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25 輝きが消えた彼は◆◆アイリス

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 日中なのに、邸の中はシンとしていて物音ひとつ聞こえなかった。

 この邸はこんなに静かで……淋しい邸だったろうか。
 通い慣れたキラキラしたグローバー邸が別の場所だったように思える。

 季節は夏なのにゾクゾクと寒気がして、押さえても押さえても小刻みに震えてしまう。


 やがて、小さくノックが聞こえて。
 お兄様が部屋に入ってこられた。
 何故か、領地で謹慎すると聞いていたキャメロンがお兄様の後に続いていた。

 もしかしたら、謹慎は取り止めになったのかしら?
 ……もし、そうなら。
 わたしもお咎めを受けずに済むんじゃない?
 だって、どちらかと言えば、わたしは被害者なんだもの。


 そんな期待に胸を膨らませた。



 最後に会ったあの昼休み以来のキャメロンは、少し痩せて綺麗だった金髪もくすんで見えた。
 以前の輝きが消えた彼は、わたしの方は決して見ないと決めているのか、入ってきた時も、正面に座った時も、こちらに顔を向けないようにしていた。



 お兄様が静かに話し出した。
 不思議なことに、先日の冷たさは消えていて、以前の穏やかな口調に戻っていた。


「明日、父上と私はハミルトン伯爵邸へ赴いて、改めて謝罪をしてくる。
 あちらから提出されたキャメロンの不貞については全面的に認め、精神的苦痛に対する慰謝料も要求された金額を支払う。
 その上でシンシア嬢にも、お会いしたいとお願いしている。
 彼女には君達の処分についての報告もしなくてはならない」


 シンシアの名前を出されて、俯くキャメロンの体がふらっと揺れた。


 正式に婚約してたわけでもないのに慰謝料を要求されて、それを全額払うなんて、侯爵家はどうしたんだろう。
 けれど閣下とお兄様が決定された侯爵家のことに、わたしが異論を挟めるはずもない。



「ハミルトン伯爵からは不貞相手のマーフィー子爵家も慰謝料請求の対象になっていたが、子爵に確認したところ、支払いは無理だと泣きつかれた。
 そこでグローバーがマーフィーの分も併せて支払うことにした」


 そこでお兄様は一旦、口を閉じられた。

 はぁ?信じられない!
 わたしの家にまで慰謝料を請求したというシンシアの強欲ぶりには驚いた。
 お上品ぶっていても、何でもお金に換算する女だったのね!


 でもまあ、良かった。
 請求額がいくらだったのかわからないけれど、慰謝料なんて父が支払うはずがない……
 侯爵家が肩代わりしてくださらなかったら、多分わたしは父に売られていた。

 セーラ様はアレ……だったけど。
 やっぱり閣下もお兄様も、マーフィーを身内だと思ってくださっているのね。
 やはりお兄様はお優しいし、頼りになる。
 キャメロンなんかとは全然違う。


 そう、ほっとしたのも束の間。
 間を空けて続けられた言葉に、わたしは耳を疑った。


「マーフィー嬢、キャメロンに来年貴族学院を卒業したら、君と結婚することを命じた。
 だが君は今年度で退学する。
 そしてキャメロンより一足先にサザーランド領へ行き、母親のようだと甘えていたセーラと同居して貰う。
 住み慣れた王都から領地へ移ったことで望まぬ生活に疲れるだろう姑を、嫁として尽くして差し上げてくれ」


 そんな!今では、セーラ様にわたしが誘惑したなんて弁明したキャメロンとは結婚なんかしたくない!
 それに、わたしを憎んでいるセーラ様、いや最低女のセーラに尽くせ?
 


「キャメロンと結婚するのは嫌です!
 それにセーラ様と同居なんて、絶対に無理ですから!」

「……何が無理なのかな?
 友人を裏切ってまで欲しいと願った大好きなキャメロンとなら、領地暮らしも楽しいだろうし、セーラとも親子のように仲が良かったじゃないか?
 あぁ、領地経営には関わらなくてもいいから、余計な努力も必要ない。
 向こうには代々支えてくれている優秀な顔触れを大勢揃えているから、全て彼等とその奥方に任せて、君は領地の社交に顔出しは不要で、田舎の人間関係に悩まされることもない。
 君の仕事はセーラの世話と話し相手、それだけだ」
 

 
 嫌、絶対に嫌だ!
 そんな結婚なら修道院の方が、遥かにましよ!



 
 お兄様には聞いて貰えそうもないから、キャメロンの方へ視線をやると、彼は顔を上げていて、わたしを睨んでいた。
 キャメロンの怒った表情を見せられたのは初めてで、やはりセーラの息子だ、瓜二つだと思った。


 そんなキャメロンは鋭い視線をわたしに固定したまま、わたしにではなくお兄様に向かって話し始めた。


「俺だって無理です!
 たった、たった1回だけです!
 こいつとしたのは!
 好きだ、何も求めないからと誘ってきたんです!
 シンシアとの結婚の邪魔はしないとはっきり言ったから、俺は抱いたんです!
 それなのに何故こいつと結婚をしなくてはならないんですか!
 明日、俺もシンシアに会わせてください!
 後から貴方の事情は聞くと言ってくれたんです!
 話を聞いて貰えたら、彼女はきっとわかってくれます!」


 クズ男が本音を叫ぶ。
 ほらね、シンシアの前では格好つけて、俺が悪いなんてわたしを庇う振りをしたのに、お兄様の前では1回だけなのにって開き直って!


 確かに最後までしたのは、あの図書室の1回だけ。
 だけど、4月5月の美化委員会でシンシアが居なかった時は、あの準備室で待ち合わせて、途中までやったじゃない!
 あんたが火曜日は誰も来ないからとか見つけてきて、がっついて来たくせして、全部わたしのせいみたいに!


「1回だから?それが免罪符になると言うのか?
 ……それでシンシア嬢に会わせろと?
 お前は俺を舐めているのか?」


 地を這うようなお兄様の怒りを込めた低い声に、調子に乗って捲し立てていたキャメロンが黙った。
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