【完結】この胸が痛むのは

Mimi

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第48話 アシュフォードside

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スローン侯爵夫人とクラリスの死を伝えられて、床にうずくまったままの俺の腕を取り、立ち上がらせたのはレイだった。

さっきとは違い、静かに次の、王太子からの伝令が来ていたらしい。


「俺は……行かないと、いけないから。
 行けないと」


俺はアグネスに会いに行かないと、いけないから。
王太子には、会いに行けないと。
そうぼんやりとレイに返事をする。

安堵の次に、自己嫌悪に襲われて呆然としていたのだ。
クラリスが死んだのに。
アグネスじゃなかったことを喜んだ。


「行かないととか、行けないとか。
 お前の気持ちなんて……
 いいから! 王太子殿下に会って、何をすべきなのか聞いてこい!」 


レイが投げつけるように俺に言った。
こんな風に言われたのは初めてだった。
あぁ、そうか、こいつは。
俺が神に感謝を捧げたのを聞いたんだ。

クラリスが死んだのに、
『ありがとうございます』と、感謝した……俺の声を聞いたのだ。

レイは俺の腕をカランに預けて、執務室を出て行った。


「参りましょう、殿下。
 マーシャル様は財務へ行かれたのだと思います。
 スローン侯爵は下城されたでしょうけれど、何か情報がないか、尋ねに行かれたのだと思いますよ。
 今のあの方の立場では、王太子殿下にお会いする殿下には付き添えません。
 現場の人間に探りに行くしかないですからね」

そこまでカランに言われて。
レイが少しでも、情報を拾ってきてくれるのなら。
俺も。


王太子の執務室に入ると、ピリピリした兄がそこに居た。


「お前に言われて影を引き上げさせたのは、失敗だったな?」

この夏以降、アグネスや侯爵家に王家の影を付けることをやめて貰っていたのだ。


「スローンでは、暗くなる前から動いていたようだが、こちらに侯爵が報告してきたのは、発見されてからだ。
 理由はわかるが、王立騎士団を使いたくなかったようだ。
 侯爵が下城したのが、第二報を受けてからだと思う。
馬車ではなく、馬で城を出たが、俺達は会談中だったから連絡は受けてない。
 普段と違う行動をする奴がいたら、直ぐに報告、をもっと徹底しないといけないな?
 現場には侯爵と長男が向かっているようだから、お前は表立ってはその息子の方に付いてやれ」

「……侯爵家ではなく、現場にですか?」

「侯爵家に行って、泣いてるアグネス嬢の肩を抱いて、手を握って慰めるのか。
 それをしたいのか?」

「……」

「現場をちゃんと見て来い。
 侯爵の気持ちを尊重していると知らせたいから、今夜は騎士団は動かさない。
 お前が個人として手伝うのだと思わせろ。
 夜だし、雨のせいで現場は荒れてるだろうが、気が付いたことがあれば報告をして欲しい。
 事故か、事件か。
 事件と判断したら、そこからは騎士団と俺が動く。
 もし事件で犯人がいるのなら、そいつを罰するのが、亡くなったふたりに世話になったお前が出来る最後のお礼だ」


俺に出来る最後のお礼。
侯爵夫人には、アグネスを慈しんで、育ててくれたこと。
クラリスには、友情と覚悟を、教えて貰ったこと。
 

 ◇◇◇


事故現場にはカランとレイと、護衛2人、若い典医の6騎で向かう。
出来るだけ現場を荒らしたくないし、馬車より小回りが利く。
誰しも考える事は同じで、先に現場に到着していたプレストンも馬で来ていた。
彼の側には護衛がひとり、松明を掲げていた。

俺達に気付いたプレストンが頭を下げたので、ここでは挨拶は無用だと手を上げて、遮った。


「……妹は祖母と、家にいます」

「今は君の方が心配だ、大丈夫か?」

「……ある程度の覚悟はしていましたが、いざとなると。
 きついです」

「お父上は?」

「うちの騎士隊長と、馬車のところ……
 母と姉の側で……連れて帰る為にふたりを引き離すのに時間がかかるだろう、と……
 それまでは、私は近づくなと言われています」

ふたりを引き離す?
見るのは辛いが、遺体がどういう状態なのか報告をしなくてはいけない。
逃げたい気持ちを抑えて、プレストンの側にカランを置いて、奥へと進んだ。


気丈に応対していたが、プレストンの様子は酷かった。
視線が虚ろだった。
いつ倒れてもおかしくない。
彼もずっと、母と姉を探して、信じて、探して、覚悟して、探し続けて……



森の奥に何本も松明が灯されて、そこだけ明るく照らされていた。
昨夜輝いていた月は厚い雲に覆われて、今夜は姿を見せていない。

侯爵家の私設騎士隊だろうか、体格のいい男達が潰れた馬車を泥だらけになって、息を合わせて押し上げて居た。
辺りの樹木が何本も折れて、薙ぎ倒されている。
多分大きさから二頭立ての馬車。
少し離れた場所に死んだ1頭の馬と、亡くなった1人の男が並べられ、それぞれ布を掛けられていた。
後でそれも検分しなくてはいけない。

