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第35話

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 その男はすこぶる良い男だった。

 容姿だけは、マリー史上最高のウィラード・フェルドンと、全く同じ顔をしていたからだ。
 お揃いの綺麗な顔をした金髪碧眼のふたりが並んでいる姿は、マリーには壮観だった。




 ある日、メラニーを迎えに行ったローラより一足早く家に帰ったマリーは、ドアが開いていたキッチンでウィラードと立ち話をしている男を見かけた。

 後ろ姿だけでも身なりは立派で、職人が多い西区では見かけない装いに。
 南区に住む貴族が、どうしてキッチンなんかでウィラードとおしゃべりしているのかと思った。

 その時、人の気配に気付いた男が振り向いて。
 マリーは、その顔を見た。
 ローラが帰ってきたのかと勘違いしたのか、男は浮かべていた微笑を引っ込めて、一瞬で無表情になった。 


 それを取り繕うかのように、ウィラードがマリーのことをローラの幼馴染みだと紹介したが、男は名乗らず愛想笑いさえしない。


 いつも優しいウィラードが無愛想になると、こんな感じなんだと。
 腹が立ちながらも、その冷たさに惹かれてしまうマリーは彼に近付こうと一歩踏み出したが、後から帰宅したローラに腕を掴まれて、外に出された。



「今夜は遊びに行くんでしょ?
 急いでたわよね、行ってらっしゃい!」

「ちょ、ちょっと待ってよ、誰なのよ、あのひと。
 ウィラードは双子だったの?」

「……」

「あれだ、あれ。
 王子様と街の貧乏人が、実は双子の童話あったよね!
 あんたの旦那もちゃんと着飾ったら、王子様みたいだもんね!」


 帰ってきた時には気付かなかったが、少し離れた場所に立派な馬車が停まっていた。
 あの馬車に乗って、王子様は生き別れた双子の貧乏人に会いに来たのだとわかった。


「もう!大きな声を出さないで。
 皆が集まってくるじゃない!」

「あんたの声の方が大きいけど、なんなら今から叫んだって良いのよ。
 訳を話してくれなきゃ、ね」


 そうローラを脅して、マリーはスチュワートのことを聞き出した。


「スチュワート様には、奥様もちゃんといらっしゃるの。
 今は身籠られてて、あの御方はそれはもう、大切にされていて。
 4ヶ月目に入られた奥様の悪阻が激しくて、とてもご心配なさってる愛妻家よ。
 下手に手出しをしたら、無礼討ちされるのを覚悟するのね」


 いつも何も言い返せなかったローラが、夫の弟の権力を笠に偉そうに言ってくるのが、腹立たしかったが。
 ここに居ても、ちゃんと紹介などしてくれるはずもないだろうし、スチュワート本人も全くその気をみせていなかったので、無駄なことに頑張らない主義のマリーは、そのまま約束していた男に会いに行った。


 そんな風に、スチュワートとマリーは、一瞬すれ違っただけなのに。




 今では、マリーは彼の娘を産んだ愛人として、アダムスの邸に居る。
 

 こんなに簡単に中に入れるとは思っていなかった。
 最初はローラを騙るつもりはなかった。
 スチュワートからメラニーを連れてきた謝礼を貰おうと思った。
 自分の名前を出しても、伯爵様には会えそうもないから、ローラの名前を出しただけ。
 すると、彼は亡くなったとメイドが言う。


 時期を聞いたら。
 なんとウィラードが死んだのと同じ頃だ。
 同じ時に生まれた双子って、同じ時に死ぬんだと、怖いような、不思議な気持ちになった。



 メラニーには、ここへ来るまでに言い聞かせてきた。
 わたしの言うことを聞いて、いい子にして居ないと、サーカスに売り飛ばすよ。


 まだ3歳のメラニーにとってサーカスは未知の存在だったが、マリーの言い方が恐ろしくて、彼女は頷いた。
 幼い頃から他人に預けられていたメラニーは、大人の言うことを聞くことに慣れている。

 優しかった両親やエリンからは、脅されたこと等なかったが。
 これからはこのひとの言うことを聞かないと、ひどい目に合わされるのは、もう充分思い知らされていた。
 早く歩けだの、食べるのが遅いだの。
 何度もつねられたり、小突かれたりしてきたからだ。



 スチュワートの妻は綺麗な女だったが、自分のことをローラだと信じこんで、張り合ってきたので、それ風なことを並べ立てた。

 エリンからはお金を貰えたけれど、自分の服とメラニーの古着を買ったのと、ここまでの乗合馬車賃で、残りは僅かだった。
 メラニーの荷物の中には、エリンが用意した実用的でありながら、可愛らしい服が何枚も有ったのに、それも全て売却した。
 当然のように、シスターマギー宛のエリンの手紙は途中で破り捨てた。


 ミルドレッドに重いと言ったトランクの中身の大半は、マリーが購入した質より見た目だけは派手な安物のドレスだった。
 マリーはそれを着ることで、執事や侍女と言った領内貴族家出身の上級使用人達から『安物買いのローラ』と馬鹿にされていることも、知らなかった。


 ミルドレッドの様子から、王都でのスチュワートのことを全く聞いていないのを確信したので、駄目で元々とウィラードの名前を出さずに、メラニーの為にお金を貰えないかと言ってみると。
 証拠だの言い出されて焦ったが、見えないようにメラニーをつねるとうまい具合に泣き出したので、ミルドレッドは居なくなった。
 ……それもアダムス邸からだ。


 伯爵夫人を追い出すつもりなんて無かったし、この家に居座る気もなかったのに。
 年に何回か、まとまったお金が欲しかっただけだ。


 無礼討ちという言葉が忘れられなかった。
 ローラと名乗ったけれど、愛人とは言わなかったし、メラニーだってスチュワートの娘とは言っていない。
 何もかもばれても、それを言い訳にしようと思っていたが、いつもびくびくしていた。


 そんなある夜。
 使用人の女に、温室に夜だけ咲く花があって見頃ですよと教えて貰った。
 そしてお酒まで手渡されたので、暇だったから見に行った。
 そこにはカウチがあって、先に飲んでいる男が居て……
 ふたりで飲み交わす内に盛り上がって。

 後から寝た相手が次期当主のレナードだと気付いたが、まあいいか、と。
 彼の方も気まずそうにしていたが、一度結ばれた男女関係だ。
 それからも、時々抱かれるようになった。



 レナードがミルドレッドと再婚する話は、彼から聞いた。
 彼女のことは仕方ないから、あの年増の愛人だけは追い出してよとお願いした。


 このままローラとして、レナードの愛人生活も悪くないかと思えた。
 そんな日々が続いていくと思っていたのに。




 エリン・マッカートニーから、連絡が来た。


 ギルモアに帰ると騙したエリンから、レイウッドに連絡が来るわけがないことも。
 それがローラ・フェルドン宛になっていることのあり得なさにも、焦っているマリーは気が付かない。
 もう自分はマリーではなく、ローラだと錯覚していた。



 エリンからの手紙には、ウィラードから預かっていたものを貴女に返したい、と綴られていて。


 それをどうしても手に入れたいマリーは、邸の外へ誘い出された。

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