【完結】この胸が痛むのは

Mimi

文字の大きさ
上 下
47 / 102

第47話

しおりを挟む
先程の幼さが消えて、兄は次代の当主に相応しい態度を取ろうとしていました。
私の手を握る兄の掌からは震えが伝わって来ましたが、それを知るのは私だけ。

兄の声に少し落ち着いたのか、家令が何人かに指示を与えて、ずっと側で話していた侯爵家私設騎士隊長と共にこちらへやって来ました。


「お嬢様はお部屋でお待ちいただいた方が」


私を気遣う隊長の言葉に、兄は。


「アグネスもこの場に居させる。
 後回しの報告は要らぬ想像をさせるだけだ」

「……畏まりました、差し出た事を申しました」

兄がそう命じてくれたので、私もこの場に居ることが出来ました。
多分父なら、私は部屋に追いやられていたでしょう。


「ダウンヴィルには連絡して、伯爵家からも何人か捜索に出ております。
 ダウンヴィルの大奥様も間もなく、こちらにいらっしゃるかと」


大奥様は祖母の事で、伯爵家は母の弟の叔父が継いでいました。
私が思っていたより事は大きくて、多くの人が母と姉を探していました。
ですが、捜索人数が必要なら。


「早く、早く王城にもお知らせして、ご一緒に探していただいたら?」


私ごときが口を挟むべきではないのですが、つい言葉にしてしまいました。


「それはまだ出来ない。
 姉上は嫁入り前の身だ、騎士団が動けば何事もなく戻ることが出来ても傷物として扱われるだろう。
 だから、捜索はこちらだけで密かに行うしかない。
 王家への報告はいつするか、その判断は父上が決めるだろう」

「……」

「もうすぐおばあ様が来てくださる。
 そうしたら、俺も捜索に出る。
 お前はおばあ様をお支えしてくれるな?」

私が祖母を支える?
本当は私を心配して駆けつけてくれる祖母なのに、兄は敢えてそう、それが今する私の仕事だというように言ってくれました。


「先代にはどうなさいますか?」

家令が兄に尋ねました。
父が不在の現状では、兄の指示の通りに動く事に決めたようでした。


「遠い領地にただ知らせるだけの人員を割くなら、捜索に当たらせろ。
 先代には終わってからで良い」

兄はそれだけ言うと、隊長と捜索範囲を確認するから、あちらへ行くよと私から離れようとしました。
その時、急に思い付いたことがあって。


「宝石を……ふたりは持ち帰っていたかも知れません」

「宝石を?どういう事?」

「おばあ様が今日お呼びになったのは、国外に持ち出せない宝石を整理されようとしていて、お母様とお姉様に分ける為だったと思います」

「それを知っていた者か? おい、スタイル!」

兄が隊長を見やって、隊長が頷いて。


「タウンハウスの使用人、その関係者を調べます」

祖母のところで働く皆は、好い人ばかりなのに。
私は余計な事を言ってしまったかも?
彼等が隊長から暴力を振るわれたら?


「大丈夫だ、調べるのが専門の人間を動かすだけだよ。
 おばあ様の使用人リストはこちらにも提出されてるし、疑いを除くだけだから」

「それならいいのですけれど……」

不意に兄に抱き寄せられて。


「不安だろうけれど、まだ殿下にはお知らせ出来ないのはわかって。
 大丈夫、意外とあのふたりだよ、平気な顔して帰ってくる、だから大丈夫」

大丈夫と繰り返す兄は、自分に言い聞かせているようでした。
以前は冷たく、母の事を『母親』と言っていた兄も、去年母の献身的な看護を受けてからは、また『母上』と呼ぶようになって来ていました。

そんな兄の為にも、そしてまだ素直になれなかった私の為にも母にはご無事に戻っていただかないと。
それにもちろん姉にも。
姉の嘘も許すから、無事に。
どうか、ご無事に……


