【完結】この胸が痛むのは

Mimi

文字の大きさ
上 下
78 / 102

第77話

しおりを挟む
この日は翌年1月の私のデビュタント用のドレスの注文をする為に、アシュフォード殿下にドレスサロンへ連れ出されました。
今回ゆったりした日程で休暇を取られたのも、これが目的のひとつだからだと殿下は仰せになりました。

ドレスのオーダーには時間がかかります。
完成までに何度もフィッティングが必要で、店に足を運ぶか、邸まで来て貰うか。

今も昔もファッションの流行はリヨン王国から始まると言われていて、殿下にも『良ければリヨンの有名メゾンでドレスを作らないか』とお誘いをされたのですが、たった一度の夜会の為に、わざわざリヨンまで行くのは……とお断りしました。
普通のドレスならともかく、デビュタントの白いドレスはただ一夜纏うだけなのです。

殿下としては、リヨンでドレスを注文して、あちらのご友人達にも私を紹介してくださるご予定だったそうなのですが、こちらも謹んでご辞退致しました。
それで、この日はトルラキアの王都グラニドゥで一番のドレスサロンへドレスのオーダーに参ったのでした。

私にとってはそれも贅沢だったのですが、よくよく考えればパートナーを勤めてくださるのが王弟殿下なのですから、外見だけでも相応しく装わなくてはならないと思い直したのでした。

ドレスの型番と細かく追加するデザイン、生地、縫い付ける繊細なレースや煌めく宝石等の装飾を決定し、そしてサイズの測定。

『どこかに金と紫を入れて欲しい』と、殿下が命じられたのはそれだけで、後は私の好きにさせてくださいました。
私でさえ疲れるこの作業には2日間かかり、それにずっと殿下は付き添ってくださっていて。


「今回はリヨンへ行かれていた慰労の休暇でしたのに、これでは全然お休みになれていないのでは?」

「そんなことないよ。
 予定ではリヨンに君を連れて行くつもりだったし、君と居られるだけで、疲れは癒されるよ」

サロンでそう仰せになるお優しい殿下に、打合せをしていた店員さんやお針子さん達はうっとりとしていたようですが……
ここに来るまでも大変でした。
それは私がドレスの代金は殿下にお支払をしていただく必要はないとの父からの伝言を、初日の帰りの馬車でお伝えしたからでした。


「どうして?
 君のデビュタントは全部俺が用意すると、前々から決めていたのに」

「父もそう決めていたようです。
 婚約者でもない殿下にそこまで甘えられません」
 
私がそう言うと、殿下は少しだけ寂しそうに微笑まれます。
それに気付かない振りをして。
嫌な物言いをする私でした。


あのまま……3年前のバロウズでの日々が続いていたのなら。
母が居て、姉が居る……あの日々が続いていたのなら。
今頃、私と殿下は婚約をしていた様な気がします。

お誘いしてくださった通りに、リヨンのメゾンで一夜限りの為のドレスを贅沢に注文して、殿下のご友人方にご挨拶をして……
それとも例のマダム・アローズでオーダーをしたかもしれません。

でもそれは既に失われてしまった未来でした。
どんなに望んでも、もう手に入らない未来。


それは不思議な感覚でした。
あの日、ストロノーヴァ公爵家に殿下と伺って。
話の流れで何故か、催眠術を受ける事になって。
初めて術をかけられたので、これが普通なのかわからないまま……
意識はあるのに、今まで話せなかった事、話したくなかった事。
この様な話はするべきではないと思いつつ、第3者の前で明らかにしてやりたい。
そんな感情もあって。

自然に口にしていました。
手を握ってくださっている殿下が動揺されているのもわかっていましたし、術をかけたアーグネシュ様が優しいけれど私を観察している事も、離れた場所から検証される為にその場全体を冷静に見ているストロノーヴァ先生のお姿も。
それらが全てが見えていた様な。

私が私を見ている感覚です。

話して泣いて優しく抱き締められて、本当に眠りに落ちて。
深い眠りから覚めたら、とてもスッキリしていて。
私を背中から抱いていてくださっていた殿下と目が合った時、催眠術にかけられてよかった、と思いました。

私はもう謝らなくていい。
謝って貰う側の人間になったのだ。


その直感の通り、翌日から殿下には謝罪されるようになりました。
生誕夜会の事、リヨンの女王陛下の事、姉をパートナーにして、ブレスレットを渡してしまった事。
ドレスとカードを贈ることになった経緯やそれを原因としたバージニア王女殿下の嫉妬からの事件の真相。
温室で私が聞いてしまったトルラキア語での会話の秘密、そしてあの愛の言葉。
それらを全て話してくれました。

殿下がずっと私に話を聞いて欲しいと言っていたのは、この事だったのだとわかりました。
私は姉の代わり、ではなく。
私だけが出会った時から好きだったと仰ってくださいましたし、ずっと欲しかった『愛している』という言葉も何度も仰せになって。
『許さなくてもいい、謝りたい』
何度も頭を下げられて。

