17 / 58
第16話
しおりを挟む
ミルドレッドから一歩下がって、ローラの前では一言も声を出さなかったハモンドが続いて出た。
廊下に出た途端。
張りつめていた緊張の糸が切れて、ミルドレッドはよろめき、壁に手をついた。
「奥様、少し休みましょう」
「ハモンドは……あの子の顔を見た?
貴方には、どう見えた?
旦那様と同じ青い瞳だった。
嘘は要らないわ、はっきり答えて」
「……瞳の色だけでしたら、あの母親も青い目をしていましたから。
ただ顔立ちのことでしたら、あの泣き顔はまるで幼い頃のスチュワート様に生き写しのようだと……」
ミルドレッドは12歳の時に初めて会った、スチュワートの16歳以前の顔は知らないが、金髪碧眼の彼の面影がメラニーにあるように見えた。
メラニーと同じ年頃の、当時のスチュワートを知るハモンドが、彼に生き写しだと言ったのだ。
それは、まさしく……あの女は本当のことを言っているのだ。
あのメラニーは、スチュワートの子で。
ミルドレッドと結婚する前に生まれた娘だと言うことで……
「あの親子は、この邸から出さないで。
至急に部屋を用意して」
「あのふたりを、ここに泊めると仰るのですか?」
「貴方が言ったのよ。
あの娘は旦那様に生き写しだって。
それなのに、領都でホテル暮らし等させられない。
自由に動き回られたら……余所者は目立つの。
あの子の顔を見れば、旦那様の幼い頃を思い出す人が何人も出てくる」
「……奥様はあの子が本当に、旦那様のお子様だと?」
そのハモンドの質問に、壁に凭れかけていた身体を起こして、ミルドレッドは呟いた。
「その真贋は、カールトン様か子爵様に任せるわ。
レイウッドで解決して。
わたしはこの邸を、これから出ていきます。
誰が何と言おうと」
それは独り言のようにも聞こえたが、ハモンドはそれをミルドレッドの決意表明だと受け取った。
あれほど、当主夫人に相応しくなろうと。
まるで生まれ変わったかのように、必要な知識を学ぼうと努力されていた奥様が、その熱意を失われた。
愛の無い政略婚を。
レナードの愛人を。
受け入れようとした。
だが、スチュワートの愛人は。
そっくりな娘は。
受け入れられない。
己の娘よりも年若いミルドレッドを私室に閉じ込めて、この邸に留めることは簡単だ。
だが、ハモンドはそうしなかった。
王命が取り消されない限り、ミルドレッド・アダムスの生きる場所はレイウッド伯爵家だ。
スチュワートの過去も、レナードの現状も、全てを飲み込んで受け入れるしかない。
そんな彼女が哀れに思えた。
少しの間くらい、ここから逃がしてあげたくなった。
それで、聞こえなかった振りをして。
「アダムス子爵邸に、明日の朝連絡を入れます」と告げた。
彼等がここへ来る前に、彼女がここから逃げ出せるように。
後にアダムス家に忠実な家令ハモンドは、この時の感傷を生涯悔やむことになる。
◇◇◇
ミルドレッドはハモンドと別れると急いで私室に戻り、実家から持ってきていた自分ひとりでも着付けられる丈が短めの旅行用ドレスに着替えた。
この家で自分に用意された物は、何ひとつ身につけたくなかった。
着替え終わると、今度は小さなトランクに私物も詰めた。
これもまた、結婚前から大切にしていた物だ。
そして部屋続きの夫婦の寝室に入った。
スチュワートと眠っていたベッドは、今はもう見たくもなかったが、サイドテーブルの上に積み上げていた何冊かの本をまとめて、それもトランクに放り込んだ。
他に忘れ物が無いか、周りを見渡していると。
私室の方のドアがノックされた。
慌てたように何度も繰り返される強めのノックは、あの日の朝を思い出させたが、その想いを振り切って。
寝室から移動したミルドレッドは、無言でドアを開けた。
思っていた通り、そこに立っていたのは顔を歪ませたレナードだった。
余程慌てて階段を駆け上がったのか、息も荒い。
「ミ、ミリー……その格好……」
「どうぞ」
あの口論から1ヶ月ぶりに、ミリーと呼び掛けてきたレナードと言葉を交わすことになった。
絶対に個室では夫以外の男性とふたりきりにならなかったミルドレッドが、彼を部屋に招き入れたのは。
彼から少し遅れて向かってくるサリーの姿が見えたからだ。
レナードとサリーのふたりを私室に招いたミルドレッドだった。
廊下に出た途端。
張りつめていた緊張の糸が切れて、ミルドレッドはよろめき、壁に手をついた。
「奥様、少し休みましょう」
「ハモンドは……あの子の顔を見た?
貴方には、どう見えた?
旦那様と同じ青い瞳だった。
嘘は要らないわ、はっきり答えて」
「……瞳の色だけでしたら、あの母親も青い目をしていましたから。
ただ顔立ちのことでしたら、あの泣き顔はまるで幼い頃のスチュワート様に生き写しのようだと……」
ミルドレッドは12歳の時に初めて会った、スチュワートの16歳以前の顔は知らないが、金髪碧眼の彼の面影がメラニーにあるように見えた。
メラニーと同じ年頃の、当時のスチュワートを知るハモンドが、彼に生き写しだと言ったのだ。
それは、まさしく……あの女は本当のことを言っているのだ。
あのメラニーは、スチュワートの子で。
ミルドレッドと結婚する前に生まれた娘だと言うことで……
「あの親子は、この邸から出さないで。
至急に部屋を用意して」
「あのふたりを、ここに泊めると仰るのですか?」
「貴方が言ったのよ。
あの娘は旦那様に生き写しだって。
それなのに、領都でホテル暮らし等させられない。
自由に動き回られたら……余所者は目立つの。
あの子の顔を見れば、旦那様の幼い頃を思い出す人が何人も出てくる」
「……奥様はあの子が本当に、旦那様のお子様だと?」
そのハモンドの質問に、壁に凭れかけていた身体を起こして、ミルドレッドは呟いた。
「その真贋は、カールトン様か子爵様に任せるわ。
レイウッドで解決して。
わたしはこの邸を、これから出ていきます。
誰が何と言おうと」
それは独り言のようにも聞こえたが、ハモンドはそれをミルドレッドの決意表明だと受け取った。
あれほど、当主夫人に相応しくなろうと。
まるで生まれ変わったかのように、必要な知識を学ぼうと努力されていた奥様が、その熱意を失われた。
愛の無い政略婚を。
レナードの愛人を。
受け入れようとした。
だが、スチュワートの愛人は。
そっくりな娘は。
受け入れられない。
己の娘よりも年若いミルドレッドを私室に閉じ込めて、この邸に留めることは簡単だ。
だが、ハモンドはそうしなかった。
王命が取り消されない限り、ミルドレッド・アダムスの生きる場所はレイウッド伯爵家だ。
スチュワートの過去も、レナードの現状も、全てを飲み込んで受け入れるしかない。
そんな彼女が哀れに思えた。
少しの間くらい、ここから逃がしてあげたくなった。
それで、聞こえなかった振りをして。
「アダムス子爵邸に、明日の朝連絡を入れます」と告げた。
彼等がここへ来る前に、彼女がここから逃げ出せるように。
後にアダムス家に忠実な家令ハモンドは、この時の感傷を生涯悔やむことになる。
◇◇◇
ミルドレッドはハモンドと別れると急いで私室に戻り、実家から持ってきていた自分ひとりでも着付けられる丈が短めの旅行用ドレスに着替えた。
この家で自分に用意された物は、何ひとつ身につけたくなかった。
着替え終わると、今度は小さなトランクに私物も詰めた。
これもまた、結婚前から大切にしていた物だ。
そして部屋続きの夫婦の寝室に入った。
スチュワートと眠っていたベッドは、今はもう見たくもなかったが、サイドテーブルの上に積み上げていた何冊かの本をまとめて、それもトランクに放り込んだ。
他に忘れ物が無いか、周りを見渡していると。
私室の方のドアがノックされた。
慌てたように何度も繰り返される強めのノックは、あの日の朝を思い出させたが、その想いを振り切って。
寝室から移動したミルドレッドは、無言でドアを開けた。
思っていた通り、そこに立っていたのは顔を歪ませたレナードだった。
余程慌てて階段を駆け上がったのか、息も荒い。
「ミ、ミリー……その格好……」
「どうぞ」
あの口論から1ヶ月ぶりに、ミリーと呼び掛けてきたレナードと言葉を交わすことになった。
絶対に個室では夫以外の男性とふたりきりにならなかったミルドレッドが、彼を部屋に招き入れたのは。
彼から少し遅れて向かってくるサリーの姿が見えたからだ。
レナードとサリーのふたりを私室に招いたミルドレッドだった。
316
お気に入りに追加
896
あなたにおすすめの小説