しばらくして、祖母が来られました。
まず、兄に謝り、そして私を抱き締めて。

祖母のせいでは決してないのに、自分の用事で呼びつけて、その復路で行方知れずになった事で、ご自分を責められていたようでした。
祖母はすっかり疲れて、やはり震えられていて。

兄が離れていくついでに、メイド長に何か申し付けていて。
私と祖母に温かい飲み物を用意してくれました。
兄はまだ高等部の夏服の制服のままで、捜索に出る為に着替えを隊長から勧められていたのです。

午後から降り続いていた雨もようやくやんだようで……
母と姉が、気温の下がった秋の夕方にまだ、外で居るのに。
せっかくの兄の心遣いでしたが、温かな飲み物を口にするのは、躊躇われて。
それは祖母も同じ様で、両手でカップを包み温めながらも、飲むことは出来ないようでした。


「姉の忘れ物とは何だったのですか?
 護衛に取りに行かせなくてはいけない物だったのでしょうか?」

「……貴女は気にしなくてもいいのよ」

「だって、そんなことをクラリスが言わなければ、こんな事には!」


祖母のタウンハウスから侯爵家までは同じ貴族街。
王城を挟んで反対側に位置していますが、それ程離れていないから護衛は必要ないと思ったのでしょうが。
護衛さえ付いていれば、こんな事にはならなかったのだと。
クラリスさえ、忘れ物を……


「……ケイトリンが『アグネスのハンカチ』を忘れたの」

ケイトリンとは母の名前でしたが、『アグネスのハンカチ』とは?


「ケイトリンはあれをずっと手離せなくて。
 それを知ってるクラリスが護衛に、申し訳ないけれど、とお願いして取りに戻らせたの」

「私のハンカチって……?」

「貴女が初めて刺繍をしたハンカチよ、お母様にプレゼントしたでしょう?」


……私が初めて刺繍したハンカチ?
もしかしたらあのハンカチの事かしらと、思い出そうとしました。
姉が刺繍の練習をしていた側で、ハンカチと糸を分けていただいて、見様見真似で糸を刺した習作とも言えない、子供の。
……あれは何年前? 
5、6年も前の? 母へのプレゼントなんかじゃない。
あんまりに拙くて、イライラして見たくなくて。
捨てるようにメイドに頼んだ……あれを?
あれをずっと、母は持っていて?
それを姉は知っていて?
翌日にでも届けていただけるのに、あれを取りに行かせた?


あんな物がそれ程大事だと思えないのに。
姉が、祖母が、護衛の騎士までもが、当然のように?   


 ◇◇◇


兄が隊長と共に捜索に出て。
一体どのくらいの時が経ったでしょうか……
父からも兄からも、何の報せもありません。
私は祖母と身を寄せ合っていました。

動ける男衆を10人程残して、皆出ていました。
邸の中は怖いくらい静かで。
誰かに何かを指示して、私も動かなければいけないのか。
それとも余計なことはせず、このまま待っているだけでいいのか。
こんな時、母なら、姉なら、どうしたでしょう。


もう、私の中に姉に対する憎しみは消えていて。
こんなにも無力なくせに、貴女に対抗しようとした。


ごめんなさい、ごめんなさいと繰り返すだけでした。
呪いは失敗だったと思っていたけれど、翌日にこんな事になるなんて。

もしも、神様が時を戻して下さるなら。
私は母と姉の手を取って……でも、一体どこまで?
どこまで時を戻していただけたら、やり直せるのでしょうか。

さっきは勝手に部屋に入り、ドレスを持ち出した。
今朝、怪我を気遣ってくれた姉に意地悪を言った。
昨日は、お揃いだと見せつけて、姉の話を嘘だと決めつけた。
立ち聞きをして、クローゼットを物色した。


……もっと? もっと以前まで遡ればいいの?
ぐるぐると思考は回り、結局は同じところに戻る。
姉を呪った自分の心根が浅ましくて、醜くて。
ごめんなさい、ごめんなさい。
私が呪われて消えれば、よかった。


