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第1章 今日、あなたにさようならを言う
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これが、19歳のわたしと23歳のオルとの、最後の昼食になる。
金曜の夜まで、この週末はモニカとふたりでどこへも出掛けずに、この部屋で過ごす予定だったから、ふたり分の食料は買い込んでいた。
わたしはチキンのトマト煮込みを作った。
炒めたチキンに潰したトマト、玉葱、茄子、キノコを加える。
水分は野菜からのみ。
塩を入れ、味見をしながら砂糖を多く入れるのがわたしの好み。
そして水気が飛ぶまで火にかける、ただそれだけ。
単純な料理で、これだけは食べた人が美味しいと言ってくれるわたしの唯一の得意料理。
わたしの横で、的確な手順で手伝ってくれるオルに、気付く。
貴方は口にしないけれど、きっと……
同じ部屋で暮らすわたし達は、この料理を何度も並んで作ったのね。
いつも料理は貴方にお任せなのに、これだけは10年後のわたしもはりきって作ってたんだね。
昨夜あんなにモヤモヤして嫉妬していたのに。
今、心は凪いでいた。
良かったね、わたし。
きっとこの料理だって、オルが作った方が手早くて美味しいんだと思う。
だけど、彼はサポートに徹して、わたしが得意にしてるからと段取りの悪さを見ないふりして。
味付けも、火を止めるタイミングも任せてくれている。
良かったね、29歳のわたし。
本当に愛されて大事にされてるね。
それが分かったから、わたしはまたオルに会える日をどきどきしながら待つことが出来る。
「さっきの、わたしに名前を言わせたのは、自分が名乗った後に黙秘権を使えば、わたしがもっと答え辛いことを話すように、脅されるから?」
「……俺が犬だから、と言ったろ」
「名前を明かしただけで、満足して帰ってくれたね?」
「あの人は君に甘いから」
「オーウェンって呼んでたのは、貴方達は10年後はオトモダチなのかな?」
「趣味が合うから」
「あー、分かるよ、それ。
ふたりとも年上の女好き、だ」
余りにも馬鹿馬鹿しいのか、オルは返事もしてくれなかったけれど、耳朶が少し赤くなっていた。
「オル、このメニュー、好き?」
彼は黙っている。
嫉妬するかもしれないわたしに、気を遣ってるんだ。
「もう妬んでないよ、落ち着いたから。
彼女はわたしだし、相変わらず、この料理しか作って……」
「好きだよ、すごく好きだ」
唯一の得意料理を、食い気味に好きだと答えてくれたオルの声の様子が違っていて、わたしは隣に立つ彼を見上げた。
驚いた。
オルの瞳に、涙が見えた気がしたから。
◇◇◇
食事が終わり、食器を洗うと申し出てくれたオルに、わたしは断った。
洗い物なんか、貴方が居なくなった後、わたしがするから。
やることが何もなくて泣くより、食器を洗う。
「昨夜の話、途中で止めてごめんなさい。
続きを聞かせてくれる?
オルもさっき見たでしょう?
シドニーはわたしに2度と話しかけるな、と言っていたわ。
それなのに、悪縁が続くのはどうしてなのか」
それは本当に聞きたい。
シドニーは、自分が1度口にしたことは決して曲げない。
わたしには、それが信念を持つ男性に見えた。
「……」
オルはなかなか話そうとしない。
自分がその悪縁を絶ちに行く、と決めたから?
もう、話す必要はない?
「わたしの性分は10年後も、きっと変わっていないと思う。
だから分かるでしょう?
貴方がわたしを思ってくれて、そうしたんだとしても。
隠すとか、黙っているとか、嘘をつくとか、そんなことをされるのが一番嫌だって」
オルが頷いたのを確認して、話し続けた。
多少大袈裟でも、脅しをかけてでも。
このまま黙って行かないで。
「今、貴方が何も言わなくて、そのまま3年前に行ってしまって、後からわたしがそのことを知ったら、わたしは貴方を恨む」
「……恨む?」
「わたしに関することは、わたしが判断する。
それは19のわたしも、29のわたしも同じ。
わたしが恨む、と言えば……分かる?」
「……君を失うかもしれない怖さは……骨身に染みてる」
そのオルの返事も、少し大袈裟だけれど。
「だったら、全部話して。
10年後のわたしに何が起こったのか。
それから、時戻しの決まりのようなものを全部話して」
わたしが時戻しの決まりを話して、と言うと。
オルが一瞬だけ苦しそうな顔をした。
やっぱり、何か教えたくないことがあるのね。
「16歳のわたしなら、今よりもっと簡単だから、面倒じゃないかもね。
貴方に誘惑されたら……」
「馬鹿なこと言うな!」
オルに初めて大声を出された。
わたしだって本気で言った訳じゃない。
だけどオルは真剣に怒っている。
「君を本当に抱きたいと思った。
だからって、まだ16の君には手は出さないくらいの理性は持ち合わせてる。
……俺はもう……1年以上ディナに触れていない。
それで君に対して、情けないけど自制心が効かなくて」
「1年以上って……どうして?