震える心を落ち着けて、現場をちゃんと見て、覚えて帰る。
俺が泣くのは、今じゃない。
今じゃないのに。

さっきのプレストンもそうだったが、救助現場を見ているスローン侯爵も泣いていなかった。
ただ違うのは、プレストンは外套を羽織っていたが、彼はすっかり濡れていて。
雨が降っていた時間から邸にも戻らず、ずっとふたりを探し続けていた事がわかった。


「……こちらにいらしたのですか?
 貴方はてっきりアグネスに会いに行くのか、と思っていました」

俺を見ずに、馬車から目を離さずに、侯爵が言った。 
この人には本当の事を言おう、言わなければ。


「王太子は今夜は騎士団は動かさないと。
 その代わり、俺にここをちゃんと見て、報告せよと」

「……それは助かります。
 騎士団が動くと、皆が押し掛けて来ますから。
 今夜は家族のみで……お願いしたかったので」

「……」

「家族のみでも、殿下は歓迎しますよ。
 王太子殿下もそう思われて、貴方をここへ来させたのでしょう」

「お邪魔でなければ……」 

「ケイト……妻も、実は貴方を気に入ってました。
 早く殿下と婚約させてやって欲しいと、何度か言われていまして」

「侯爵夫人が?」

「殿下に花をいただいたと嬉しそうでした」


侯爵夫人にはそれ程親しく接して貰った覚えはなかったのに。
俺は言葉にされないと何も見えていない奴だ。
亡くなって、もう会えなくなってから。
こんな話を聞かされても、どうしたらいい?
出来るだけ夫人とは嫌われないように接触しないようにしていた。

俺が自分の思うままにアグネスに会いに行き、当然のように彼女の隣を確保して侯爵とプレストンを出迎えていたら、こんな話は聞けなかっただろう。


「少し持ち上げて確認したんですよ。
 あの下にふたりは居るんです」

「……早く出してあげないと……ここは冷えるから」

「それは大丈夫かも……しれません……
 娘は妻に抱かれていて、寒くないと思います」

「……」

「咄嗟にクラリスを庇ったのかなぁ……
 娘の背中を妻が抱いているように見えました。
 車軸が貫いて……妻の背中から娘の腹に。
 ……あの状態でふたりが。
 長く苦しまずに済んでいたのなら、それだけで。
 私が願っているのは、それだけ……かな」

俺の知っているこのひとは。
こんな話し方を、するひとではなく。
こんなに心の内を、さらけ出すひとでもなかった。


「まだもう少し、時間はかかります。
 お先にうちに行かれては?」

「いえ、ここで待たせてください。
 典医を、ひとり連れてきています。
 御者の身体を見せていただいても?」

侯爵が頷いたので、典医に合図して御者の遺体を見て貰う。
多分、侯爵はこの男も連れて帰るから、今しか調べられない。


「打ち身や木にぶつかって出来た傷は多数。
 しかし刃物で切られた様な傷は見当たりません。
 暗いので断言は出来ませんが」

馬車を操っていた御者に人的に襲われた傷が無いのなら、やはり事故なのだろうか。


「あの上、位置からして、やっぱりあの坂だ」

レイが上方の崖を見て指差した。
俺達は王城を出発する前に全員で、この辺の地形を頭に入れてきた。
森の上に位置するのは、王城を囲む貴族街がある高台から平民が住む城下町へと下る長い坂道だ。
それ程急な勾配ではないが、今日は夕方まで雨が降っていて道はぬかるんでいた。
その泥濘に車輪が取られたら?
崖から滑り落ちて、森に突っ込み、御者と馬は投げ出され、馬車は潰れる。
上から落ちて、もう1頭の馬はどこまで飛ばされた?

だが馬車があの坂を下るのはおかしな話だ。
普段貴族街から出る必要の無い侯爵家の馬車がどうして
あの坂を駆け降りた?
侯爵家の御者だ、腕前は相当のはず。
そんな男が、雨が上がったばかりの、暮れ始めた日没の時間に。
城下へ降りようとしたのは何故だ?
第一、必ず付いている護衛は何処に?


考えていると、馬車が取り除かれて、侯爵夫人とクラリスが。



あぁ、侯爵が言っていた通り。
クラリスは背中を、母に抱かれていた。

隣でレイが絶句して。
……やがて嗚咽が聞こえた。



あの夏、高等部1年の夏休みの、最初の登校日。
俺はちゃんと聴いていなかったけれど、例のピアノ奏者の講演会があったな。
あまり人のいない食堂で。
君は、微笑んでいて。

『母にとって一番愛しい子供はアグネスなんです』
 
諦めたように、寂しそうに微笑んで、そう言ったんだ。
そんな事はなかった。
君の母は、君を愛していた。
車軸に背中を貫かれても。
君の身体に回された母の両腕は、なかなか離れない。
それなのに、抱かれた君がそれを知ることは、もうない。


俺が泣くのは今じゃないのに。
……少し泣いてもいいかな。
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