【完結】この胸が痛むのは

Mimi

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第70話

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案の定、私がホテルに顔を出すと、リーエはトマシュさんと一緒にいたのに、こちらに来てくれて。
トマシュさんを振り返って手を振りました。
すると、頷いたトマシュさんは部屋を出ていこうとされたので、お互いに頭を下げて、扉のところですれ違いました。


「急に来ちゃってごめんなさい。
 トマシュさん、怒っていないかな?」

「気にしないで大丈夫よ、彼もアグネスの事は大歓迎なの。
 私、あまり女の子の友達いないでしょ?
 それを心配してるから、アグネスは大事にしろよ、って言われてるの」

「何だかんだ言っても、リーエは素敵なひとを見つけるのが上手だね」


他の女性からすると、移り気に見えて次々と男性を虜にするリーエは許せない存在なのかも知れませんが、付き合っている時の彼女は恋人をとても大切にします。
かつての恋人だったパエルさんの事も『トルラキアで一番上等な男の子』と呼んでいて。
彼女と付き合った男性はリーエからそう扱われることで、どんどん素敵なひとになっていっている様に見えました。


「もしかしたら、学校を辞めて結婚するかも知れないの」

「プロポーズされたの?」

リーエが頷いたので、嬉しくなって、彼女を抱き締めました。


「どうしよう、嬉しくて……どうしよう?
 恋の遍歴、完結したね!」

「本当にね、終わっちゃった、完結しちゃった!
 でも、まだ父さんや母さんには言ってないの。
 奥様にも言わないでね? フォード様にならいいよ!」

アシュフォード殿下のお名前が出て……幸せなリーエの前では顔に出さないように気をつけました。
こちらに来てから、まだ殿下とクラリスの事、私が行った呪いの事、殿下が私を姉の代わりにしようとしている事は、リーエには話せていなかったのです。
入学の為の勉強が忙しいからと、先延ばしにしていたのです。


今日は話せない。
元々綺麗なリーエは幸せそうに微笑んで、とても美しく。
その幸せや美しさを損ねてしまうようで、今日は話せないと思いました。
また、折を見て……話そうと。
こうして私はまた先延ばしにする口実を見つけてしまいました。


 ◇◇◇


7月に行われる王立歌劇場小ホールの演劇部の発表を祖母と観に行く事になりました。
1年生ながら出演されるイルナ様は、クラスで仲良くさせていただいていますし、校内で出会う演劇部の先輩方もお誘いくださっていたからです。

演目はなんと『ヴァンパイアの花嫁』でした。
吸血鬼のお話なので、赤い瞳のオルツォ様が主役に抜擢されたのだと納得出来ました。
ですが、ただその容姿だけで選ばれたのではないのが、劇の序盤からわかりました。
観るものを物語に引き込む吸引力、怪物なのにその心情に共感してしまう説得力。
敢えて舞台の背景や美術、大道具を少なくすることで、場面転換がスムーズでだれること無く、結末まで一気に駆け抜けることになって。
脚本を書かれた方や演出された方の力量も凄いと思いましたが、主役の圧倒的な存在感が素晴らしいのです。

吸血鬼の最期に皆が涙を流して、終幕となりました。
こんな演技の才能を持つオルツォ様がどうして演劇部に入っていらっしゃらないのだろうと私は不思議に思いました。
あの方なら、どんな人物を演じても、観るひとを全員魅了出来るのに。


祖母が知り合いの方と話をされている間にイルナ様へ花束を渡したくて、演劇部の皆様が出てくるのを関係者出入口で待っていました。
皆様考えている事は同じで、私と同様に何人もの方がブーケを手にして待っていました。

イルナ様はヴィーゼル様達と一緒に出てこられたので、駆け寄って花束を渡しました。


「お疲れ様、素敵でした」

イルナ様はヒロインの妹役を可憐に演じられていて、来年再来年にはきっとヒロインを演じられるのだろうと思われました。
花束を嬉しそうに受け取って、イルナ様は微笑みました。
そして、私の頬に頬を寄せて……


「オルツォ様はこちらからは帰られないの。
 舞台の袖で貴女を待っていらっしゃるわ。
 あの方が演じるのはこれが最後なの。
 どうか、行って差し上げて?」

あんなにひとを魅了する演技をするオルツォ様が、これを最後にする?
学生の間だけだとしても後4回は出来るのに、それは勿体ないと思いました。
ご本人も演じることがお好きな様にも感じられたので、イルナ様に手を引かれるまま、私は裏から舞台袖へ進みました。
オルツォ様は舞台のヘリに腰をかけていらっしゃいました。

その姿を見てイルナ様は私を残して帰って行かれました。
客席の方を見ているオルツォ様の背中を見ていたら、今までのこの方の印象が違って見えて。


「お疲れ様でした」

ゆっくりとオルツォ様が振り向かれて。


「スローン嬢か、舞台から見えてたよ。
 ここからでも、君の髪は目立つね」

「……素晴らしい舞台でした。
 オルツォ様があれ程、見事な……」

「演技はずーっとしてるから、得意なんだ」


今まで見せてきた軽薄そうで強引な姿が演技?
そして今の静かな感じも演技?
よくわからないので、話題を変えようと思いました。


「……あの、お呼びと聞いて」

「学院じゃ声をかけても、いつもお花を摘みに行くから、聞いて欲しい話も出来ないし」

「……申し訳ありません、そういう体質なので」

「体質じゃ仕方ないね……今、話せるの?」


ここで断れば、もう多分この方は私には関わってこない。
そう思いました。
それは私の思うところだったのに。
何故か頷いてしまいました。
客席に向かって座って、両足を交互にぶらぶら揺らされている姿が幼い少年の様に見えました。
さっきまでの吸血鬼があまりに悲しい寂しい存在だったからでしょうか。
聞いて欲しい話があるのなら、少し聞いてもいいかなと思ってしまったのです。


「来年の4月に、俺のデビュタントがあって。
 そのパートナーになってくれないかな?
 トルラキアの女の子は誘いたくないんだ」

「……」

「高等部を出たら、俺はこの国を出ると決めた。
 しがらみは少ない方がいい。
 トルラキアではデビュタントのパートナーと婚約するのが一般的で、皆それを当然期待する。
 俺に全く、少しも、興味のない君ならそんな事にはならないだろ?」

「私はまだデビュタント前なので……無理です」

「ストロノーヴァのご当主なら何とでも出来る。
 会える様に段取りをするから、気に入られたら……」

「純血主義者の当代公爵閣下でしたよね?
 バロウズ人の私では、無理だと思います。
 気に入られる事はないでしょう。
 何かお考えがあるのですか?」


「考えかー、それが思い浮かばなくて」

手立てが何も無いのなら、どうしようもないでしょう。


「正直に言おうか、まだトルラキアではパートナーは決められません、って」


正直に言ってどうこうなられる公爵閣下なら、先生を苦しめたりしないと思いましたが、黙っていました。
オルツォ様の試みは成功しないと思っていました。


ところが、それから一月ほど経って。
公爵閣下が私をパートナーにしても良いと仰せになった、とオルツォ様が祖母の邸まで、お知らせに来られたのでした。

元から駄目だと思っていたから、きちんとお断りしなかったのに。
公爵閣下に会う事もなく、私はオルツォ様のパートナーに正式に決まったのです。


私を認めていただく条件として。
オルツォ様は大切だったマルークの名を捨て、伸ばしていた髪をお切りになったのでした。



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