30 / 37
30 そこに綴られた言葉◆◆シンシア
しおりを挟む
オースティン様の言葉に驚いた。
さっきはわたしの体調が悪いから手短に、と仰ったのに?
わたしを見るオースティン様の口元が微かに緩んでいる。
この返事は、わたしがした方がいいの?
どうしたらいいのか判断出来ずに、父の方を窺うと難しい顔をしていたけれど、フレイザー様は頷いていた。
わたしと話をしたいと仰ったオースティン様だけが残り、閣下は先に戻られることになった。
破談相手の父と応接室で向かい合い、デタラメなフレイザー様の通訳で会話等なさる気にもなれないのだろう。
会見前には出迎えなかった父も、同席していなかった母も、お見送りには立ち、閣下に礼を取った。
見送るわたし達に軽く会釈をされた閣下は、侯爵家の馬車の前に立つ従者から何か受け取られ、再びこちらの方に戻ってこられた。
そして手にされた包みをわたしに差し出された。
「貴女にこれを」
今日、挨拶以外で閣下が声を出されたのは、これが初めてだ。
差し出されたそれが何なのかわからなかったけれど、目の前に出されて受け取らないわけにはいかず。
「……閣下、失礼ですが、こちらは?」
「7月の貴女の誕生日祝いに用意していたものだ。
愚息のせいで貴女との縁は無くなったが、是非受け取っていただけないだろうか」
「そのような……わたしがいただいても……」
まさか来月の誕生日祝いを、いただけるなんて思ってもみなかった。
「受け取ってやってくださいませんか」
閣下の隣に立つオースティン様からもそう言葉を添えられたけれど、受け取って後から何か不味いことにならないか、フレイザー様の様子を窺うと。
またしても頷かれたので、それならと遠慮なくいただくことにした。
後からよりも今、閣下の目の前で何を贈ってくださったのかを確認して、御礼をお伝えしようと思った。
閣下とは、今日以降お顔を拝見する機会はもう二度とないだろうから。
立ったままで、無作法だったが。
銀色のリボンを手解き、薄桃色の包装紙を開くわたしを咎める人は誰も居なかった。
閣下もオースティン様も、父も母も。
……それはあの夜、閣下が諳じられた古典詩の詩集だった。
わたしの瞳の色の藍に金の複雑な模様を入れた、大層美しい装丁の詩集だった。
隣に立っていた母が息を飲んだ。
明らかに高価である装丁に触れる指が震えた。
そして、表紙を開くと。
『この先
貴女が歩む道程に
幸多かれと願う』
閣下の見事な手蹟によるお祝いの言葉が綴られていて……それを目にして、わたしは……
「済まない、泣かせるつもりはなかった。
酔った男の戯れ言を気に入ってくれた貴女に用意したものだ。
手元に残しても他に渡す宛がない。
助けると思って受け取って欲しい」
「……ほ、ほんと……にあり……」
思わぬ贈り物とそこに綴られた言葉に胸が詰まり、そこから先は言葉にならないわたしに。
閣下が胸ポケットから白い絹のチーフを抜かれて、手渡してくださった。
手触りが良い上に、とても良い香りがしていて、わたしの涙で濡らしてしまうのが躊躇われた。
前回邸にいらっしゃった顔合わせの食事会。
同じ様にお見送りをした時は、閣下と父は固く握手を交わしていたが、今回は無い。
サザーランドとハミルトンの縁は切れた。
内ポケットからカードを。
胸ポケットからチーフを。
すっとスマートに出せる男性は、年齢を重ねられてもやはり雅だと思う。
◇◇◇
よろしければ、庭にテーブルをご用意致します、と言う母の言葉をオースティン様は断られた。
こちらの温室を一周するだけで、お暇致します、と続けられる。
大して広くもない温室を一周するだけの時間で、何のお話をされるのだろう?
訝しく思うけれど、オースティン様がエスコートの腕を差し出されたので、肘に軽く手を添えて、温室の中をゆっくり歩きだした。
温室の入り口にスザナが立ったが、後を付いてくることはなかった。
歩き始めて、母のお気に入りのバラのコーナーに差し掛かった時、ようやく足を停めて、オースティン様が話を切り出された。
「先ずは弟の処分について、お許しをいただきたいとお願いをしたくて」
キャメロンの処分について?
