【完結】この胸が痛むのは

Mimi

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第37話

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殿下が懸念されていた噂は、ご自身が強く否定されたので学園ではいつの間にか生徒の口には登らなくなってきていました。
ところが、私が感知しない場所で、長く燻っていた噂が、確定したかのように広まっていました。
王国の社交界では……
学園を卒業された第3王子殿下に、まだ婚約者がいない事。
パートナー無しで夜会に参加されて、誰とも踊らずに早々に退席されてしまう事。
毎月決まった週末に現財務大臣の侯爵家に通っている事。
それらの事実から人々は推察して、当然の結論にたどり着き。
王子の16歳の記念夜会でパートナーを勤め、息の合ったダンスを披露した女友達であり。
同じく夜会に出席しない侯爵家令嬢との婚約確定の噂が再燃しつつあったのです。


 ◇◇◇


それは私の初等部の最終学年が始まった頃でした。
学期が始まったばかりで、夏休みに完了していなかった防火点検作業の為、初等部は早めに下校になりました。

帰宅した私が目にしたのは、いつも殿下が乗ってこられる馬車と、玄関ホールに立っていらした護衛騎士様でした。
私と殿下とのお約束は2週間ごとの週末で。
その日は平日なのに、時間が出来て急に会いに来てくださったのでしょうか?
丁度私もお会いして、早くお渡ししたいものがありました。

私は急ぎ部屋へ行き、制服のままそれを掴んで、階下へ降りました。
そこへ通りかかったメイドが美味しそうなカップケーキを捧げ持って歩いていたので、私は彼女を捕まえました。


「殿下がおいでになっているんでしょう?
 私が持って行くわ! どちらでお待ちなの?」

彼女は急に現れた私に戸惑って、直ぐに返事が出来ないようでした。
この家で働いている使用人達は、今では皆私と殿下がお付き合いをしていることは知っているはずなのに、その反応はおかしなものでした。

何かが、ひたひたと私の中に染み込んでいくような感覚でした。


「アシュフォード殿下は、誰と何処に居るの?」 

「……温室に、クラリスお嬢様とです」

視線を微妙にずらす彼女を怯えさせたのだと気付いて。
私は明るい声を出しました。


「お姉様となら良かったわ。
 また、お父様に何か言われてるのかと心配しちゃった」

殿下が父を苦手にしている事を、この家の皆が微笑ましく思っているのを知っていたので、私はそう誤魔化しました。


「ホールでお待ちになってる騎士様にも、こちらをお出しして休んでいただいてね」

ほっとしたように微笑むメイドから焼き立てのカップケーキのお皿を受け取って、私は温室へ足を進めました。

胸は早鐘を打つように激しく、足はもつれそうになって。
……護衛騎士様を伴わずに、ふたりだけで会っている。


今日のこの時間。
父は登城し、母は昼食会だと、朝食堂で話していました。
兄と私は登校しています。
うちに居るのは、学園を卒業した姉だけ。
今日なら、他には誰も居ないと姉が連絡したのでしょうか?
それで殿下は慌てて会いに来たのでしょうか?
姉の縁談がどうなったのか、知りたくて?


音を立てないように温室へ滑り込むように入りました。

『私は貴方が語る言葉と、自分自身の目で見た貴方の姿だけを信じます』

以前、殿下に誓った言葉を思い出しました。
貴方が姉に何を語るのか、貴方は姉に対してどう行動するのか。
それをこの耳で、この目で確かめなくてはいけない。


ボソボソと話し声が向こうから聞こえてきました。


「誰にも聞かれてないと思うけれど、念の為あっちの言葉で話しましょう」

「そうだな、わかった」

それは……紛うことなき姉と殿下の声でした。
私は思わずその場に座り込みました。
誰かに聞かれたら困る話を、ふたりはこれからすると言うのです。


ふたりは会話を始めて……信じられない事にそれはトルラキア語でした。
私がトルラキアの言葉を学びたいと話した時、殿下はがんばって、と励ましてくれたのに。
3年前には通訳なしでは、買い物も出来なかったのに。
何でも話してくれると、仰っていたくせに。

一体いつから習っていたのでしょうか。
流暢とまでは言えなくても、私よりは遥かにお上手です。
ここまで話せるなら、どうして私に教えてくれなかったのでしょう。

それにクラリスだって。
トルラキアの難しい『ヴ』の発音も完璧だなんて。
姉だって、私が発音の習得に四苦八苦していることは側で見ていたのに。
信じたくは無いけれど、拙い、なかなか進歩しない私のトルラキア語をふたりで嗤っていたのかも、とそこまで卑屈に考える位、私は打ちのめされていました。

私の語学力ではなかなか聞き取れなくて、途切れ途切れに単語を拾うのみでした。

『贈る』『ドレス』『カード』『誤解』『誤魔化す』
『カモフラージュ』

声を潜めて話し合うふたりの会話から聞き取れたのはそれくらいでした。

文章に組み立てると
『ドレスを贈った』『カモフラージュで誤魔化す』だと、思いました。

殿下は姉にドレスを贈った? それともこれから贈る?
私は誤魔化す為のカモフラージュ? 誤解をしないで?

