【完結】この胸が痛むのは

Mimi

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第83話 アシュフォードside

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スローン侯爵の頑固さには頭を抱えた。
『婚約者でもないのに』この一点張りだ。


じゃ、婚約させてくださいと、無理を承知で言えば。 
アグネス本人は何と言っていますかと、冷静に返される。
アグネス本人は……そこで俺は黙るしかない。 

俺は今まで色々とヤラカシを重ねてきて、アグネスにはそれの説明と謝罪を重ねてきたが……
彼女からの信頼は0に、等しい。
それがわかっているから、面と向かって『婚約者でもないのに』と言われても、黙っていたのだ。


デビュタントのパートナーだけでいいじゃないかと、思う朝もあれば。
ここまでの6年間の集大成がこの日なのに、何で支払わせてくれないんだと、心が荒ぶる夜もある。
夜は駄目だな、要らないことまで考えてしまう。


トルラキアから帰国した翌週末からスローン侯爵家へ通った。
嫡男のプレストンも帝国へ留学して、見事な絵画や典雅な彫刻で飾られた侯爵家なのに、殺風景な印象を与えている。

3年前まで2週間毎に、アグネスに会う為にこの邸に通った。
俺が譲って貰ったアールの母犬バックスは亡くなって、今は妹犬元4号のルビーだけがこの家に残っている。

あの頃、この邸は賑やかで、いつも暖かい印象だった。
それをこんなに寂しく、寒い邸にさせたのは、自分だと忘れてはいけない……


先触れを前日に出して、翌日訪れる。
侯爵とは会って直ぐにドレスの代金の話をして、断わられて。
その後は違う話を1時間して、最後にまたドレスの話をして拒否されて帰る。
これを4か月弱、続けた。

平日も時間があれば、財務大臣の執務室を覗く。
秘書官が俺に気付いて席を立つ。


「今は来年度の騎士団の予算編成について、報告を受けておられます」

「時間がかかりそうだね?」

「申し訳ありません。
 大臣の時間が取れそうになりましたら、ワグナー殿へ伝令を差し上げます」

段々顔馴染みになってきて、大臣の執務室メンバーは俺に協力的になってきた。


そうして侯爵には内密に、執務室からカランへ連絡が来て、俺の時間があれば財務大臣室に向かい、またドレスの事を頼み込んだ。


「どうして時間が空いたら、殿下が毎回いらっしゃるんです?」 

「今時間がありそうだな、って気が何となくするからですよ」

ここでもやはり断わられて、違う話をした。

ドレスの支払いとは違う話は。
俺からは今までの……アグネスに聞いて貰った話と同じ内容だが、少し違っている。
彼女と王城の四阿で出会った時の事。
バックスの子犬を貰った時の事。
もうすぐ16になるのに、7つも年下の彼女が気になって、ふたりだけの誕生祝いをしようとした事。
アグネスに話したよりもっと前に遡って話した。
侯爵と会う1回につき、ひとつの話だ。

その話が終わると、次は侯爵が自分の話をする。
最近、夜眠っていても何度も目が覚める話からそれは始まって。
俺の話が現在に近くなるのとは反対に、侯爵の話は現在から昔へ戻っていく。


俺がアグネスを追ってトルラキアに向かった夏休み、教会の前で頭から水を掛けられた話をしたら、やっと侯爵が少し笑った。
水を掛けられた事か、アグネスが悪魔払いをした事か、プレストンが調理場の水を聖水だと渡した事か。
どれかに笑ったのか、全部に笑ったのか。
それも教えてくれないが、確かに笑ったのだ。
侯爵が俺に向けて笑顔を見せたのは初めてだった。
その後、侯爵から聞いたのは幼いプレストンが高熱続きなのに、家族は誰も彼の部屋には入れて貰えなかった話だった。


