【完結】この胸が痛むのは

Mimi

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第65話 アシュフォードside

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3年間の頑張りに応じた長めの休暇だった。
時間が許す限り、アグネスに会う為に俺はトルラキア城からダウンヴィル前伯爵夫人の邸に通った。

本当は城になど滞在したくはなかった。
お決まりの歓迎晩餐会や夜会や……必要最低限の集まりに参加をしなくてはならないからだ。
晩餐会では、イシュトヴァーン・ストロノーヴァ公爵と。
夜会では代理の、イシュトヴァーン・イオン・ストロノーヴァ次期公爵と顔を合わせたが、イシュトヴァーン・ミハン・ストロノーヴァ先生とはまだ会えていない。


この立場では無理な話だが、6年前居心地が良かったグラニドゥ・シュトー・オステルに泊まりたかった。
たった2泊だったが、フロントの後ろに飾られたヴァンパイア王の恐ろしい顔さえ、恋しく思う。

このままアグネスが卒業するまで、何度かトルラキアに通うのなら。
俺も別荘を購入して、例の肖像画を飾ろうかと思い始めていた。
外国王族御用達のホテルは、こちらの動きがトルラキア王家に筒抜けなので、実質王城に居るのと変わりない。


アンナリーエ嬢とも、昼食がてらホテルのレストランで久々に会う。
驚くのは、まだ18歳の彼女が赤ん坊を抱いていた事だ。
彼女は16で、平民が通う王都学園を中途退学して。
夫を得て、実家のホテルを継ぐ事になり。
……その隣に居る夫は俺の知ってるパエルではなかった。

パエルは気持ちのいい男だったので、今回会えるのを楽しみにしていたのに。


「パエルですね、直ぐに連絡を取って、こちらに呼びましょうか?」


アンナリーエ嬢の言葉に耳を疑う。
隣の夫もニコニコしていて……別れたんだろ、どういう事だ?
信じられない事に、夫はパエルの友人で、彼の浮気を思い込み相談する内にそういう仲になり……だそうだ。
浮気は彼女の気のせいだったのに、恋人と友人に裏切られたパエルの心境は如何ばかりか。
俺だったら、もしアグネスとレイがそうなったら、立ち直れない、泣く。

傍らのアグネスを見やるが、彼女はアンナリーエ嬢、もといアンナリーエ夫人の息子をあやしていた。
ふたりの恋の顛末を事前に教えてくれていたら、とも思うが。
事態を見たまま受け取るように、との配慮かもと思い直す。
パエルとの共通の話題は6年前の隣街の市の思い出だけだし、それ以外に何を話していいのかわからず、夫人の提案を辞退する。

夫人は最初、あの頃のように俺に『フォード様』と呼び掛けていたが。
正直今ではその名で呼ばれたくなくて、どう伝えたものかと悩んだが、察しのいい彼女は直ぐに気付いてくれて、それからは『殿下』になった。
アグネスがその名で呼ばないのに、他の女性には呼ばれたくなかった。


『特別なひとに呼んで貰いたい名前にだけ、拘ればいい』

いつだったか、ストロノーヴァ先生が言っていたのは、こう言う事なんだと実感した。
先生との付き合いは1年くらいしかなかったが、色んな言葉をくれていたんだと、今更ながらに気付く。


時が過ぎて、大切だった思い出も姿を変えていく。
アンナリーエとパエルは別れて友人になった。
馬車の中で『何も聞こえておりません』と、生真面目に答えていた護衛騎士は、職を辞して領地へ帰った。
俺をからかって笑っていたレイは結婚をして離婚した。
あの時の顔触れで集まって笑い合う事はもうないんだ、と思い知らされるけれど。
君だけが変わらずに、俺の側に居てくれる。



そう信じていたのに。
他にも気付く事があった。
……アグネスの事だ。

来年のデビュタント前後には正式に婚約したい、と何度も話した。
嫌われたり、それこそオルツォを想っている風でもないのに、その都度はぐらかされ。
やはり、その前には自分の罪を聞いて貰いたいと、あの事件の真相を打ち明けようとしても。
何故か彼女は例の発作を起こして、話は後回しになる。

これを何度か繰り返されて、さすがに鈍感な俺もおかしいと気付いたのだ。


発作については、祖母である前伯爵夫人に確認したが、彼女は驚いて知らないと答えた。
俺の前でだけ、あの症状が起こるのか?

