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幕間2
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グレイソン先生が引退されて、法律事務所を引き継がれたのはハリー・フレイザー様だった。
ハミルトンの顧問もそのまま彼が引き継いだ。
事務所の名前は変えずにいたので、フレイザー様は『グレイソンの若先生』と呼ばれるようになった。
「伯爵様がお嬢様に譲位をされる時には、必ず立ち会いますから」
「何十年後の話だ、まだまだ俺は元気だぞ」
それこそ、まだまだお元気なグレイソン先生が引退されるのは、奥様のご出身の湖水地方に邸を購入されたからだ。
これからは釣り三昧の日々を送られると言う。
「何十年後等と言わずに、お元気な内にお好きなように生きるのも、悪くありませんよ」
父は今までずっと第一に領地のことを考えて、自分のことは後回しだった。
グレイソン先生のお別れのご挨拶で、何か思うところがあったのだろうか、時折母と何事か話をしているのを見かけた。
わたしが学院を卒業して、少しずつ父の仕事を手伝い始めた頃から、ワインの注文が急激に増えた。
相手は新規の商会で、注文量に不安を感じた若先生がその商会を調べると仰った。
弁護士のお仕事に取引相手の調査等含まれていないので、申し訳なく思い、そう言うと。
「差し出がましいのは、承知しているのですが。
以前からの取引先なら気になりませんが、新規ですから。
急に取引停止になる恐れもあります。
時間はかかるかもしれませんが、直ぐに応じるのは待っていただけませんか」
「畏まりました、そのように致します。
調査にかかった費用等は、必ず請求なさってください」
取り敢えず今は、御礼だけを言えばいいのかもしれないが、始めに費用の話をしてしまうのが貴族らしくなく、わたしの悪い癖だと思う。
お金の話を先ず口にするのではなく、もう少し柔らかく、何とか出来ないかと自己嫌悪に陥ることも多い。
時間がかかると若先生は仰っていたけれど、思っていたよりも早く相手の調査は終了した。
表に出ているオーナーの名前は違っていたけれど、大元を辿ると、それはかつてキャメロンを取り押さえてくれたあの伯爵家だった……それはつまり。
「侯爵閣下はサザーランドの名前を出さずに、ハミルトンのワインをこれ程購入してくださっているんですね。
もう既に、来年度の予約も入っていて、あちらは毎年購入の契約書を交わしたいと」
「前侯爵閣下がお気に召してくださっていたんです」
今は王都の別邸に住まわれていると聞く前侯爵閣下は、このワインを口にされて、ご気分が乗れば、あの美しい詩を諳じておられるのだろうか。
そうであったなら、嬉しい。
あれから侯爵閣下は奥様を迎えられて、2人目のお子様が生まれたところだ。
完全にスペアの役目を終えたキャメロンは領地で、何をしているのだろう。
「調べましょうか。
キャメロン・グローバーの……」
わたしが結構だと言うのを見越して、若先生が尋ねてくる。
今更、彼がわたしに接触してくること等ないのに、今回は何を気にされているのだろうか。
切れ者の若先生なら、予めキャメロンとアイリスのことを調べていそうな気がするけれど、わたしはもうふたりのことには関知しないと決めていたので、首を振る。
わたしの時間と体力は、家族と領地と領民にだけ向ければいい。
◇◇◇
わたしが22歳になった日。
父が1年後に譲位をすると言い出した。
「まだまだ元気な内に、したいことをすることにした」
「……したいこととは、何ですか?」
「絵だよ、絵!
俺は絵を描きたいんだ。
ローレンは旅をしたいと言った。
旅先の風景や人物を、俺は描くぞ。
まずはふたりで国内を回る……王都とハミルトンしか知らないからな」
母が旅行好きなのは知っていたが、父が絵を描きたいと思っていたとは知らなかった。
どちらかと言えば、外で動く方が好きだと思っていた。
あのどんな紙であろうと書き付ける独特の文字や数字は、父の画才の表れだったの?