彼には慰謝料とその他にひとつ、御祝いとして書き加えたものがあった。
それ以外には何の要求も処罰も求めていない。
わたしからの願いだと書いたふたりへの御祝いも、わたしのことはお気になさらずに結ばれますようにと本音は隠して、表面的には当たり障りなくお伝え出来たと思った。
無事にアイリスと卒業後に結婚すると、閣下からの手紙に書いてあったと、父から聞いていた。
それを叶えてくださったのだから、特にお話を聞かせていただかなくても良かったのに。
「アイリスは一足先に、本年度で学院を辞めてサザーランドへ向かい継母と暮らしますが、弟は卒業まで後1年学院へ通うことになりました。
お目障りかと思いますが、貴族男子である以上学院の卒業は、必須です。
決してカーライル嬢に付きまとい等しないように、取り計らいますので、お許しいただきたいのです」
学院を辞めたアイリスだけが先に……
最終学年を彼女の顔を見ずに過ごせることが嬉しい。
実のお母様よりも慕っていると話していたセーラ様から直々に、1年掛けて侯爵家の花嫁教育を受けるのね。
キャメロンが侯爵家の次男である以上、後継者のオースティン様にお子様が生まれるまでは大切なスペアだ。
もし彼が繰り上がり侯爵家を継ぐことになれば、学院を卒業していないと周囲から侮られる。
侯爵家がキャメロンに卒業証書を与えたいのは理解出来た。
「承知致しました。
来年度のクラスは離して欲しいと学院に頼んでおりましたから、接触する機会はないと思いますが、お知らせくださいましてありがとうございます」
「それと、本来ならば内々のことなのでお伝えするべきではないのはわかっているのですが……
余計なことを知らせるな、とカーライル嬢の気分を害してしまうことをお許しください。
……キャメロンとアイリスの間に生まれた子はロジャースが引き取ることになりました」
「……それは奥様の、セーラ様のご実家のロジャース伯爵家に?
あちらのご養子に?」
現ロジャース伯爵はセーラ様の弟に当たられる。
次代の伯爵はキャメロンの従兄モーリス様で、まだ新婚だった筈。
その叔父か従兄、どちらかの養子に?
男児か女児かもわからない、生まれる前から決められた、その不自然すぎる養子縁組に嫌な想像が頭を占めた。
さっきはわたしの体調が悪いから手短に、と仰ったのに?
わたしを見るオースティン様の口元が微かに緩んでいる。
この返事は、わたしがした方がいいの?
どうしたらいいのか判断出来ずに、父の方を窺うと難しい顔をしていたけれど、フレイザー様は頷いていた。
わたしと話をしたいと仰ったオースティン様だけが残り、閣下は先に戻られることになった。
破談相手の父と応接室で向かい合い、デタラメなフレイザー様の通訳で会話等なさる気にもなれないのだろう。
会見前には出迎えなかった父も、同席していなかった母も、お見送りには立ち、閣下に礼を取った。
見送るわたし達に軽く会釈をされた閣下は、侯爵家の馬車の前に立つ従者から何か受け取られ、再びこちらの方に戻ってこられた。
そして手にされた包みをわたしに差し出された。
「貴女にこれを」
今日、挨拶以外で閣下が声を出されたのは、これが初めてだ。
差し出されたそれが何なのかわからなかったけれど、目の前に出されて受け取らないわけにはいかず。
「……閣下、失礼ですが、こちらは?」
「7月の貴女の誕生日祝いに用意していたものだ。
愚息のせいで貴女との縁は無くなったが、是非受け取っていただけないだろうか」
「そのような……わたしがいただいても……」
まさか来月の誕生日祝いを、いただけるなんて思ってもみなかった。
「受け取ってやってくださいませんか」
閣下の隣に立つオースティン様からもそう言葉を添えられたけれど、受け取って後から何か不味いことにならないか、フレイザー様の様子を窺うと。
またしても頷かれたので、それならと遠慮なくいただくことにした。
後からよりも今、閣下の目の前で何を贈ってくださったのかを確認して、御礼をお伝えしようと思った。
閣下とは、今日以降お顔を拝見する機会はもう二度とないだろうから。
立ったままで、無作法だったが。
銀色のリボンを手解き、薄桃色の包装紙を開くわたしを咎める人は誰も居なかった。