お飾りな妻は何を思う
湖月もか
恋愛
リーリアには二歳歳上の婚約者がいる。
彼は突然父が連れてきた少年で、幼い頃から美しい人だったが歳を重ねるにつれてより美しさが際立つ顔つきに。
次第に婚約者へ惹かれていくリーリア。しかし彼にとっては世間体のための結婚だった。
そんなお飾り妻リーリアとその夫の話。

【完結】長い眠りのその後で
maruko
恋愛
伯爵令嬢のアディルは王宮魔術師団の副団長サンディル・メイナードと結婚しました。
でも婚約してから婚姻まで一度も会えず、婚姻式でも、新居に向かう馬車の中でも目も合わせない旦那様。
いくら政略結婚でも幸せになりたいって思ってもいいでしょう?
このまま幸せになれるのかしらと思ってたら⋯⋯アレッ?旦那様が2人!!
どうして旦那様はずっと眠ってるの?
唖然としたけど強制的に旦那様の為に動かないと行けないみたい。
しょうがないアディル頑張りまーす!!
複雑な家庭環境で育って、醒めた目で世間を見ているアディルが幸せになるまでの物語です
全50話(2話分は登場人物と時系列の整理含む)
※他サイトでも投稿しております
ご都合主義、誤字脱字、未熟者ですが優しい目線で読んで頂けますと幸いです