アグネスは俺に対して、何らかの感情があり、それを伝えられなくて苦しんでいるのだろうか?


頼りになるあの人に話を聞いて貰いたかった。
あの人なら、正しい判断を下してくれる。

俺はストロノーヴァ公爵家に書状を出した。


 ◇◇◇


「お久しぶりですね、殿下」

俺を出迎えてくれたのは、確かにストロノーヴァ先生なのに、ストロノーヴァ先生と思えない男性だった。


「……」

最近は思っている事が顔に出ないように、出来ていたはずなのに。
先生がニヤリと笑う。


「せめて国に居る時は見た目だけはちゃんとして、と母が言うもので。
 うるさく言われず気楽だったあの頃が懐かしいですよ」

この姿があれなんだな。
クラリスが一目惚れしたと言う、スッキリした髪型と素敵な瞳を出して、シュッとしている姿なんだ。
こうして見たら、どこかあの憎たらしいガキ、オルツォ・ノイエとも似ているな。


「当代公爵閣下と次代公爵閣下とはお会いしましたが、先生は王城にはお顔を出されていないのですね」

「社交は得意ではないですし、私の代はまだまだ先で。
 当代はお元気ですからね。
 今日はアグネス嬢はご一緒ではないのですね」

そう話しながらメイドが置いていったお茶のワゴンを引き寄せ、手ずからお茶を勧めてくれる。


「疲れた時は甘いものを」

先生はお茶にジャムを入れるのが、好みらしい。
意外と甘党だ。


「これは薔薇のジャムでして、母がぜひ殿下にご賞味いただきたいと申しておりました」

そう言われたら、甘いものは苦手だが断れない。


「薔薇と言えば、アグネス嬢の香りが変わりましたね」

「えっ……」

そう言えば、この前薔薇の香りがした。
その前は……幼くて、まだ何も香りは付けていなかったと思う。


「白薔薇の蕾のように美しくなられて……ノイエは目障りな虫でしょう?」

確かにオルツォは目障りだが、今日はその文句を言いにきたか、と思われている?


「でも、あれのお陰で、迂闊に他の虫は近寄れない。
 目障りでも、それなりに役立っていますよ」

「……本日はオルツォ殿の話ではなく、その……甘いものを勧めてくださったという事は、私が疲れているように見えましたか?」

「そうですね、失礼ながら。
 私がかつて知っていた殿下は迷いはありましたが、基本的に明るい印象の御方でした」


そうだ、俺はいつも迷って、間違って、迷ってを繰り返していた。
今もそれは変わらず、とうとう唯一の長所の明るさも失ってしまったか……


「あの頃の思い出話をなさりに来た訳でもないですね。
 どうぞ、私にお手伝い出来ることなら」


先生のくしゃくしゃだった髪は綺麗に撫で付けられて、前髪で隠れていた赤い瞳は真っ直ぐに、俺を見ている。
いつも僕、と言っていたのに、私、だって。
一応、大人として扱って下さっているが、先生の前では生徒に戻れる。


「アグネスから姉の話はお聞きになりましたか?
 私のせいで、彼女の母と姉が亡くなりました。
 アグネスにそれを伝えなくてはいけないのに、話そうとしても上手くいかないのです。
 この秘密がある限り、私はアグネスを幸せには出来ない」


話していく内に、あの時の自分の愚かさが甦り、胸が詰まった。
先生からの忠告を流して、バージニアを避け続けた。
妹は去年、辺境の地で落馬事故で亡くなった。
辺境伯夫人は、新たな婚約者を探していると聞いた。
義姉は未だに俺の顔を見ない。
リヨンから戻りスローン侯爵家に行けば、プレストンには会えたが、侯爵には会えなかった。


これは罰なんだと、わかっている。
受け入れるしかないと。
全て、俺の……


「クラリス嬢の事は亡くなったとしか聞いていません。
 話せるなら、そこからお聞かせ願えますか?」
 
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