翌週、リヨンから早馬が来たと国王陛下から呼び出される。
俺は翌年夏からの帝国へ赴く話を詰めているところだったが、その場はレイに任せて、陛下の元へ急いだ。

早馬はリヨンのシモーヌ公爵家に婿入りした元近衛騎士のクリスチャン・ライナスからだった。
フォンティーヌ女王陛下の王配クライン殿下が俺に会いたいと、ライナスに泣きついて来るそうだ。
適当に流していたが、最近は王宮への出仕時に通路等行く先々で待ち伏せされて、このままではその奇行が人々の口に上るのは必至だと綴られていた。


「王配殿下から信頼をかち取れと命じたが、母国に帰ったお前を呼び出すとはな……」

「悪い人ではなかったし、覚悟を持って婿入りしたと話していましたよ」

「平民の女と付き合っていた第4王子の、王族としての覚悟なんてどれ程のものか。
 リヨンでも、ラニャンでもない、お前に聞かせたい話か。
 ややこしい話になるかもな。
 返事は直ぐせずに、有耶無耶でやり過ごせ。
 もしもの時は、クラインは切り捨ててリヨンを取る」

クライン殿下が学生だった頃に特待生だった平民女性と、婿入りの直前まで愛し合っていた事は、国王陛下には伝えていなかったのに。
当然、調べていたか。


これからリヨン入りして。
用事を片付けて帰国するのは、年を跨いでしまうな。
ややこしい話は勘弁してほしい。
デビュタントには絶対に戻りたい。

リヨン王宮に知られずに訪問したいので、平民としてリヨンに入国する。
外務からそれ用の旅券を受け取る。
レイと護衛4名。
髪を黒く染めて、目が悪いという設定で薄い色の入った眼鏡をかけた俺の名前は、カイン。
カイン・ブライズ、バロウズの商会の3番目の息子。
ブライズ商会はリヨンのバロウズ大使館に出入りする実在の商会で、王家が裏で動く時に屋号を使用する協力をさせていた。
レイは反対に金髪に染めた。
カインが遊ばない様に張り付いているお目付け役の設定だ。


同行して貰う顔触れで、各々に偽名の旅券を渡し役柄を説明する。
出発前に出来るだけ早く帰国したい旨を話し、往復の経路を話し合う。
雪が降った場合、海が荒れた場合、色々と想定する。

どれ程急いでも年内帰国は無理なので、出発の挨拶も兼ねて、侯爵に会いに行った。
最近は、ドレスの支払いの事よりも侯爵と話す1時間を楽しんでいた。


「お忙しいと仰せになりながらも、外交は殿下に合っているようですね」

「今のところは楽しいですね」

「……ずっと殿下には厳しい事も言いました。
 ご自分の力で娘を守れるまでは、と」

「あの言葉が励みになりました。
 感謝しています」


おべっかではなく、本当にそう思っていた。
だが、言われた侯爵はそれ程嬉しくもない様な表情だった。 


「あの頃は力を持たないものは、何も守れはしない、など傲慢にも思っていました……」 

「……」

「妻と上の娘が亡くなって、息子も下の娘も傍には居ない。
 自分ではそれなりに力を持っていると過信していたのかもしれません。
 見えていなかった、知ろうともしていなかった事が多かった、と今になって思うのです」

「……確かに今、私は仕事では充実しています。
 ですが、本当に心から求めているものには全然手が届いていません」

「……」

「心から求めているのはアグネスだけ、です」

「それだけ?」

「それだけ、です。
 情けない男だとお嗤いになりますか?
 私の中にある確かなものは、それだけです」


宣言と言うには、あまり力が入らず静かに言ってしまったなと、自分でも思っていた。
それは俺とっては当たり前の事で、今更力んで叫ぶ様な事でもなかったからだ。

その日の帰り、侯爵はドレスの支払いをお願いしますと、言ってくれた。
お互い、さっぱりして新年を迎えましょうと。


「先程、殿下は確かなものはそれだけ、と仰られたが。
 それを知っている貴方になら、娘を預けられると思いました」


やっぱり俺は情けない男なのかもな。
帰りの馬車のなか、俺は少し涙ぐんでしまった。
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