それらを全部、殿下は惜しむことなく与えてくださったのに。


自分でも理解出来ない感情でした。
許さなくてもいいなら、許すとは言わない。
大好きな大好きな……このひとしか私は好きになる事はない。
愛しているのに憎い。
憎いのに、他には誰も要らないくらい愛している。
このひとが居なければ、母と姉は今も生きていたかも知れない。

色んな感情が私のなかで渦巻いていました。
それを別の私が見ているのです。
君だけを愛していると抱き締められている私を見ている別の私こそが、本当の私。

その不思議な感覚が、いつの間にか不思議でなくなり、当たり前に受け入れる様になるまで、それ程の時間はかかりませんでした。


 ◇◇◇


長い休暇を終えられて、アシュフォード殿下はバロウズへ帰国されました。
再び、私は日常へ戻る筈だったのですが。
イェニィ伯爵夫人が伯爵家へ私をお誘いしてくださる様になりました。

アーグネシュ様は普段は王都学園で週に2回程相談室を開いていらして、そちらでリーエと知り合われたそうなのです。


「王都学園には比較的裕福な平民の子弟子女が通っているの。
 その中で学校からの退学処分ではなく、自ら中途退学の申し出があれば、呼び出して事情を聞くことになっていて」

「やはり途中で辞められる方もいらっしゃるんですね」

「男子の場合は経済的な理由が多いので、本人に希望を聞いて奨学金でどうにかならないか保護者に確認したりね。
 女生徒は本人の意に染まぬ結婚の可能性もあるのよ」

「……」

「家の為だと言われたら、学校からはどうしようも出来ないけれど、本人から話を聞く事で彼女達の気持ちは少しはましになるの。
 話を聞いてくれる、それだけで救われたと言われることもあって……本当に聞くしか出来ない自分に落ち込む日もあるけれど、とても遣り甲斐のある仕事だと思っているの」

「……リーエは想うひととの結婚でした」

私がそう言うと、アーグネシュ様は懐かしそうに目を細められました。


「そうだったわね、リーエの事はあの容姿だから相談室に呼び出す前から知っていたの。
 友人が居ない様子なのが気になって、辞める理由は苛めかしらと思って」

「リーエは女性からは誤解されやすくて……」

「そうね、恋を繰り返す女性はそう見られやすい。
 この男性は駄目だと思うと、見限るのが早いのよ」

「……」

「アグネス様はずっと……これからも王弟殿下だけと決めていらっしゃるの?」


それは賛成するでもなく、責めるでもなく。
とても静かな……
私は同情されているのかもしれない。
ひとりのひとに囚われてしまっている私はアーグネシュ様から哀れに見えているのかもしれません。


「殿下の事は憎いです、だけど愛しています。
 私の心には殿下しかいないのです」


それは口にせず、心のなかだけで思っていればいい事なのに。
もう催眠術にはかかっていないのに。


ここは裕福な伯爵邸で。
選び抜かれた美しい調度品に囲まれて。
美味しいお茶と手の込んだお菓子。
ここは学園の相談室ではないのに。

『話すだけで救われる』

そう言った顔も知らない平民の女性達の言い分が少しだけわかった気が致しました。





しおりを挟む
感想 335

あなたにおすすめの小説

不遇な王妃は国王の愛を望まない

ゆきむらさり
恋愛
〔あらすじ〕📝ある時、クラウン王国の国王カルロスの元に、自ら命を絶った王妃アリーヤの訃報が届く。王妃アリーヤを冷遇しておきながら嘆く国王カルロスに皆は不思議がる。なにせ国王カルロスは幼馴染の側妃ベリンダを寵愛し、政略結婚の為に他国アメジスト王国から輿入れした不遇の王女アリーヤには見向きもしない。はたから見れば哀れな王妃アリーヤだが、実は他に愛する人がいる王妃アリーヤにもその方が都合が良いとも。彼女が真に望むのは愛する人と共に居られる些細な幸せ。ある時、自国に囚われの身である愛する人の訃報を受け取る王妃アリーヤは絶望に駆られるも……。主人公の舞台は途中から変わります。 ※設定などは独自の世界観で、あくまでもご都合主義。断罪あり(苦手な方はご注意下さい)。ハピエン🩷 ※稚拙ながらも投稿初日からHOTランキング(2024.11.21)に入れて頂き、ありがとうございます🙂 今回初めて最高ランキング5位(11/23)✨ まさに感無量です🥲

