【完結】この悲しみも。……きっといつかは消える

Mimi

文字の大きさ
上 下
56 / 58

第55話

しおりを挟む
 スチュワートの死から2年が経過して、ミルドレッドの喪失感が少しだが薄れだした頃。

 ジャーヴィスから、今年もイアン・ギャレットを聖誕祭から年越しまで、ウィンガムに招待したと告げられた。
 彼がマーチ邸で冬休暇を過ごすのは、これで3年連続になる。



「あー、ミリーも多分気付いているだろうけれど。
 今、イアンは一生懸命慣れない自分に……努力している。
 それは君の為だ」

「……慣れないご自分に……」


 兄らしくない、そのあやふやな物言いに。
 イアンについて、これから大事な話をされるのだろうと、ミルドレッドは緊張した。


 そう、ミルドレッド自身も気付いていた。
 この1年半、何度もウィンガムまで自分に会いに来てくれたイアン・ギャレット。
 2年前の大晦日に話した仕事についても、真剣に相談に乗ってくれた。
 約束した通りに調査もしてくれた上で、別の視点から一歩計画を進めてくれたのも、彼だ。
 それは来年の夏から始まることになっていた。



 イアンにここまでして貰っていて、ジャーヴィスから気付いているだろうと指摘されると。
 それはわたしが兄様の妹だからでしょうとは、いくら何でも逃げられない。
 ミルドレッドはそんな風に誤魔化せる程、何も知らない乙女でもないし、とぼけられる程、あざとくもない。


 しかし、これまでイアンはミルドレッドに対して恋愛的なことは何も言わなかったので。
 それをいいことに、イアンの前では彼の気持ちに気が付いていない振りをしている狡い女だったのも、事実だったりする。
 


「あいつは来年の叙爵を目指していて、昨年のシーズンから社交界で顔を売り始めた。
 指導役はエリン・マッカートニーで、私から見てもイアンは努力している」


「来年の叙爵ですか?
 ……どうしてギャレット様は、努力してまで貴族になろうとされているのでしょうか?」

「私が、ミリーは貴族にしか嫁がさないと言ったからだ」

「……」

「来年までの期限を決めたのも、私なんだ。
 だから、必ずイアンは2年以内に貴族になって、ミリーにプロポーズするだろう」

「では、ご本人じゃなくて、どうして兄様が2年も先に言うのですか!?」



 ジャーヴィスが少し変わっているのは、知っている。 
 だからと言って、本人より先にその話をするのは、どうなのか。
 妹の視線と口調のニュアンスに、その無神経さを責める感じがあって、ジャーヴィスは内心たじろいだが、勿論それを表情に出すことはない。


  愛した女性に散々尽くした挙げ句、いざ求婚すると待たされ、その結果玉砕していった男の恨み言を、あのイアンが言うはずもないだろうし、ミルドレッドだってそんな真似はしないと信じているけれど。



「分かるかい?イアンは本気なんだよ。
 男がこれまでの生き方を変えて、真剣に努力している。
 それを、その時になって『そんなこととは知りませんでした』『少し待ってくれませんか』とか、白々しく待たせた挙げ句に『やはり夫が忘れられません』なら、酷過ぎる」

「……そんなことは」

「だから、先に言っておく。
 あいつは決意して、3年かけて頑張っているんだ。
 ミリーもその分時間をかけて、真剣にこれからを考えて欲しい。
 それでもし、イアンに求婚されてもそんな気になれないのなら、下手に返事を長引かせず、その場できちんと断ってやってくれないか」



 とにかく、後から悔いが無いように。
 その時になってから、慌てないように。
 それまでにイアンのことを、ちゃんとその対象として見て。
 彼との将来も考えて。
 それでもやはり、心が動かないのなら、変に期待を抱かせず。
 すっぱりと振ってやって欲しい。



 ジャーヴィスはそれが言いたくて、らしくないことをしてしまった。
 これがイアンの後押しになると思い込んでいた訳じゃない。
 却ってミルドレッドに避けられるようになり、ふたりの仲はここで終わってしまうかもしれない。
 それでも。



「承知致しました。
 わたしも真剣に、考えます」


 妹がそう言葉を返したので。
 結果がどうなろうと、二度と自分はこの件には口出しをしないと決めた。



     ◇◇◇



 イアンとの将来を真剣に考え始めたミルドレッドは、思い出す。
 夏に会いに来てくれた時、イアンが紐で綴じた文書を手渡してくれた。



「貴女が仰った家庭教師とは、少し違うかもしれませんが。
 これなら実現可能な気がします。
 お母様や先輩のお許しが無いと、無理な話なんですが……」


 イアンが起案したのは、ウィンガムのマーチ本邸を使った『ひと夏の貴族令嬢のマナー体験教室』だ。
 それは、7月と8月の2回だけ。
 夏のバカンス前半と後半に分けて、それぞれ4名から6名のご令嬢を集めて、1週間の宿泊で募集する。
 月曜から金曜日までの午前と午後で、計10レッスン。
 外国語、刺繍、ダンス、ピアノ、詩作を各2回。