それらの単語の組み合わせは、これ以外にない。
確かめなくては、そう思いました。
ふたりが見つめ合う姿を見る勇気はありませんでした。
でも、ドレスなら。
それが殿下から贈られたもので、意味深な言葉を綴ったカードが添えられていたら。

よろよろと立ち上がった私が聞いたのは、決定的な言葉でした。

『私はあなただけを愛しています』

殿下が口にしたのは、トルラキアの愛の言葉です。
リーエから何度も練習させられて、これだけはちゃんと覚えています。

それを聞いたクラリスは嬉しそうに、声をあげて笑って。


「もう一度、言ってください」

『……私はあなただけを愛しています』

「もっと、ちゃんと言わないと」

「もう、やめた、言わない」

「もう一回だけ、トルラキアの愛してる、って素敵ですね。
 うっとりします」

「あのなぁ、これで最後だからな。
『私はあなただけを愛しています』」


姉に請われるまま、何度も愛していると繰り返すその声を、聞きたくなかった。
私の事は好きだよと、今まで何度も言ってくれたけれど。
愛していると言われた事は、一度もありませんでした。

それに、あんなに気安そうな殿下の口調は初めてでした。
私には見せられない本当の姿を、姉には見せているように思えました。


ぐちゃぐちゃな気持ちのまま、私は姉の部屋に飛び込み、クローゼットを物色しました。
どれも皆、姉が着ていて、見たことのあるドレスでした。 
そんなあさましい真似をしている自分を、部屋の隅からもうひとりの私が呆れた目で見ていました。


最近読んだ小説で夫の浮気を疑ったヒロインが、夫のワードローブを物色するのです。
まるで浮気が確定したように、取りつかれた様に証拠を探すヒロインを哀れに思ったのに。

今の私がそれだ。
恋人と姉の浮気の証拠を押さえようとしている。
惨めなのに、探す手を止められない。
それらしきものを探る目があちこちへ動く。


その時、円柱型の帽子入れが積まれたコーナーにひとつだけ大きな四角い箱が置かれているのに気付きました。
これだ、と確信しました。



箱の中には紫色のグラデーションが見事なドレスが入っていました。

『あからさまは好きじゃない』 
嘘ばっかり、こんな独占欲の塊の様なドレスをクラリスに贈って。

殿下との仲を応援している母が、このドレスに騒いでいないと言うことは、母の留守の間に届いたのでしょうか。
それとも、もしかして今日、殿下はご自分で届けられた?

限りなく事実に近いであろう想像を止めることが出来なくなりました。
私の手はドレスの上に乗せられていたカードを開いていました。
封筒には確かにクラリスの名前があり、間違いなく、このドレスは姉宛に贈られたもの。
そこには。

『愛を込めて  アシュフォード・ロイド・バロウズ』
と、流麗な飾り文字が綴られていたのです。


元のようにドレスを箱にしまい、元の場所に戻し。
姉の部屋を出ました。
そして飛び込んだ自分の部屋で泣きました。 


私の手には、先日2年越しでリーエから届けられた組み紐がありました。
おばさんはあれから体を壊して、長らく出会い市に出店出来ていなかったそうなのです。

それは黒地に金と青の糸を絡ませて。
あの日、おばさんに私は手首に巻いた赤い組み紐を見せました。
これと同じデザインで対になるようにしてくださいと。


黒い中に、控え目な金と青。
貴方が『あからさまは好きじゃない』と言ったから。
これなら身に付けてくれると思っていました。


『何を聞かされても、噂なんか信じません。
私は貴方が語る言葉と、自分自身の目で見た貴方の姿だけを信じます』


これは誰かからの噂なんかじゃない。
『あなただけを愛しています』と、クラリスに貴方が語った言葉。
『愛を込めて』と、クラリスに貴方が贈った貴方の色のドレス。
私が自分で確認した事実。
 
胸が千切れるように痛くて、息が出来ない。  

私にはもう、あの夏のトルラキアでの皆の笑顔が、うまく思い出せないようになっていました。

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