「奇遇ですね。私の婚約者と同じ名前だ」

ねむたん
恋愛
侯爵家の令嬢リリエット・クラウゼヴィッツは、伯爵家の嫡男クラウディオ・ヴェステンベルクと婚約する。しかし、クラウディオは婚約に反発し、彼女に冷淡な態度を取り続ける。 学園に入学しても、彼は周囲とはそつなく交流しながら、リリエットにだけは冷たいままだった。そんな折、クラウディオの妹セシルの誘いで茶会に参加し、そこで新たな交流を楽しむ。そして、ある子爵子息が立ち上げた商会の服をまとい、いつもとは違う姿で社交界に出席することになる。 その夜会でクラウディオは彼女を別人と勘違いし、初めて優しく接する。

結婚なんてしなければよかった。

haruno
恋愛
夫が選んだのは私ではない女性。 蔑ろにされたことを抗議するも、夫から返ってきたのは冷たい言葉。 結婚なんてしなければよかった。

その眼差しは凍てつく刃*冷たい婚約者にウンザリしてます*

音爽(ネソウ)
恋愛
義妹に優しく、婚約者の令嬢には極寒対応。 塩対応より下があるなんて……。 この婚約は間違っている? *2021年7月完結

【完結】ずっと、ずっとあなたを愛していました 〜後悔も、懺悔も今更いりません〜

高瀬船
恋愛
リスティアナ・メイブルムには二歳年上の婚約者が居る。 婚約者は、国の王太子で穏やかで優しく、婚約は王命ではあったが仲睦まじく関係を築けていた。 それなのに、突然ある日婚約者である王太子からは土下座をされ、婚約を解消して欲しいと願われる。 何故、そんな事に。 優しく微笑むその笑顔を向ける先は確かに自分に向けられていたのに。 婚約者として確かに大切にされていたのに何故こうなってしまったのか。 リスティアナの思いとは裏腹に、ある時期からリスティアナに悪い噂が立ち始める。 悪い噂が立つ事など何もしていないのにも関わらず、リスティアナは次第に学園で、夜会で、孤立していく。

裏切られた令嬢は死を選んだ。そして……

希猫 ゆうみ
恋愛
スチュアート伯爵家の令嬢レーラは裏切られた。 幼馴染に婚約者を奪われたのだ。 レーラの17才の誕生日に、二人はキスをして、そして言った。 「一度きりの人生だから、本当に愛せる人と結婚するよ」 「ごめんねレーラ。ロバートを愛してるの」 誕生日に婚約破棄されたレーラは絶望し、生きる事を諦めてしまう。 けれど死にきれず、再び目覚めた時、新しい人生が幕を開けた。 レーラに許しを請い、縋る裏切り者たち。 心を鎖し生きて行かざるを得ないレーラの前に、一人の求婚者が現れる。 強く気高く冷酷に。 裏切り者たちが落ちぶれていく様を眺めながら、レーラは愛と幸せを手に入れていく。 ☆完結しました。ありがとうございました!☆ (ホットランキング8位ありがとうございます!(9/10、19:30現在)) (ホットランキング1位~9位~2位ありがとうございます!(9/6~9)) (ホットランキング1位!?ありがとうございます!!(9/5、13:20現在)) (ホットランキング9位ありがとうございます!(9/4、18:30現在))

初夜に大暴言を吐かれた伯爵夫人は、微笑みと共に我が道を行く ―旦那様、今更擦り寄られても困ります―

望月 或
恋愛
「お前の噂を聞いたぞ。毎夜町に出て男を求め、毎回違う男と朝までふしだらな行為に明け暮れているそうだな? その上糸目を付けず服や装飾品を買い漁り、多大な借金を背負っているとか……。そんな醜悪な女が俺の妻だとは非常に不愉快極まりない! 今後俺に話し掛けるな! 俺に一切関与するな! 同じ空気を吸ってるだけでとんでもなく不快だ……!!」 【王命】で決められた婚姻をし、ハイド・ランジニカ伯爵とオリービア・フレイグラント子爵令嬢の初夜は、彼のその暴言で始まった。 そして、それに返したオリービアの一言は、 「あらあら、まぁ」 の六文字だった。  屋敷に住まわせている、ハイドの愛人と噂されるユーカリや、その取巻きの使用人達の嫌がらせも何のその、オリービアは微笑みを絶やさず自分の道を突き進んでいく。 ユーカリだけを信じ心酔していたハイドだったが、オリービアが屋敷に来てから徐々に変化が表れ始めて…… ※作者独自の世界観満載です。違和感を感じたら、「あぁ、こういう世界なんだな」と思って頂けたら有難いです……。

愛しくない、あなた

野村にれ
恋愛
結婚式を八日後に控えたアイルーンは、婚約者に番が見付かり、 結婚式はおろか、婚約も白紙になった。 行き場のなくした思いを抱えたまま、 今度はアイルーンが竜帝国のディオエル皇帝の番だと言われ、 妃になって欲しいと願われることに。 周りは落ち込むアイルーンを愛してくれる人が見付かった、 これが運命だったのだと喜んでいたが、 竜帝国にアイルーンの居場所などなかった。

処理中です...