父が母と決めたことを口に出したのだから、わたしが反対しようとこれは決定事項だ。
その日から1年かけて、わたしは父と管理人頭のミラーと領内の各地を見て回り、関係者と話し合った。
そして家政については、家令のベントンと侍女長のヘレンから指導を受けた。
譲位による名義変更等、諸々の手続きは若先生が手伝ってくださった。
他の用事やら会合やら、それらの予定が詰まり、王都の事務所へなかなか行けないわたしに合わせてくれて、若先生の方からハミルトンまで来てくださることがいつの間にか通常になっていた。
20時間かかっていた王都との距離は、今は17時間になっていたが、それでも長くて申し訳なさでいっぱいになる。
その日も若先生が来られる予定になっていた。
昼過ぎから降りだした雨は、夜になってますます強く、その上風が出てきた。
昨夜の最終の夜行列車に乗る予定で、邸には19時までに到着されると聞いていた。
余りに雨風が強いと列車は停まってしまう。
ハミルトン駅からの大通りは日中は混むが、それも17時まで。
ハミルトンの人間は朝も夜も早いから。
若先生はいつもお迎えの馬車は要らないと仰っていたが、今日は出すべきだったとわたしは後悔した。
こんな天気で辻馬車が走っているわけがない。
時計は21時を回っていた。
夕食をご一緒しようと思っていて、わたしはまだ食べていなかったけれど、気持ちが落ち着かず食欲もなかった。
父と母は午後から領内の教会へ行っていたが、雨風が強いので今夜は教会で泊まると連絡があった。
まだ、雨は降り続いている。
風はますます強くなる。
父と母は、居ない。
若先生からは何の連絡もなく……来ない。
わたしは手元のベルを鳴らす。
直ぐにベントンが顔を出す。
黙ってこちらを見ているので、さっきわたしがベルを鳴らした40分前とは事態は何も変わっていないのが、わかる。
「若先生からのご連絡はございません」
「……違う、違います。
この雨で、何処か……そう何処からか、連絡は来てない?」
「これくらいなら、領内の各地は特に危険は無いかと」
涼しい顔で言われて、一瞬かっとなった。
これくらい、って!こんなに激しく降っているのよ!と、何も悪くないベントンに大声を出しそうになって我慢する。
「ご夕食はいかがなさいますか?」
「……もう少しだけ待って、と厨房に伝えて」
「畏まりました」
そう言ってベントンが執務室を出ようとした時、邸の呼び鈴が鳴った。
邸の中にまで聞こえる激しい雨音に紛れていたけれど、確かに鳴った。
無意識だった。
わたしはベントンの横をすり抜けて、玄関まで走った。
びしょ濡れの若先生が迎え出た執事から大判のタオルを受け取って、髪を拭いているのが見えた。
「フレイザー先生!」
「あぁ、雷には間に合いました、よかったです。
傘が全然役に立たなくて、濡らしてしまって申し訳な……」
「何がよかったのです!もしかして駅からここまで歩いて来られたのですか?」
「綺麗に舗装された石畳ですから。
濡れているので気を付けないと滑るのですが、1時間も歩けばコツがわかりましたよ」
信じられない……ハミルトンの駅では動きが取れない降客に毛布を貸し出して、朝まで過ごせるようにしてくれるのに。
何でもないことのように笑っていらっしゃるけれど、2時間かけて歩いて来られたの?
それに雷?今はまだ雷は鳴っていない。
「雷が何か……」
「シンシア様は雷が苦手だと伯爵様からお聞きしました。
ご両親も使用人の方達も居られますし、私では頼りないですが、ひとりでも多い方が心強いかと」
「……」
わたしが雷を怖がっているとでも、父は若先生に話したのだろうか。
一体いくつの時の話なのか……それをこの方は今の22歳のわたしが、未だにそうだと?