閣下もオースティン様も、父も母も。
……それはあの夜、閣下が諳じられた古典詩の詩集だった。
わたしの瞳の色の藍に金の複雑な模様を入れた、大層美しい装丁の詩集だった。
隣に立っていた母が息を飲んだ。
明らかに高価である装丁に触れる指が震えた。
そして、表紙を開くと。
『この先
貴女が歩む道程に
幸多かれと願う』
閣下の見事な手蹟によるお祝いの言葉が綴られていて……それを目にして、わたしは……
「済まない、泣かせるつもりはなかった。
酔った男の戯れ言を気に入ってくれた貴女に用意したものだ。
手元に残しても他に渡す宛がない。
助けると思って受け取って欲しい」
「……ほ、ほんと……にあり……」
思わぬ贈り物とそこに綴られた言葉に胸が詰まり、そこから先は言葉にならないわたしに。
閣下が胸ポケットから白い絹のチーフを抜かれて、手渡してくださった。
手触りが良い上に、とても良い香りがしていて、わたしの涙で濡らしてしまうのが躊躇われた。
前回邸にいらっしゃった顔合わせの食事会。
同じ様にお見送りをした時は、閣下と父は固く握手を交わしていたが、今回は無い。
サザーランドとハミルトンの縁は切れた。
内ポケットからカードを。
胸ポケットからチーフを。
すっとスマートに出せる男性は、年齢を重ねられてもやはり雅だと思う。
◇◇◇
よろしければ、庭にテーブルをご用意致します、と言う母の言葉をオースティン様は断られた。
こちらの温室を一周するだけで、お暇致します、と続けられる。
大して広くもない温室を一周するだけの時間で、何のお話をされるのだろう?
訝しく思うけれど、オースティン様がエスコートの腕を差し出されたので、肘に軽く手を添えて、温室の中をゆっくり歩きだした。
温室の入り口にスザナが立ったが、後を付いてくることはなかった。
歩き始めて、母のお気に入りのバラのコーナーに差し掛かった時、ようやく足を停めて、オースティン様が話を切り出された。
「先ずは弟の処分について、お許しをいただきたいとお願いをしたくて」
キャメロンの処分について?
彼には慰謝料とその他にひとつ、御祝いとして書き加えたものがあった。
それ以外には何の要求も処罰も求めていない。
わたしからの願いだと書いたふたりへの御祝いも、わたしのことはお気になさらずに結ばれますようにと本音は隠して、表面的には当たり障りなくお伝え出来たと思った。
無事にアイリスと卒業後に結婚すると、閣下からの手紙に書いてあったと、父から聞いていた。
それを叶えてくださったのだから、特にお話を聞かせていただかなくても良かったのに。
「アイリスは一足先に、本年度で学院を辞めてサザーランドへ向かい継母と暮らしますが、弟は卒業まで後1年学院へ通うことになりました。
お目障りかと思いますが、貴族男子である以上学院の卒業は、必須です。
決してカーライル嬢に付きまとい等しないように、取り計らいますので、お許しいただきたいのです」
学院を辞めたアイリスだけが先に……
最終学年を彼女の顔を見ずに過ごせることが嬉しい。
実のお母様よりも慕っていると話していたセーラ様から直々に、1年掛けて侯爵家の花嫁教育を受けるのね。
キャメロンが侯爵家の次男である以上、後継者のオースティン様にお子様が生まれるまでは大切なスペアだ。
もし彼が繰り上がり侯爵家を継ぐことになれば、学院を卒業していないと周囲から侮られる。
侯爵家がキャメロンに卒業証書を与えたいのは理解出来た。
「承知致しました。
来年度のクラスは離して欲しいと学院に頼んでおりましたから、接触する機会はないと思いますが、お知らせくださいましてありがとうございます」
「それと、本来ならば内々のことなのでお伝えするべきではないのはわかっているのですが……
余計なことを知らせるな、とカーライル嬢の気分を害してしまうことをお許しください。
……キャメロンとアイリスの間に生まれた子はロジャースが引き取ることになりました」
「……それは奥様の、セーラ様のご実家のロジャース伯爵家に?
あちらのご養子に?」
現ロジャース伯爵はセーラ様の弟に当たられる。
次代の伯爵はキャメロンの従兄モーリス様で、まだ新婚だった筈。
その叔父か従兄、どちらかの養子に?
