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第1章 今日、あなたにさようならを言う

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 いつまでも部屋から戻ってこないわたしを心配して、オルの方からやって来た。
 そしてうずくまるわたしを見て、慌てて駆け寄ってきて、背中を擦ってくれる。

 それでわたしは、パピーが小さな手で、ゆっくり背中を撫でてくれたのを思い出した。
 手の大きさは違っても、行動は同じね。


「大丈夫? 時間がないって、オーウェンは帰ったけど……
 気持ちが落ち着くまで、無理に動こうとしなくていいから」

「……オルだってバスローブのままじゃない……早く着替えたらいいのに。
 オトモダチの好意は素直に受け取るものよ。
 3日後のチケット用意したって、わたしの実家になんて行くわけないのに。
 貴方に頼っちゃって、ごめんね」

「……ディナ、俺は」

「リアンがこんな目に遭わされること、知ってた?
 さっき『まさか今日』と口を滑らせたでしょう?
 貴方がわざと教えなかった、と先走って決めつけるつもりはないの」


 感情はぐちゃぐちゃなまま、頭の何処かは冷えていた。
 ここはオルを責めるよりも、話を聞き出したかった。



「言い訳に聞こえるかもしれないけど。
 俺が20歳のリアンと初めて会った時には、彼は既に新進気鋭の画家で『美し過ぎる車椅子に乗った天才画家』と呼ばれていた。
 俺はその姿は生まれながらのものだと思ってたから、まさか今日領地で襲われて、なんて思わなくて」

「あの子は幼い頃から画家になりたがってた。
 クレイトンから離れられて、その道に進めたのだから、人生を満喫していた、と貴方が言っていたのも納得出来る。
 あの子について、何か言い掛けていたのは?」

「……リアンはある大きな賞の優秀賞第一席を受賞して画壇デビューしたが、それを妬む奴も多かった。
 あの若さであの容姿であの身体だから、話題作りで受賞出来た、なんて……
 リアンを他人が語る時、まず車椅子のことから始まるから、最近のリアンは自分の才能を信じきれなくて、酒を過ごすことが増えた」

「24歳のリアンがお酒を……もう他には?
 10年後のわたしや家族について。
 わたしが聞いておくべきことはない?」

 オルが首を振ったので。
 わたしは立ち上がった……ようやく。


「……ディナ?」

「さっきまでは、ただ貴方が消えてしまうかも、とそれが辛くて、それならわたしが戻ろうと思ってた。
 だけど、今は違う。
 わたしは今はすごく怒ってて、この状況を絶対に変えてやる!って、決めた。
 シドニーやモニカにだけじゃない。
 自分では何もしない父やそれを甘やかした母。
 自分だけがクレイトンから逃げようとしていたわたし。
 全部を正さなきゃ、リアンに申し訳が立たない。
 今回、あの子は意識を取り戻すんでしょう?
 だったら、6時間もかけて帰るより、今直ぐに魔法を掛けてよ。
 わたしを列車に乗せたら、直ぐに3年前に戻るつもりだったんでしょうけれど。
 この役目は貴方には、譲らない」


座ったまま、わたしを見上げたオルに宣言した。



「……本当に戻る気?」

「そうよ、わたしが自分からそう望んだ。
 助けた御礼を返したいんでしょう?
 早く返してね」


 ◇◇◇


「ゆっくり力を抜いて」

「……」

「目を閉じて」 

「嫌だ」

「え?」

「貴方の顔を見ながら、戻るから。
 その顔が好きだから、そこは譲れない。
 ……本当に泣き虫ね、黒子触っていい?」


 わたしが爪先立ちをしなくていいように、オルが屈んでくれた。

 オルの右目目尻に小さな黒子がある。
 わたしは震える左手の人差し指で、その黒子に触れた。


「どうぞ、好きなだけ……
 因みに言っとくけど、泣いてないから」


 シアと初めて会ったドレッシングルームで、わたし達は向き合っていた。




「わたしの時戻しに使ったら、また魔力足りなくなるんじゃないの?
 ちゃんと時送りを出来る?」

「御心配なく……披露は出来なかったけど、魔法の才能は結構あるの、俺は。
 こう見えても、次代の女王陛下の魔法士なので」


 次代の女王陛下の、と言うことは。
 イヴリン王太女殿下の専属!



「じゃあ時間的に余裕があるなら、13のオルに会いに行って」

「どうして?」

「わたしのことを教えて。
 絶対に好きになるように、刷り込んで」

「いやぁ、そんな怖い賭けは出来ないな。
 自分と顔合わすなんて、そんなの」

「文献には載っていなくて、安全性の確証が持てない?」



 あんなに偉そうに宣言したのに、いざとなったら下らない話で引き伸ばす情けないわたしに。
 それが分かってて、付き合って会話を続けてくれるオルに胸が詰まる。


 暫く……貴方には会えない。


「わたし……」

 熱いものが込み上げてきて、話せなくなったわたしの頬をオルが撫でた。


「……泣いてないから」

「分かってる、触りたいだけ」

「わたし達が初めて会うのは、いつ?」

「うーん、それはお楽しみで教えない」

「やめてよ、いつ会うのか分からなかったら、毎日落ち着かない」

「それが狙いだ。 
 俺に会う時まで、毎日落ち着かなくて、ずっとどきどきしてて」 


 わたしの魔法士は、やはり性格が悪かった。




「俺の名前を呼んで」

「……オル……オルシアナス・ヴィオン」


 オルがわたしの額に触れた。
 とうとう……そう思いながら、彼の名前を呼んで。
 金色の瞳を見つめ続けた。
 

「……時戻し、掛けるよ、また会おう」


 覚悟していたような衝撃はなく、ただ少し熱い様な空気に包まれたのを感じた。


 最後に。

『好きだよ、すごく好きだ』と、言ってくれたような気もするけれど。



 確証はない。



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