【完結】この胸が痛むのは

Mimi

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第36話

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トルラキアから帰国して、夏休みが終わり。
私は初等部4年生、殿下は高等部の2年生に進級致しました。

新学年が始まっても、お昼休みの図書室にはストロノーヴァ先生は居てくださって。
私はトルラキア旅行の報告や思い出、一生懸命にバロウズの言葉を話してくれたシュトウブさんやペテルさん、リーエの話を聞いていただきました。

ただ先生のご実家がトルラキアの有名な公爵家だと知った事は話さない方が良いかと、黙っていました。
それは以前、先生が『家名が重要視されるのが嫌だった』と仰られて居たからです。
遠いご先祖のヴァンパイア王を、他人事のようにお話しになっていたので、今でも嫌なんだろうなと思ったのです。

先生が一番楽しそうに聞いてくださったのは、先生と反対に殿下の侍従のカラン・ワグナー様が吸血鬼が大好きらしいという話でした。


「あれをベッドサイドに飾ったら、悪夢しか見ないだろうに、変わっているな」

そう仰る先生も大変個性的な方だと思います、とは言えませんでした。
床に直接座ったり、腹這いで寝転んで読書に夢中になっている先生。
それでも時々は図書室にいらっしゃらない日もあって。
『乗り掛かった船だから、たまに見回りをしている』と仰られていました。
何でもバージニア王女殿下や取り巻きのご令嬢達が、どこかで誰かを囲んでいないかと、空き教室や校舎裏を覗いておられるらしいのです。


「後1年だから、ね。
 最後にちょっとは教師らしい事もしないとね」

トルラキア語を学ぼうと思っている事、祖母が夏別荘を購入した事。
話したい事はたくさんあって。
この年度で先生が退職されるまで。
私の図書室通いは続きました。

4年生の最後の日、ストロノーヴァ先生がバロウズの言葉で書かれたトルラキア語の辞典をくださいました。

『君の学ぼうとする姿勢を、僕は尊敬する』

開いた1ページ目に先生はメッセージを書いていてくださっていました。




殿下が通われている高等部とは学園では校舎が離れておりましたので、お会いする機会はないのですが。

あの馬車のなかでお気持ちを明かして下さって以来、2週間毎に殿下はスローンの屋敷に私を訪ねて来てくださいました。
その手にはいつも何か贈り物を携えていて下さって。
小さなブーケや見た目も可愛らしいキャンディ。
リボンもよくいただきましたが、私の一番のお気に入りは初めて買っていただいた赤い組み紐でした。


「初等部には、高等部の兄弟がいる生徒がたくさん居るよね?
 その子達から噂を聞かされるかも知れないけれど、それは本当じゃないから、何か言われたら俺にちゃんと話して欲しいんだ」

「噂、ですか?」

「君の姉上と俺についての噂が高等部で流れてる。
 レイとクラリス嬢が何度も否定しても、なかなか消えないんだ」

「……」

そう言えば、図書室でも、クラリスが殿下からいただいたブレスレットを見せつけていた、姉から聞いた、とグレイシー嬢が言っていました。
その件については、帰国してから姉から説明されていました。
『見せつけていた? グレイシーめ! あり得ないわね!』と吐き捨てるように言っていた姉を思い出しました。


「全部、俺の自業自得なんだ。
 レイとしか、親しくしてなかったから、いざ噂を否定しようとしても、話す相手がいない」

「殿下と仲良くなりたい御方はたくさんいらっしゃいます。
これからどんどん仲良しを作ればいいのです」

「……そうだね。
 うん、そうだ、これから。
 これから俺は変わるようにするよ」

……今思うと。
私の、どの口が偉そうに言うのでしょう。
私こそ、学園の友人達には心を開いていなかったのに。


「とにかく噂なんか信じないで。
 君は俺の言うことを信じてくれたらいいんだ」


私は頷きました。
何を聞かされても、噂なんか信じません。
私は貴方が語る言葉と、自分自身の目で見た貴方の姿だけを信じます。


 ◇◇◇


そして穏やかに歳月は過ぎて行きました。
初めてトルラキアを訪れて、殿下と気持ちを通わせる事が出来てから、3年が経とうとしていました。

リーエに心配されていた通り、アシュフォード殿下を慕う女性の数は年々多くなり、その原因は姉曰く、
『何故だか、男女問わず皆に愛想よくなっちゃって。
 王子スマイル連発するから、女子がその気になってしまって』ということでした。


