【完結】この胸が痛むのは

Mimi

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第71話

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今から思うと、オルツォ様が邸に来られたのは、この連絡をくださった時と、デビュタントのお迎えと、アシュフォード殿下が御出になった時だけでした。

それなのに、如何にも何度も来たことがあるようなお顔をして。
祖母の手に口付けなどして。
私の事を『ネネ』等と呼んだことは一度もないので、笑いを堪えるのに俯くしかありませんでした。


初めて来られた時に、祖母とは仲良くなり、私と同じ様に『おばあ様』と呼んでいらしたのに。
殿下の前では『ベアトリス夫人』なんて、名前を呼んだので祖母も目を見開いていました。
随分と、殿下に対して不敬な態度も取られて、お怒りになられるのではとハラハラしてしまいました。

向かいに座られた殿下には知られずに済んだのですが、オルツォ様の手は細かく震えていらっしゃいました。
その時、以前従兄のケネスも同じ様にアシュフォード殿下を怖がっていた事を思い出しました。
恐ろしいと有名なストロノーヴァ公爵閣下にも交渉出来るオルツォ様が、とてもお優しい殿下をどうして怖がるのか、私には理解出来ませんでした。

そもそも、お誘いもしていないのに、馬車に乗り込んで来られたのはオルツォ様でした。


「結構、勝手な話もするけれど、とりあえず黙って俺の横で聞いてて。
 親しそうに見せたいから、ノイエと呼んでよ。
 アグネスを泣かせる殿下に嫉妬していただこう」

「殿下は私になど嫉妬しません」

「そうかなぁ、そんな事はないでしょう」


本当は外国の王弟殿下に対してあんな態度をしたくないのに。
歳上の方に対して生意気な男の演技をしてくださった。


私があの夜泣いてしまったから。
殿下を想って泣いてしまったから。


 ◇◇◇


トルラキア王城でのオルツォ様のデビュタントの夜、4年振りにストロノーヴァ先生にお会いしました。
当代の公爵閣下は出席しておられなくて、オルツォ様のお祖父様である次期公爵閣下と、先生がいらしていたのです。
初めはどなたなのか、気付きませんでした。
オルツォ様に連れられて『叔父上』とお声をかけたら、振り返られたので、その男性がストロノーヴァ先生だとわかったのです。


「アグネス・スローン嬢、綺麗になられたね!
 ノイエから貴女の名前を聞いて、会いたくて久々に社交の場に出たよ」

何だか、話されているご様子も、言葉も、かつての先生ではなくて。
少し、淋しく思いましたが、公式の場所なら仕方がない事。


「ご無沙汰しております。
 先生も……素敵になられて」

「これが未だに苦しくてね」

先生はそう仰りながら、首元のブラックタイを緩められました。
今夜はデビュタントの男性以外はブラックタイと、決められていました。
締められていたタイには一粒のダイヤモンドが上品に煌めいていました。
バロウズでのいつも緩んだ感じの面影はどこにもありません。


「たまにアシュフォード殿下から便りをいただいていてね?
 今はリヨンにおられるんだったよね?」

「……はい、その様に伺っております」

「またお会いしたいと、お伝え願えるかな?
 もちろん、君も是非」

「はい、その時はどうぞよろしくお願い致します」

そこまで普通に会話をしてくださっていたのに。
突然その後、私の身長に合わせて、屈むようにされて……
目を見て、声を潜められました。


「……何か、話があるのではないの、僕に」

「……」

「ノイエから君が僕に会いたがっていると、今朝聞いて」

オルツォ様が先生にお伝えしてくださっていたのに、心の準備が出来ていなくて。


「今度ゆっくり、邸に来て貰えたら」

「……一昨年、姉が、クラリスが亡くなりました」


どうしてそれを口に出してしまったのか、自分でもわかりませんでした。
予定では、学問として興味があるからお聞きしたいのだと話を進めるつもりでした。
それなのに、先にクラリスが亡くなったことを話してしまうなんて。
これを聞いてしまったら、私が何故それについて教えて貰いたがっているのか、先生に知られてしまう!


クラリスは自分を追いかけて来たら、と先生に返事をされたと言っていました。
ご自分に愛の告白をしてきた生徒が亡くなった。
それを先生はどう受け止められるのか……

姿勢を戻された先生は姉の死を悼む様に、少し目を瞑られました。
かつての姉の姿を思い出されているのでしょうか。
そのお姿からは特別な感情は読み取れず、ただ名前を知ってるだけの知人を悼んでいる様にも見えました。


「……君にお悔やみを、お悔やみを言わないといけないのだけれど。
 申し訳ないけれど、少し……後にしてもいいかな」

それだけ仰って、先生は私から離れて行かれました。
その後ろ姿を見送るだけの私に。


「結局、約束はまだしてないね?」

先生と話していた間、距離を取られていたオルツォ様が隣に来られました。


「どうして直ぐに約束しないの?」

「また……またでいいの。
 またオルツォ様にお願いしますね」

会う約束をしなかった事より、先生が見せた動揺に驚いていました。
表情を変えられなかったのに、不自然にこの場を去られた。
やはり姉が亡くなった事は、先生にとっても辛い事だったのでしょうか?


「アシュフォード殿下が君の片想いのお相手?」

「……」

少しですが、離れていたのに。


「俺、耳凄くいいの、え、どうしたの?」

オルツォ様が礼服の胸のポケットから真っ白なチーフを抜かれて、私の目元に当てました。


「ごめん! テラスへ移動しよう?」

軽く背中を押されて、テラスに置かれていた長椅子へ誘われました。
その時点でもう、貸してくださったチーフは、かなり濡れてしまっていました。


「無神経過ぎたよね、ごめん。
 年齢も離れているし、ちょっとからかうつもりで、ごめんなさい」

「……わ、私の方こそ……ごめんなさい。
 変だ、泣くなんて……皆様に変に思われましたよね」

ある程度泣かせて貰って、少し落ち着いた頃、オルツォ様に謝罪されました。
泣いてしまうと、側に付いていてくれた方に心を許してしまうのは何故なのでしょう。
心にまで寄り添っていただいているように思えるからでしょうか……

気が付くと、私はオルツォ様に話をしていました。
今まで誰にも話すことの出来なかった、殿下の事、姉の事、母の事。
そして、姉を呪ってしまった事。
その結果、母と姉が亡くなってしまった事まで……箍が外れてしまった様に。


「その、殿下が君を姉上の代わりにしようとしてるのは本当の事なの?」

私は言葉もなく、頷きました。


「それで、君はそれを受け入れるの?
 そうする事で贖罪にしようとして?」


オルツォ様はそれ以上は何も仰いませんでした。
中のホールでは明るく美しい方達が楽しそうに笑いさざめいていました。
テラスは暗く、月の光だけが私達ふたりを照らしていました。

私の考えを正しいとも、間違っているとも、言わない彼に理解して貰えた様な気が致しました。
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