いくら政略結婚だからって、そこまで嫌わなくてもいいんじゃないですか?いい加減、腹が立ってきたんですけど!
夢呼
恋愛
伯爵令嬢のローゼは大好きな婚約者アーサー・レイモンド侯爵令息との結婚式を今か今かと待ち望んでいた。
しかし、結婚式の僅か10日前、その大好きなアーサーから「私から愛されたいという思いがあったら捨ててくれ。それに応えることは出来ない」と告げられる。
ローゼはその言葉にショックを受け、熱を出し寝込んでしまう。数日間うなされ続け、やっと目を覚ました。前世の記憶と共に・・・。
愛されることは無いと分かっていても、覆すことが出来ないのが貴族間の政略結婚。日本で生きたアラサー女子の「私」が八割心を占めているローゼが、この政略結婚に臨むことになる。
いくら政略結婚といえども、親に孫を見せてあげて親孝行をしたいという願いを持つローゼは、何とかアーサーに振り向いてもらおうと頑張るが、鉄壁のアーサーには敵わず。それどころか益々嫌われる始末。
一体私の何が気に入らないんだか。そこまで嫌わなくてもいいんじゃないんですかね!いい加減腹立つわっ!
世界観はゆるいです!
カクヨム様にも投稿しております。
※10万文字を超えたので長編に変更しました。
(完結)貴方から解放してくださいー私はもう疲れました(全4話)
青空一夏
恋愛
私はローワン伯爵家の一人娘クララ。私には大好きな男性がいるの。それはイーサン・ドミニク。侯爵家の子息である彼と私は相思相愛だと信じていた。
だって、私のお誕生日には私の瞳色のジャボ(今のネクタイのようなもの)をして参加してくれて、別れ際にキスまでしてくれたから。
けれど、翌日「僕の手紙を君の親友ダーシィに渡してくれないか?」と、唐突に言われた。意味がわからない。愛されていると信じていたからだ。
「なぜですか?」
「うん、実のところ私が本当に愛しているのはダーシィなんだ」
イーサン様は私の心をかき乱す。なぜ、私はこれほどにふりまわすの?
これは大好きな男性に心をかき乱された女性が悩んで・・・・・・結果、幸せになったお話しです。(元さやではない)
因果応報的ざまぁ。主人公がなにかを仕掛けるわけではありません。中世ヨーロッパ風世界で、現代的表現や機器がでてくるかもしれない異世界のお話しです。ご都合主義です。タグ修正、追加の可能性あり。

これ以上私の心をかき乱さないで下さい
Karamimi
恋愛
伯爵令嬢のユーリは、幼馴染のアレックスの事が、子供の頃から大好きだった。アレックスに振り向いてもらえるよう、日々努力を重ねているが、中々うまく行かない。
そんな中、アレックスが伯爵令嬢のセレナと、楽しそうにお茶をしている姿を目撃したユーリ。既に5度も婚約の申し込みを断られているユーリは、もう一度真剣にアレックスに気持ちを伝え、断られたら諦めよう。
そう決意し、アレックスに気持ちを伝えるが、いつも通りはぐらかされてしまった。それでも諦めきれないユーリは、アレックスに詰め寄るが
“君を令嬢として受け入れられない、この気持ちは一生変わらない”
そうはっきりと言われてしまう。アレックスの本心を聞き、酷く傷ついたユーリは、半期休みを利用し、兄夫婦が暮らす領地に向かう事にしたのだが。
そこでユーリを待っていたのは…

【完結】さようなら、婚約者様。私を騙していたあなたの顔など二度と見たくありません
ゆうき
恋愛
婚約者とその家族に虐げられる日々を送っていたアイリーンは、赤ん坊の頃に森に捨てられていたところを、貧乏なのに拾って育ててくれた家族のために、つらい毎日を耐える日々を送っていた。
そんなアイリーンには、密かな夢があった。それは、世界的に有名な魔法学園に入学して勉強をし、宮廷魔術師になり、両親を楽させてあげたいというものだった。
婚約を結ぶ際に、両親を支援する約束をしていたアイリーンだったが、夢自体は諦めきれずに過ごしていたある日、別の女性と恋に落ちていた婚約者は、アイリーンなど体のいい使用人程度にしか思っておらず、支援も行っていないことを知る。
どういうことか問い詰めると、お前とは婚約破棄をすると言われてしまったアイリーンは、ついに我慢の限界に達し、婚約者に別れを告げてから婚約者の家を飛び出した。
実家に帰ってきたアイリーンは、唯一の知人で特別な男性であるエルヴィンから、とあることを提案される。
それは、特待生として魔法学園の編入試験を受けてみないかというものだった。
これは一人の少女が、夢を掴むために奮闘し、時には婚約者達の妨害に立ち向かいながら、幸せを手に入れる物語。
☆すでに最終話まで執筆、予約投稿済みの作品となっております☆
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる