださっていた時もあったが、最近は寝込まれている事も増えていると聞いていたので、出迎えは不要、こちらから顔を見せに行きますと、先生に言付けをお願いしていた。
矍鑠とされていた閣下が寝込むようになられたのは年齢のせいもあるが……
気落ちされたからだろう。
その責任の一端は俺にもあるから、心苦しい。

公爵閣下は口では家出をしたノイエを許さないと広言したが、彼の事は可愛がって目をかけていた。
閣下の急激な老いは、ノイエのせいであり、それを後押しした俺のせいでもあり。 
彼に送る手紙には閣下の現状を綴ろうと思った。
それを知って、国に帰るかどうかはノイエ本人が判断すればいい。


「お見舞いありがとうございます」

先生が自身の私室に向かう為、俺を先導して、見慣れたストロノーヴァ家の長い廊下を歩く。


「父から聞いた話ですが、当代も若かりし頃は、家を出た事があるそうです」
 
「公爵閣下が、ですか……」

「誰もが、この家から。
 この名前から一度は逃げ出したくなるんですよ」

「……」

「私の場合は、行く先も期限も伝えて出ただけなので。
 あれは家出とは言わんと、当代には笑われました」

先生の私室に入ると、既にお茶のワゴンが置いてあった。
最近は、家令やメイドの顔を見ること無く、この邸を辞する事も増えた。
程よい広さの先生の私室は心地いい。

トルラキアに来る度にこの邸に通うようになって、すっかり薔薇のジャムにも慣れた。
反対にそれを入れないと、何かを忘れた様な気にもなる。
この不思議な習癖というか、中毒性は、この国そのものの様な気がする。

アグネスの卒業式には予定が入っていて、出席出来ないので、しばらくはこの邸に伺う事もないし、先生にも会えなくなる。


「ノイエの事は御礼を申し上げたいと、思っていました。
 改めて……ありがとうございました」

先生に頭を下げられるが、俺は大した事はしていない。
初対面では煽ってきたノイエも、公爵家の晩餐会で会った時に頭を下げられてからは、親しくなった。
それはお互い、アグネスには言わなかったが。

幾度も顔を合わせて会話を重ねる中で、学院を卒業したら国を出たいと聞いて、俺がした事はリヨンのライナスへ手紙を出しただけ。
彼の夢を実現するには俺の知る限り、自由と芸術を守るフォンティーヌ女王が治める国リヨンがいいと思ったからだ。
金銭的な援助はしていない。
ただ入国したら、先ずはライナスを訪ねる事、それから居場所を変える時には必ず連絡を入れる事を約束させただけだ。


初恋の相手が、兄に嫁いで義姉になる。 
ふたりの姿を、側で延々と見続ける。
ノイエの話に、胸が痛んだ。
そして、気付く。

これが俺とクラリスが、アグネスに与えた痛みなんだ、と。
考えなしの俺達はまだ12だった彼女に、この痛みを与えてしまったんだ。
いくら後からこんな理由があったと言い訳しても、それは無かった事には出来ない。
俺の寂しさなんて、比べる事も出来ない。

ノイエは、アグネスへの俺の贖罪だ。


「御礼など、仰らないでいただけますか。
 私は目障りな虫を、追い払っただけです」


 ◇◇◇


昨日、アグネスの様子はどうだったかの話を先生が始めた。


「我知らず、きつい責める物言いになりました。
 あれは説得とは、程遠い……自己嫌悪に苛まれましたよ。
 結果としてアグネス嬢は決行すると、確信しました」

「……そうですか、先生に対してもそうなら、私には止められそうもありませんね」

出会った頃の素直なアグネスを頑なにしてしまったのは俺だ。
取り敢えずは、死人還りなるものの説明をもっと詳しくと、お願いした。


元々は遠い地で亡くなった子供にもう一度会いたいと願う親が始めて、本当に還ってくると広がったらしい。
息子に似た年齢の……出来れば兄弟だったり、友人だったり、個人をよく知る人物を依り代にして、霊を呼ぶ。
兄弟も友人も居ない場合は、人形を用いる。

依り代が人物の場合は、依り童。
人形の場合は、形代と、呼ばれる。
当然のように、術の成功率は依り童の方が高くなる。
それはやはり知っている人物が、死者を装うからか。


本当に還ってきたのだと信じた者の方が少ないのに、それが受け継がれてきたのは。
それでも、死んでしまった人間に会いたいと願う人が多いからだ。

術に関わった誰もが、これはまやかし、偽りだとわかっていても、死者にもう一度会いたくて行う、鎮魂の……


「死人が出たと仰っておられましたが、それはやはり霊的なものではないですね?」

「そうです、人的なものです。
 一種のトランス状態に陥った依り童と呼ばれる人物が暴れてしまって、倒した蝋燭の火で火事が起きた。
 それと、刃物を持ち出して周囲の人間や自分の首を切り付けた、そんなものです」

「トランス状態……」

「変格意識状態とも、呼ばれています。
 本来の自分とは違う感覚や記憶、それに囚われてしまって、文字通り人格が変わってしまう。
 死者よりも生者が恐ろしいのです」

依り童の方が成功率が高いなら、アグネスはこちらを選ぶだろう。
それも自分を、姉に似ている自分を依り童とする筈だ。
無意識に暗示を自分にかける彼女は危う過ぎる。


「通常はかける人物と依り童の、最低ふたりは必要です。
 アグネス嬢には、協力者がいそうですか?」

バロウズにそれ程親しい人物が居ただろうか。
余程信頼出来て、口が硬い人物じゃないと無理だ。


「悪手でしたよ、責めるのではなく、手伝うと言えばよかった。
 アグネス嬢は私に手助けは頼まないし、私から言っても邪魔をされるだろうと、用心するだけ……」

後悔したような先生に俺は言ってみた。


「私が手伝うと、言ってみるのはどうでしょうか?」

アグネスの全てを受け入れると、いつだったか先生に話した。
それを証明する時が来たと、思った。



先生は頭を振る。

『ご自分の立場をお分かりでしょう?』と。
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