 それら5つの科目のミルドレッドの修得レベルは、テストをして確認したところ、イアンの想像を越えていたが、何しろ彼女はまだ20代の前半だ。
 彼女の身分と若さと美しさが、教師としての信頼度を損ねてしまう気がするイアンは、反対にそれを強味に出来る方法を考えた。


 
 彼が社交界に出てから、知ったことがある。
 それは、滅多に中央へ顔を出さないウィンガム伯爵の妹のこと。


 ミルドレッドが皆の前に現れたのは、わずか4回。
 あの兄にエスコートされたデビューの時と、新婚間もないシーズンに参加した時の3回。
 兄と夫に挟まれて、後には義弟も居て、彼女の周囲はしっかりガードされていたと聞いた。
 挨拶以外で言葉を交わした貴族も僅かだったらしい。


 そして彼女を襲った悲劇も有名で。
 会えないからこそ、ミルドレッドは特に若い令嬢からの憧れと興味を集めていた。


 その彼女が、領地で募集をかけたなら?
『秘密のベール』の向こうに居るミルドレッド・マーチが主催する令嬢向けのマナー教室。
 始めは興味本位の物見遊山気分でも。
 それが意外と本格的なものだったなら?


 暑い王都を離れて、麗しのマーチ兄妹の本邸で。
 夏の始まりと終わりの1週間に、ご令嬢方の予約が殺到するのは目に見えていた。



「日曜のティータイムに始まって、土曜の朝食後に帰られるのね?」


 彼の案を読み、まず乗り気を見せたのは、母キャサリンだった。
 夏に2回くらいなら、娘の友人達が避暑に来ている感覚で受け入れられる。


 当主のジャーヴィスは賢明なので、母には異議を唱えない。
 ご令嬢達なら勝手に持ち込んだ酒に酔う等、邸で問題を起こすこともないと思われる。

 最初は妹の仕事に対しては難しい顔を見せていたが、誰かの邸に通うくらいなら、自宅で開催した方が安全だと、イアンの案を支持する立場を取った。


「いいじゃないの、そうなさいな。
 この邸内でなら、貴女が働いているところをメルに見せられるでしょう。
 試して上手くいかないようなら、7月の1回でおしまい。
 来年から始めるわよ」


 先代伯爵夫人が決定を下す。
 勿論宿泊させるのだから、身元確かな家門に限る。
 調査なら得意分野のイアンが請け負った。

 王都からウィンガムへの送迎は、ギャレット商会が若い女性が好みそうな可憐、かつ上品な仕立ての馬車を2台走らせ、腕に覚えのある見た目の良い護衛も4名付ければ、どんな言い値でも通る気がする。
 



 そうして翌年から始まったミルドレッドのマナー教室は。
 その後何年も、続けられ。


 夏限定の『ウィンガム・マナーハウス』と呼ばれるようになったが、授業科目にいつまで経っても料理が加わることは無かった。


しおりを挟む
感想 59

あなたにおすすめの小説

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

【完結】脇役令嬢だって死にたくない

こな
恋愛
自分はただの、ヒロインとヒーローの恋愛を発展させるために呆気なく死ぬ脇役令嬢──そんな運命、納得できるわけがない。 ※ざまぁは後半

お飾りな妻は何を思う

湖月もか
恋愛
リーリアには二歳歳上の婚約者がいる。 彼は突然父が連れてきた少年で、幼い頃から美しい人だったが歳を重ねるにつれてより美しさが際立つ顔つきに。 次第に婚約者へ惹かれていくリーリア。しかし彼にとっては世間体のための結婚だった。 そんなお飾り妻リーリアとその夫の話。

【完結】長い眠りのその後で

maruko
恋愛
伯爵令嬢のアディルは王宮魔術師団の副団長サンディル・メイナードと結婚しました。 でも婚約してから婚姻まで一度も会えず、婚姻式でも、新居に向かう馬車の中でも目も合わせない旦那様。 いくら政略結婚でも幸せになりたいって思ってもいいでしょう? このまま幸せになれるのかしらと思ってたら⋯⋯アレッ?旦那様が2人!! どうして旦那様はずっと眠ってるの? 唖然としたけど強制的に旦那様の為に動かないと行けないみたい。 しょうがないアディル頑張りまーす!! 複雑な家庭環境で育って、醒めた目で世間を見ているアディルが幸せになるまでの物語です 全50話(2話分は登場人物と時系列の整理含む) ※他サイトでも投稿しております ご都合主義、誤字脱字、未熟者ですが優しい目線で読んで頂けますと幸いです

いくら政略結婚だからって、そこまで嫌わなくてもいいんじゃないですか?いい加減、腹が立ってきたんですけど!