男児か女児かもわからない、生まれる前から決められた、その不自然すぎる養子縁組に嫌な想像が頭を占めた。
158
お気に入りに追加
3,319
あなたにおすすめの小説
(完結)婚約破棄から始まる真実の愛
青空一夏
恋愛
私は、幼い頃からの婚約者の公爵様から、『つまらない女性なのは罪だ。妹のアリッサ王女と婚約する』と言われた。私は、そんなにつまらない人間なのだろうか?お父様もお母様も、砂糖菓子のようなかわいい雰囲気のアリッサだけをかわいがる。
女王であったお婆さまのお気に入りだった私は、一年前にお婆さまが亡くなってから虐げられる日々をおくっていた。婚約者を奪われ、妹の代わりに隣国の老王に嫁がされる私はどうなってしまうの?
美しく聡明な王女が、両親や妹に酷い仕打ちを受けながらも、結局は一番幸せになっているという内容になる(予定です)
一番悪いのは誰
jun
恋愛
結婚式翌日から屋敷に帰れなかったファビオ。
ようやく帰れたのは三か月後。
愛する妻のローラにやっと会えると早る気持ちを抑えて家路を急いだ。
出迎えないローラを探そうとすると、執事が言った、
「ローラ様は先日亡くなられました」と。
何故ローラは死んだのは、帰れなかったファビオのせいなのか、それとも・・・
記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話
甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。
王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。
その時、王子の元に一通の手紙が届いた。
そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。
王子は絶望感に苛まれ後悔をする。
婚約破棄のその後に
ゆーぞー
恋愛
「ライラ、婚約は破棄させてもらおう」
来月結婚するはずだった婚約者のレナード・アイザックス様に王宮の夜会で言われてしまった。しかもレナード様の隣には侯爵家のご令嬢メリア・リオンヌ様。
「あなた程度の人が彼と結婚できると本気で考えていたの?」
一方的に言われ混乱している最中、王妃様が現れて。
見たことも聞いたこともない人と結婚することになってしまった。
わたしにはもうこの子がいるので、いまさら愛してもらわなくても結構です。
ふまさ
恋愛
伯爵令嬢のリネットは、婚約者のハワードを、盲目的に愛していた。友人に、他の令嬢と親しげに歩いていたと言われても信じず、暴言を吐かれても、彼は子どものように純粋無垢だから仕方ないと自分を納得させていた。
けれど。
「──なんか、こうして改めて見ると猿みたいだし、不細工だなあ。本当に、ぼくときみの子?」
他でもない。二人の子ども──ルシアンへの暴言をきっかけに、ハワードへの絶対的な愛が、リネットの中で確かに崩れていく音がした。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
永遠の誓いを立てましょう、あなたへの想いを思い出すことは決してないと……
矢野りと
恋愛
ある日突然、私はすべてを失った。
『もう君はいりません、アリスミ・カロック』
恋人は表情を変えることなく、別れの言葉を告げてきた。彼の隣にいた私の親友は、申し訳なさそうな顔を作ることすらせず笑っていた。
恋人も親友も一度に失った私に待っていたのは、さらなる残酷な仕打ちだった。
『八等級魔術師アリスミ・カロック。異動を命じる』
『えっ……』
任期途中での異動辞令は前例がない。最上位の魔術師である元恋人が裏で動いた結果なのは容易に察せられた。
私にそれを拒絶する力は勿論なく、一生懸命に築いてきた居場所さえも呆気なく奪われた。
それから二年が経った頃、立ち直った私の前に再び彼が現れる。
――二度と交わらないはずだった運命の歯車が、また動き出した……。
※このお話の設定は架空のものです。
※お話があわない時はブラウザバックでお願いします(_ _)
あなたの妻にはなりません
風見ゆうみ
恋愛
幼い頃から大好きだった婚約者のレイズ。
彼が伯爵位を継いだと同時に、わたしと彼は結婚した。
幸せな日々が始まるのだと思っていたのに、夫は仕事で戦場近くの街に行くことになった。
彼が旅立った数日後、わたしの元に届いたのは夫の訃報だった。
悲しみに暮れているわたしに近づいてきたのは、夫の親友のディール様。
彼は夫から自分の身に何かあった時にはわたしのことを頼むと言われていたのだと言う。
あっという間に日にちが過ぎ、ディール様から求婚される。
悩みに悩んだ末に、ディール様と婚約したわたしに、友人と街に出た時にすれ違った男が言った。
「あの男と結婚するのはやめなさい。彼は君の夫の殺害を依頼した男だ」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる