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第29話
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ジャーヴィスからグラスを受け取ったイアンは、ゆっくりとブランデーの芳しい香りを楽しんだ。
「焚き付けるとは、穏やかじゃないですよ、先輩」
「何が先輩だ、白々しい。
今日は午後に来たらしいな?
焚き付けたが不満なら、どう言えばいい?」
「激励とでも。
俺はアダムス夫人を励ましただけ。
夫人は、レイウッド伯爵夫人とは呼ばないでと仰せになった。
これって、例の義弟とは再婚したくないと言うことと、受け取らせていただいたけど?」
イアンの言葉に、ジャーヴィスは鼻で笑った。
母や妹には絶対見せない、冷酷な微笑みだ。
「俺もあんな、口だけ達者で、何も出来ないボンクラとは再婚させたくない。
それで何を励ましたんだ?」
「レイウッド伯爵の汚名を晴らしましょう、とか」
「スチュワートの汚名を晴らすか……珍しいな、敵に塩を送ったのか?」
「亡くなったひとは恋敵ではなくて、一生勝てない相手だ。
それなりの敬意を持ってるし、彼女を置いていくのは無念だったろうし、気の毒に思って」
「……」
「俺なら、彼女に自分以外の女が居たなんて思われるのは、死んでいても耐えられない。
もし、その誤解を彼女が晴らしてくれたなら、こんなに嬉しいことはない」
ジャーヴィスが恋愛遍歴が華やかなイアンを、いい加減な男だと思えないのは、彼にはこんな一面があるからだ。
イアンは交際中の恋人に対しては一途なところがあり、尚且つ人妻は勿論、恋人や婚約者持ちの女性には絶対に手を出さない。
相手からいくら誘われても、だ。
そういう潔癖さが、イアンにはあった。
2杯目をジャーヴィスは勧めたが、イアンは断った。
「アダムス夫人が夫を忘れることはない。
彼を失った悲しみは、いつかは消えるかもしれないが、想いは残る。
それはずっと抱えていてもいいんだと……ヴィスから言ってあげて欲しい」
「どうして自分で言わない?
お前は、ミリーはもういいのか?」
「もういいとは、一言も言ってない。
無関係な俺が、スチュワートのことをあれこれ言って良いとは思えないからだ。
だから兄貴も彼女の再婚を急ぐなと、言いたいんだよ」
はっきりした性格のイアンらしくない、奥歯にものが挟まったような物言いに、ジャーヴィスは敢えて言ってみた。
「俺が考えている計画がうまく行けば、ミリーはアダムスから逃れられる。
そうなると、結構な数の釣書が届くだろうから、急がせるつもりはなくても、3年以内には次の話は……」
「3年か?」
イアンがその言葉を遮って、確認するように言う。
「俺は貴族以外には、妹を嫁がせる気はないんだ。
ミリー本人は、自分は死んだことにしてくれ、平民になりたいと言ったが、あの子には無理だ」
「……」
「レナードの愛人と、もうレイウッドには戻らないと約束したそうだ。
だがレナードはミリーに拘って、他の娘じゃ駄目だと言う。
それで死んだことにすればと、思ったんだろう。
さっきは、お前に焚き付けたと責めるように言ったが、初めは俺が貴族名鑑を渡したからだ。
その後もヒントを与えた。
ミリーは生きる気力も考える体力も失くしていた。
あれを読んで、ただ眺めているだけなのか、何かを読み取ろうとするのか、知りたかったのもあるが、簡単に手放そうとした自分の生まれた場所の重みを分かって貰いたかった」
それを聞いて、イアンはしばらく俯いて考え込んでいたが。
やがて、何かを決心したように頭を上げた。
「俺は彼女が、生きる力を取り戻した瞬間を見た。
亡くなったスチュワートの名誉を、自分が取り戻すと決心した瞬間だ。
その時に、このひとから次に愛されるのは、俺でありたいと思った」