わたし達は同棲してて愛し合ってて、なんでしょう?」
「ハイパーのことで、モニカに呼び出された君は毒を飲んだ。
その日から17ヶ月、君は眠ったままで目覚めない」
金曜の夜まで、この週末はモニカとふたりでどこへも出掛けずに、この部屋で過ごす予定だったから、ふたり分の食料は買い込んでいた。
わたしはチキンのトマト煮込みを作った。
炒めたチキンに潰したトマト、玉葱、茄子、キノコを加える。
水分は野菜からのみ。
塩を入れ、味見をしながら砂糖を多く入れるのがわたしの好み。
そして水気が飛ぶまで火にかける、ただそれだけ。
単純な料理で、これだけは食べた人が美味しいと言ってくれるわたしの唯一の得意料理。
わたしの横で、的確な手順で手伝ってくれるオルに、気付く。
貴方は口にしないけれど、きっと……
同じ部屋で暮らすわたし達は、この料理を何度も並んで作ったのね。
いつも料理は貴方にお任せなのに、これだけは10年後のわたしもはりきって作ってたんだね。
昨夜あんなにモヤモヤして嫉妬していたのに。
今、心は凪いでいた。
良かったね、わたし。
きっとこの料理だって、オルが作った方が手早くて美味しいんだと思う。
だけど、彼はサポートに徹して、わたしが得意にしてるからと段取りの悪さを見ないふりして。
味付けも、火を止めるタイミングも任せてくれている。
良かったね、29歳のわたし。
本当に愛されて大事にされてるね。
それが分かったから、わたしはまたオルに会える日をどきどきしながら待つことが出来る。
「さっきの、わたしに名前を言わせたのは、自分が名乗った後に黙秘権を使えば、わたしがもっと答え辛いことを話すように、脅されるから?」
「……俺が犬だから、と言ったろ」
「名前を明かしただけで、満足して帰ってくれたね?」
「あの人は君に甘いから」
「オーウェンって呼んでたのは、貴方達は10年後はオトモダチなのかな?」
「趣味が合うから」
「あー、分かるよ、それ。
ふたりとも年上の女好き、だ」
余りにも馬鹿馬鹿しいのか、オルは返事もしてくれなかったけれど、耳朶が少し赤くなっていた。
「オル、このメニュー、好き?」
彼は黙っている。
嫉妬するかもしれないわたしに、気を遣ってるんだ。
「もう妬んでないよ、落ち着いたから。
彼女はわたしだし、相変わらず、この料理しか作って……」
「好きだよ、すごく好きだ」
唯一の得意料理を、食い気味に好きだと答えてくれたオルの声の様子が違っていて、わたしは隣に立つ彼を見上げた。
驚いた。
オルの瞳に、涙が見えた気がしたから。
◇◇◇
食事が終わり、食器を洗うと申し出てくれたオルに、わたしは断った。
洗い物なんか、貴方が居なくなった後、わたしがするから。
やることが何もなくて泣くより、食器を洗う。
「昨夜の話、途中で止めてごめんなさい。
続きを聞かせてくれる?
オルもさっき見たでしょう?
シドニーはわたしに2度と話しかけるな、と言っていたわ。
それなのに、悪縁が続くのはどうしてなのか」
それは本当に聞きたい。
シドニーは、自分が1度口にしたことは決して曲げない。
わたしには、それが信念を持つ男性に見えた。
「……」
オルはなかなか話そうとしない。
自分がその悪縁を絶ちに行く、と決めたから?
もう、話す必要はない?
「わたしの性分は10年後も、きっと変わっていないと思う。
だから分かるでしょう?
貴方がわたしを思ってくれて、そうしたんだとしても。
隠すとか、黙っているとか、嘘をつくとか、そんなことをされるのが一番嫌だって」
オルが頷いたのを確認して、話し続けた。
多少大袈裟でも、脅しをかけてでも。
このまま黙って行かないで。
「今、貴方が何も言わなくて、そのまま3年前に行ってしまって、後からわたしがそのことを知ったら、わたしは貴方を恨む」
「……恨む?」
「わたしに関することは、わたしが判断する。
それは19のわたしも、29のわたしも同じ。
わたしが恨む、と言えば……分かる?」
「……君を失うかもしれない怖さは……骨身に染みてる」
そのオルの返事も、少し大袈裟だけれど。
「だったら、全部話して。
10年後のわたしに何が起こったのか。
それから、時戻しの決まりのようなものを全部話して」
わたしが時戻しの決まりを話して、と言うと。
オルが一瞬だけ苦しそうな顔をした。
やっぱり、何か教えたくないことがあるのね。
「16歳のわたしなら、今よりもっと簡単だから、面倒じゃないかもね。
貴方に誘惑されたら……」
「馬鹿なこと言うな!」
オルに初めて大声を出された。
わたしだって本気で言った訳じゃない。
だけどオルは真剣に怒っている。
「君を本当に抱きたいと思った。
だからって、まだ16の君には手は出さないくらいの理性は持ち合わせてる。
……俺はもう……1年以上ディナに触れていない。
それで君に対して、情けないけど自制心が効かなくて」
「1年以上って……どうして?
わたし達は同棲してて愛し合ってて、なんでしょう?」
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