毎回訪問の度にプレゼントをしてくださる殿下でしたが、何故か母にも同様に、お花を持ってきてくださるようになっていました。
それで私も仕方なく母に渡すので、段々と少しずつ会話も増えつつありました。
口には出されなかったのですが、殿下は以前の母の偽りを許してくださったのかも知れません。


殿下からの12歳の誕生日プレゼントは、紫色の小さな花をあしらった白いダンス用のシューズでした。
中等部になると、授業で社交ダンスを学ぶのです。


「今年からデビュタントまで、毎年靴を贈るからね。
 少しずつ踵を高くしていこう。
 学園のダンスの授業以外は、ダンスを君に教えていいのは俺だけだから」

君の好きにしていい、なんて仰っていたのに。
この頃になると少しずつ『俺だけ』や『ふたりだけ』等と仰るようになってきて。
以前は私に触れるのも髪に口付けするだけだったのに、ある日いきなり掴まれた指先に唇を寄せられて、それをたまたま通りかかった父に見られてしまって、その月は会えなくなった事もありました。


リーエとは、我が侯爵家に色々とあって、2年連続で祖母の避暑に御一緒出来なくて、顔を合わす事は出来なかったのですが、手紙のやり取りは続けていました。

2年続けて祖母と一緒にトルラキアへ行けなかったのは。
1年目は兄プレストンが、体調を崩したせいでした。
昔は体が弱く、高熱を出すことも多かったと聞く兄でしたが、私が物心つく頃にはそんなことは一切無かったのです。

発熱して寝込んだ兄の部屋で幾晩も、誰にも任せず寝ずの看病をする母は疲れているのに張り切っているようにも見えて。
そんな母に、祖母からの避暑のお誘いが来たことは言えなかったのです。


『遠慮しなくてもいいじゃない、いっていらっしゃい』と姉に言われましたが、寝込んだ兄とやつれた母に、行ってきますとは……
母まで倒れてしまいそうな気がしていました。
看病を私達で交代した方がいいのでは、と姉に提案したのですが。


「お母様は14年分の想いがあるのよ。
 誰にも譲らないわよ」

母の譲らない想いとは何なのか、これ以上は姉は話す気がなさそうでしたし、父さえもが短い仮眠を取るだけで徹夜を重ねる母を止めることはありませんでした。


その翌年は領地に住む先代の祖父が王都にお越しになりました。
来る早々から先代は父の執務室で両親と姉と4人で、何事か話し合っておられました。
執務室からは時折母の泣き声と先代の怒声が漏れ聞こえてきました。

話し合いは決裂したようなのですが、先代は
『長期戦だ』と、言い。
帰るつもりはないと宣言しました。

我が家の雰囲気は最悪でした。
朝になると父はゲンナリした顔で登城し、母は頭が痛いと言い、姉は部屋から出なくなりました。
先代は家中に不機嫌を撒き散らしていました。 

私は例年開催の湖上花火祭りに合わせて、殿下から別荘に招待を受けておりました。
それに父が急遽頼んだのか、兄のプレストンも参加させていただくことになりました。
父はあの家から、兄と私を避難させたかったのでしょう。


「恐らく、祖父は姉の縁談を進めようとしてるんだと思います」

「……姉上はそれに抵抗しているんだな?」

「僕らが出発する朝はまだ部屋に閉じこもっていましたけど、先代は強引なんです。
 押しきられてしまうかも知れません」

「……」

プレストンの説明に、殿下はそれきり黙られて。
学園で仲の良かった友人の縁談の話に、何も仰らず……
ずっと何かを考えておられるご様子でした。  
私にはそんな殿下が不自然に見えて。
予感と言うのでしょうか、説明出来ない不安が胸の辺りに渦巻いていました。


夜空には美しい花火が打ち上がり、辺りを明るく照らしていました。
私の隣に立つ殿下のお顔には、花火に照らされた光と同じ分の暗い影も見えて。


これからはお互いに思っている事を話そう、と仰ってくださったのに。
ここで見る花火は最高で、アグネスに見せてあげたかった、と何度も仰ってくれていたのに。



どうして隣にいる私に、何も言ってくれないのですか?
貴方は今何を考えているのですか?
貴方は本当は誰を想っているのですか?
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