……雷よりも怖いものがこの世にあることを、わたしは知っているのに。
それでも。
父の軽口を信じこんで、少しでも安心を、と無理を押して来てくださったことに悪い気がするはずもなく。
かと言って、素直に嬉しいです、と言えないわたしはやはり可愛げがない。
何をどう言えばいいのか、わからずに。
とにかく先に身体を温めてくださいとお湯の準備をヘレンに頼んだ。
びちゃびちゃと、若先生が動く度に水溜まりが廊下に出来た。
ヘレンがメイドに廊下を拭くように言いつける。
ベントンが食堂の暖炉に火を入れるように執事に命じる。
口には出さないが、皆が安心して笑いたいのを堪えているように見えた。
そしてわたしも、空腹だと気付いた。
翌日は快晴だった。
わたしは若先生にプロポーズされた。
隣に立つのでもなく、真正面で跪かれるでもなく。
書類の仕分けにふたりで取りかかる前だった。
「私は貴女と、人生をかけて信頼を育てていきたい。
その信頼がいつか愛になれば、と思っています」
そして続けられた言葉は。
返事は急ぎません、いつまでも待ちます。
その言葉に甘え、わたしが返事を返せたのは半年以上先だった。
◇◇◇
あの破談から8年。
わたしは25歳になっている。
夜から朝方にかけて。
目覚めると、動いたわけでもないのに、隣で眠っている夫も目を覚ます。
それはいつものこと。
「……眠れないの?」
「なんだか寒くて、目が覚めたの。
起こしてしまってごめんなさい」
「……ん……おいで」
夫は眠そうにしながらも、寝具の中で腕を広げて、わたしを迎えてくれる。
抱き締めてくれるその暖かさに、いつしかわたしも再び眠りに落ちている。
もう誰にも恋なんてしないと、あの日誓った。
それは3年前に夫からプロポーズされて。
いつまでも待つ、と言って貰って。
半年以上かけて考えて考えて、受けた時もそうだった。
「私は貴女と、人生をかけて信頼を育てていきたい。
その信頼がいつか愛になれば、と思っています」
その言葉の通り彼は、燃えるような焦がれるような恋ではなく。
確かにそこにあると思える信頼と。
重ねた日々の中でゆっくりと増えていく愛情で、わたしを包んでくれる。
わたしのお腹に初めて宿った命は、7か月目に入った。
守るという言葉を、夫は口にはしないけれど。
彼が隣に居てくれるだけで。
わたしはもう夜に凍えることはない。
夜の沈黙に飲まれそうになって、ブランケットを被ることもない。
孤独に耐えかねて、身体が軋むこともない。
それでも、これまでのこと、これからのこと。
色々考え過ぎて、夢を見て、目が覚める夜もあって。
そんな時、彼は眠れぬわたしを抱き締めて。
そして言うのだ。
いつも、わたしを楽にしてくれる魔法の言葉を。
「シア……ゆっくり深呼吸してごらん」
おわり
*****
本編最終話と重複部分も多く、お目汚しになったかもしれません。
最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございました🙇♀️
ハミルトンの顧問もそのまま彼が引き継いだ。
事務所の名前は変えずにいたので、フレイザー様は『グレイソンの若先生』と呼ばれるようになった。
「伯爵様がお嬢様に譲位をされる時には、必ず立ち会いますから」
「何十年後の話だ、まだまだ俺は元気だぞ」
それこそ、まだまだお元気なグレイソン先生が引退されるのは、奥様のご出身の湖水地方に邸を購入されたからだ。
これからは釣り三昧の日々を送られると言う。
「何十年後等と言わずに、お元気な内にお好きなように生きるのも、悪くありませんよ」
父は今までずっと第一に領地のことを考えて、自分のことは後回しだった。
グレイソン先生のお別れのご挨拶で、何か思うところがあったのだろうか、時折母と何事か話をしているのを見かけた。
わたしが学院を卒業して、少しずつ父の仕事を手伝い始めた頃から、ワインの注文が急激に増えた。
相手は新規の商会で、注文量に不安を感じた若先生がその商会を調べると仰った。
弁護士のお仕事に取引相手の調査等含まれていないので、申し訳なく思い、そう言うと。
「差し出がましいのは、承知しているのですが。
以前からの取引先なら気になりませんが、新規ですから。
急に取引停止になる恐れもあります。
時間はかかるかもしれませんが、直ぐに応じるのは待っていただけませんか」
「畏まりました、そのように致します。
調査にかかった費用等は、必ず請求なさってください」
取り敢えず今は、御礼だけを言えばいいのかもしれないが、始めに費用の話をしてしまうのが貴族らしくなく、わたしの悪い癖だと思う。
お金の話を先ず口にするのではなく、もう少し柔らかく、何とか出来ないかと自己嫌悪に陥ることも多い。
時間がかかると若先生は仰っていたけれど、思っていたよりも早く相手の調査は終了した。
表に出ているオーナーの名前は違っていたけれど、大元を辿ると、それはかつてキャメロンを取り押さえてくれたあの伯爵家だった……それはつまり。
「侯爵閣下はサザーランドの名前を出さずに、ハミルトンのワインをこれ程購入してくださっているんですね。
もう既に、来年度の予約も入っていて、あちらは毎年購入の契約書を交わしたいと」
「前侯爵閣下がお気に召してくださっていたんです」
今は王都の別邸に住まわれていると聞く前侯爵閣下は、このワインを口にされて、ご気分が乗れば、あの美しい詩を諳じておられるのだろうか。
そうであったなら、嬉しい。
あれから侯爵閣下は奥様を迎えられて、2人目のお子様が生まれたところだ。
完全にスペアの役目を終えたキャメロンは領地で、何をしているのだろう。
「調べましょうか。
キャメロン・グローバーの……」
わたしが結構だと言うのを見越して、若先生が尋ねてくる。
今更、彼がわたしに接触してくること等ないのに、今回は何を気にされているのだろうか。
切れ者の若先生なら、予めキャメロンとアイリスのことを調べていそうな気がするけれど、わたしはもうふたりのことには関知しないと決めていたので、首を振る。
わたしの時間と体力は、家族と領地と領民にだけ向ければいい。
◇◇◇
わたしが22歳になった日。
父が1年後に譲位をすると言い出した。
「まだまだ元気な内に、したいことをすることにした」
「……したいこととは、何ですか?」
「絵だよ、絵!