夢呼
恋愛
伯爵令嬢のローゼは大好きな婚約者アーサー・レイモンド侯爵令息との結婚式を今か今かと待ち望んでいた。 しかし、結婚式の僅か10日前、その大好きなアーサーから「私から愛されたいという思いがあったら捨ててくれ。それに応えることは出来ない」と告げられる。 ローゼはその言葉にショックを受け、熱を出し寝込んでしまう。数日間うなされ続け、やっと目を覚ました。前世の記憶と共に・・・。 愛されることは無いと分かっていても、覆すことが出来ないのが貴族間の政略結婚。日本で生きたアラサー女子の「私」が八割心を占めているローゼが、この政略結婚に臨むことになる。 いくら政略結婚といえども、親に孫を見せてあげて親孝行をしたいという願いを持つローゼは、何とかアーサーに振り向いてもらおうと頑張るが、鉄壁のアーサーには敵わず。それどころか益々嫌われる始末。 一体私の何が気に入らないんだか。そこまで嫌わなくてもいいんじゃないんですかね!いい加減腹立つわっ! 世界観はゆるいです! カクヨム様にも投稿しております。 ※10万文字を超えたので長編に変更しました。

(完結)貴方から解放してくださいー私はもう疲れました(全4話)

青空一夏
恋愛
私はローワン伯爵家の一人娘クララ。私には大好きな男性がいるの。それはイーサン・ドミニク。侯爵家の子息である彼と私は相思相愛だと信じていた。 だって、私のお誕生日には私の瞳色のジャボ(今のネクタイのようなもの)をして参加してくれて、別れ際にキスまでしてくれたから。 けれど、翌日「僕の手紙を君の親友ダーシィに渡してくれないか?」と、唐突に言われた。意味がわからない。愛されていると信じていたからだ。 「なぜですか?」 「うん、実のところ私が本当に愛しているのはダーシィなんだ」 イーサン様は私の心をかき乱す。なぜ、私はこれほどにふりまわすの? これは大好きな男性に心をかき乱された女性が悩んで・・・・・・結果、幸せになったお話しです。(元さやではない) 因果応報的ざまぁ。主人公がなにかを仕掛けるわけではありません。中世ヨーロッパ風世界で、現代的表現や機器がでてくるかもしれない異世界のお話しです。ご都合主義です。タグ修正、追加の可能性あり。

これ以上私の心をかき乱さないで下さい

Karamimi
恋愛
伯爵令嬢のユーリは、幼馴染のアレックスの事が、子供の頃から大好きだった。アレックスに振り向いてもらえるよう、日々努力を重ねているが、中々うまく行かない。 そんな中、アレックスが伯爵令嬢のセレナと、楽しそうにお茶をしている姿を目撃したユーリ。既に5度も婚約の申し込みを断られているユーリは、もう一度真剣にアレックスに気持ちを伝え、断られたら諦めよう。 そう決意し、アレックスに気持ちを伝えるが、いつも通りはぐらかされてしまった。それでも諦めきれないユーリは、アレックスに詰め寄るが “君を令嬢として受け入れられない、この気持ちは一生変わらない” そうはっきりと言われてしまう。アレックスの本心を聞き、酷く傷ついたユーリは、半期休みを利用し、兄夫婦が暮らす領地に向かう事にしたのだが。 そこでユーリを待っていたのは…

【完結】さようなら、婚約者様。私を騙していたあなたの顔など二度と見たくありません

ゆうき
恋愛
婚約者とその家族に虐げられる日々を送っていたアイリーンは、赤ん坊の頃に森に捨てられていたところを、貧乏なのに拾って育ててくれた家族のために、つらい毎日を耐える日々を送っていた。 そんなアイリーンには、密かな夢があった。それは、世界的に有名な魔法学園に入学して勉強をし、宮廷魔術師になり、両親を楽させてあげたいというものだった。 婚約を結ぶ際に、両親を支援する約束をしていたアイリーンだったが、夢自体は諦めきれずに過ごしていたある日、別の女性と恋に落ちていた婚約者は、アイリーンなど体のいい使用人程度にしか思っておらず、支援も行っていないことを知る。 どういうことか問い詰めると、お前とは婚約破棄をすると言われてしまったアイリーンは、ついに我慢の限界に達し、婚約者に別れを告げてから婚約者の家を飛び出した。 実家に帰ってきたアイリーンは、唯一の知人で特別な男性であるエルヴィンから、とあることを提案される。 それは、特待生として魔法学園の編入試験を受けてみないかというものだった。 これは一人の少女が、夢を掴むために奮闘し、時には婚約者達の妨害に立ち向かいながら、幸せを手に入れる物語。 ☆すでに最終話まで執筆、予約投稿済みの作品となっております☆

処理中です...