「……」
「3年以内だな? それだけあれば根回しは出来る。
金だけ積んでも、昔と違って今は簡単には爵位は買えないようになってるが、何とかする。
それまでは、お願いします、義兄上」
「……義兄上と、まだ呼ぶな」
◇◇◇
じゃあ、また明日と、イアンは立ち上がった。
ウィンガム伯爵様が自ら、エントランスまで見送ってくれるらしいので、ふたりで廊下を歩きだした。
イアンは最初の手紙を貰ってから気になっていたことを、ジャーヴィスに尋ねた。
この食えない先輩が素直に話してくれるかどうかは、分からなかったが、ミルドレッドの前では出さない方が良い話なので、帰る今になった。
「レイウッドに、誰か居るのか?」
「……どうして、そう思う?」
「彼女が実家に帰ったことを、アダムスの連中が気付くのが遅過ぎる。
翌日の午後に早馬が到着したのなら、居ないことに気付いたのは、夜中を過ぎて……夜が明ける前だ」
「……」
「彼女の出奔を助けたのは、レナードの愛人だけじゃないだろ?」
「ミリーの協力者がアダムス邸に居たかと、聞きたいのか?」
「いや、彼女の、ではなくて。
ヴィスの、協力者がだよ。
妹には内緒の内通者」
「……どうかな」
「厳冬のヴィス会長は、ひとを使うのが上手い。
俺達、生徒会役員は良く働かされたよ。
人使いが荒い会長の長所は、問題が起これば矢面に立ってくれるところ。
称賛されたら、手柄を独り占めしないところ。
ただし、本当に良く働かされた」
「良く働かされたと、二度も言うな。
褒められていると勘違いする」
ジャーヴィスが軽口で誤魔化せば、イアンは笑って、それ以上は続けなかった。
確かに、普通ならミルドレッドの出奔はもっと早くに発覚していただろう。
当日の夜に気付かれたなら、馬を出されて馬車は直ぐに追い付かれ、ミルドレッドは連れ戻されていた。
……彼女の協力が無ければ。
その事に誰かが気付く前に。
彼女をウィンガムへ引き取らなければならない。
それが協力を了承してくれた彼女の願いだから。
「焚き付けるとは、穏やかじゃないですよ、先輩」
「何が先輩だ、白々しい。
今日は午後に来たらしいな?
焚き付けたが不満なら、どう言えばいい?」
「激励とでも。
俺はアダムス夫人を励ましただけ。
夫人は、レイウッド伯爵夫人とは呼ばないでと仰せになった。
これって、例の義弟とは再婚したくないと言うことと、受け取らせていただいたけど?」
イアンの言葉に、ジャーヴィスは鼻で笑った。
母や妹には絶対見せない、冷酷な微笑みだ。
「俺もあんな、口だけ達者で、何も出来ないボンクラとは再婚させたくない。
それで何を励ましたんだ?」
「レイウッド伯爵の汚名を晴らしましょう、とか」
「スチュワートの汚名を晴らすか……珍しいな、敵に塩を送ったのか?」
「亡くなったひとは恋敵ではなくて、一生勝てない相手だ。
それなりの敬意を持ってるし、彼女を置いていくのは無念だったろうし、気の毒に思って」
「……」
「俺なら、彼女に自分以外の女が居たなんて思われるのは、死んでいても耐えられない。
もし、その誤解を彼女が晴らしてくれたなら、こんなに嬉しいことはない」
ジャーヴィスが恋愛遍歴が華やかなイアンを、いい加減な男だと思えないのは、彼にはこんな一面があるからだ。
イアンは交際中の恋人に対しては一途なところがあり、尚且つ人妻は勿論、恋人や婚約者持ちの女性には絶対に手を出さない。
相手からいくら誘われても、だ。
そういう潔癖さが、イアンにはあった。
2杯目をジャーヴィスは勧めたが、イアンは断った。
「アダムス夫人が夫を忘れることはない。
彼を失った悲しみは、いつかは消えるかもしれないが、想いは残る。
それはずっと抱えていてもいいんだと……ヴィスから言ってあげて欲しい」
「どうして自分で言わない?