俺は絵を描きたいんだ。
ローレンは旅をしたいと言った。
旅先の風景や人物を、俺は描くぞ。
まずはふたりで国内を回る……王都とハミルトンしか知らないからな」
母が旅行好きなのは知っていたが、父が絵を描きたいと思っていたとは知らなかった。
どちらかと言えば、外で動く方が好きだと思っていた。
あのどんな紙であろうと書き付ける独特の文字や数字は、父の画才の表れだったの?
父が母と決めたことを口に出したのだから、わたしが反対しようとこれは決定事項だ。
その日から1年かけて、わたしは父と管理人頭のミラーと領内の各地を見て回り、関係者と話し合った。
そして家政については、家令のベントンと侍女長のヘレンから指導を受けた。
譲位による名義変更等、諸々の手続きは若先生が手伝ってくださった。
他の用事やら会合やら、それらの予定が詰まり、王都の事務所へなかなか行けないわたしに合わせてくれて、若先生の方からハミルトンまで来てくださることがいつの間にか通常になっていた。
20時間かかっていた王都との距離は、今は17時間になっていたが、それでも長くて申し訳なさでいっぱいになる。
その日も若先生が来られる予定になっていた。
昼過ぎから降りだした雨は、夜になってますます強く、その上風が出てきた。
昨夜の最終の夜行列車に乗る予定で、邸には19時までに到着されると聞いていた。
余りに雨風が強いと列車は停まってしまう。
ハミルトン駅からの大通りは日中は混むが、それも17時まで。
ハミルトンの人間は朝も夜も早いから。
若先生はいつもお迎えの馬車は要らないと仰っていたが、今日は出すべきだったとわたしは後悔した。
こんな天気で辻馬車が走っているわけがない。
時計は21時を回っていた。
夕食をご一緒しようと思っていて、わたしはまだ食べていなかったけれど、気持ちが落ち着かず食欲もなかった。
父と母は午後から領内の教会へ行っていたが、雨風が強いので今夜は教会で泊まると連絡があった。
まだ、雨は降り続いている。
風はますます強くなる。
父と母は、居ない。
若先生からは何の連絡もなく……来ない。
わたしは手元のベルを鳴らす。
直ぐにベントンが顔を出す。
黙ってこちらを見ているので、さっきわたしがベルを鳴らした40分前とは事態は何も変わっていないのが、わかる。
「若先生からのご連絡はございません」
「……違う、違います。
この雨で、何処か……そう何処からか、連絡は来てない?」
「これくらいなら、領内の各地は特に危険は無いかと」
涼しい顔で言われて、一瞬かっとなった。
これくらい、って!こんなに激しく降っているのよ!と、何も悪くないベントンに大声を出しそうになって我慢する。
「ご夕食はいかがなさいますか?」
「……もう少しだけ待って、と厨房に伝えて」
「畏まりました」
そう言ってベントンが執務室を出ようとした時、邸の呼び鈴が鳴った。
邸の中にまで聞こえる激しい雨音に紛れていたけれど、確かに鳴った。
無意識だった。
わたしはベントンの横をすり抜けて、玄関まで走った。
びしょ濡れの若先生が迎え出た執事から大判のタオルを受け取って、髪を拭いているのが見えた。
「フレイザー先生!」
「あぁ、雷には間に合いました、よかったです。
傘が全然役に立たなくて、濡らしてしまって申し訳な……」
「何がよかったのです!もしかして駅からここまで歩いて来られたのですか?」
「綺麗に舗装された石畳ですから。
濡れているので気を付けないと滑るのですが、1時間も歩けばコツがわかりましたよ」
信じられない……ハミルトンの駅では動きが取れない降客に毛布を貸し出して、朝まで過ごせるようにしてくれるのに。
何でもないことのように笑っていらっしゃるけれど、2時間かけて歩いて来られたの?