そして、とうとう報せが。

貴族街から遠く離れた森の中で、潰れた馬車が見つかった、と。
しおりを挟む
感想 335

あなたにおすすめの小説

不遇な王妃は国王の愛を望まない

ゆきむらさり
恋愛
〔あらすじ〕📝ある時、クラウン王国の国王カルロスの元に、自ら命を絶った王妃アリーヤの訃報が届く。王妃アリーヤを冷遇しておきながら嘆く国王カルロスに皆は不思議がる。なにせ国王カルロスは幼馴染の側妃ベリンダを寵愛し、政略結婚の為に他国アメジスト王国から輿入れした不遇の王女アリーヤには見向きもしない。はたから見れば哀れな王妃アリーヤだが、実は他に愛する人がいる王妃アリーヤにもその方が都合が良いとも。彼女が真に望むのは愛する人と共に居られる些細な幸せ。ある時、自国に囚われの身である愛する人の訃報を受け取る王妃アリーヤは絶望に駆られるも……。主人公の舞台は途中から変わります。 ※設定などは独自の世界観で、あくまでもご都合主義。断罪あり。ハピエン🩷 ※稚拙ながらも投稿初日からHOTランキング(2024.11.21)に入れて頂き、ありがとうございます🙂 今回初めて最高ランキング5位(11/23)✨ まさに感無量です🥲

初夜に大暴言を吐かれた伯爵夫人は、微笑みと共に我が道を行く ―旦那様、今更擦り寄られても困ります―

望月 或
恋愛
「お前の噂を聞いたぞ。毎夜町に出て男を求め、毎回違う男と朝までふしだらな行為に明け暮れているそうだな? その上糸目を付けず服や装飾品を買い漁り、多大な借金を背負っているとか……。そんな醜悪な女が俺の妻だとは非常に不愉快極まりない! 今後俺に話し掛けるな! 俺に一切関与するな! 同じ空気を吸ってるだけでとんでもなく不快だ……!!」 【王命】で決められた婚姻をし、ハイド・ランジニカ伯爵とオリービア・フレイグラント子爵令嬢の初夜は、彼のその暴言で始まった。 そして、それに返したオリービアの一言は、 「あらあら、まぁ」 の六文字だった。  屋敷に住まわせている、ハイドの愛人と噂されるユーカリや、その取巻きの使用人達の嫌がらせも何のその、オリービアは微笑みを絶やさず自分の道を突き進んでいく。 ユーカリだけを信じ心酔していたハイドだったが、オリービアが屋敷に来てから徐々に変化が表れ始めて…… ※作者独自の世界観満載です。違和感を感じたら、「あぁ、こういう世界なんだな」と思って頂けたら有難いです……。

【完結】伯爵令嬢は婚約を終わりにしたい〜次期公爵の幸せのために婚約破棄されることを目指して悪女になったら、なぜか溺愛されてしまったようです〜

よどら文鳥
恋愛
 伯爵令嬢のミリアナは、次期公爵レインハルトと婚約関係である。  二人は特に問題もなく、順調に親睦を深めていった。  だがある日。  王女のシャーリャはミリアナに対して、「二人の婚約を解消してほしい、レインハルトは本当は私を愛しているの」と促した。  ミリアナは最初こそ信じなかったが王女が帰った後、レインハルトとの会話で王女のことを愛していることが判明した。  レインハルトの幸せをなによりも優先して考えているミリアナは、自分自身が嫌われて婚約破棄を宣告してもらえばいいという決断をする。  ミリアナはレインハルトの前では悪女になりきることを決意。  もともとミリアナは破天荒で活発な性格である。  そのため、悪女になりきるとはいっても、むしろあまり変わっていないことにもミリアナは気がついていない。  だが、悪女になって様々な作戦でレインハルトから嫌われるような行動をするが、なぜか全て感謝されてしまう。  それどころか、レインハルトからの愛情がどんどんと深くなっていき……? ※前回の作品同様、投稿前日に思いついて書いてみた作品なので、先のプロットや展開は未定です。今作も、完結までは書くつもりです。 ※第一話のキャラがざまぁされそうな感じはありますが、今回はざまぁがメインの作品ではありません。もしかしたら、このキャラも更生していい子になっちゃったりする可能性もあります。(このあたり、現時点ではどうするか展開考えていないです)