お前は、ミリーはもういいのか?」
「もういいとは、一言も言ってない。
無関係な俺が、スチュワートのことをあれこれ言って良いとは思えないからだ。
だから兄貴も彼女の再婚を急ぐなと、言いたいんだよ」
はっきりした性格のイアンらしくない、奥歯にものが挟まったような物言いに、ジャーヴィスは敢えて言ってみた。
「俺が考えている計画がうまく行けば、ミリーはアダムスから逃れられる。
そうなると、結構な数の釣書が届くだろうから、急がせるつもりはなくても、3年以内には次の話は……」
「3年か?」
イアンがその言葉を遮って、確認するように言う。
「俺は貴族以外には、妹を嫁がせる気はないんだ。
ミリー本人は、自分は死んだことにしてくれ、平民になりたいと言ったが、あの子には無理だ」
「……」
「レナードの愛人と、もうレイウッドには戻らないと約束したそうだ。
だがレナードはミリーに拘って、他の娘じゃ駄目だと言う。
それで死んだことにすればと、思ったんだろう。
さっきは、お前に焚き付けたと責めるように言ったが、初めは俺が貴族名鑑を渡したからだ。
その後もヒントを与えた。
ミリーは生きる気力も考える体力も失くしていた。
あれを読んで、ただ眺めているだけなのか、何かを読み取ろうとするのか、知りたかったのもあるが、簡単に手放そうとした自分の生まれた場所の重みを分かって貰いたかった」
それを聞いて、イアンはしばらく俯いて考え込んでいたが。
やがて、何かを決心したように頭を上げた。
「俺は彼女が、生きる力を取り戻した瞬間を見た。
亡くなったスチュワートの名誉を、自分が取り戻すと決心した瞬間だ。
その時に、このひとから次に愛されるのは、俺でありたいと思った」
「……」
「3年以内だな? それだけあれば根回しは出来る。
金だけ積んでも、昔と違って今は簡単には爵位は買えないようになってるが、何とかする。
それまでは、お願いします、義兄上」
「……義兄上と、まだ呼ぶな」
◇◇◇
じゃあ、また明日と、イアンは立ち上がった。
ウィンガム伯爵様が自ら、エントランスまで見送ってくれるらしいので、ふたりで廊下を歩きだした。
イアンは最初の手紙を貰ってから気になっていたことを、ジャーヴィスに尋ねた。
この食えない先輩が素直に話してくれるかどうかは、分からなかったが、ミルドレッドの前では出さない方が良い話なので、帰る今になった。
「レイウッドに、誰か居るのか?」
「……どうして、そう思う?」
「彼女が実家に帰ったことを、アダムスの連中が気付くのが遅過ぎる。
翌日の午後に早馬が到着したのなら、居ないことに気付いたのは、夜中を過ぎて……夜が明ける前だ」
「……」
「彼女の出奔を助けたのは、レナードの愛人だけじゃないだろ?」
「ミリーの協力者がアダムス邸に居たかと、聞きたいのか?」
「いや、彼女の、ではなくて。
ヴィスの、協力者がだよ。
妹には内緒の内通者」
「……どうかな」
「厳冬のヴィス会長は、ひとを使うのが上手い。
俺達、生徒会役員は良く働かされたよ。
人使いが荒い会長の長所は、問題が起これば矢面に立ってくれるところ。
称賛されたら、手柄を独り占めしないところ。
ただし、本当に良く働かされた」
「良く働かされたと、二度も言うな。
褒められていると勘違いする」
ジャーヴィスが軽口で誤魔化せば、イアンは笑って、それ以上は続けなかった。
確かに、普通ならミルドレッドの出奔はもっと早くに発覚していただろう。
当日の夜に気付かれたなら、馬を出されて馬車は直ぐに追い付かれ、ミルドレッドは連れ戻されていた。
……彼女の協力が無ければ。
その事に誰かが気付く前に。
彼女をウィンガムへ引き取らなければならない。
それが協力を了承してくれた彼女の願いだから。
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