それに雷?今はまだ雷は鳴っていない。
「雷が何か……」
「シンシア様は雷が苦手だと伯爵様からお聞きしました。
ご両親も使用人の方達も居られますし、私では頼りないですが、ひとりでも多い方が心強いかと」
「……」
わたしが雷を怖がっているとでも、父は若先生に話したのだろうか。
一体いくつの時の話なのか……それをこの方は今の22歳のわたしが、未だにそうだと?
……雷よりも怖いものがこの世にあることを、わたしは知っているのに。
それでも。
父の軽口を信じこんで、少しでも安心を、と無理を押して来てくださったことに悪い気がするはずもなく。
かと言って、素直に嬉しいです、と言えないわたしはやはり可愛げがない。
何をどう言えばいいのか、わからずに。
とにかく先に身体を温めてくださいとお湯の準備をヘレンに頼んだ。
びちゃびちゃと、若先生が動く度に水溜まりが廊下に出来た。
ヘレンがメイドに廊下を拭くように言いつける。
ベントンが食堂の暖炉に火を入れるように執事に命じる。
口には出さないが、皆が安心して笑いたいのを堪えているように見えた。
そしてわたしも、空腹だと気付いた。
翌日は快晴だった。
わたしは若先生にプロポーズされた。
隣に立つのでもなく、真正面で跪かれるでもなく。
書類の仕分けにふたりで取りかかる前だった。
「私は貴女と、人生をかけて信頼を育てていきたい。
その信頼がいつか愛になれば、と思っています」
そして続けられた言葉は。
返事は急ぎません、いつまでも待ちます。
その言葉に甘え、わたしが返事を返せたのは半年以上先だった。
◇◇◇
あの破談から8年。
わたしは25歳になっている。
夜から朝方にかけて。
目覚めると、動いたわけでもないのに、隣で眠っている夫も目を覚ます。
それはいつものこと。
「……眠れないの?」
「なんだか寒くて、目が覚めたの。
起こしてしまってごめんなさい」
「……ん……おいで」
夫は眠そうにしながらも、寝具の中で腕を広げて、わたしを迎えてくれる。
抱き締めてくれるその暖かさに、いつしかわたしも再び眠りに落ちている。
もう誰にも恋なんてしないと、あの日誓った。
それは3年前に夫からプロポーズされて。
いつまでも待つ、と言って貰って。
半年以上かけて考えて考えて、受けた時もそうだった。
「私は貴女と、人生をかけて信頼を育てていきたい。
その信頼がいつか愛になれば、と思っています」
その言葉の通り彼は、燃えるような焦がれるような恋ではなく。
確かにそこにあると思える信頼と。
重ねた日々の中でゆっくりと増えていく愛情で、わたしを包んでくれる。
わたしのお腹に初めて宿った命は、7か月目に入った。
守るという言葉を、夫は口にはしないけれど。
彼が隣に居てくれるだけで。
わたしはもう夜に凍えることはない。
夜の沈黙に飲まれそうになって、ブランケットを被ることもない。
孤独に耐えかねて、身体が軋むこともない。
それでも、これまでのこと、これからのこと。
色々考え過ぎて、夢を見て、目が覚める夜もあって。
そんな時、彼は眠れぬわたしを抱き締めて。
そして言うのだ。
いつも、わたしを楽にしてくれる魔法の言葉を。
「シア……ゆっくり深呼吸してごらん」
おわり
*****
本編最終話と重複部分も多く、お目汚しになったかもしれません。
最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございました🙇♀️
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嬉しいです✨ありがとう
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こちらこそ、幕間までお付き合いくださいましてありがとうございました。
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またいつか、お会い出来ますように🌟