望まれない結婚〜相手は前妻を忘れられない初恋の人でした

結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
恋愛
【忘れるな、憎い君と結婚するのは亡き妻の遺言だということを】 男爵家令嬢、ジェニファーは薄幸な少女だった。両親を早くに亡くし、意地悪な叔母と叔父に育てられた彼女には忘れられない初恋があった。それは少女時代、病弱な従姉妹の話し相手として滞在した避暑地で偶然出会った少年。年が近かった2人は頻繁に会っては楽しい日々を過ごしているうちに、ジェニファーは少年に好意を抱くようになっていった。 少年に恋したジェニファーは今の生活が長く続くことを祈った。 けれど従姉妹の体調が悪化し、遠くの病院に入院することになり、ジェニファーの役目は終わった。 少年に別れを告げる事もできずに、元の生活に戻ることになってしまったのだ。 それから十数年の時が流れ、音信不通になっていた従姉妹が自分の初恋の男性と結婚したことを知る。その事実にショックを受けたものの、ジェニファーは2人の結婚を心から祝うことにした。 その2年後、従姉妹は病で亡くなってしまう。それから1年の歳月が流れ、突然彼から求婚状が届けられた。ずっと彼のことが忘れられなかったジェニファーは、喜んで後妻に入ることにしたのだが……。 そこには残酷な現実が待っていた―― *他サイトでも投稿中

冷遇する婚約者に、冷たさをそのままお返しします。

ねむたん
恋愛
貴族の娘、ミーシャは婚約者ヴィクターの冷酷な仕打ちによって自信と感情を失い、無感情な仮面を被ることで自分を守るようになった。エステラ家の屋敷と庭園の中で静かに過ごす彼女の心には、怒りも悲しみも埋もれたまま、何も感じない日々が続いていた。 事なかれ主義の両親の影響で、エステラ家の警備はガバガバですw

【完結】婚約破棄され毒杯処分された悪役令嬢は影から王子の愛と後悔を見届ける

堀 和三盆
恋愛
「クアリフィカ・アートルム公爵令嬢! 貴様との婚約は破棄する」  王太子との結婚を半年後に控え、卒業パーティーで婚約を破棄されてしまったクアリフィカ。目の前でクアリフィカの婚約者に寄り添い、歪んだ嗤いを浮かべているのは異母妹のルシクラージュだ。  クアリフィカは既に王妃教育を終えているため、このタイミングでの婚約破棄は未来を奪われるも同然。こうなるとクアリフィカにとれる選択肢は多くない。  せめてこれまで努力してきた王妃教育の成果を見てもらいたくて。  キレイな姿を婚約者の記憶にとどめてほしくて。  クアリフィカは荒れ狂う感情をしっかりと覆い隠し、この場で最後の公務に臨む。  卒業パーティー会場に響き渡る悲鳴。  目にした惨状にバタバタと倒れるパーティー参加者達。  淑女の鑑とまで言われたクアリフィカの最期の姿は、良くも悪くも多くの者の記憶に刻まれることになる。  そうして――王太子とルシクラージュの、後悔と懺悔の日々が始まった。

記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話

甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。 王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。 その時、王子の元に一通の手紙が届いた。 そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。 王子は絶望感に苛まれ後悔をする。

今世ではあなたと結婚なんてお断りです!

水川サキ
恋愛
私は夫に殺された。 正確には、夫とその愛人である私の親友に。 夫である王太子殿下に剣で身体を貫かれ、死んだと思ったら1年前に戻っていた。 もう二度とあんな目に遭いたくない。 今度はあなたと結婚なんて、絶対にしませんから。 あなたの人生なんて知ったことではないけれど、 破滅するまで見守ってさしあげますわ!

処理中です...